第26話

 その後、身元確認を頑なに銭谷と草刈が拒むので(なにせ水谷の時だって一目散に彼らは逃げ出したのだし)、かといって玲夏お嬢に見てもらうのも気が引けて、森に顔を見てもらうことにした。

 意外にも記憶力のいい森だが、「たぶん」としか答えてもらえなかった。


「仕方ねえだろ、俺だってはっきり覚えてるわけじゃねえし、このとおり半分しかわからねえんだから」

 そう言って顔をしかめるが、しかめるだけで済むのだから上等だ。まさか死体を見慣れているわけでもなかろうが、トンネルが崩れた時と言い、彼はひどく冷静だ。


 こうなることを知っていた?

 まさか。こんなこと、森に出来るはずがない。というよりそもそも、少なくともここにいる人間には不可能だ。社は考える。彼らのうち、他の人間に気づかれず、行動した人間はいただろうか。


 例えば、二班に分かれて廃村を回った時。社のチームから人が抜けたのは、公民館に入った時ぐらい。その際に、社はこの遺体と思しき人間を目撃した。草刈が一人残ったが、けれどたかが十数分。この間に草刈が、何らかの方法で公民館を抜け出した光を殺したとしても、こんな遠くまで遺体を遺棄しに行けるとは考えにくい。

 アズサのチームにしても同じだろう。この時に一人抜け出して、光を手に掛けることは難しい。


 ではその後はどうだ?黒髪の男が消えた建物が怪しいと、皆で戻ったあの時。

 建物には社、草刈、銭谷、神成の四人が入って行った。外にいたのは森と玲夏。しばらくして、玲夏は犬を探しに行ってしまう。


 その時に、玲夏が?

 だが、いかに中性的ななりだとしても、女性は女性だ。大の男を殺して、あんな場所まで遺棄できるものか。まして、彼女は出自の不明な金を途中で拾っている。死体を捨てに行く途中で、普通はそれどころではないのでは。それに、アリバイを工作するのに、あえて金を用いる意味も特にない。


 では、他には?

 ちらと、社は神成を盗み見る。彼の言うことには一理ある。顔を確認すべきだ。それはわかる。だからと言って、遺体を蹴るのはいかがなものか。僕には到底できそうにない。

 なら、神成が?

『神成が黒髪のカツラに黄色い服を羽織ってこの建物に入って行った。そういうことじゃないかね』

 そう、草刈は言っていた。その時は、そんなことをするメリットなど僕にも神成にもないと思っていた。

 けれど、実は神成が先にここに光の遺体を隠しておいて、さも彼が生きているように振舞ったのだとしたら?


 目の前に、光明が見えた気がした。霊の仕業かと悩むアズサに早く教えてあげたかった。犯人は神成だ、じゃなきゃ死体を蹴ったりなんてできるもんか。

 意気揚々と口を開こうとした社だが、けれど何かが引っかかる。


 そこまでして、なぜ神成は光を殺す必要があるんだ?それに、怪我した指でことに及ぶのは、大変だったのではないか。しかも、公民館にカツラや服は隠されていなかった。いやわからないぞ、実は変装に用いたものは、あの腹の中に隠されているのかもしれないじゃないか。さすがに身体検査まではやってない。そうだ、実は神成と光には、因縁浅からぬ関係があって。いや仮にそうだとしても、そうそう偶然にこんな山中で出会うものか?そんな都合のいい話が――。


「ヤシロ、大丈夫?」

 思考の波に溺れる社を、どうやら目を開いたまま気絶したのではないかとアズサは心配したらしい。大きな金の目に覗きこまれ、社はようやく我に返った。

「ああ、ごめん。ちょっと考え事を」

「なんだ、霊視でもしてるのかと思ったぜ」

 立ったまま硬直した社のことを森はそう捉えたらしい。

「で、いたのか?悪霊とやらは」

 興味津々に玲夏に顔を覗きこまれた。まあ、そうなるよな普通。こんないかにもいわくありげな場所で、実は人間が犯人でした、なんて。社だって、思いたくなどなかったのだが。


