09.突撃、ゴブリンが昼ごはん_01

 日の傾きはまだ東、半分も昇っていない、恐らくまだ午前中。

 そんな時間にアタシは一人、前戦キャンプを抜け出して、シュダ森の中、深い森の中にトコトコと入って行く。

 目的はレベル上げ、じゃなくて自分の身体の使い方、悪魔な身体の使い方を覚える事だ。


(自力での悪魔化解除の方法、魔眼魅了の練習、悪魔化時の身体測定、あとは吸精の性能チェックとかかな?ああ、あとはキャンプから十分離れたら、媚香の開け閉めの練習とかもしたい。んーいっぱいあるなこれ)


 アタシは考えつつも獣道に沿ってシュダ森の奥深くへ進む。この森にはゴブリンが多数潜んでいる。アタシの悪魔化性能検査にはゴブリンに相手になってもらおうと思っている。アタシも一応女なので、ゴブリンは呼ばなくても匂いを嗅ぎつけて勝手に出てくるだろう。出てこないなら媚香の紐をちょっと開いて匂いをばら撒けば強制的に呼びつける事だって出来る。それでゴブリンが出てきたところをパクッと頂く、そんな寸法だ。


(それにしても、昨日までのアタシだったら怖くて一人でこの森を進むなんてできなかっただろうに、今はなんか、余裕なんだよねぇ)


 アタシは周りの木をキョロキョロ見つつ、ゴブリンの気配がしないか探しながら森を進む。今のアタシの中に恐怖心は全くのゼロ、早くゴブリンが出てこないかワクワクしてすらいる。

 アタシはなんとなく自分の首筋を手で触っている。そこにはマースに付けて貰ったサーヴァントチョーカーが付いており、それに触れるとマースの暖かみを感じるというか、マースとの繋がりを感じられてやたら安心するのだ。


(このチョーカー、主人と魂を紐づけする?んだっけ。ってことは、この瞬間もアタシの魂はマースと絡みっぱなし、と。んんー、これは心強いっていうか)


「にひひっ♥」


 アタシは首のチョーカーを触りつつニヤニヤと笑っていた。このチョーカーが有る限り、アタシは一人じゃない。アタシにはマースが付いているのだ。自分の半分も生きていない少年に首輪付けられてニヤニヤ笑ってるアタシも大概危ないと思うのだが、嬉しいんだからしょうがない。


「アタシはマースの物、アタシはマースの物、えへへへっ♥」


 両手で髪をかき上げくしゃくしゃとかき混ぜてからそのまま喉とうなじを撫でるアタシ。朝の事を思い出し、反芻する。怖い思いもいっぱいしたけれど、結局は嬉しい事の方が強かった。またグレッグさんや他の兵士たちには悪いことをしてしまったので、今度顔を合わせたら謝っておきたい。多分、次は避けられるか逃げられると思うけれど。

 アタシはチョーカーを触りながら満面の笑みでマースの事を想う。彼はアタシのピンチに駆けつけてくれるヒーロー。それでいてまだ未熟な部分をアタシに見せてくれる可愛い従姉弟の少年。そんな彼がアタシのご主人様だ。ちょっぴりな背徳感が見事なスパイスとなって、アタシは高揚する気分をどうにも抑えきれない。


「マースがご主人様、マースがアタシのご主人様……マース大好き♥、ご主人様大好き♥、大好きっ♥……くうぅぅっ~♥」


 アタシは両手で紅潮した顔面を覆ったまま身体をくねらせている。アタシは自分で言って、自分で恥ずかしがって、自分で喜んでいた。赤面して顔が熱い。人の物になるなんて真っ平御免、アタシは当然アタシの物、少し前まではそう思っていた。でも今は違う、マースの所有物となったアタシは、最高に良い気分だった。


(マースの為ならなんだってする。マースがアタシの傍に居てくれるなら、なんだって怖くない。18歳差がなんぼのもんじゃい。どうせアタシはもう歳を取らないんだ。5歳差だろうが18歳差だろうが同じ同じ。だからこのまま娶って!なんて)


 年下の従姉弟相手に完全に頭ピンク色のアタシ。ついチョーカーを触る手にも熱が入る。


(決めた!今日も一緒に寝よっ!マースと一緒に寝よう!ぎゅーって抱きしめて寝よう!)


