第38話

 そこには、あの死神が立っていた。黒いボロボロの、マントのようなカーディガン。そいつが石碑を背に立っている。

 社らはずいぶんと回り道をして、城跡のあたりまで戻って来たようだった。


 その、石碑が残るばかりの閑散とした場所に佇んでいたのは五味だった。伸びた長髪が、雨風でとぐろを巻いている。まるで背に釜を隠す死神かのように、彼は片手を後ろ手に隠していた。

 その足元には、まるで彼に捧げる供物かのように、横たわる女の身体。

 玲夏。


「そんな」

 アズサが悲痛な叫びをあげた。

「嘘でしょ、なんで」

 けれど見間違いようがなかった。あの、地味な色味のつなぎに、明るい髪。さっきまで自分たちと話していた、あの強気な彼女は今、首と身体が離れた状態で地面に這いつくばっている。

 生きていないことは明白だった。


「あ、あなたがやったんですか?」

 そう問う社の声は震えていた。やっぱりこいつはとんでもない悪霊で、さも生きてる風を装って、人々を毒牙に掛けたのか?

「ヨうヤク」

 五味が、ぽそりと呟いた。人間の声とも思えない、ひどくしわがれた声。

「見ツケたンだ」

 そう言って、口が裂けんばかりに笑った。

「ミツつけテしまッタんダ」

 見つけた?何を。まさかこの期におよんで、金を探してたなんてこと――。

 雨音に混じって、びちゃり、と何かが地面に置かれる音がした。五味が、後ろ手に回した手から、何かを落としたのだ。

 それはやっぱり、ヒトの形をしていて。

「まさか、森さんまで?」

 あの屈強な男でさえ、悪霊の前では為す術がないのか。社は思わず目を瞑る。ああ、あの頼もしいナイトさえ、命を奪われてしまったのか?


「違う、あれは」

 隣でアズサが、驚きにあえぐように呟くのが聞こえた。その声に、恐る恐る社は目を開く。森ではない?では、他に誰が。

「え、なんで?」

 それを見て、社も思わず息をのむ。なぜ、あんなものがここに?


 五味が差し出したのは、五味とそっくりたがわない物だった。

 五味自身の遺体。

 それはずいぶんと痛んでいて、死んでからかなりの時間が経っているように見られた。


「いったい、どういう」

 社は唾を飲み込んだ。今目の前にいる五味の亡霊が、自分の身体を引きずっている。

 なるほど、五味が幽霊だったという推測は間違っていなかった。彼の肉体はすでに朽ちていて、霊となってこの山中をさまよっていたのだ。

 では、それはいつからだ?

 かちり、と何かが嵌まる音が聞こえた気がした。頭の中で、玲夏の言葉が反芻される。

 そうか、彼女は。


「おい、玲夏!」

 そこで、彼女の名を呼ぶものが現れた。守るべきものを失った、哀れなナイト。

 いや、それはきっと、もうずいぶん前から。

「おい、これは――」

 茂みから突如現れた森が、この場にいる面々を見つめて呆然とした表情を浮かべた。

「ああ、あんたたちも玲夏を探しに来てくれたのか?」

「そう、なんですが」

 歯切れも悪く社は返す。そして、無言で五味の足元へと目をやった。横たわる女と、ぐったりとうなだれる五味の身体がそこにはある。


「まさか、おい、嘘だろ」

 弾かれたように森が、彼女の身体へと駆け寄った。泥水に汚れることもいとわずに、その両手でボロボロの遺体を抱きかかえる。 

「嘘だろ、なあ、おい。なあ、目を覚ませよ」

 彼は、千切れた頭を抱きかかえて叫んだ。この状態で、頭と身体が離れた状態で、目を覚ますはずなどない。彼だって分かっていただろう。

 ずいぶん前から、わかっていたはずだ。


「森さん、彼女は」

 絞り出す声は、やけに粘ついている。彼女は?僕はなんと言おうとしているのだろう。すでに死んでいます。そんなのは誰が見たって明白だ。けれど、言わなければならなかった。

「亡くなっています。それも恐らく、だいぶ前に」

「それは、どういう?」

 アズサが困惑したように問い返す。

「でもさっきまでレイカサンは――あ」

 そこで、彼女も何かに気が付いたようだった。静かに彼女にうなずいて、社は続けた。

「多分それは、玲夏さんだけじゃなくて」


 その言葉を遮るように、死神、いや五味が口を開いた。

「今ハ、何年だ?」

 その突然の問いに、森が驚いた様子を見せた。

「おい何言ってんだ、ボケちまったのか?」

「今は、2025年です」

 はっきりと社は言った。僕の予想が正しければ。

「25年?違うだろ、今は24年」

 そう反論しかけて、ふと森が口を噤んだ。彼も気が付いてしまったのだ。

「ヤっぱり」

 悲しそうな、それでいて少し嬉しそうに乾いた笑みを浮かべて、五味はこう続けた。

「俺たちは、去年、死んじまっタんだ」

 彼はそう言った。俺たちは、と。


「ズっと探シていた。認めタくナかった。けれど、ドウしたってオカしい。俺たちハ」

 どんどん言葉が不明瞭になっていく。五味の身体がどんどん朽ちていく。まるで止まっていた時が再び動き出したかのように。もう、話すのも限界なのかもしれない。けれど懸命に彼は言う。

「俺タチは、ドウやら死んでいタらシい。ズっと気ガ付カなカッタ。けレど、アンタらが来テ」


 そう言って、彼は社を指さした。え、僕が?

