第33話

「どうしたんだ?」

 玲夏の異変にいち早く気づいたのは、やはり森だった。

「何か」

 その問いを言い終える前に、彼の顔が険しくなる。その目線の先。


 結構な急ぎ足で社らは戻ってきたらしい。半ば転げるように降りてきて、開けた先にあの廃村があった。誰もいないはずのその場所。さめざめと降る雨が、ヴェールのように村全体を包んでいる。

 その中に、黒い影が見えた。


「なに、あれ」

 恐怖に顔を歪ませて、玲夏が叫んだ。

「あれ、ゆうれいなの?なに?」

 アズサが身構える。社も慌てて玉串を風呂敷から引っこ抜く。正直、ここからだと距離が遠くてなんだかわからない。けれど黒い、ヒトの姿のような影が、ボロボロの建物の合間で一つ、うごめいている。

「マジか、ほんとにいるんスね、ユーレイ」

 神成が身を乗り出した。怖くないのか?僕はあんなの見たくないほど怖いのに!


「は、早くなんとかしてくださいよ!」

 ひどく怯えた様子の銭谷に急き立てられ、アズサが飛び出した。慌てて社もその後を追う。口の中で祝詞を唱える。どうかあの黒い影が、僕の祝詞が効く相手でありますように!

「高天原に神留り坐す、皇親神漏岐、神漏美の命以て、八百萬神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて……」


 距離が近づくにつれ、だんだんとそれがはっきりと見えて来た。真っ黒な影。そう見えていたのは、長い髪と、ボロボロのカーディガンのせいだった。この姿。

「Mr.ゴミ!」

 アズサが叫ぶ。そして、今度はポケットから銃を取り出した。あの、オモチャの銃だ。


「Raise your hand!」

 その銃口を五味に向け、アズサが構える。けれどあれは。

「そんなので、何を」

 BB弾で何をするつもりだ!うっかり叫んでしまって祝詞が途切れる。

「こレでもナい」

 ぼそぼそと男が呟いた。そして、足元に目をやった。そこに……何かがあるのか?

「マだ、マだだ……」

 更に彼は呟いた。まだ?何が?


 死神のような五味は、何をするでもなく虚ろな目でこちらを見ていた。雨に打たれながら、けれどそれを気にもせず、ただただ「まだだ」と呟いている。その足元に、いつの間にか、黒い塊がうずくまっていて。

 まさか、また誰かを手に掛けたのか?

 やはり、彼はもう人間ではないのか。

 そうとしか思えなかった。生気のない顔は、その皮膚がはがれているようにも見えて――。


「おえっ」

 社は思わず慄いた。いつから?最初会った時、彼は生きてたはずだ、だというのに、なぜ?

 ふいに五味が背を向けた。その背に向かってアズサが停止の警告を叫ぶ。

「Stop!待ちなさい、さもないと」

 けれど言い切る前に、その影は雨に溶けて消えてしまった。

「Shit!」

 アズサが口汚く罵った。慌てて五味のいた場所に向かうも後の祭り。そこには、やはり死体が残されていただけだった。


 ある程度予測は出来てしまっていた。一人でどこかへ行ってしまったあの人。けれど、こうも早くに、こんな。

「草刈さん……」

 それは、片腕が千切れていた。何かに喰われたかのように、二の腕から先が近くに転がっていた。だらりとあおむけで転がっていて、やはり顔の肉が削ぎ落されたようになっている。

 けれど見間違えるはずがなかった。この小柄な体形に、出っ張った前歯。ポロシャツにチノパンのラフな格好。どれも雨と泥で汚れていたけれど、つい先ほど見失ってしまった草刈に間違いがなかった。


「いつの間に、こんな」

 殺されてしまったんだ。

 さああ、と雨がすだれのように降ってくる。そんな中、五味が消えたというのに茫洋と立ち尽くす社らに異変を覚えたのだろう。森たちが駆けて来た。

「おい、大丈夫か?あいつは」

 そこで、彼らも気づいたようだった。

「く、草刈さん」

 焦燥した声でその名を呼んだのは銭谷だった。

「ああ、だから、なんで勝手に」

 恐れていたことが本当になってしまった。一人になったとたん殺されるなんて、そんなことは十分わかっていたのに。


「けど本当に、五味がやったのか?」

 森が首をひねった。観音堂で姿を消した五味。同じく、あのあたりで消えた草刈。神成が言うには、気づけば草刈はいなくなっていたという。草刈が人々から離れた隙を狙って、まだあのあたりに隠れていた五味が彼を殺して遺体をここまで運んだのか?

 何のために?


「そうに決まってるじゃないですか!」 

 銭谷が苛立たしげに叫んだ。

「あいつはいつも死体のそばにいる。あいつが殺したと考えるのが自然でしょう?」

 それにもう、五味はこの世のものではなさそうだ。あの有様に、雨や闇に消える姿。たとえどんなトリックを駆使したとしても、少なくともこの場から消え去るのは不可能だ。

 社はあたりを見回した。廃墟が点在する村のはずれ。開けた場所には木は生えておらず、建物と建物は少なくとも十メートルは離れている。およそ姿を隠せる場所はない。

 その場所に五味はいた。この場からどうやって消えるっていうんだ。脱出用の穴だとか、秘密の逃げ道などあり得ない。これじゃあどんなマジシャンだって姿を消すのは不可能だ。

 あいつが幽霊だから、成し遂げられる奇術。


 だとすると、結局この問題に帰ってくる。

 五味はいつ死んだ?あるいは、いつ誰に殺されたのか?

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