 アタシは片手でチョーカーを触ったまま、もう片方の手で握り拳を作り天を仰ぐ。そして今夜もマースのテントにお邪魔して、彼を抱き枕に眠る事を固く心に誓う。

 で、ここで気づく。朝にグレッグさんに言われた事。"舌先三寸でマース様を騙し!その色香で誘惑し!ボーフォートに潜入しようと言う敵国のスパイだったのだ!!"と言う彼のセリフ。


(スパイでこそないけど、その色香で誘惑し、な部分は合ってるかも。でもしょうがないじゃん、好きな子に色目使って何が悪いのさ。てかマースはもうご主人様だから、ご主人様に媚て何が悪い?いや何も悪くないね?)


 アタシは開き直った。マースにはこれからも積極的にスキンシップして行く所存だ。マースにくっつくなと命令されない限りはガンガン攻める。

 因みに今マースから受けている命令は、最優先事項として命令されたボーフォートの兵と民に危害を加えない、これだけである。あとは自由なので、媚香の扱いにさえ気を付ければ何をしても自由。マース曰く、ゴブリンはボーフォートの民として認められてない害獣扱いらしいので、ゴブリン相手には何しても構わないらしい。存分に喰ってしまおう。

 マースとの楽しみは夜に取っておいて、いい加減に冷静になってきたアタシ頭を切り替えた。

 森の獣道の少し開いたところに出たアタシ。


「さて、まずはひとっ走りしますかねー」


 まずは悪魔化していない素の身体の測定をしておく。なので、


「よーい」


 アタシはそう言って地面の上でクラウチングスタートの体勢を取る。


「ドンッ」


 -ザッ-


 掛け声と一緒に全力で西へ、兎に角、西へ西へと走った。媚香の練習をするにあたって、アタシはなるべくキャンプから離れなければならない。アタシの媚香は全力で使えば余裕で地平線まで届く、いわゆる広域状態異常スキルだ。キャンプの近くではボーフォートの兵達に被害が及んでしまう故に、マースの"ボーフォートの兵と民に危害を加えない"と言う命令に反してしまう。なので媚香の練習をするには目一杯キャンプから離れるしかないのだ。


 -ザッザッザッザッ-


 それで走ったままかれこれ10キロ近く全力疾走しているのだが、


(ぜんっぜん息切れしない)


  100メートル9秒台のスピードで全力疾走して既に10キロであるが、スピードが落ちるどころか息切れすらしていない。


(これ、素の体力もヤバイ事になってるな)


 十中八九、悪魔化の弊害であるが、素の人間体の身体性能も格段に上がっている。常人のレベルはとうに超えている。そもそも100メートル9秒台の時点で男子オリンピック金メダル級だ。もともとのアタシの速度は100メートル11秒が精々、こんな異常なスピードでは走れない。それも10キロずっとこの調子である。時速40キロでずーっと走っていられる人間な時点で既におかしい。

 フルマラソンをするつもりはないので、この辺で別の行動を取ってみる。アタシは森の獣道を走りながら、多少開けた直線のところで、


「せーのっ」


 -ダンッ!-


 そのまま勢いに任せてジャンプしてみた。


 -ふわっ-


「おおっ?おおおー?」


 思ってたよりもずっと地面が遠い。ただ走って跳ぶだけでこんなに浮遊感を得られるものなのか。

 そんな時、長い浮遊感に戸惑っていたらふいに目の前に木の枝が現れた。


「ちょっ!?」


 枝はアタシの顔面に直撃コースだ。さらに枝の太さもアタシの腕くらいとなかなか太い。咄嗟に顔を両手で守る。


 -バキィッ!-


 木の枝に真正面からぶつかるアタシ。大きな音を立てて折れる枝。


「おほおおおっ!?」


 アタシは奇声を上げつつそのまま勢いを失って地面に向かって落ちる。


 -クルッ-

 -トンッ-


「よっ!と。……うへえ、随分高いところにぶつかったなアタシ」


 空中で受け身を取り、なんなく地面に下りたアタシ。折れた枝を見上げてみれば、地面から5メートルくらい上にある高さの枝にぶつかっていた。


「ありゃあ、道路から直接家の2階の窓に入れる高さだなぁこれ……いや、入んないけどさ」


 跳躍力の上がりっぷりも半端なかった。ネコ科の大型肉食獣であるピューマがこれくらい飛ぶらしいが、アタシは断じてネコじゃないし、ネコの真似をしろと言われたら流石に年齢的にキツいし恥ずかしい。

