第2話

「って、大子警察署の人たちは言ってましたけど」


 じとり、と怨みを込めた視線を亀井に送る。

 突然の取り調べから解放されて、出張先に取った旅館に向かう道すがら。疲労感を覚えながら社はうめいた。

「そんなひどい場所なら、最初からそう教えてくれれば」

 ずる休みでもなんでも、とにかく行かないようにしたのに!社は心の中で付け加える。


 そもそも「事故物件対策係」なのに、建物ひとつどころか山丸々をどうにかさせようとさせるだなんて。安い給料で、こんなにこき使われて。

 ああ、やはり転職すべきだろうか。それか観念して家業を手伝うか。


「いや、事前情報だと、大半がただの噂話のようじゃったんだが」

 困ったように首を傾げ、亀井が言う。

「確かに旧月居トンネルはこの辺りじゃ有名なホラースポットらしいがの、けれどただのトンネルじゃ。最近トンネルがらみのホラー映画が流行ったじゃろう?そういうのも加わって、ただ雰囲気だけで怖がってるもんだと思っておったんだが」

「トンネルの映画って、ああ、あの」


 そこまで言いかけて、社は口を噤んだ。映画。ああ、思い出したくもない。

 珍しく幼馴染の華に誘われて、見に行った映画。とにかく一緒に出掛けられるのが嬉しかった社は、映画のタイトルもろくに聞いていなかった。


 で、当日連れていかれたのが「犬鳴村」。

 前述のとおり、社はそういうものが駄目なのだ。だから上映中はずっと目を瞑っていた。正直、どんな内容だったのかはよくわからない。けれど否応なしに聞こえる音が、やたらと恐怖を煽り立てる。

 不吉な音楽が社の想像を駆り立てて、頭の中で血まみれの、ヒトとも霊ともわからない何かが社を追いかける。

 まるで、先ほど見た幻影の様だった。


「しかしまあ。確かに良く似てはいるの」

 しみじみとうなずきながら亀井は言う。

「トンネルの先にある、この世から切り離された村。けどまあ、探せば似たような場所などたくさんあるんじゃろうが」 

 そんな物騒なとこ、たくさんあってたまるか!社は心の中で叫ぶものの、

「過疎化が進んで消えていく集落は、思った以上にあるもんじゃ」

 と亀井社長に諭される。


「都心部への人の移住、少子化、あるいは立ち消えになってしまった公共事業の被害者。けれどかつて人が住んでいた場所だからこそ、開拓の余地がある」

 そうだろうか。かつて栄えていたのが衰退した。衰退するには何か理由があるはずだ。そんな場所にキャンプ場だのなんだのを作ったって、二の舞になるだけなのではなかろうか、などと社は思ってしまう。


「もともと人が住めた場所だからの、未開の地を開くよりよほど手っ取り早い。インフラも多少手を入れればそのまま使えるかもしれんからの」

 なにせ、わざわざトンネルを開通させるほどには栄えておったんじゃからの、と亀井は続けた。

「知っとるか、トンネル一つ開通させるのにどのくらいかかってるか」

 だってのに苦労して造った場所が、怪談噺の舞台になるだなんて建設業者もがっかりじゃろうな、と亀井社長は快活に笑った。


「トンネルなだけあって今回はまさしく突貫じゃぞ。市の方も乗り気での。あの場所には城跡なんかも残ってるからの、このまま朽ちていくには惜しいと慌てて業者も手配してくれての」

「水道、通信、電気。こちらは現状確認で我々より先に来てくださってるそうです。更には建物を建てられるかどうか、建築関係の方々。それと、伸び放題の草木を刈る方々も手配してくださったそうです」

 鶴野が補足する。

「この辺りは袋田の滝頼みですからね、他に観光資源として使えるものは、なんでも使いたいのでしょう」


「じゃあ、今回の村もその、まだ使えそうな場所だっていうんですか」

「まあ、微妙なところではあるがの。廃村になったのが四十年前。新月居トンネルの開通にともない廃れていった」

「そんな場所、今更買ってどうするんです。その、いくら市が援助してくれるとしても」

 大方市長はバブルの再来でも狙っているのかもだけれど、この厳しいご時世に観光業など儲かるものだろうか。社には理解が出来なかった。


「ところがの、今流行ってるんじゃよ。都心から近くて、手ごろに自然を味わえるような観光地がの。その点袋田はぴったりじゃろ。もともと日帰りで滝を見に来る客が多かったようじゃが、泊まれるように整備すれば」

