第6話 森の国の王子

「エリアス、構うこたぁねぇ。踏み込んで調べようぜ。日が暮れっちまうよ」


 エリアスの右に立つ、長身で手足の長いトーレの声が頭上から降って来る。左にいる背が低くてずんぐりしたボリスも、それに同調した。


「そうですよ。あの連中に遠慮する必要があるんですか?」ボリスは目でドルイドたちを示す。


 三人の立っている場所がドルイドの野営地の内側か外側か、明確に境界線を示すものは無い。しかし木々の間や茂みの向こうからエリアスたちを監視しているドルイドたちの視線は、すでに彼らの領域を侵犯していると告げている。


 さっさとこれを終わらせて帰りたい、というのはエリアスも同感だが、その理由は何よりも暑さだった。他の二人も鎧を身に着けてはいるが腕や脚は露出しているし、毛皮付きのアードヘルムはもう脱いでいる。しかしエリアスだけはそうするわけにいかなかった。


 口から上は猪を模した面当て付きのアードヘルムにすっぽり覆われていて、空いているのは目の部分のみ。顔の下半分も、まるで猪のような剛毛で首の下までびっしり覆われている。一七歳という年齢にしては不自然に立派な髭だ。長袖の上着に長ズボンで、鎖帷子チェインメイルを着て、さらにアード地方を示す黄縞の織布を肩から斜め掛けにして太い腰に巻き、手袋もブーツも皮製で、つま先から頭の天辺まで肌を露出している箇所はほとんどない。身長は平均的だが全体的に太く、ぶ厚い胸を抱くように腕組みして立つ姿は貫禄さえあるが、とても夏とは思えない格好である。


 エリアスは髭の下でもごもごと答えた。「……彼らは、一晩二晩ここに留まるという感じじゃない。たぶんあの大樹はドルイドにとって特別なものだ。守護者がいるような……」


「守護者?」ボリスが聞き返してきたが、エリアスは暑さに朦朧としていて聞いていなかった。トーレが天を仰いで大声を出す。「どーでもいいよー、もうさぁ、今日の残党狩りは終わりにしようぜ」


 ボリスがつるりとした二重顎を撫でながら、またもトーレに同調した。「エリアスは初陣で十分な戦果を挙げました。王子が勲功者になるのを認めない野郎はいませんよ。伏兵を砂に潜らせるって計略はもうばっちりハマってましたし、その後の指揮ぶりも見事でした。王のご命令とはいえ、これ以上の勲功にこだわる必要なんてあるんでしょうか」


 この二人がエリアスに同行して残党狩りをしているのは父王ヨルゲンの命令だった。これまでエリアスはずっと、ヨルゲンの後継者に相応しくないと陰口を叩かれてきた。このまま王位を継ぐつもりなら挑戦権を行使すると言って憚らない者さえいる。それはつまり、一対一の決闘で王位を勝ち取るという意味だ。ヨルゲンとしては、とび抜けた勲功を挙げさせてそうした声を封じたい考えなのだろう。しかしそれはエリアスにとって、あくまで父の思惑でしかない。


(そのために、こんな格好までさせて……)


 蒸し風呂のような兜の中でエリアスがうんざりしている間も、トーレとボリスの話は続いている。


「勲功って言やぁ、エイリークの娘……アウラだっけか。まだ見つかってねぇんだよな?」


「さぁ。もう誰かが見つけているかもしれませんね」


「こんな苦労してんだからさー、せめて俺たちで見つけてぇよなー」


「まあ、そうなれば理想的ですが」


 そんな二人の会話をぼんやり聞きながら、エリアスは〝アウラ〟という名前から昔の出来事を思い出していた――あれは、アードとスケイルズの対立が決定的になった日だった。


 スケイルズ諸島の王エイリークとアード地方の王ヨルゲンの確執は、エリアスが幼い頃から続いていた。二人の王が最後に話し合い、そして決別した場所こそ先日の戦いがあった〈血吸いヶ浜〉である。最後の話し合いとなったその日はエリアスも同行させられていた。その場で殺し合いに発展せぬよう両王とも子供を連れてくるというのが条件だったからだ。両者の関係はそれほど険悪になっていた。


 大人たちが話し合っている間、エリアスが浜に立てられたテントの中で本を読んでいると、幕を潜って一人の少女が現れた。この場に自分以外の子供がいるとしたら、それはスケイルズ王の娘アウラ以外にない。「な……何をしてるの?」目を丸くして問う。