「ジブンがナぜココにキたのカ考えた。ナニを探シてイタのカを」

「それは、イサミが隠した金ではなくて?」

「チガう」

 ゆるゆると五味が首を振る。その姿が地面に倒れる死体にどんどん近づいていく。

「金を、ミツケたカッタたわケでハナい。ケれド、そノセイデ」

 ぼとり、と片腕が取れて地面に落ちた。彼の身体は呪縛を逃れて、土に還ろうとしている。けれど、それでも彼は声を絞り出した。

「ソウダ、オレタチハ、アノ時」

 何かを思い出したかのように、最後の力を振り絞って彼は目を見開いた。その濁って、半ば溶けたようなグロテスクな瞳が、けれど静謐な光をたたえて社を見つめている。反らしたいのに反らせない。不思議な引力で社はそれを見つめ返す。彼は、一連の犯人などではなかった。彼もまた、哀れな被害者の一人だった。

 では誰が?どうやって、彼らの命を奪った?


 ふいに、社の視界が明るくなった。雨がやみ、穏やかな秋の日差しが降り注いでいた。周りには、良く見知った面々。草刈も銭谷も玲夏も、光も水谷だって生きていて。

 今までのが、ぜんぶ悪い夢だったみたいに。

 きっとトンネルだって崩落なんかしてなくて、僕たちは簡単に下見を済ませてすぐ戻るのだ。そのつもりでみんな。


 ——いや、違う。

 社はぎゅっと目を瞑った。けれど、その情景はまだ目に浮かんでいる。

 これは現実じゃないんだ。おそらく、五味が見せている、死にぎわの記憶。

 彼らは廃村から少し外れて、月居城跡へ向かうのとは反対側の、木々の生い茂る鞍部にいた。少しくぼんだその場所に、美術館を建てる予定だと銭谷が熱弁している。そこで、何かを踏んづけた。豊かな腐葉土にしては、硬いような。


『ここの地盤、おかしいね』

 草刈が言った。『木の根が張ってるわけでもないのに。何か埋まってるみたいだっぺ』

『埋まってる?』怪訝そうに銭谷が返す。

『まさか、袋田の宝が眠ってたりしないですよね』

 その声はひどく冗談めいていた。けれど草刈は、やけに気にした様子で口を開く。

『そういや、ここに金が隠されてるんじゃないって噂もある』

 ああ、確かに草刈と銭谷は金が眠っているという噂を知っていた。だが五味は、それを探していたわけではなかったという。


『そんな、夢物語みたいなこと』

 玲夏が呆れたように笑った。そのそばで、森が穏やかな笑みを浮かべている。水谷や光は、そんなことより早く業務を済ませたいとばかりに、腕を組んで渋い顔をしていた。

 噂話を本気にしない面々を置いて、草刈がその足元を、持っていたスコップで掘り始める。その切っ先は、何かに当たったようだった。

『まさか本当に金が?』


 けれどどよめく彼らが何を見つけたのか、社にはわからなかった。足を取られたのか、急に身体がよろける。何かが動き出すような音がして、シューシュー、と水蒸気のような音があたりに鳴り響く。

 何が起こったんだ?疑問に思うも、声にならない。何が起こっている?

 何が……?

 呆然と思ったところで、視界が急にかすんだ。

 目が?どうした?なんで、こんな。

 黄色みがかった木の葉たちがどんどん色を失っていく。あたりは灰色に沈んでいき、そして、すべて黒く塗りつぶされてしまった。当事者を置き去りにして。

 世界は、彼らを切り離してしまった。


 ……これが、彼らの最期だったのか。

 再び社が目を開くと、そこは依然と雨がけぶる冷たい森の中だった。玲夏と、五味の遺体を雨が打つ。そのそばで膝をつき、森が震えていた。

 彼も思い出したのだ。自分がすでに、死んでいたことを。


「お嬢の言う通りだったんだ。こんなとこ来るべきじゃなかった」

 玲夏の頭を掻き抱きながら、森が疲れたように呟いた。

「止めるべきだった。けれどあいつ、弟を、跡継ぎを危険な目に遭わせられないと」

 そういえば、そんなことを言ってたな。まだ夢見心地の眼で社は思う。快活な彼女こそ跡継ぎにふさわしいだろうに、けれど継がせてもらえない家業。あんなに鬱陶しかった草刈のことすら、まるでわが身のように憐れんでいた彼女。


「建部の親父め、憎むなら俺を憎むべきだったのに」

 ぎりり、と彼は歯ぎしりをした。建部の親父め。森は、玲夏の父の腹心だったのではないのか?

「すまなかった、俺のせいで、苦労を掛けて」

 森のせいで?なぜ。思ったが、うまく頭がまわらない。

「あいつが何と言おうと、玲夏。お前は俺の宝だったんだ。翔子、すまない」

 翔子?それは誰?

 けれど問う声は彼に届かなかった。

 謝罪の言葉を最後に、森は玲夏の遺体を抱えたまま、そして。

 消えてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る