第2話 カティヤとファーンヴァース(1)

 慌てて品物をまとめて一目散に逃げていく少年の背中を見送りながら、カティヤは再びフードを目深に被り、外套マントを身体の前まで持ってきて全身を隠した。


『行かせてよいのか?』


 思念で問われ、同じように心の中で問い返す。


『面倒見てくれそうな人を一緒に探してやれ、とか言うつもり?』


 相手からは否定の意思が伝わってきた。『あの人間たちを殺したのは、我々がここにいると知られないためだと思っていた。あの少年が誰かに君のことを話したら……』


『大丈夫だよ。あんたの姿を見られたわけじゃないんだし』


 即答してカティヤは空を見上げた。フードの影の奥で目を細めると、夏の輝く太陽の近くに小さな十字型の影が見える。その大きさから鳥でないのは明らかだが、白竜ファーンヴァースだと思う人間はどれほどいるだろう。この大陸にドラゴンは四体しか残っていないし、ファランティア王国を離れることはまれだということになっている。


『君はもっと自覚したほうがいい。今や竜騎士は四人しかいない稀有な存在だ。そのうちの一人、白竜騎士カティヤが一七歳の赤毛で華奢な娘だと知っている者は北方でも少なくないだろう。その娘がスケイルズ諸島の王エイリークに養育されたというのは、それ以上に知られている。そしてここはスケイルズとアードの戦場跡……これらの情報から君を連想するのは容易いと思うが』


 カティヤは現実で肩をすくめた。『はいはい。わかった、わかった。あんたの疑問に答えると、あの無法者どもを殺ったのは、降りかかる火の粉は払って踏み消す主義だから。あの子を見逃したのは、ちょっと可愛かったから。これで満足した?』


 カティヤの答えをファーンヴァースはいぶかしみ、真実を求めて心の手を伸ばしてきた。心の中で、その手をぴしゃりと叩く。『やめてよ、エッチ!』


『エッチ……』ファーンヴァースは呆気に取られて一瞬、絶句する。『その言葉は、性的興味から接触しようとする相手に対して使うものだ』


 だんだん面倒になってきた。それがファーンヴァースに伝わってしまったと気付き、失敗したと思ったが、もう遅い。


『その点は以前から指摘している。面倒だと思うなら、もっと共有範囲を広げれば良い。そうすれば、今のように言葉でやり取りしなくても済む。誤解は無く、伝達は早い』


「あー、もう。お互いの領分を守って共有は必要最低限に、って最初に約束したしあんたも了承した。竜騎士戦争がどうのこうの、ってさ。そんな事より何か見つかった?」


 カティヤは口に出してそう言った。思念だけで会話するより、そのほうが彼女にとっては自然だ。もし誰かに聞かれれば不審に思われそうだが、周囲に人間がいないことは上空にいるファーンヴァースの目を通して知っている。思念で交信している間も、馬鹿みたいに立ち尽くしていたわけではない。戦場跡を歩き回り、目的の人物の痕跡を探していたが何も見つからない。


『スケイルズの戦士と思しき人間が三人、そこから北の海岸に隠れている』


 ファーンヴァースと心を重ねる範囲を慎重に広げると、彼の見ているその隠れ場所がまるで自分の目で見ているように伝わってきた。こういう時は便利だとカティヤも思う。


『アウラもそこにいる?』


『分からない。状況からスケイルズ側の戦士と判断したまでだ』


『じゃ、そこで合流しよう』


 カティヤは船の残骸を調べるのを止め、北へ向かって砂浜を走り出した。


 普通の人間なら徒歩で半日近くかかるその場所は岩だらけの海岸で、奇妙な形をした岩石が高く積み上がっていた。岩と岩の間には人が入れそうな空間もあって、覗き込むと海藻や漂着物が溜まってひどい臭いを放っていたり、トンネルのように反対側へ抜けていたりする。人間が隠れているとファーンヴァースが言っていたのはそうした天然の岩屋の一つで、岩面に残った痕やフジツボの付き方から満潮時には半分ほど海中に没するようだ。


(いかにも誰か隠れてそうな場所……アードの残党狩りに見つかるのが先か、味方の助けが先か、運次第って感じ)


 カティヤが岩屋を見上げていると、海岸に面した木立の中からファーンヴァースが姿を現した。目立つドラゴンの姿はしていない。長身で肩幅は広く、フード付きの灰色ローブで全身を覆っているから筒のようなシルエットになっている。厳格そうな顎と左右に流れる純白の長髪だけがフードの奥に見えた。背中に大きな荷物を背負っていることを除けば、カティヤが初めて彼に出会った時と同じ人間の姿だ。だからといって、今さら燃え落ちる小屋とか殺された家族の思い出が胸を締め付けたりはしない。


 人の姿をしたファーンヴァースを伴い、カティヤは岩屋に近寄った。ドラゴンの力で強化された感覚が中にいる人間の気配を捉えている。岩屋の入口は海に面した一箇所のみ。足元まで寄せる波のおかげで水音を立てずに近寄るのは難しいが、出入口が一つでは逃げ場もない。