「本当に、幽霊の仕業なんですか?」

 怯えたように、けれど少し好奇心の混ざった声で銭谷が言う。

「なら、さっさと祓ってくださいよ、そのために来たんでしょう?」

 最初は僕のことなど信じてなかったのに。いっそ、ここでカッコよく祝詞を唱えて、霊を祓えたらどんなにいいだろう。あのうさん臭いものを見る目つきがきっと、少しはマシになるだろう。

 けれど悲しいかな、そう言われてもいまいちピンとこなかった。なにしろ、幽霊らしきものなど視えないのだ。なにもかもが、普通に、いつも通りにくっきり見える。いつもの事故物件で見かけるような、いかにも血みどろの、怨みがましい霊なんてちっともいない。そのくせ、なんだか常に違和感だけがつきまとう。


 犬尾唯の霊しかり、だいたいああいうのは、死んだ怨みを募らせて、殊更におどろおどろしく現れるものなのだ。とにかく、生きているということが羨ましくて、自分が死んだのが恨めしくて、生者に何かしないと気が済まない。それは、隣の芝生をうらやむ生者とあまり変わらないのかもしれないが。

 社はそっと、アズサに目配せする。視える?と目だけで問うと、やはり彼女は困ったように社を見つめ返すだけで、小首をかしげている。何かの気配がするなり銃を取り出す彼女のことだ、本当になにも視えないのだろう。


「この人が、なぜ死んだのかはわかりません、どうやってここに来たのかも、まだ」

 覗うように人々を見やって、社は申し訳なさそうに答えた。

「霊の仕業かと言われても、まだわかりません」

「まだまだ、ばかりだな」

 不満げに草刈が口を挟んだ。

「霊能者ってのは、除霊の儀式だの呪文だのを唱えて、たちまちに幽霊を消すもんなんじゃないのかね」

 それが出来たら社だって苦労しない。そもそも彼の祝詞が効くのは多宗教ゆえに無宗教の一部の日本人くらいで、そうでなかったら犬尾唯の場合のように、その霊の怨みを晴らしてやらなければならない。人間は、死んでも面倒な生き物だ。


「闇雲にやればいいってものでもなくて」

 恐怖のあまり、闇雲に祝詞を唱えながらトンネルを抜けたことは置いといて、憤る草刈を社は諭す。

「そもそもここはお寺の様ですし、悪霊がいたい場所でもないでしょうし」

 そういうものに、神の威光がどれだけ届くのかはわからない。いや、ここはお寺だから仏さまか。

 幽霊が、神や仏を信じているともいまいちピンとこない。信じていないものなど恐れるに足りないだろうし、もし違う神を信じているなら、ここは異教徒の野蛮な建物ということになる。だからそう返す社のセリフは詭弁でしかなかったのだけれど、

「まあ、そういうものかね」

 と草刈は納得してくれた様だった。


「だとしたら、やっぱり人間の仕業、ってことになるのか?」

 不安そうに、階段に腰かける玲夏が社を見上げた。

「さあ、それはなんとも。今わかっているのは、この山のどこかに犬がいるってことくらいですかね」

 犬ならば、玲夏が確かに見たと言っている。そして、みんな鳴き声を聞いている。だが問題は、それが誰の飼い犬かということだ。それは犬尾唯のペットなのかもしれないし、まさかのイサミの犬かもしれない。あるいは、ただの野犬かもしれないが。


