魔法石の心臓

あっぷるピエロ

前編

   ◆プロローグ


 世界には魔法石と呼ばれる特殊な力を秘めた結晶が数多く存在する。

 魔法石、聖結晶、魔力石などとも呼ばれる〝それら〟は、大概が桁外れに大きな力を持った危険なものだ。

 それら魔法石はその特殊性により希少価値が高く、それゆえに誰もが知る奇跡を起こす不思議の石。

 故に──禁忌を夢見るものも少なくない。



   ◆1


 風の中にノイズが交ざっている。そのノイズを発する通信機をぶら下げて、少年は夜の闇の中で小さく息を吐いた。

 屋外。海が近い海岸沿い。まさにその先端、明かりの落ちた港に立って、少年は嘆息していた。

 夜空の月は細く光は弱い。足下もおぼつかないような暗さだったが、彼は怯えた様子もなく立ちつくしていた。

 その足下に、転がった人影が五つ。死んではいなかったが、ぴくりとも動かない。

 冷えた風が少年をなぶる。ふいに、ぷつ、と線が噛み合ったような音がして通信機が繋がった。持ち上げるところに、声が発せられる。

『こちら本部〝射手座〟、どうぞー』

「こちら〝ジェミニ・牡牛座〟、どうぞ」

『よかったー、ようやく通じたよ。そっち電波悪いね』

「電波もあるだろうが、魔法石のエネルギーが切れかかってるぞ。誰か安物入れただろ」

『え、マジ? ちょっと叱っとくわー……帰ったら知らせてね!』

「ああ」

 通信機からノイズ混じりに聞こえてきたのは、低い声ながらテンションの高い、明るい声だった。男の声。少年にはよくなじみのある声だ。

『で、どう? 任務完了?』

「任務完了だ。足下に五人のびてる」

『手加減しただろうね?』

「もちろん。ただ、一人ぐらい酷い火傷を負ってるかもしれんけどな」

『まったくぅ、相手も懲りないね』

 帰ってくる返事は、のされてくたばっている人間をまったく可哀相と思っていない声音だった。何度も繰り返して飽きた声だ。

「その他に人数は確認できず。連絡をとってるようでもなかったので監視二時間を待って討伐、本拠地らしき場所は扉を壊しておいた。中身は確認済み、怪しいものもあったから海に捨てといた」

『こらこらこら、怪しいものは有害の可能性があるから捨てちゃだめだよー』

「トランクごとだから、そこまで被害がないことを祈る。魔法石は回収するか?」

『こっちから待機させておいた部隊を移動させるよ。役目が少なくなってつまらなさそうな顔の奴を選ぼう──あ、こらみんな顔をそらさないように!』

 部隊とやらの苦笑いが見えた気がして、少年は呆れた声で続けた。

「……じゃあ帰還するぞ」

『待って、一応部隊が到着するまで見張りをお願い。到着後確認が取れたら帰っていいから』

「わかった」

『以上、本部〝射手座〟より』

「了解、〝ジェミニ・牡牛座〟。以上」

 ぶつ、とノイズを発して通信機は切れた。

 魔法石管理局の人間と、特殊任務を帯びる〝ジェミニ〟の会話である。



 ◆2


 アリエスは変な奴だと思う。

 前々からわかっていたことだが、シリウスは改めてこいつは変だなと思うことがある。

 アリエスは線の細い少年で、一見して少女と間違えられそうな中性的な人間だ。頭もいいし行動力もあるが、常にのほほんとしているタイプ。なごみ系か癒し系というのはこいつのためにある言葉だろう。

 アリエスは四年前、ミドルスクールに編入してきた時に出会った。意外なことにその前は事故にあったとかで、それ以前の記憶をまったく持たずに。そんな境遇をわずかも見せない気丈さで、彼はこの町の一員になった。その彼が両親と越してきた家がたまたまシリウスの家の近くだったのも興味を引くきっかけだった。

 記憶喪失の少年。その肩書きから、彼は良くも悪くも注目された。

 その注目を浴びながらも彼は穏やかに笑い、泣き言を言わず頑張ろうとしている姿が多い。そのせいか男子からも女子からも圧倒的多数の好意的な支持を受けている。わからないことをどんどん質問して、興味を持ったことを追及する性格が幸いしたのかも知れない。

 そんな彼が何故いつも自分と共にいるのかは、実はシリウスにもよくわからない。

 黙っていれば格好いいのにねと幼なじみによくいわれるが、シリウスは根っからのトラブルメーカーとして有名である。自ら首をつっこむ性格と悪戯好きの結果だとは知っているが、直す気はない。

 その悪戯が、縁あってアリエスと友だちになるきっかけになったのだ。

 基本中の基本、教室のドアに外から見えないよう苦労して黒板消しを仕掛けたその日。教室にはすでに人がいたが、誰も笑うばかりで止めようとはしなかった。いつものことであるから皆共犯だ。

 そしてそれに引っかかったのが、アリエスだった。

 いつもより遅れてきた彼は、そのときはまだシリウスとまったく面識がなく、そういった悪戯を目撃したこともなかったため警戒心が全くなかった。ので、かまわず開けたドアから落ちてきた黒板消しに綺麗に引っかかった。スコーン、といい音がした。

「はうあっ!」

 堅い部分が当たったのか、鞄を取り落として頭を抑え、アリエスは目を白黒させていた。それから何事かと前後左右上下まで見回して、ようやく黒板消しに気付いた。教室では引っかかった瞬間から「よくぞ引っかかってくれた!」とばかりに温かい笑い声が聞こえていたのだが、あまりの予想できない衝撃に彼はよほど動揺していたらしい。黒板消しを拾い上げた次の一声が、

「ええっ! こ、黒板消しが空から降ってきた!?」


 大爆笑だった。


 そんな感じで思わずシリウスもツボにはまって机を叩き、肩を震わせていたのだが、その後種明かしと謝罪のために声をかけたときから、二人は友だちになった。


 元の話に戻すと、記憶喪失というそんな複雑な経緯もあるせいかもしれないが、彼はどこかずれていた。それはもう微笑ましいとしかいえないような天然ボケっぷりで周囲を和ませていた。

 けれど付き合う内に、シリウスは彼の「変なところ」をいくつも発見するようになった。

 その一。アリエスは体温が低い。真夏の炎天下だろうが、真冬のグランドの上だろうが、常にひんやりとした体温をしている。夏に冷たいというのも一種の──貧血とかいう類の──病気ではないかと心配したこともあったが、彼自身はまったく気にした様子がない。むしろ、自覚がないというべきか。