 頭上の枝を見て一人ツッコミをしつつ、アタシは次の行動に移る。


「腕力、どのくらいに上がってるかな?」


 ここまで来ると、腕力と脚力、この辺の物理性能もキッチリ図っておきたい。アタシは自分の身体の幅と同じくらいの太さの木を見つけ、とりあえず殴ってみることにした。

 腰を深く落とし、左腕を前に、右腕を腰に、アタシは構えた。


「構え……ハッ!」


 -ボッ-

 -ミシィッ!-


 腰のひねりを加えつつ右手の正拳突きを木に思いっきり叩きこむ。軋む木、拳の形に抉られ跡が残る幹。

 突いた自分の右手を見てみるが、痛みも無い。元々あった拳ダコが付いてるくらいで特に変わったところは無かった。


「イマイチわかんないな、もっとバキィッと行くものかと」


 脚力に比べると腕力は思ってたよりも上がっていない気がした。それでも殴った木の幹にはアタシの右拳の跡がくっきり残ってはいるのだが、悪魔化してキートリーと争っていた時は周囲の木をバッキバッキ折っていたのでそれに比べるとあんまり強くなった感が無いのだ。

 ここでアタシはキートリーがやっていた橙色の手のひらを思い出す。悪魔化しているアタシの腹を易々と貫いた彼女の闘気の技の威力。ほんのりゆらゆら橙色に光る彼女の手がアタシの目には焼き付いている。


「あれ面白いよねぇ、マネできないかなぁ?」


 自分にもできるなら真似してみたい。だって出来たらカッコイイ。そんな訳でもう一度、木の前で構える。


(イメージ、イメージ)


 アタシは目を瞑ってイメージする。右手の拳に、何かを、力を、闘気を集めるイメージだ。すると、アタシの右拳がほんのりと暖かみを増して行く。ついには手首から先だけ、お風呂のお湯の中に手を突っ込んでいるような熱さを感じるようになってきている。そうして目を開けて右拳を見てみれば、ぼんやりとだが目に見える橙色のオーラがアタシの右拳を纏っていた。


「うへえ、割と簡単に真似できてしまった……」


 出来たらいいな程度の思いだったが、実際やれてしまうとこんな簡単に真似できてしまっていいのだろうか?こういうのは血と汗のにじむ修行の末に身に着ける類の物じゃないのだろうか?と、何か申し訳ないような気持ちになってしまう。


「まあいいや、殴ってみよう」


 やれてしまったのだからしょうがない。アタシは右拳の闘気の威力を測るため、右腕を引き、構え、真っすぐに正拳突きで木を打つ。


「はぁぁっ、セイヤァッ!」


 -ボッ-

 -バキィィッッ!-

 -ミシミシミシッ!-

 -グシャアッ!-


 さっき同じ要領でくり出した正拳突きだったが、アタシの突きを喰らった木は幹から横にバッキリと折れ、あっさりと倒れてしまった。


「お……おぉぉ?ヤバいヤツだなこれ?」


 アタシは自分でやっといて自分の拳の威力にビビっている。これは危ない、リアル熊殺しが出来てしまう。それもツキノワグマじゃない、大型のヒグマ相手にだ。

 アタシはまだほんのりと橙色のオーラを纏ったままの右拳を見て思う。


(闘気かぁ、いよいよサ〇ヤ人みたいになってきたなアタシ)


 人の道を外れ出したことに、ほんのり遠い目をしつつしみじみと感じ入る。と言っても、今の実力では本物のサ〇ヤ人の足元にも及ばない。空も飛べないし、か○はめ波が撃てる訳でもない。


(悪魔化すれば髪は金髪になるんだけどなぁ、実力はスーパーサ○ヤ人どころかナ〇パ以下だし)


 と、余計な事を考えていたら、右拳の橙色の闘気がすうっと消えていった。どうも集中していないと闘気は持続しないらしい。使えはしたが、使いこなすにはまだまだ時間が掛かりそうだ。

 アタシは闘気の事は一旦置いておいて、他の力も試してみようとする。


(さて次はっと……ん?)


 と、ここで周囲に何者かの気配を感じた。一人ではない、複数いる。


(1、2、3人……木の折れた音を聞いて集まってきたかな?)