(なるほど……もしアードの残党狩りが来たら戦って死ぬ覚悟というわけか。ここなら水辺だし)


 テストリア大陸で一般的に信仰されている七柱の神々のうち、北方では大地の神ノウスを主神としているが、スケイルズ諸島だけは大海の神オルシスを主神としている。


 神話によれば、この二柱の神の争いは一時休戦しているに過ぎず、最終決戦に備えて死した勇者を自らの領域に招いているという。これには神々の取り決めがあって、大地で死んだ勇者はノウスの領域にある〈大地の館〉へ、水のある場所で死んだ勇者はオルシスの領域にある〈水の宮殿〉へ招かれるとされている。


 ゆえにスケイルズ諸島の戦士にとって一番の心配事は、大地の領域で死んだがために〈水の宮殿〉へ行けなくなってしまう事だった。そうなれば死後、家族や友と再会もできないし、最終決戦では敵同士になってしまう。


 海岸がどちらに属するかと言えば、北方人の感覚では水になる。スケイルズ人にとっては、そこでなら死んでも安心、というわけだ。


 入口に近寄ったカティヤは中の人間に呼びかけた。「中にいる人、あたしはスケイルズでもアードでもない。人を探しているだけだ。敵対する意思はない。話をしたい」


 中の人間が動いた気配はあっても返答はない。待っていられず一方的に告げる。「両手を見せて、今から入る」


 それから、両手を上げてゆっくりと入口の前に出て――その瞬間、中から槍が突き出された。すばやく反応して、穂先のすぐ下を掴んで止める。槍の柄がたわんで、ぐいんと湾曲した。


「もう。敵じゃないって言ったのに」一応文句を言いつつ、フードを背中に落として顔を晒す。


 岩屋の中は天井の隙間から光が差し込んでいて薄明るい。狭い場所に三人の戦士がいて、やはりスケイルズの男たちだった。全員が負傷をしている。アウラの姿はなく、カティヤは小さく落胆のため息をついた。


「カティヤ……カティヤか?」奥の暗がりから聞き覚えのある声がした。


「えっ、ラーウス? 久しぶり」


 三人のうち一人はカティヤの良く知る人物だった。ラーウスはエイリーク王の従士で、王の館にも頻繁に出入りしていたから何度も顔を合わせている。


「カティヤだ。間違いない」


 ラーウスがそう宣言したので、他の二人も緊張を解いた。槍を突き出した戦士が引くと同時に、カティヤも掴んでいた手を離す。


「俺たちの加勢に来てくれたのか? 一足遅かったな」緊張を解いたラーウスの声に、苦痛がにじむ。


「え? いや……」


「ドラゴンと竜騎士は、人間同士の争いに関与しない」背後からファーンヴァースが厳かに言った。ラーウスはファーンヴァースの姿を認めると会釈して敬意を払い、怪我しているらしい脇腹を押さえて岩に背を預けたまま腰を下ろした。


「そうか……お前が竜騎士だもんな。スケイトルムにいた頃とあまり変わってないから……それなら、どうしてここに?」


「エイリーク王に頼まれて、行方不明のアウラを探してる」


「逃げ遅れたやつを助けに来たわけじゃない……か」


 カティヤはラーウスの傍らに膝をついて怪我の具合を確かめた。「ごめん。それをするとスケイルズに味方したことになっちゃうから……」


 命に関わるような重傷ではないが、潮風が傷に障るのだろう、ラーウスは辛そうにしている。


「アウラはいいのか?」


 痛いところを突かれ、カティヤは苦笑した。「もちろん駄目だよ。だから掟に背いて隠密行動中ってわけ。あたしに会ったって言わないでよ?」


 ラーウスはうなずいて、伏し目がちに呟く。「お前ら、本当の姉妹みたいに仲良かったもんな……」その物言いには不吉な響きがあった。


「そういうわけだから、教えて。アウラはどうなったの?」


「……たぶん、アウラは死んだと思う」


 衝撃を受けて、カティヤの心は揺れた。動揺し、倒れそうになる心をファーンヴァースが支えてくれる。そのおかげで瞬きの間に冷静さを取り戻せた。「もっと詳しく」と話を促す。


「アウラは船の舳先から弓で味方を援護してくれていた。アードのやつら、砂の中に兵を隠していやがったんだ。小賢しい策だが、俺たちは気付けなかった。伏兵どもが船に火を放って」


 ラーウスは悔しさのためか、痛みのためか、顔をしかめた。


「アウラは燃える船の舳先から、敵の伏兵の中に飛び降りた。お姫様を助けるために味方が動いて盾の壁が崩れ、そこを敵につけ込まれた。俺たちは分断されて……後は負け戦さ。俺が最後にアウラを見た時は、数人の味方と一緒に森の中へ押し込められていくところだった。可哀そうにオルシス神の見下ろす戦場から離されて……たぶん、そのまま森の中で……」