 熱湯が入っていて熱いはずのビーカーを素手で掴んでいたり、逆にドライアイスでカチコチになった氷を長時間持っていても何の反応も示さなかったり。気付いたシリウスがいつも慌てて取り上げるのだが、彼は一度も火傷等炎症を起こしたことがない。

 それ故に、シリウスを通して親しくなった幼なじみには氷枕のように好かれている。逆に冬は敬遠される。

 その二。記憶喪失という状態。普通、記憶を戻そうとするなら街を引っ越したりしないはずだが、彼の家族は一家三人で越してきた。しかも親は以前の彼と比べるという動作を一切見せず、過去の話もまったくしない。ついでに言えば、家にお邪魔した時聞いた話、アルバムが一冊もないのだという。本人に尋ねると、「昔の火事で焼けちゃったらしいよ」となんの疑問も持っていない返事が返ってきた。多少なり寂しそうだったのは気のせいではないだろうが、踏み込んでも地雷だろうから追求できなかった。

 同時に、彼の体に傷が残っていることも気になる。四年も付き合うと、近所だと言うこともあって泊まりに来ることも行くこともある。そのとき彼の胸に大きな傷があることを知った。胸の中心、丁度心臓の辺り。縦に引かれた手術痕のようなあと。

 失礼を承知で尋ねてみると、本人は何の傷か覚えていないという。記憶喪失になる前についたのか、もしかしたらその原因かと疑ってみたが、もっと幼少、子供の頃についたものらしい。

 だが、記憶喪失になった原因の事故ははっきりしないままだった。釈然としないものを感じながら、元々の彼を知らないシリウスにそれ以上首をつっこむことは出来なかった。

 その三。アリエスは魔法石らしいものに過剰に反応する。しかし本人に自覚はなく、それを眺めていたシリウスが気付いただけというものだ。

 現在、魔法石は純度の低いものだけ出回っているが(高純度のものはほとんど発見されない)、アクセサリーや飾りだけではなく、火力・風力・電力などの一般的なエネルギーと同様の力を持つものとしてエネルギーを変換して使用されている。使われているそれも教科書に載るような大きな結晶や綺麗なものではなく、ごつごつとしたそこらで拾ってきた石そのものだ。違いがあるとすれば普通の石と違って色がついていることか。

 そして大抵、それに人は気付かない。どこに魔法石が使われていて、どれだけあるのかなんて考えもしない。

 なのに、アリエスはそれに気付くらしい。自覚がないようなので尋ねたことはないのだが、古い車のエンジンや灯火(電気ではなく、魔法石で灯されたライトのエネルギー源に反応しているらしい)、噴水のシステムだったり魔法石店のショーウィンドウだったりした。それを集中して凝視しているのではなく、ふと気を取られたかのように、ぼんやりとした顔でそこを眺めているのだ。声をかけるとすぐに視線を外して振り返るので、本人の意識は皆無らしい。

 魔法石に詳しいのか、と尋ねたことがあったが、彼は何故そんなことを聞くのかという顔できょとんと首を傾げて「ううん、そんなことないよ。魔法石なんて見たことないもん」と言う。じゃあいつも何見てるんだとつっこんで聞くと、不思議そうな顔で見返される。自覚がなさ過ぎるというのも反応に困る。

 その四。彼に関わる不可思議な現象がある。これも、いくらみんなに好かれているアリエスといえども、知っているのはシリウスだけだ。

 それはハイスクールに上がった年のことで、運動部に所属しないまでも体を動かすのが好きなシリウスが、同級生に誘われて野球に参加した時のことだ。それぞれが人を呼んで、応援するギャラリーも出来るという一種のお祭り状態になり、誘ったらアリエスは見学者というカテゴリーで見に来ていた。

 真夏の炎天下という地獄絵図で、バカみたいにテンションの上がっていた野球はやけに盛り上がり、見に来ていた参加者の親が水分を差し入れるとかいうありがたい配慮までもらっていた。そのとき、いつも世話になっているからとシリウスにはアリエスが直接持ってきてくれていたのだ。

 一回戦でペットボトル一本を空にし、開けたばかりのスポーツ飲料をアリエスに持っていてもらったところ──次の休憩の時に寄ったら、何故か凍っていた。

 凍っていたものを受け取った覚えもないし、開けた時にはすでにぬるくなりかけていたはずだった。なのにアリエスが持っていたそれは間違いなく凍って膨張していて、シリウスは唖然としてそれを見ていた。

 すり替えられたとかそういう手品かと思いきや、持っていた本人は何の違和感もなかったようで「どうしたの?」と尋ねてくる始末。これはなんだと聞き返すと、そこで初めて異常に気付いたらしく、「あれっ? 凍ってたっけ?」ととんちんかんなことを言い出した。

「…………」

 脱力して、シリウスはその回の選手を他の人に替わって貰った。

 そのあと、試しにアリエスにジュースを渡して経過を観察していたが、凍るまではしないものの、ぬるくなっていたジュースは見事に冷え切っていたことがあった。それからシリウスはアリエスに受け取ったものを長時間握りしめることを禁止した。彼は不思議がっていたが、それ以上考えようとも思わなかったのか特に反論もなくうなずいていた。

 本当に大丈夫かと不安になったりもしたが、今のところその不思議な体質がばれた様子はない。

 基本はいい奴なのだが──どこかアリエスは変な奴である。



   ◆3


 魔法石は大きさより純度が〝力〟の大きさを示すメーターとなる。純度が一の岩石より、純度が十の小石の方が力は強い。

 そこに大なり小なり見た目が関わって価値が変動する。何十カラットもの宝石が高値であるように、魔法石も見た目が綺麗で結晶が大きく、純度が高ければその価値は目も眩むほどだ。ただし現在、魔法石の資源は枯渇し始めていて、純度が高いものはほとんど手に入らなくなってきている。見た目ならば宝石の方がよほど見栄えがいい。

 それでも「魔法」とつくだけで価値は跳ね上がるらしい。犯行声明もない盗賊団に襲われた魔法石ショップは、ことごとく荒らされ中身を根こそぎ奪われていた。

「目撃者もなしか……」

「これだけ大規模にやってるというと、大人数でしょうかね」

 ガラスケースが破られ、陰惨な空っぽさを主張する店の中で、治安維持警察の制服を着る男が二人、顔をしかめていた。背後では彼らの部下が何か手がかりはないかと、割れたガラス、入り込んだ土まで目を凝らして調査を始めている。