 アタシは近くの木に身を隠す。そして身を隠したまま音と気配で近寄ってきている相手の様子を探った。


(さぁて、誰かな?どう来るかな?)


 -ザザザザザッ-


 相手の足音と気配から、相手は歩幅が狭く、体格が小さいことがわかった。

 アタシは木からゆっくりと顔を出し、相手を確認する。すると遠くから緑色の物体が数体歩いてくるのが見えた。あの姿、どうやら相手はゴブリンなようだ。


(ゴブリンが3体。ん?あれはー、みんな斧持ってるな)


 森の隙間から入る日光、それをキラリと反射する金属の武器。3体のゴブリン達は全員が斧を持っている。


「ナンダッタンダァ?今ノ音ハ」

「オイ、コレ見ロヨ」

「木ガ折レテンナ?マダ新シイ……?」


 のそのそとアタシが殴って折った木の前まで出てきた斧を持ったゴブリン達。3体ともアタシが折った木をまじまじと覗いている。


「ンンッ?オイチョット待テ、コノ匂イハ……?」


 その内の1体が、クンクンと匂いを嗅ぎ出す。他のゴブリン達も一緒になって匂いを嗅ぎ出した。


「「「女ダ!?」」」


 一斉に叫ぶゴブリン達。どうやら木に付いた匂いから、アタシの存在に気付いたようだ。


「ヒヒッ!ヒヒッ!女ダ!女ノ匂イダ!マタ女ガ居ルゾ!」

「ドコダ!探セ!捕マエテ持ッテ帰ルゾ!」

「ギヒヒィッ!女ハ嬲ッテ犯シテ孕マセテ喰ウ!骨以外全部使エル最高の生キ物ダゼェ!探セェェッ!」


 女の匂いに興奮し出すゴブリン達。折れた木を中心にキョロキョロと周りを探し始めた。

 木に隠れたままアタシは顎に手を当てて思案する。


(まー好き勝手言ってくれる連中だねえ。それにしても"また女が居る"って言った?アタシ以外にもこの森に入ってる女性がいる?それとも昨日のパヤージュの事を言ってるのか?いやでも今いる所はゴブリンの村とは反対方面だし違うか?んー、まさか2日連続でゴブリンに拉致られてる女の子に遭遇してしまいそうなのかアタシ?)


 聞いたこと全部忘れて自分の身体の性能検査続けても良かったのだが、どうも聞いた話からしてまたゴブリンに捕まっている女性がいるらしい。アタシは昨日パヤージュをゴブリンの村から助けたばっかり。


(もしかして、捕まっている女性って昨日パヤージュと一緒に出発した仲間の一人?いや、肝心のパヤージュからはそんな話は聞いていないし、特にマース達からも他に行方不明者がいるとも聞いていないし。となれば、完全にボーフォートの兵達とは無関係、アタシが助ける義理も無いけど。けど……)


 が、しかしだ、助けられる余裕があるならば助けに行ってしまうのがアタシだ。アタシはヒーローじゃない、誰も彼も救いに行ったりはしないし出来ない。ただ手の届く範囲内で苦しんでいる人がいるなら手を伸ばすくらいはする。まあそもそもヒーローどころか正体は悪魔なんだけども。今日のアタシは一日だけだが完全自由行動中、更にゴブリン相手なら何人いようが全部食べる、っていうか探すのめんどくさいからむしろそっちから出てきて欲しいくらいな訳で。

 アタシは首のチョーカーを触りつつ考える。


(ついでで人助け、やれるならやっちゃいますか)


 顔を上げ、心を決めたアタシ。そんな訳でアタシはゴブリンの前に胸を張って堂々と姿を現した。


 -ザッ!-


「ンッ?」

「ナンダッ?」


 そしてゴブリン達に向かって開口一番。


「キミ達!探してるのはアタシの事かなっ?」


 フライアから貰ったやたら布地の少ない黒装束を纏ったアタシ。その際どいスリットの入ったスカートを風にヒラヒラさせながら、ゴブリンの前に仁王立ちするのだった。


「ウオオーッ!?オ、女カ?」

「女ダ!女……デケェ!?」


 アタシの姿を見上げ、女としてはやたらデカいアタシの体格に驚く手前の2体のゴブリン達。


「ヒヒヒッ、デカクテモ女ハ女ダロ……ヒヒッ!チョット筋肉質ダガ見タ目モ悪クネェ!ヒヒヒヒヒッ!」


 奥の1体のゴブリンは逃げる素振りも見せず、アタシの身体を舐めるように見た後、ニチャァっと笑い獲物を見つけたと言う顔をする。


(うんうん、アタシはか弱い女の子ですよ。コイツわかってるな、後で美味しく喰ってやろう)


