遺書への応援コメント
久々にしっかり考察をしないといけない作品でした。
先に詩一さんのコメントを見てしまったので、書かれていない部分が多いということは分かりました。
そのうえで、僕の感じたこと。
九堂の行い、言葉のひとつひとつが遺書だったと主人公が感じたということは、公園で泣いている九堂を見た瞬間、九堂自身のコンプレックスを主人公が感じ取ったのではないかと思いました。
たとえば学校ではヒエラルキーが上位の彼も、不良連中のなかでは使いっぱしりのような扱いを受けていた(裕福な家なので金銭も渡していた可能性も大かなと)。
そのコンプレックスのやり場として主人公を標的にした。
そのことをあの日九堂の涙から感じとったのかなと。
そして主人公が穴を掘っているのは、子猫を埋めるためじゃないかと考えました。
九堂が主人公にしたように、主人公もまた自分より弱い存在に危害を加えようとしているのかなと。
ラストシーンで九堂に切られた前髪の描写<汗で前髪が貼り付いてくる>が印象的に出てくるのがいいなと思いました。
たぶん、意図して出したんだよね?
読み手によって感じ方が大きく変わる面白い作品だと思いました。
作者からの返信
飛鳥 休暇さま。
読み手によって感じ方が大きく変わる、はとても嬉しい言葉ですね。
立場が変われば、この作品の読み方も変わるかと思ってまして、イジメに対して「いじめる方が悪い」という意見とともに、「いじめられる側も悪い」という意見が出てきます。
たぶん意見する側の人の立場もあるんじゃないかな、と思いました。
今作は、主人公から見える部分しか書いてません。
一人称を最大限に生かせたかなと思いました。
なので、九堂くんが何故暴力を振るうのかをあえて書いてません。
そして、子猫の描写はまったくもって正解です(笑)
あと、ラストの前髪が貼り付いてくるというのも、意図してました。飛鳥さんすごいな!
いやぁ、素晴らしい観察眼ですね(๑•̀ㅁ•́๑)✧
読んでて声が出る感想でした。
ありがとうございます!
遺書への応援コメント
やせ細った子猫の親猫が死んだのでしょうか?
九堂さんが主人公をイジメていたのは八つ当たりに違いないわけですが、その後ろには孤独があり、猫との時間がそれを癒す唯一の時間だったのかなと思いました。
親猫が死に、主人公は墓を掘ってあげた。でも隣で子猫もまた死んでしまった。
猫のお墓を掘ってあげるという行為は、九堂さんへの鎮魂のように思え、主人公はとてもやさしい人なんだと思いました。
そのやさしさに付け込んで、八つ当たりして、死んだ。
ストレスに弱い人というのは一定数居て、自殺を咎めることはできないと思っています。けれどこれは、なんとも自分勝手が過ぎますね。
人一人の人生を狂わせて置いて。
――自分だけ、被害者ぶりやがって。
という主人公の言葉が、この物語の骨子のように思いました。
作者からの返信
詩一さん。
わぁ!ᓫ(๑º꒳º๑)ꜝꜝ
読んでいただきありがとうございます!
詩一さんの考察、とても面白くて好きです。
そして、詩一さんがとても優しい方だなぁと改めて思いました。
実はこの作品、書いていない部分が圧倒的に多いです。
なので、何故主人公が穴を掘っているのかとか、九堂くんが自殺を選んだのかとかは全くというほど触れてません(笑)
ご想像におまかせする、というのもあれなので、作者の意図はそのうち別場所でこそっと明かすつもりです。
もしかしたらがっかりさせてしまうかもしれませんが…。
遺書への応援コメント
「生まれてこなきゃよかったのに」というフレーズが頭に残りました。
たぶん曲解でしょうが、これは九堂自身のことだけじゃなく子猫も含めたこの世に生きる命全般にかかってくる言葉なんじゃないかと感じました。言ってしまえば反出生主義的な考えですね。
主人公が九堂の死に苛立ったのも、自分だけ死んで楽になりやがってという含みもあるのかなと。
最後、猫が死んでる気がするのですけど、それが主人公の手によるものだとすると、それはある意味救いを与えたことになるのかもしれません。
もちろんこれは身勝手な理屈で、事情はどうあれ誰しも被害者にも加害者にもなりうるという話にもなってきますね。
何であれたしかだと思うのは、ここで描かれているのは負の連鎖で、誰もそれを止められない話だということです。
作者からの返信
戸松秋茄子さま。
素晴らしい着眼点です!まさしく、です。
そう、誰もが加害者ですし、被害者な作品になっています。
この作品のなかにヒーローはいません。
わたしが作品に包み隠したものを読み解いてくださってありがとうございます。
九堂くんが生まれてこなければ〜と言った経緯につきましては別場所にてこっそり明かしてたりしますのでよければ(笑)