 そこへ、じゃりっ、とガラス片を踏みつけながら何の躊躇いもなく店内へ入ってくる者がいた。

 すぐにその音に気付いた二人が驚いて振り返った。慌てて片方が制止しようと動く。

 足下に散らばるガラス片に興味も向けず立ち入ってきたのは、小麦色の長髪を束ねた少年だった。少年といってもずいぶん大人びていて、十代後半から二十代にさしかかる頃。日はまだ長い季節だというのに何故かロングコートを羽織っている。その彼の瞳が鋭く男達に向いた。

「こら、君。ここは今立ち入り禁止……」

「許可は得ている。管理局のものだ」

 押しだそうと腕を伸ばした若手の男をあしらい、少年は精悍な顔つきを気だるげに変えて懐からカードを取り出した。遠慮なく相手の顔に押しつけ、かまわず奥へ踏み入れる。カードを顔に貼り付けられた若手はそれをはがしてまじまじと字面に目を落とした。

 ──〈魔法石管理局〉。記載された名前はタウルス。

「管理局……!?」

 それは魔法石の出自から始まる回収・管理・研究を主に行う特殊特化機関だ。魔法石に関する大々的な情報と権限を持っている組織であり、務めている局員や本部の場所さえほとんど知られていない、名前と影響力だけが存在しているかのような組織。

 この少年がその一人? と若手は目を白黒させて上司である男にカードを差しだした。身分証明証であるそれを受け取って眺め、初老の男はタウルスという名前を提示する少年に目を向けた。

「管理局が、何故わざわざここに?」

「知らん。俺も呼ばれたから同行しただけだ。詳しいことは局長に聞いてくれ」

 ここにいない相手に答えを丸投げして、タウルスは身分証を取り上げるとさっさと店の中を歩き始めた。取り残された宝石の回収がまだすんでいないのか、店内にはあちこちに小粒の石が残っている。それを見回し、タウルスは口をへの字に曲げた。

「いやーぁ遅くなっちゃった! ごめんね失礼しまーすっと。うわ、これは被害甚大だなぁ」

 そこへ更に脳天気な声と共に男が入ってきた。これが証明だと言わんばかりの白衣を羽織っている。

 不審者を見るような目で警察の人間が顔を向けると、視線に気付いた男はごまかすようにひらひらと手を振った。

「遅い。何でおまえより後に出た俺の方が早く着くんだ、サージ」

「そりゃ、おまえの方が足が長いからだろう。どうだって?」

「状況説明はされてないから、何ともいえんな」

 タウルスが入ってきた男に声をかけると、彼はおやおやと呟いて警察に頭を下げた。次いで名刺のように身分証を取り出す。

「魔法石管理局、研究部局長のサジタリウスです。ども、今回はちょっとこちらの分野にも関わっているので顔をつっこみに来ました。調査は邪魔しませんのでご勘弁を」

 警察の二人は大物の出現に目を見開き、顔をしかめた。事実上の管理局研究部最高責任者である。魔法石に関わることは全てが管理局に報告されることを鑑みれば、確実に協力が求められるのだろう。

 局長を名乗るサジタリウスが鼻にかけた眼鏡をあげてすっと姿勢を正した。

「俺たちがここへ来たのは理由があります。実はこちらの……管理局本部でもですね、盗賊団らしき者達に忍び込まれまして」

 驚く警察に向けて、タウルスを示し、

「そのときは彼が撃退しました。退けるのに精一杯で捕らえることは出来ませんでしたが。まぁ、もちろん魔法石狙いでしょうね。管理局を直接狙う輩がいるとは想像してませんでしたので、少し油断しましたが」

 奇異の目を向けられたタウルスは不満げに鼻を鳴らし、腕を組んで付け足した。

「消灯後で、メンテナンスついでに保管庫を様子見にいったところでかち合っただけだ。咄嗟に殴りかかったせいで顔は見てない。その場の人数でも六人はいたな」

「……ということで。まぁ加工品では店のものの方がいいでしょうが、純度でいえば管理局の方が大きいから狙われたんでしょう。一応、魔法石の被害はありませんでしたが」

「では、今回も同一犯だと?」

「そんな情報聞いてませんが」

 初老の男と若手が同時に問い返した。サジタリウスは肩をすくめて首を振った。男達は察して無言で引き下がった。

「それで、どこの犯行グループとかわかりましたかね?」

「今特定中です。犯行声明はないようなので……」

「あったらあったでふてぶてしいですけどね……。タウルス、どうだ?」

 店の中を勝手に歩き回っていたタウルスが、話題を振られて振り返った。簡潔に、

「相手は優秀な魔法石の探知機を持ってるらしい」

 それでいて唐突に答えた。首を傾げる彼らに向かって、砕けたケースの中に残る宝石を探し、手袋をはめた手で一粒を拾い上げて見せる。

「この場に残っている結晶は全てガラス玉だ。宝石も混ざってるかもしれんが、魔法石ではないな。全て周到に魔法石だけ選び取って盗んでいったようだ」

 警察がぎょっとした顔をした。一見宝石と魔法石は見分けがつかないものもある。魔法石は純度が高くなるほど透明度が増すため、磨き上げられたものは宝石とほとんど同じなのだ。

 それを一目で看破した少年もさることながら、相手もかなり高度な技術を持っていることになる。

「あれ、ここって魔法石専門店じゃねえの? ですよね?」

 サジタリウスが若手に振り向いて問い、若手は慌ててこくこくと頷いた。

「はい、ここは昔から魔法石の加工アクセサリーを専門に扱うショップだと聞いてますが……」

「その魔法石って、純度とか大きさとかわかんないですかね?」

「それはちょっと……。店の人も、ガラスで手を切ったとかで病院に行ってますので……」

「どのみち、ガラス玉を魔法石と偽って売ってたなら処罰の対象だろうな」

 さらりと身も蓋もないことをいって、タウルスは拾い上げた結晶の一つを局長に向かって投げた。サジタリウスはそれを受け取ると、白衣のポケットから別の結晶を出して見比べた。それを興味深そうに若手も覗き込んでくる。

「どう違うんですか?」

 サジタリウスの手の中にある結晶。一つはビー玉のような大きさの、滑らかに整えられた透明感ある緑色の石。カンラン石のようにも見える。もう一方は手のひら大で、原石らしく表面は凸凹していておよそ綺麗な宝石らしさをしていない。濁っているが、かすかに見える色は赤色だろうか。

「こっちは原石で、純度は一五を切ってるからこんなぼこぼこしてるんですけどねー。磨けばそれなりに形になる。ただ……こっちの緑色の石は、ここまで透き通っていて結晶化した魔法石なんて近年そうそうない。ホンモノなら純度五〇くらいか……。ニセモンだな」