 ゴブリンに褒められてアタシはご満悦だ。ゴブリンはストライクゾーンが広くて助かる。アタシの体格にビビッて逃げられでもしたら全力で追い掛けなきゃならないところだった。


「ソレモソウダ!ゲヒヒッ!」

「グヘヘ……」


 先のゴブリンの主張に同調した手前の2匹のゴブリン達もアタシを見てニチャリと笑う。そのままジリジリとアタシとの間合いを詰めてくるゴブリン達。


「馬鹿ナ女ダ!自分カラ襲ワレニ来ルナンテナァッ!」

「捕マエロッ!」


 手前のゴブリン達が斧を構え、下品な笑いを浮かべてアタシに飛びかかってきた。


(うーんデジャヴ、昨日も似たような事したなあ)


 斧を振りかぶりアタシの上半身目掛けジャンプした2体のゴブリン。アタシは既視感を感じつつも、1歩前に出た。


「ほい」

「ゲッ!?」

「ギィッ!?」


 そしてあっさりと2体のゴブリンの首を掴む。


(昨日のゴブリンより随分遅いような。いや、アタシの動体視力が上がったからそう感じるだけか?)


 飛びかかってきたゴブリン達の動きはやたらスローだった。昨日のゴブリンとの闘いではそりゃあもう必死になって戦ったものだったが、悪魔化して素の身体能力が底上げされた今のアタシでは余裕も余裕である。

 アタシはそのまま両手に力を入れてゴブリン達を地面に叩きつけようとした。だが途中で思い止まる。


(いやいや、殺しはダメって昨日決めたでしょうが)


 アタシは昨日黒いヴァルキリーと戦った時に決めた自分ルールを思い出していた。"ただ殺すのはダメ、喰うのは良し、苦しませるのはダメ、悦ばせて喰うのがベスト"と言う自分ルールだ。アタシはこの自分ルールを、人やヴァルキリーだけじゃなく、ゴブリンにも適用するつもりでいる。


(そうそう、だからこうやって……)


 アタシは両手のゴブリン達から吸精しようと意識を手に向けた。だが即座に叩きつけずに思い止まったのが良くなかった。

 アタシに首を掴まれたままのゴブリン達が暴れ出す。


「クソッ!離セェェッ!」

「コノオッ!」


 -ザシュッ-

 -ザシュッ-


「あっ痛っつぅぅ!?」


 痛みに悲鳴を上げるアタシ。アタシが余計な事を考えている間に、アタシに首を掴まれていたゴブリン達が、互いに暴れて持っていた斧でアタシの両腕を斬りつけた。幸いゴブリン達は首吊り状態で力の入る体勢ではなかった為、アタシの両腕の傷は浅い。が、痛いモノは痛い。アタシの両腕から赤い血がダラリと垂れ出す。

 アタシは痛む両腕を我慢しつつ、勢いよくしゃがんで両手で掴んだままのゴブリン達を思いっきり地面に押し付けた。


 -ドンッ!-


「グゲッ!?」

「グヘェッ!?」

「ちょっとごめんねぇっ!流石に油断し過ぎてたわっ!」


 地面に押し付けられ呻き声を上げるゴブリン達。彼らは地面に押し付けられた時の勢いで持っていた斧をぽろりと地面に手放した。アタシは冷や汗をかきつつゴブリンを地面に押さえつけたまま、食事の挨拶を叫び、


「頂きまぁすっ!」


 全力の吸精を開始する。


 -ギュウゥゥン!-


「ゲッヒッ!?ナンダコレェェェッ!?イイィィィッ♥」

「グヒィッ!?ヒッ!?ヒィィィッ!!気持チ良ィィィッ♥」


 吸精と共に強制的に送られてくる快楽に溜まらず声を上げるゴブリン達。そしてアタシの身体に流れ込んでくるゴブリンの命。このゴブリン達の味は、例えるなら青汁。苦味は無いが甘味も無い。すっきりゴクゴク飲めるけどカロリー控えめ過ぎて一人や二人じゃ全然お腹に溜まらない。悪魔のアタシにビタミンとか食物繊維は不要だろう。今のアタシに青汁のメリットは享受し辛いのだ。