 ファーンヴァースは無言で突っ立っているように見えるだろうが、カティヤの心が揺れ動かないよう、しっかりと支え続けてくれている。だから狼狽などせず、すっくと立ち上がって言えた。


「殺されたのを見たわけじゃないなら死んだとは限らない。それに、もし戦死しているなら亡骸だけでも親父のところに帰す」


「カティヤ、お前……強くなったんだな」


「もちろん。あたしは竜騎士だからね」


 ラーウスは苦笑して、それから思い出したというふうにベルトへ手をやった。「そうだ、カティヤ。これを……見てくれ。逃げてくる時に拾ったんだが、アウラも似たものを持っていたよな?」


 開いた手の中に、紐をつけて首飾りにした貝殻があった。紐は切れてしまっているが、鮮やかな桃色のハート型をした本体には傷一つない。カティヤはそれを手に取り、外套マントの下から自分の首飾りを取り出して合わせた。二つはぴたりと重なる。


 これは幼い日、アウラとカティヤがスケイトルムの港近くの砂浜で見つけたものだった。その二枚貝は珍しい種類ではなかったけれど、特別に色鮮やかで形も独特だった。エイリークは二人を男勝りに育てたが、その貝殻を可愛いと思う少女らしさは失っていなかったので、持ち帰って大切にした。


 ある時、王の館に招かれた吟遊詩人にその貝殻を見せると、それが〈シーリの二つ心〉と呼ばれていることを教えてくれて、詩歌を交えつつ物語った。


 ――昔々とある豪族に、シーリという一人の美しい娘がおりました。成人した彼女は全島集会で賑わう宴の最中、運命の男性と出会います。しかし運命の男性は二人おりました。どちらも同じくらい立派な男たちです。


 二人の男は娘をめぐって争い、シーリもどちらか一人を選ぶことができません。困ったシーリは海岸の洞窟に住むという魔女に相談します。すると、魔女はその問題を解決できると言いました。


〝簡単なことよ、お嬢さん。あなたが二人になれば良いのでしょう。ええ、ええ、それは簡単にできますとも。ただし、これだけは忘れずに。心と身体は二つに分けられても、運命までは二つに分けられない。それだけはお忘れなきよう〟


 魔女の魔法で二人になったシーリは、それぞれの男のもとへ嫁ぎまして、めでたしめでたし……とは参りません。一人の男は善き夫となりましたが、もう一人の男は悪しき夫となってしまいます。


 悪しき夫の妻になったシーリは善き夫の妻となったもう一人の自分を羨み、再び一人に戻りたいと願います。選ぶべきは彼のほうであったと、悪しき夫の家から逃げ出し、海岸の洞窟を訪ねますが魔女の姿はありません。


 シーリが魔女の帰りを待っているとみるみる潮が満ちてきて、あっという間に洞窟は海に飲まれていきます。助けを呼ぶシーリの声も、洞窟と共にむなしく海中へ没していきました。


 同じ頃、愛する善き夫と子供たちに囲まれたもう一人のシーリにも異変が起こります。咳き込み、口から海水を吐き出して、苦しんだ挙句に家の中で溺れ死んでしまったのです。


 シーリから魔女の話を聞いていた善き夫は、家の者に調べさせ、もう一人のシーリの運命を知りました。彼は分かれた彼女の願いを叶えて再び一つにするため、妻の遺体を嘆きと共に海へ流したということです――。


〝この貝はね、小さなお姫様方。この娘の生まれ変わりだと言われているのです。たとえ離れていても一方が朽ちれば一方も朽ちる。ですから二つに分けてお持ちになると良いでしょう。離れても、お互いの無事を確認できますからね……ほら、できました〟


 話を聞かせながら、吟遊詩人は器用に手を加えて貝殻を首飾りにしていた。二人は喜んでそれぞれの首飾りを受け取り、肌身離さず大切にすると誓い合ったのだった。


「間違いない。これはアウラのだ」


 カティヤは、貝殻の首飾りを両手で優しく包み、強く念じた。アウラ、無事でいて――と。その想いに応えるように、ファーンヴァースが心の声で話しかけてくる。


『それほど大切にしていた品なら、そこから気配を追えるかもしれない』


「ほんと!?」思わず声に出して、カティヤは振り返った。


 ファーンヴァースは眉根を寄せてから、『試す価値はある。やってみよう』と隠れ場所から出て行く。


 カティヤはラーウスに向き直り、貝殻の首飾りを見せた。「これのおかげで、アウラを探せるかもしれない」


「そうか、なるべく早く見つけてやってくれ」


「……手を貸せなくて、ごめん」


 ラーウスは肩をすくめた。「もし敵が来たら、一人でも多く道連れにして〈水の宮殿〉に連れて行ってやるよ」


「じゃ、次はスケイトルムか、〈水の宮殿〉のどっちかで会おう」


 軽口にラーウスはまた苦笑して、〝行けよ〟と言うように手をひらひら動かした。カティヤはうなずき、他の二人とも視線を交し合ってから外に出た。

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