「見てわかるものなんですか?」

 二つを並べてみて、やっぱりそこは磨かれたガラス玉の方が綺麗に見える。「タウルスの指摘は絶対に正しいからな」首を傾げる若手に向けて、サジタリウスが呟く。

「でも、本物の魔法石ってけっこうぼこぼこしてるんですね。もっと綺麗な物かと思ってましたよ」

 サジタリウスの持つ原石を見て感想をこぼす若手に、タウルスの声が飛ぶ。

「魔法石の純結晶は磨かなくてもそれ単体の結晶になるものが多いんだよ。最初から円や四角の形をしてるものもある。無論、それ以外の形もな」

「そ、そうなんですか?」

「ま、そこまで綺麗な結晶になるのは純度七〇越えだ。今じゃもう見つからないねぇ」

 サジタリウスは原石をポケットにしまい込むと、ガラス玉の方を若手に投げた。慌ててそれをキャッチし、若手はまじまじとそれを見下ろした。

「わかりやすく確認する方法がありますよ。専門の研究機関にいって調べて貰うか、起動してみるか。後者の方が手っ取り早いですがね」

「起動、とは?」

 初老の男が眉をしかめて尋ね返す。サジタリウスは驚いた顔で肩をすくめた。

「ご存じない?」

 再度ポケットから先ほどの原石を取り出すと、今度はそれを少年に放る。受け取ったタウルスは呆れた風にため息をついた。

「昔、魔法石の採掘が絶頂期だった頃に、魔法石を使った職業がいくつもあったでしょう。魔法石から力を引き出してコントロールする職業──魔法石使い〈マスター〉ですね。今じゃもうとっくに廃業してるでしょうが、未だに出来る奴だっている」

 サジタリウスが説明しながら促すと、タウルスはわかりやすく男達に向けて原石を握った腕を差しだした。少年の唇が動く。

「──収束の安寧 弧を描く共鳴よ 名を止まん」

 何が起こるのかと注目する視線の中、ぽう、と原石が淡く光を灯す。石の色と同じ……赤色。目を見開く男達の前で囁かれた呪文に反応したように光はだんだん強くなり──

 カメラのフラッシュがたかれたような閃光と同時、肌を一瞬焼くような熱──痛みが来た、と思った次にはすでに光は収まっていた。制服の上から腕を押さえていた初老の男は、一拍をおいて手を離した。火傷をしたような痛みが奔った気がした──気のせい、ではないだろう。

「基本〈起動術〉だ。魔法石のタイプによって術式は異なる。今のは火属性の魔法石だったから多少空気が熱せられただけ。純度が高けりゃ威力も桁違いだ」

 大したことをやったわけでもないというように、少年は原石を投げて返した。同じく驚いた様子もない局長は、余波を受けて熱かったのか白衣の上から腕をさすっている。

「もうちょっと威力抑えてもよかったんじゃない?」

「せいぜい四十か五十度だろう。一瞬だからそこまででもないんじゃないか?」

「五十度だって人間が触れば火傷する温度だろ」

「低純度の石で威力なんか出せないぞ。肌が弱いんじゃないのか?」

「おまえに比べりゃ、世界中の人はみんな肌が弱いさ」

 やれやれと肩をすくめて局長は石をしまい、首を振って警察に顔を向けた。

「ま、こんな感じですので、よければこちらでも協力しますよ? 調査・研究は得意分野ですからね」

 身分証の代わりに名刺を差し出して、サジタリウスは丁寧に頭を下げた。その背に少年が尋ねる。

「引き上げるのか?」

「魔法石のみを狙ってるなら、こっちだってまた狙われる可能性はあるからね。帰って対策でも立てよう」

「……了解」

「では」

 軽く手を挙げて、サジタリウスは意気揚々と店を出て行った。その後に続いて、ガラス片を遠慮なく踏みつけタウルスが出て行く。その背が完全に通りに出て行くまで見送って。

「……どうします?」

「かまわん。相手がああいってるなら、こちらで回収した石全部回そう。その上で、魔法石を中心に狙う盗賊団を割り出す」

「了解しました」



   ◆4


 いつもの光景だった。

 学校帰りに通る広場は、中央に噴水のある煉瓦造りの待合い広場だ。噴水にはベンチがあるし、周りには露店や普通の店もあるから人はそれなりにいる。

 そこで相も変わらず、目を離した隙にアリエスは魔法石を眺めていた。飽きもせず、今度は何を眺めているのかと視線を辿ると、小さなアクセサリーショップの露店だった。小さな魔法石でも売っているのだろうか。

 ちょっと思いついて、シリウスはその露店を覗き込むためにベンチから立ち上がった。それに気付いて、アリエスも慌ててついてくる。

 露店には数人の女子が群がっていた。中には男子連れもいて、買ってとねだっているのだろう。

 並んでいるアクセサリー数は半端じゃなかった。どれも比較的安いのだろうが、おもちゃとは違って若干高めだ。露天商は少女達に恋の叶う魔法石だよと歌い込んでいる。

 石のついたシンプルな指輪、ネックレス、ピアス、ブレスレット。模様も鮮やかに細工がしてあり、それに飾られた石は見事に見えるが──。

「なあ、アリエス。おまえだったらどれを選ぶ?」

 魔法石のおまじないなんて信じているわけじゃないが、あれば得した気分にはなるだろう。ここにある石すべてが魔法石だというのも半信半疑、アリエスが本当にわかるならといた気持ちで尋ねてみる。案の定問われたアリエスは驚いた顔をしていたが、ふむ、と考え込んでアクセサリーに目を落とした。

「これはなんか惹かれるなーっての、あるか?」

「うーん……」

 本当に魔法石ばかりだったら純度の高い物を選ぶのか……それとも全部偽物か。そんな予想を立てながらシリウスはアリエスが商品を吟味するのを眺めていた。

 正確にわかったとしてもどうするつもりもなかったが、意に反してアリエスは少し悩んだだけでシリウスの袖を引いた。

「これ。これがいい」

 指さしたのは、並んでいるアクセサリーの中でもほとんど印象に残らないような、星をかたどったペンダントだった。鎖の先にぶら下がった石は二つ、他のものと違って色もついてない無色透明の結晶。

「ふぅん。その根拠は?」

「こ、根拠!? えっと、えっとねぇ……」

 おもしろいくらいに動揺して、アリエスは真剣に選んだ根拠とやらを考え始めた。なんとなくで返ってくるかと思ったが、この辺りは生真面目だ。苦笑して、シリウスは答えが出るのを待った。