 まくし立てる亀井に、社は疑いの声を挟む。

「都心から近いなら尚更、泊まらないで帰っちゃうんじゃないですか?」

 すると亀井はわかってないなとばかりに首を振ると、

「君はお祓いはいいが、不動産屋としてはまだまだじゃのお」

 と呆れ声で言い放った。


「そんなこと言われたって、本来の業務をぜんぜんやらせてくれないじゃないですか」

 思わず不満の声が漏れてしまった。けれどいい機会かもしれない。社は思い直す。

 こんな、お祓い課なんてやめさせてくれ。そもそも僕一人で部下も後輩もいないのに、何が課だ、と。


「確かに、宮守さんに除霊をすべてお願いしていますし、負担がかかっているのは確かですわ」

 社の声を後押しするように鶴野が言った。

「あんまり同じ仕事ばかり押し付けていると、コンプライアンス的にまずいのでは」

 社長秘書の言葉に、社は勢いづく。そうだ、言ってやれ!宮守君の仕事内容を見直せと。じゃなきゃパワハラで訴えてやる!


 れけど亀井の口から続いた言葉は、社が想像していたようなものではなかった。

「その点は大丈夫じゃ。ちゃんと『お祓い課』に人員を補充したからの」

「は?」

 思わず社は足を止めた。それは社たちが泊る予定の旅館に着いたのもあるけれど、それよりも。


「社くん!」

 聞き慣れた、けれどこんな所にいるはずのない声が聞こえたからだった。

 それは秘かに思いを寄せているものの、まったく伝わらない幼馴染のあの子のものによく似ていて。


「さっそく地元警察に連行されたって?」

 問いかける声は半ば笑い声を含んでいた。首を傾げた動きで、長い髪が揺れる。全身黒のパンツスーツ姿だというのに、その名の通りどこか華やかな、見覚えのある姿。

「ええ、なんで華ちゃんが?」

 もしかして、お祓い課に新しく配属されたのって。そう考えかけて、社は眉を顰める。

 いやいやまさか、そんなはず。だって彼女は。


「残念ながら、彼女はお祓い課にはスカウトできんよ」

 苦笑交じりに亀井が言う。

「ここは彼女の管轄外じゃがの、鬼塚署長が結城刑事と知り合いらしくてな、あんまり自分の管轄で事件が起こるから泣きついたようなんじゃ」

「ほんとびっくりしたよ、急に上司から茨城に行けだなんて言われるんだもの」

 少し不貞腐れたように華はそっぽを向く。

「今私が追ってる事件は他の人にやらせるからって。検挙まであとちょっとなのに、きっと手柄を横取りするために私を飛ばしたんだわ」

 息巻く彼女に申し訳なさを覚え、社は呟く。

「そうなんだ……なんかごめんね」


 そうだ、彼女は現役の刑事だ。彼女の父親も刑事で、華はその背を追ったというわけだ。今回泣きつかれたのはどうやら退職した父親の方だったようで、その代わりに娘の華が送り込まれた、らしい。


「でも、社くんもいるなら百人力だね」

 さっきまでの不満そうな顔はどこへやら、今度はくるりと笑顔を浮かべ、彼女は力強い目線を社に向けた。 

「こうなったら一緒に廃村の事件を解決して、あいつらにぎゃふんって言わせてやるんだから。頑張ってよ、社くん」

「え、う、うん」

 そんなこと言われても。まったくやる気などない社は狼狽える。でも、せっかく来てくれたんだし、たまには僕だっていいとこ見せたいし。でも。


 内心躊躇する社を置いて、彼女は我が物顔で旅館に乗り込んだ。どちらかと言うと、民宿に近いようなこじんまりした旅館だった。慌てて女将が迎えに来て、鶴野が宿泊の手続きをする。その脇をすり抜け華はロビーと言う名の居間に上がり込み、どさりと重い鞄を床に置いた。


「ずいぶん大荷物みたいだけど」

 まさか何泊もするつもりなのだろうか。だとしたら、それだけ彼女と一緒に居られるということだ。だったら嬉しいけど、と思う社の思惑は見事に外れ、鞄の中から彼女が取り出したのは大量の紙束だった。

「それは?」

「大子署の資料と、ここに来るまでに調べた資料ね」

 ドスン、とテーブルにそれを置き、彼女は荷物から解放された肩をぐるぐると回して見せる。


「こんなに?」

「まあ、噂話なんかも混じってるけど……で、これが警察の資料ね」

 頑張って集めたんだからちゃんと読んでよね。そうにっこり笑う華の圧力に負け、社は渋々と紙束に手を伸ばした。

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