 アウラは掌や脚についた砂を払いながら質問で返してきた。「あんたこそ、何してんの?」


 女の子とは思えない物言いに気圧されつつ、「本……、読んでる」と、ぶ厚い本を持ち上げて背表紙を見せた。


「親父たちは戦いの話をしてんのに、あんたは本を読んでる? それが戦いの役に立つ?」


「役に立つよ」


 エリアスが即答するとアウラは興味を惹かれたらしく、近寄ってきて革張りの本をじろじろと観察し始めた。内容について問われるかと心構えをしたエリアスだったが、彼女の口から出てきた言葉は全く予想外のものだった。


「……確かに。これで頭を殴られたら死ぬかもしれない」


 その真剣な表情と口ぶりが可笑しくて、エリアスは思わず吹き出してしまった。声を出すとすぐ外にいるボリスに聞こえるかもしれないので、慌てて口を押えて堪える。〝本の知識が戦いの役に立つ〟という意味で言ったのであって、決して本を武器にするという意味ではない。


 かあっ、とアウラの顔が赤く染まった。「馬鹿にすんな!」そう叫ぶや否や、足元から砂を掴み取って投げつける。まともに顔面で受けたエリアスは「うえっ」と悲鳴を上げた。


 テントの外で護衛に立つボリスが「エリアス? 誰かいるんですか?」と声をかけてきた。耳に入った砂を出したり、大切な本から払ったりしていると、幕を開けてボリスが丸顔を覗かせる。ぺっぺっ、と砂を吐き出している少年を見てボリスは怪訝な顔をして問うた。


「……何やってんです?」


 こすって赤くなった目を開いてテントの中を見回した時にはもう、赤毛の少女の姿は無かった。すばしっこく逃げて行ったのだろう。どう答えるべきか迷ったエリアスはとっさに自分でも訳の分からないことを口走った。


「別に……ちょっと砂を被ってみただけだよ」


 ――今にして思えば、あの赤毛の少女はアウラではなく、エイリーク王の養女カティヤだったに違いない。アウラは金髪碧眼と聞いている。赤毛ではない。


 エリアスはこの事を誰にも話さなかったし、問題にもならなかったが、実子アウラの身代わりに養女カティヤを連れて来たエイリークは卑怯だったかもしれない。しかしそれはヨルゲンも同様である。ずっと遠ざけていた妾の子であるエリアスをこの時ばかりは呼び寄せたのだから。


(二人の兄が死んだのも、神々がこの卑怯な行いに罰を与えたからかもしれない。もしそうなら今回の件はエイリーク王への罰なのかも……いや駄目だ。自分の行いを神のせいにするなんて)


 エリアスも他のアード地方の民と同じく、大地の神ノウスを主神として奉じている。しかし、抱いている感情は畏敬というよりも畏怖だった。北方の民は誰しも、死後に自らの魂が客人まれびとの神へと委ねられてしまうのを恐れている。だが、人間の魂を捕らえるという意味では大地の神も大海の神も同じではないのか。むしろ死後も戦い続けさせられるぶん、たちが悪いとさえ思ってしまう。全員が神の勇者になりたいと願っていて、文字通り死ぬほど戦いが好きだというなら良いのかもしれないが、そうでない北方人もいる。


 例えば自分がそうだ――そう思うと、エリアスは酷く居心地の悪さを感じた。猛烈に不快な蒸し暑さを一時忘れるほどの。


 トーレとボリスの話はまだ続いている。


「しっかし、砂に隠れて待ち伏せって、よく思いついたよな。しかも狙ったようにばっちりな位置でやんの」


 ボリスはうんうんとうなずき、それから思い出したように言う。


「あ、そういえば……エリアスは子供の頃、あの浜で砂を被ってましたよね。あの時は意味がわからなくて、頭がおかしくなったのかと思いましたけど」


 トーレは素直に驚き、尊敬の眼差しでエリアスを見た。「うおっ、まさか、その時すでに!? 天才かよ!」


 先日の戦いを境に態度を一変させた者は多い。トーレもその一人だ。


「いや、あれは……」


 暑さに朦朧として自分でも何を言うつもりか分からないまま口を開いた時、こんもりした大樹の根元の向こうからドルイドの男が姿を見せた。最初にこの場所を訪れた時に応対してくれた男だ。少し待ってくれ、と言われてそれきり三人は待ちぼうけを食わされていた。そうでなければこんな所で立ち話などしない。ドルイドはまるで時間稼ぎをしているかのように、ぶらぶらと歩いて来る。


「あの野郎……」歯の隙間から漏らすトーレの声には危険な響きがあった。


 北方の中でドルイドはどの勢力にも属していない。彼らに拠って立つものがあるとすれば、それは古い慣習だけだ。それも、古い世代には煙たがられ、若い世代には軽視されている慣習である。仮にトーレがあのドルイドを殺したとしても、ドルイド以外に気にする者はいないだろうし、殺人の罪で裁かれもしないだろう。しかしドルイドのほうは自分たちがそんな風に殺されるかもしれないとは思っていない。少なくとも、まだのんびり歩いて来るドルイドはそう信じているのだろう。