「えっとね、これね、えーっと……なんか、呼ばれてる感じがするの」

「呼ばれる?」

 まったく予想外な、斜め上の答えだった。驚いて問い返すと、アリエスは難しい顔で唇を尖らせて、

「なんだろう……響いてる? 感じ。鈴がしゃらしゃら鳴って……引っ張られてるような」

「…………」

 意味はさっぱりわからないが、それを確かめるためにその肩を叩いて後ろを向かせる。

「あの噴水はどう思う?」

「え? 綺麗だね」

「噴水の全体像。あれは、どんな感じがする? 一番力が強そうなところはどこ?」

 アリエスは呆れるでも不思議がるでもなく、瞳をゆっくりと瞬かせて像を眺めた。そのあとぽつん、と。

「像の中心。音が鳴ってる」

 ──噴水の水制御装置がはめ込まれているのは像の中心。間違いなくそこに魔法石もはまっている。

 シリウスは確信した。まったく何の根拠もないし、それが何なのかもわからなかったが、とにかく。アリエスには魔法石がわかるのだ。

 振り返ってシリウスはペンダントをすくい上げた。

「おじさん、これいくら?」

「お、彼女にプレゼントか? 二〇〇ジュエだよ」

「もっと安くならない? 包装はいらないから」

「おやおや、これを値切ってくるとは人が悪いね。ま、それは売れ残ってた奴だから……仕方ないなぁ、一八〇」

「一〇〇!」

「一五〇だ! これ以下はダメ!」

「そこをなんとか、一一〇!」

「いやいや、ここまででも破格だよ? 一四五!」

「もうちょい、一二〇!」

「あんちゃんもやるねぇ……仕方ない! 一四〇!」

「後一押し! 一三〇!」

「あー、粘るなぁ……いいよ、一三〇で」

「おし、買った!」

 目を丸くしているアリエスや、はしゃぐ女子学生が手を叩く前で、悠々とシリウスは代金を払ってペンダントを手に入れた。

「よし、帰るぜ」

「え? あ、うん」

「おじさーん、頑張ってなー」

「うまくやれよ!」

 店に声をかけると、一種のデモンストレーションだと思ったのか、人が増え始めていた。巻き込まれないうちに退散しようと、シリウスはアリエスの腕を掴んで広場から走り出した。


「びっくりしたよ~。シリウスって度胸あるんだねぇ」

「あのおっさんが乗ってくれたからだよ。ま、余興になったのは確かだろうからな」

 そのわりに、こちらが買ったペンダントが本物の魔法石だとは思っていない様子だったが。目の高さまで持ち上げたチェーンにぶらさがる石を見、シリウスは呆れた顔で肩をすくめた。

「そういや、おまえ、他の石はどうだったんだ? 呼ばれるって感じはまったくしなかったのか?」

「うん、そうだね。シリウスが買った奴が一番強かったよ?」

「ふぅん……」

 何なんだろう、特殊能力ってやつだろうか。魔法石が豊富だった時代にはそれを使って職業にする人たちもいたらしいという話を思い出して首を傾げたが、悪戯に全力をかけて日々勉強していないシリウスが詳しくわかるはずもなかった。早々に考えることを放棄して、指先に引っかけていたペンダントをアリエスの手の中に押し込める。

「わっ、何?」

「やるよ」

「え、ペンダント、いいの?」

「うん。おまえがおもしろいからやるわ」

「えっ? 何、おもしろいって何? 僕何かやった?」

「やったやった。おもしろい、おもしろすぎて顔が引き攣るぐらい」

「何それー! 引き攣ってないでしょ、何のことー!?」

「さあ、帰るかー」

「ちょっと、シリウス──ッ!」

 こういうところもおもしろいので、シリウスは放置することに決めてさっさと歩き出した。



   ◆5


 魔法石管理局本部。その研究部。

 魔法石ショップから帰還したタウルスとサジタリウスは、職員ホールに真っ先に向かって職員を呼びつけた。居丈高に呼んだが、友人に声をかけられたような顔であちこちに散らばっていた白衣姿の人たちがわらわらと集まってくる。

「どーだ? 何か異常あったか?」

「おかえりなさーい」「何にもなかったよ」「そっちはどうでした?」「タウルスくんお疲れー」「お土産はー?」

 口々に帰ってくる気安い返事。いつものことなので局長も気にしない。タウルスはひらひらと手を振って「手がかりなし」をアピールした。職員は皆一様に二十代後半以降ばかりだったが、そこで唯一タウルスだけがずば抜けて若い。けれど彼の立場は一介の職員ではない。

「で、何だったの? 魔法石窃盗団?」

 職員の一人がタウルスに顔を寄せて尋ねる。タウルスは肩をすくめて一連の会話を繰り返した。完璧な模倣に驚く人もなく、話が終わってすぐに局長に拳や肘打ちが飛んだ。

「何やらせてんだよ、局長」「そーだそーだ」「何もやってないじゃん」「情けない挨拶しないでよねー」

「み、みんな酷くない?」

 もろに鳩尾に入ったらしいサジタリウスがうめきながら泣き言を言う。タウルスもいつものことなので呆れるばかりで助けもしない。

「でも、相手ってかなり優秀な機械持ってるんだね。そんな高級品持ってたら誰が手に入れたかわかるんじゃない?」

 一通り話が終わった後で一人がいい、同意の声が上がった。局長がまかす、と指示すると別の一人がすぐに白衣を翻して別の部屋に飛び込んでいった。情報部に問い合わせて割り出しが始まるのだろう。

 魔法石が判別できるという機械は、管理局を数えても世界に数台しかない。見ただけで判断できるという人もいるだろうが、長い年月をかけて培った経験の賜物だ、数は多くない。機械もまだ改良の余地があるものばかりで、機械の大きさは人とほぼ同列に当たる。盗賊団がわざわざそんなものを運んでくるとは思いがたいが……。

「小型化された機械を持ち出してきたか、相手も魔法石で探しているのかも知れないな」

 本部の最も優秀な魔法石判別機であるタウルスが、話題に付き合って補足した。それを問い合わせようとすぐに人が動き出す。

「ホントにまったく魔法石だけ盗られてたの?」

「宝石まで盗られていた可能性は否定できんが、残ってたのはガラス玉ばかりだったぞ」

 何故そんなことがわかるのかを尋ねる人もいない。彼の能力は今更のことだった。

「一応保管庫の中身も確認しますか?」

「低純度の石ばっかだけどな……ま、一応頼むわ。壁とか扉の方にも何かないか確認よろしく」

「A班D班、チェックに行くぞー」

「はーい」「りょうかーい」「整備士、機材チェックの道具持ってきて」「誰か管理パネルの操作よろしくー」

 管理局という名前からぴっしりしているかと思えば、まったくそんな雰囲気を感じさせない口調で声を飛ばし、旧来の友人のようなやりとりを経て職員が散らばっていく。これは研究部だけの特色で、他方の部署から局員がやってくると驚くか露骨に顔をしかめるの二択だ。