「ナッ!?ソイツラニ何シテンダ女ァ!?」


 アタシが2体のゴブリンへの吸精に夢中になっていると、奥の3体目のゴブリンがアタシに吸精される2体のゴブリンの様子に困惑しつつも斧を振りかぶり突撃してきた。


 -ブゥンッ-


 アタシの頭に向けて振り下ろされる斧。


 -ヒュッ-


「あっぶえっ!?」


 吸精に意識を向けていたアタシは、斧で頭をかち割られるすんでのところで吸精中のゴブリン達を掴んだまま、後方に飛び退いた。

 アタシの両腕は、斧で傷付けられた跡でまだ血が流れている。


「良かったぁっ!人間のアタシはギリギリ人間だぁっ!」


 まだ流れている両腕の赤い血を見て、自分が人間である事を感じて安堵するアタシ。


「ギッ……ッ……」

「ガァ……ァ……」


 アタシに吸精されてる最中のゴブリン達は、生命力を吸われミイラのようにシワッシワになってきてはいるがまだ辛うじて息がある。悪魔化したアタシの吸精なら、秒でスポンッと魂まで喰えるのだが、人間体のアタシの吸精はやたら時間が掛かっていた。


(やっぱり人間体だと吸うの遅い!魂まで吸いきるのに十秒は余裕で掛かるよこれ!)


 あまりにも焦れったいので悪魔化したかったのだが、今は見事に両手がゴブリン達で塞がっており、変身出来ない。


(こんな遅いと戦いでは役に立たないよこれぇ!ってかサティさんこれで気絶してくれたの?嘘でしょ!これ絶対キートリーの為に気絶したフリしてくれただけでしょコレェェェ!)


 アタシはあまりの吸精の遅さに、朝起きてすぐサティさんを人間体のまま吸精した事を思い出した。両手で20秒近く吸ってやっと気絶してくれたが、サティさんの吸精耐性は尋常ではない。よくよく考えれば、ゴブリンですら吸いきるのに10秒以上かかるのに、サティさんが20秒程度で気絶する訳がないのだ。アタシの人間体での吸精の遅さ、サティさんの吸精耐性、これらを鑑みるに、恐らくは恥ずかしがるキートリーの為に気を使って気絶したフリをしてくれただけだろう。キートリーの吸精時の可愛い声もマットレスの上に崩れ落ちる音も全部サティさんは聞いていたのだ。


(ああっ!申し訳ないっ!今度はちゃんと悪魔化して吸いますサティさん!)


 と、脳内でサティさんに謝りつつ、追ってくるゴブリンからトトンとバックステップしながら距離を離した。

 そうこうしている内に、


 -ベコッ!-

 -ベコッ!-


 ペットボトルを押しつぶしたかのような大きな音と共に両手で掴んでいるゴブリン達が骨と皮だけになり、吸精が終わった。いつのまにかアタシの両腕の出血も止まり傷も治っている。


「よぉしっ!吸精終わりっ!」

「ナンダ!?ソイツラニ何シタンダ!?」


 アタシは後退しつつ骨と皮だけになったゴブリンの抜け殻を横に乱暴に投げ捨てた。これでアタシの両手はフリーだ。残った3体目のゴブリンはアタシを追いつつも困惑の声を上げている。どうも仲間が吸精された事を、何が起きたのかと理解できていないらしい。

 アタシは後退しつつ、考えを巡らせる。


(自分ルールでの戦いを続けるなら、人間体のままじゃ完全不利、となれば)


 アタシは空いた両手を胸間に当てた。そしてイメージする。悪魔へと変わるイメージを。


(悪魔に変わる!変われ、アタシ!)