 トーレは剣呑な気を放ち、ドルイドを睨みつけている。彼が暴挙に及んでもボリスは止めないだろうし、エリアスでは止められない。気付いてくれ、という彼の願いは近くまで来てやっと叶った。トーレの表情にドルイドは顔をこわばらせる。


「皆の……了承を得てきた。見て回っても構わないが……」


「そうかい」


 トーレに突き飛ばされてドルイドは宙を飛んでひっくり返った。押された胸に手をやって咳き込む。そんな彼を尻目に、三人はドルイドの野営地へと足を踏み入れた。


 普段のエリアスならきっと興味深かっただろうドルイドの暮らしだが、今はそんな余裕が無かった。汗が目に沁みても拭えない。全身汗まみれで蒸れ、背中や腋の下が痒くてもかけない。もはや拷問といってもいい。それに耐えながらトネリコの大樹を中心に一周してみたがスケイルズの戦士が潜んでいる様子は無く、三人は最後に盛り上がった大樹の根元を調べることにした。根と根の隙間は縦や横に身体の大きい三人には狭く、入るのを躊躇させる。早く終わらせたいエリアスが率先して身体をねじ込ませ、中の様子を見て入口を塞いだまま動きを止めた。


 洞穴の中には三人の人間がいる。年老いた白髪のドルイドに、灰色の髪をした年齢不詳のドルイド、そして横になっている女性。同じくらいの年頃で、掛けられた織布の上からでも形の良い胸や腰の線がわかる。露出した肩は鍛えられているが、筋骨隆々というわけではない。細い首、少女の面影を残す顔、何よりも特徴的で目を奪ったのが新緑色の長い髪。年齢や背格好は戦場から姿を消したまま見つかっていないアウラ姫と一致するが、その春の若葉を思わせる美しい緑の髪を見れば彼女でないのは明らかだ。


「こ、このは……?」と、思わず問う。


「怪我をして、今は休んでおります」老ドルイドが答えた。エリアスは見開いた目をしばたたかせる。


「いや、この髪の色は……彼女は人間……なのか? まるでドライアドのようだ……」


 森の妖精ドライアドは伝承や物語によれば木の葉のような色の髪をした美しい娘の姿をしている。戦士を惑わせる危険な存在として登場することもあれば、恋した人間の男性に命を捧げることもある。ドライアドを見た、という人間は意外と多く、架空の存在ではないと信じられていた。それはエリアスも同様だ。絵画に描かれたドライアドに魅了され、いつか必ず探しに行くのだと心に決めた幼き日から、今この瞬間も。


 老ドルイドは白い髭をもごもご動かして答えた。「この娘は特殊な事情がございましてな。母親はドライアドではないかと、我々も思っておりますじゃ」


「怪我は酷いのか?」


 娘の露出した肩や手足には薬草湿布や包帯が巻かれている。見たところ、転落したとか、転んだとかいう感じの傷付き方ではない。戦闘によるものだと思える。


「命に別状はありません。いずれ目を覚ますでしょう――」老ドルイドの言葉尻に被さって、年齢不詳のドルイドが口を挟んできた。「この子は、あなた方の戦いに巻き込まれたんですよ?」と、非難するように言う。


「そうか……」エリアスは呟き、それからはっきりと言った。「それなら、僕にも責任がある。僕はアードリグの王ヨルゲンの息子、エリアスだ。明日また見舞いに来る」


 すると年齢不詳なドルイドはなぜか慌てた。「えっ、あっ、いや、そこまでしてもらわなくてもいいんじゃないかなぁ……と思います。戦場の近くをふらふらしていたコイツも悪いですし。気にする必要はありません。もう、まったく、全然」


「いいや、それでは僕が納得できない。明日また来る。その時までに娘が目を覚ましたら、すまなかったと伝えておいてくれ」


「あー、いやぁ……」さらに何か言おうとするドルイドを無視して、エリアスは狭い隙間から太い身体を引っこ抜いた。背後で待っていた二人に「ソールヴの農場へ戻る」と告げる。当然、二人とも反対はしない。


「じゃ、戻るとすっか」先頭を歩き出したトーレに続いてエリアスが歩き出すと、ボリスが「何かありました?」と問うてきた。


「いや、何も」


 エリアスは緑の髪の娘に心を奪われたまま、暑さも全身の不快感も忘れて、そう答えた。

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