「タウルス、おまえもメンテナンスしてこい。念のためだ、なんかの余波が引っかかってるとまずいからな」

「了解」

 局長直々に言われ、タウルスは肩をすくめてホールを出た。



   ◆6


「アリエスー! あとでノート貸してくれ、今度のテスト範囲!」

「あ、うんいいよ!」

 我ながら情けないと思うが、シリウスは帰りのホームルームが終わるとすぐにアリエスの元に助けを求めて駆けよった。自分の鞄に教科書を詰めこんでいたアリエスは、いつものことだというように二つ返事で笑顔を返してくる。サンキュー、と両手を合わせたシリウスは、「あ」と声を上げたアリエスに何事かと聞き返す前に後頭部を殴打された。鞄にぶったたかれたと気付いたのはその後だ。

「いっでぇ!」

「ばーか、何一から十までアリエスに頼ってるのよ」

「てめ……スピカ!」

 振り向くまでもない、学校一のトラブルメーカーに直接的な制裁を加えてくるのは幼なじみ以外ありえない。頭を抑えながらシリウスは振り向きざま後ろに叫んだ。

 長髪のクラスメイト、スピカはふふんと得意げな顔をして背後に立っていた。一発頭をこづいてやろうと腕を振ったが、彼女はあっさりとそれを避けた。ほとんど生まれたときからのつきあいだ、この辺の間合いや空気の読み取りぐあいは考える前に反応出来るところがこのときばかりは恨めしい。

「人の頭をぼかすか叩くなスピカ! これ以上悪くなったらどうしてくれる! 自慢じゃないが頭悪いって自覚はあるぞ!」

「本当に自慢じゃないわね。でも、もう悪くなりようがないんじゃないの? 悪戯に関しては天才的だけど」

「む、……褒めてんのか?」

「呆れてんのよ!」

 こんな調子の会話も日常茶飯事だ。聞いていたアリエスは隣で笑い出している。

 ある意味有名人のシリウスに、いつもセットとして見られているのはアリエスだ。

 しかし、日常的につるんでいるのが誰かと言われればアリエスと同じ立場にスピカが立っている。もちろんこの二人も互いに仲がいい。アリエスはスピカを頼れるお姉さんのように見ているし、彼女も天然のアリエスによく世話を焼いてこちらのいらぬ事を吹き込んでくれている。この野郎。

「アリー、あなたもこんな奴に手取り足取り勉強教えなくていいのよ? 根っからトラブルメーカーの埃がつまったやつなんか」

「誰が埃だ!」

「プライドって意味ならあってる感じだね」

「アリエス、フォローするところが違うだろ!」

「あはは、アリエス上手い」

 からからと明るく笑って、スピカはシリウスの背中を勢いよく叩いた。

「帰りましょ。ね、帰りにパン屋さんよってかない? 新作のパンが出てるのよね♪」

「わ、いいね。いこう、シリウス!」

 シリウスがスピカに非難の声を上げる前に、パン屋に釣られたアリエスが顔を輝かせた。普段はたいていフォローに回ってくれるアリエスだがこういうときは完全に話を聞いてくれない。ため息をつき、シリウスは諦めて鞄を肩に背負った。


「今度の授業、楽しみだよなあ! 魔法石使って発光実験するんだぜ?」

「あー、シリウスは好きそうだね」

「あー、確かに」

 ハムとレタスとチーズの挟まったベーグルを口に押し込みながら、シリウスは声をそろえたふたりに言い返した。

「なんだよ、おまえらだって楽しみにしてるんじゃねーのかよ」

 否定せず頷きながらアリエスは食べかけのパンにかぶりついた。もぐもぐと口を動かして一口分を呑みこむと、シリウスの言葉に付け足す。

「純度はすごく低いみたいだけどね、実物使って実験できるところなんて、この辺りの街じゃここだけらしいよ」

「うっひょー、楽しみ! 実際になんか魔法っぽいことしてくれねぇのかな?」

「純度が低いとそれだけ反映力が減るから、たいしたことは出来ないと思うよ……?」

 アリエスが先生から聞いたことを思い出すように首を傾げた。

「んーと、反映力?」

 頬をかくシリウスに、パンの詰まった紙袋を下げたスピカがこれ見よがしにため息をついた。

「興味があるんだったらもっと勉強しなさい! アリエス、ちょっと説明してあげてよ」

「うん。純度のことは知ってるよね? 簡単に言うと、魔法石の綺麗さと力の強さって比例してるんだよ。綺麗で、天然で形が整っているものが一番強い。それが、大昔で言う純度九〇代。でも、発達した文明によって使い尽くされた魔法石は今ではほとんど純度三〇以下で、たぶん学校で使うのは一〇前後じゃないかな? そこまでくると石の魔法を使う力自体が弱くて、確かホントに発光するぐらいで、昔の魔法のようなすごい超常現象は起こせないはずだよ」

「なーんだ、じゃ、学校でやる実験もそんなたいしたこと出来ないのか」

「発光実験っていうぐらいだから、光るくらいは見えると思うけどね。どんな感じなんだろうなぁ」

「でも、魔法石って一般人に簡単に扱えるものじゃないんじゃないの? アリー」

「えっと、確か誰にでも使えるんだけど、それなりに専門の知識と発動コードがいるんじゃなかったかな? で、その技術を極めた人が魔法石使い〈マスター〉って呼ばれる、昔の専門職、っていうか魔法使い。……だったと思うけど」

「へえー! その発動コードってやつを覚えたら、俺にも使えるようになるのかなッ? すっげー、楽しそう!」

 歓声を上げるシリウスに苦笑めいた笑いを向けて、アリエスはまたパンにかぶりついた。

「ってことは、学校に魔法石使い〈マスター〉が来るのかなぁ。今じゃほとんどいないって聞くけど」

「おお、その人に弟子入りすれば手っ取り早いな。俺も魔法が使えるようになりたいですって」

「シリウスには無理ね」

「なんで全力否定!? 俺はやるときはやる男だ!」

「その情熱を向ける方向が間違ってるのよね……どうせ悪戯に使う気でしょ」

「む……。否定はしない」

「……。それに、知識と使い方さえ知ってれば誰にでも出来るんでしょ? 先生が自分でやっちゃうかもよ?」

「あー、そっか。それもそうだね、スピカ」

「ちぇー、つまんね」

 すでに自分で買った分のパンを食べきったシリウスは、頭の後ろで手を組んで空を見上げた。

「魔法石つっても、出来ることなんて限られてんだな」



   ◆7


 研究部の中心ホールは、声を張ったらいんいんと響くような広い空間で、時間限定でつくってくれる食堂付きのなじみの休息所だ。他の職員との意見交流や食事、ただのお茶もここで過ごす人が多い。