 -バチィッ-


 アタシの胸間に静電気の弾けるような感触と共に、触れた部分から全身に向けて熱い感覚が身体を巡る。変わっていくアタシの身体。手が青くなり、爪が伸びて、目が悪魔の目になる。

 両手と目だけの中間形態だが、一応悪魔へと変わったアタシ。そんな悪魔へと変わった目で、足を止めゴブリンの顔を見る。


「ナン……ナンダッ!?」


 アタシの目に気づいたゴブリンは、追う足を止めてビビりながら斧を構える。

 そんなゴブリンにアタシは両腕を広げ、舌なめずりしながら自己紹介する。


「お待たせー!アタシはキミ達を食べに来た、悪魔ってやつ、よろしく!」


 これでまた絶対的優位に立ったアタシ。満面の笑みで極めて友好的に、フレンドリーに、ゴブリンに捕食者であることを告げた。


「俺達ヲ食ベニ来タ!?」

「そうだよー、キミはこれからアタシに喰われちゃうんだよー?」


 斧を構えたままアタシを見上げ困惑の声を上げるゴブリン。

 アタシはしゃがんでゴブリンに目線を合わせた。そして青くなって爪が伸びた両手をゴブリンに向けて、にぎにぎと手を握り脅すような仕草をして軽く挑発する。


「フ、フザケルナッ!喰ウノハ俺デ!喰ワレルノハオマエダ!!」


 勇敢なのか、はたまた無謀なだけなのか。逆上し、アタシの顔に向けて斧を振り下ろすゴブリン。


 -ブンッ-

 -パシッ-


 アタシは眼前に振り下ろされた斧を右の手のひらで受け止める。勿論手のひらには傷一つ無い。


「流石に斧は喰えないと思うんだよねぇ」

「ナッ!?」


 驚くゴブリンを前に、アタシは薄っすらと笑みを浮かべたまま、右手で斧を掴み、力を籠める。


 -ミシミシッ-

 -バキィッ-


 すると金属の軋む音と共に、斧の刃が粉々に砕けた。


「ほぁらぁ、もう武器は無いよぉ?どうするのぉ?」


 砕いた斧の破片をじゃらじゃらと地面に落としながら、ゴブリンに向けてニンマリと笑うアタシ。


「ヒィ、ヒィィィッ!」


 自分の唯一の武器を失ったゴブリン。彼はアタシに恐怖したのか、悲鳴を上げながら後ずさり、そのまま踵を返して逃げようとする。アタシはそんなゴブリンに腕を伸ばし、彼の片腕を軽く掴んだ。


「逃げちゃダメ、キミにはアタシの魔眼の練習台になって貰うんだから」

「ハッ!?離セッ!離セェェッ!?」


 逃げようと暴れるゴブリンだが、どれだけ暴れてもアタシの手は振り解けない。彼とアタシには絶望的な腕力の差がある。大人と幼稚園児よりもずっと大きい腕力の差だ。更に今はたった一人、武器はさっき目の前で壊された、仲間はもうみんなアタシが喰った、他に助けもいない。それで腕を掴まれ仲間のようにいつ命を吸われるかもわからない状況だ。アタシなら怖くてもう泣いてるだろう。


(あまり怖がらせるのは趣味が悪いし、ゴブリン相手にイキったってしょうがないしねえ。さっさとやることやっちゃおう)


 なのでアタシはゴブリンの腕を引いて抱き寄せ、彼を胸の間に挟み込み、両腕でがっちりホールドした。これでゴブリンはもう逃げるどころか身動きすら出来ない。


「さあゴブリンくんよ、ってうっわっ!くっさっ!」


 魔眼の練習をしようとゴブリンの顔を見たアタシだったが、予想以上に臭いゴブリンの体臭に顔を背けざるを得なかった。ゴブリンからはすえた汗の臭いと言うか、40代以上おじさんみたいな加齢臭というか、とにかく強烈に臭いのだ。もう何日も身体を洗っていないのだろう。


「キミ達お風呂とか入んないのっ!?」


 風呂に入るゴブリンなんて聞いたことも見た事も無いが、一応アタシは鼻を摘まみつつゴブリンに質問する。


「ハ、離セッ!離セェェェッ!」


 当のゴブリンはアタシの質問どころではないらしい。冷や汗をかきつつ、アタシの胸の谷間から逃げ出そうと暴れている。

 このままでは埒が明かない。そう判断したアタシは鼻を摘まむのをやめて、ゴブリンの体臭を我慢しながら彼の頭を両手でホールドする。


「アタシを見ろ!」

「ヒィィィッ!?」


 そしてゴブリンの顔を強制的にこちらに向かせ、彼の目を見る。ゴブリンはアタシに顔を掴れ、喰われるとでも思ったのか恐怖に顔を歪ませブルブルと身体を振るわせている。


(あー!これじゃアタシがゴブリン苛めてるみたいじゃん!もういい!さっさと魔眼練習する!イメージ!)