「それと、この山には五味とピンク頭の若者がいます」

 忘れてないですよね、とばかりに銭谷が補足した。

「さらにはイサミがいる可能性だってなくはありません。彼らだって、光さんと水谷さんを殺すことが出来るでしょう?」

 確かにそうだ。アリバイのない人間が数人いる。だが。


「でも、光は公民館に入ったっきり姿を消したんだろ?」

 森が異を唱える。それが問題だ。いくらアリバイがなくたって、不可能じゃないか。

「実は、このお堂とあの公民館は繋がってた、なんて」

 んなわけないよね。と玲夏が口を挟んだ。

「無理があるか。結構離れてるし」

「いや、わからんぞ」

 意外にも否定しなかったのは草刈だ。

「とりあえず中を見てみないことには始まらん」

 さっきはあんなに真っ青な顔をしていたのに一転、中を見たいと騒ぎ出した。


「それに案外こうやって死体で驚かして、中に入れさせないようにしようって魂胆かもしれない」

 宝を隠すのに死体を利用した。そう彼は言いたいらしい。

「きっと、そこに金があるんだっぺ」

 目を輝かせ、哀れな遺体の転がる階段の上に目を向ける。それに、今までだるそうに聞いていた神成が異を唱えた。

「金を隠すのに死体を利用した?そんな馬鹿なことねえだろ」

 そして、軽く舌打ち。

「そもそも警察が来たら一瞬でバレちまうじゃないっスか。死体にビビッて中を確認しないなんて無いだろうし。それと、あっちの建物とこの建物がつながってるだなんてあり得ないっスよ。アンタたち、しつこくあっちの建物確認してたじゃないっスか」


 彼の言う通りだった。森と玲夏を除いて、一同は地下を検めた。暗くて良く見えなかったのは否めないが、手掘りされたようなボコボコとした壁が続くばかりで、秘密の場所へつながる通路や、隠し扉の類など見つけられなかった。


「でも、そうでもなきゃ黒髪の男が公民館から消えた説明がつかない」

 不満そうに唇を尖らせて小動物が物申す。

「それともやっぱり、アンタが光に成りすまして、あそこに入ったように見せかけたんじゃないのかね。そうなんだろ?」

 彼は、さっき得意げに披露した自分の推理を忘れていなかった。最初こそトンデモ推理と思ったが、悔しいかな、それが一番あり得そうな気もする。


「そうとしか考えられないじゃないかね。そうやって、哀れな光氏を手に掛けて、死体消失トリックを演じてみせた」

 そこで一度区切ってみせて、そしてもったいぶって彼はその指先を、あろうことか社の方へと向けて来た。

「それもこれもみんな、アンタたちがグルで、霊の仕業だなんて騒いで俺たちを逃げ帰らせて、その間に悠々と金を探すためだったんだろう!」

「は?」

 いきなり巻き込まれ、社の口から素っ頓狂な声が漏れた。


「いや、だから。そんなことしませんよ」

「するわけないっしょ、この人だって、ヒカリって人だって初めて会ったんスから」

 げんなりする神成が、苛立ったように反論する。

「大体その、金が隠されてるなんて本気で信じてるんスか?」

「信じるに決まってるだろうね、現にこんなものが落ちてたんだから」

 これが目に入らぬか、とばかりに彼は懐から紋所、ならぬ金の延べ棒を取り出した。

「それ、もともとはあたしが見つけたんだからな!」

 玲夏が怒るが知らぬ素振りで彼は続ける。

「これがれっきとした証拠だ。袋田の宝なんてぼんやりしたものじゃなくて、今いる人間が悪行の末に手に入れた金がここには確かにあるんだ。そうに決まってる!」

「それだって、本物か怪しいだろ。そんな齧って歯形が付くからって、錫に色を付けたって可能性だってあるじゃないスか」

「それこそバカな。誰がわざわざそんな手の込んだものを、こんなところに落とすっていうんだっぺ」


「とりあえずなんだがよお」

 お互いに一歩も引かない草刈と神成に辟易したのか、森がふいに口を開いた。

「とりあえず、中を見たって文句はないだろ。行くぞ」

 そう言って、彼は階段を登り、遺体を避けるようにしてお堂の中へと入って行ってしまった。

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