 朝食や昼食の時間以外は開いていない食堂だが、自分で持ち込んで作ることは出来るし、お菓子を持ち寄ってもなんら問題はない。ということで、よく気分転換に人はポットとお菓子を持ち寄って集合する。だがそれも休憩時間の話で、先程まではにぎやかに人がいたホールは作業を終えたタウルスが戻ってきたときにはほとんど解散していた。

 そこでひとり紅茶を作ったタウルスは、のんびりとホールの真ん中で休憩を始めた。その匂いにつられたわけでもあるまいに、お菓子を持ってやってきたのは局長室へ引き上げたはずのサジタリウスだった。

「……何やってんだ」

「うーん、親子の絆を深めるための親睦会とか」

 呆れた顔をするタウルスに歌うように答えて、サジタリウスは正面の席を陣取って大皿にマカロンを広げた。ついでに相手にココアの注文をする。

 呆れか、あるいは諦めに近い顔をしながらタウルスは気のない動作でマグカップにココアを作り、向かいに滑らせた。それをキャッチして、サジタリウスがテーブルに肘をつく。

「本部の中でくらいコート脱げばいいのに」

 いつもと代わり映えしない姿を眺め、サジタリウスはため息に似た感想を呟いた。向かいの少年は全身に未だロングコートを羽織って、両手には手袋がついたままだ。研究員達の白衣と違い、その生地は材質も違う厚手でおよそ今の季節には向いていない。

 それでも汗一つかかずに、タウルスは眉を寄せて素っ気なく答えた。

「めんどくさい」

 サジタリウスは軽く肩をすくめた。

 遠慮なく皿からマカロンを拾い口へ運ぶタウルスを眺め、サジタリウスはふと昔のことを思い出した。タウルスが魔法石使い〈マスター〉の力を暴発させ、止めに入ったサジタリウスが酷い火傷を負ったときのことだ。その頃タウルスはコートも手袋もつけていなかったのに、今ではかたくなにコートを手放そうとしない。

 必要な措置だとも思えるが半分ぐらいは自分のせいだろうなと思っていると、何神妙な顔してるんだと本人から指摘された。

「君が子どもの頃のことを思い出してたんだ」

 薄紅色のマカロンをかじりながら、タウルスはサジタリウスに顔を向けた。その言葉が染みこむのを待つように長い間を空けて視線をふいとそらす。

「今とそう変わらんだろう」

「ずいぶん成長したよ。外見じゃなくて、中身ね」

「そうか?」

「そうさ。中身が成長していないって思う方が問題だなぁ、長いつきあいなのに」

 くすくすと笑ってサジタリウスはカラフルなマカロンを皿の上に積み上げた。その塔をタウルスは上からつまみ上げて消費していく。瞬く間に減っていく塔の高さに憮然とした顔をして、サジタリウスは黄色のマカロンを口に放り込んだ。

「魔法石の調子はどうかな?」

「特に異常はないが」

「コントロール訓練は?」

「あまり変わらん。精度は上がっているかもしれないが、表面温度のコントロールは相変わらずだ」

 サジタリウスは頬杖をついて目の前の少年を眺めた。多少人と差があっても、見た限りではごく普通の少年だ。見た目より大人びた口調ではあるが、態度はまだ子どものそれである。長いつきあいではあるが、この彼が珍しい存在だというのはまだ少しぴんと来ない。

「魔法石使い〈マスター〉ってのは、外から見てもわからないものだねぇ」

 今やその名前さえ知られなくなった、過去の魔法使いの名。過去には自然に愛された者とまで呼ばれた、魔法石を使って魔法を起こす存在。その職業は、魔法石資源の枯渇を共に衰退した。世界に今、何人の魔法石使い〈マスター〉がいるのか。

 その略称で呼ばれたタウルスは軽く鼻で笑った。

「心配してるのか?」

「そりゃあ心配してるさ! 大事な息子だもの!」

「……」その発言はスルーして、タウルスは明後日の方を見て足を組んだ。「俺が持ってる魔法石が狙われるかもって?」

「あ、それは考えてなかった。狙われるのかな?」

「……。さあな。相手とかち合ったときに探知機が反応すれば、ばれるかもな」

「んー、でも君だったらその前に相手を叩きのめしちゃいそうだよねぇ。経験値多いから」

 やれやれと肩をすくめて、サジタリウスはココアを一気に仰いだ。魔法石使い〈マスター〉としての任務に出る回数は確かに多いが、褒められているのか呆れられているのかよくわからない。

「その前に警察が片を付けてくれれば有り難いがな」

 ため息をひとつ落として、紅茶を喉に流し込むとタウルスは席を立った。「なんか用事?」のんびりだらりとしている局長に向けて、呆れた顔で少年は言う。

「魔法石使い〈マスター〉見習いが来るんだろうが。おまえが俺に指導を頼んだはずだろ」

「あー、そうだったそうだった。はいはいよろしく」

「……おまえは仕事に戻らないのか」

「あはははは」

 タウルスはもう構っても無駄だと悟ったようにひらりと後ろ手に手を振ってホールを出て行った。

 その背を見送ったサジタリウスは、ホールに誰もいなくなるとすっと笑いを収め。

「魔法石盗賊団ねぇ……」

 最後に残った緑色のマカロンをかみ砕き、鋭く目を細めて呟いた。



   ◆8


 結局事件はその二件で終わらなかった。

 翌日から、一日空けるか否かの連続で六件の魔法石ショップあるいは加工所、規模の小さな研究所などが盗賊に襲われた。その内二件で、目撃したのだろう従業員が殺されていたところもあった。

 報せを受けた管理局は血の気を引かせた。人が殺されたという結果にショックを受ける者もいたし、完璧に魔法石を取り扱う店のみを集中して狙うという狡猾さに恐れたものでもあったし、なにより生き残った目撃者から有力な証言が出たことが大きかった。

 ──相手は、魔法を使った。

 それによって保管庫が壊され、盗み出されたという。さすがに魔法石に慣れ親しんだものでもなかった目撃者は、どんな魔法石だったかなどとはわからなかったようだ。けれど大きなてがかりがあった。

 つまり相手は――このときから強盗団に呼び名が変わったが――その一員には魔法石使い〈マスター〉がいる。

 現在流通している魔法石の純度には限界がある。五〇以上の魔法石は流通することなく管理局で回収されるほどだ、周りの空間に干渉できるほどの力を持つ魔法石は純度七〇以上、一般に出回る物ではない。それを手にしているという相手は一体何者か。

 管理局に魔法石の確認を頼んできた警察機構も、連続した事件に顔を強ばらせていた。緊張した雰囲気の中、管理局が調査した魔法石「らしき」残されたものは全てまがい物であるという結果が出て、ここで強盗団が確実に魔法石「のみ」を狙っていることが知れ渡った。

 警察はすぐに警戒線を張り、魔法石を扱う場所に人を配置した。けれどそこでも問題があった。低純度だけを扱う店はことごとく無視され、比較的高純度の石を持つ場所だけが狙われた。相手がどうやってそれを特定しているかは不明なままで、その判断も出来ない警察はさらに後手に回った。

 そうして街全体が警戒と緊張で張り詰めたある日、研究者の誰かが気付いた。


「あれ、今までに襲われた所って、ここから魔法石出してるところじゃない?」


 何の気なしに呟かれたそれが、ざわりと管理局を揺らした。研究部は直接魔法石の流通に関与しないが、ほかの部ではそうでもない。研究部が「純度が低い」と判断した石は別の機関へ渡り、利用価値がないものはアクセサリーショップに回されることが多い。それなりの力があるものは、車や機械を作る企業にエネルギー源として買い付けられる。それ以上のものがあれば、管理局で保管ということになる。

 そうして出された場所ばかりが、盗賊団に襲われていたのだ。

「どういうことだ!?」

「おい、確認急げ! 他はどこの機関が残ってる?」

 一瞬で混乱に落ちかけた管理局は、慌てて事実確認に急いだ。そのとき、何故か三日を空けずと襲っていた強盗団は一時姿を消し、警察が足取りに全力の注意を向けていた。わずか二週間以内で、

「隣町で二件、反対の街で三件、いずれも魔法石のみが奪われています……」

「この街ではもう八件続いてるんだぞ!? 他の所は!」

「これ以上遠くに、未だ被害は出てないようですが」

「どこかに拠点があるんだ! 警察は何をやってる!」

「この街が中心になってんのは言わずもがなだな……根拠がない! 特定できる有力情報を探せ!」

 結果、舞い込んできた情報は管理局も青ざめるものだった。

 子細証明書、研究記録、搬入先の一覧、数々の管理局が持つレポートが消失していた。

 それらも全てまとめて別館の金庫に保存してあったはずだが、確かめに行った職員の証言では、金庫は扉がひしゃげて折れ曲がっていたという。魔法石ばかりに気を取られて、だれも別館まで確認しに行かなかったことが裏目に出た。ついでに、相手が魔法石を使用している確信が出来た。

 間違いなく強盗団は管理局が魔法石を搬入した先を狙っている。ようやくそれを確固とした裏付けにして、管理局は警察に協力を求めた。警察は数店舗襲われずに残っている店を重点的に見張り始めた。にも関わらず、強盗団は姿を消したままだった。

 潜伏期間。強盗団が息を潜めているこの状況を、誰もが終わったとは考えてはいなかった。逃亡した彼らが魔法石を売り払って遠くへ逃げるのだろうとは予測がついたが、

「……嫌な予感がする」

「おいおい、やめてくれよタウルス。おまえの勘って当たるんだよなぁ」

 タウルスもサジタリウスも、同じく表情を強ばらせて状況を見守っていた。レポートの消失に気付いて五日、まだ事態は動かない。

「普通、一ヶ所二ヶ所襲ったら、満足して逃げるよな?」

「危険を冒そうと思わないなら、そうだろう」

「連続で動いたのは、捜査の手が伸びる前に出来るだけ多く回収しようって企みだとは思うんだが……」

「妙だな」

 何が、と明確にしないタウルスの台詞に、いい言葉が見つからなかったようでサジタリウスもそのままうなずいた。

「例えば、もしあれだけ派手な行動して逃げる前に逃げないんだとしたら、何でだと思う?」

 サジタリウスが記録経過を流すニュースの画面を見たまま、タウルスに聞いた。ホールでは他の職員が気難しい顔をしてそれぞれに意見を交わしている。その合間にノルマもこなしているのだから、よほど警察よりタフだと思う。

「…………」

 同じく画面を見つめたまま、タウルスは聞こえていないかのような無反応さで黙り込んだ。それからゆっくりと目を瞬き、

「何かを待っている」

 簡潔に答えた。

 彼が思考して、あらゆる可能性を虱潰しに消し、出した答えだ。一笑することもなく、サジタリウスは眉をひそめた。

「何か……待つってことは、逃げる好機かはたまた応援が来るのか……それとも、何か探しているのか?」

 確かに書類に載っているのは搬入先の場所名のみで、調べることは出来ても段取りまで速攻で組み立てることは無理だろう。新たな目標の場所でも探しながら計画を立てているのか?

 ふむ、と顎を撫でてサジタリウスは鼻を鳴らした。その間も目は画面の上を滑っていたので、隣で長年付き合ってきた少年が顔色を変えたのに気付かなかった。

 がたん、と椅子が勢いよく後ろに倒れた。響き渡った音にホールの人間全てがぎょっとして注目した。サジタリウスもびっくりしてタウルスを振り返った。

「ど、どうした?」

 突然立ち上がり、凍ったように目を見開き、宙を凝視していたタウルスは強ばった顔でサジタリウスに目を向けた。

「研究記録、全部盗まれたっていたよな……?」

「あ、ああ。コピーはあるし、データも残ってるけど……」

「機密も、そこに載ってるだろ?」

「まあ、それも問題なんだが……」

 質問の意図が把握しきれずに、サジタリウスは困惑した表情で言葉を間違えないように選んで答える。けれど次の少年の台詞でそれは一気に強ばった。

「その機密の中に、〝ジェミニ〟も載ってるんだろう……!?」

「───ッ!」

 聞き耳を立てていた職員全員がざわりと唸った。慌てて確認に走り出す職員もいる。サジタリウスは椅子を蹴って立ち上がり、すぐに〝ジェミニ〟の観察者へ連絡を取るよう指示を飛ばした。その間にタウルスは踵を返し出口に向かって走り始めている。

「待て、タウルス! おまえが行っても……!」

 サジタリウスの声を振り切って、タウルスは管理局内を疾走した。〝ジェミニ〟は管理局本部、しかも研究部屈指の機密だ。タウルス自身も深く関わっているその最大案件は、漏洩したなら狙われる可能性が高い関係者がいる。

 それに、あいつは──……。

 きいん、と硝子が震えるような共鳴音が胸の中で鳴るのを知覚しながら、タウルスは息もつかせずに街中へ走った。



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