 アタシは昨日フライアに掛けられた魔眼の感覚を思い出し、ゴブリンの目を見つつイメージする。


(イメージ!相手に言う事を聞かせる!イメージを!)


 すると暴れていたゴブリンが大人しくなってきた。


「ナッ……ァァッ……!?」


 -キィィーン-


(おっ?出来たかな?)


 アタシの目がじんわり熱くなった感触があった。そしてアタシを見たまま動かなくなったゴブリン。アタシはゴブリンから手を離す。そしてゴブリンを立たせたまま、アタシも立ち上がって数歩後ろに下がる。

 ゴブリンはアタシの手から解放されたが、逃げずに言葉も発さずにその場から微動だにしない。


「おおー、効いてる効いてる。大分大人しく、……あれ?もしかして息してない?」


 ゴブリンは微動だにしないどころか呼吸をしていない。昨日フライアに魔眼を掛けられたアタシと同じだ。もしかして呼吸すら許可制なのだろうか。

 このままではこのゴブリンは窒息死だ、とりあえずまずは彼に呼吸をしてもらわなければ。


「普通に呼吸していいよ」

「カハッ!?……ハーッ、ハーッ、ハーッ」


 呆然としたまま必死に荒い呼吸をするゴブリン。だが魔眼に掛かったままの彼はアタシから目線を逸らせない。アタシはそんな彼に命令を続ける。


「これからアタシの命令以外の事は禁止で。んじゃ自己紹介して」

「俺ハ、コノ森ノ西ノ洞穴ニ住ムゴブリンダ」


 妙に抑揚のない声でアタシに返答するゴブリン。だが自己紹介と言った割には情報が少なすぎる。


(履歴書まで出せって言ってる訳じゃないけど、名前くらいは教えて欲しいもんだ)


 アタシは再度命令をする。


「名前は?」

「ナマエ……?」


 ゴブリンは魔眼に掛かったままのハズだが、どうも要領を得ない返答しかしてこない。そこでアタシは思いつく。


「もしかしてゴブリンって名前ないの?」

「ナイ」

「はー、なるほど」


 どうやらゴブリンに名前は無いらしい。モンスターだから名前が無いのか、そういう種族だから無いのか、どういう文化なのか色々聞いてみたいが、捕まっている女性を助けるのが先だ。アタシはまたしゃがみ込み、ゴブリンの目線に合わせて言う。


「んじゃあ、名前無しだと呼び辛いので、君は暫定でゴブゴブくんと呼ぶから。良い?」

「ハイ」


 アタシにネーミングセンスは無い。わかりゃいいのだ、わかりゃ。それで魔眼も効いているようなので、質問の本題に入る。


「ゴブゴブくん、キミはさっきアタシを見て、また女が居る、って言ってたけど、今捕まってる女性っているの?」

「イル」


 どうやらホントにゴブリンに捕まっている女性がいるらしい。ならば救出せねばなるまい。


「その女性はどこにいるの?」

「俺達ノ洞穴ニイル」


(洞穴に連れ込まれている、って事は、まあほぼ無事ではないだろうなぁ。昨日のパヤージュ並みの事は覚悟していかないと)


 昨日のパヤージュは散々乱暴された挙句に衰弱し、自力で歩くことすら出来ていなかった。今洞穴に連れ込まれている女性も似たような状況になっている可能性は高いだろう。一刻も早く救出せねばなるまい。


「その洞穴ってどこ?アタシをそこまで案内してほしいんだけど」

「コッチ」


 くるりと踵を返したゴブゴブくんが西へと歩き出した。アタシは彼の後ろを付いていくことにする。

 ゴブゴブくんと一緒に歩き出して十数秒。


「おっそ!幼稚園児か!」


 アタシはゴブゴブくんの歩行スピードの遅さにじれったさを感じて叫ぶ。


「もうちょっと早く歩けない!?てか走れ!」

「ハイ」


 アタシとゴブリンの体格差的にしょうがないのだが、とにかく歩くのが遅い。なので命令して無理やり走らせる。タッタッタと走り出すゴブゴブくん。

 アタシはそのまま走る彼の後ろを付いていったが、


「走るのもおっそい!小学生か!」


 昨日、ゴブリンの村から脱出した時、余裕で逃げられたのを思い出した。ゴブリンは走るのも遅いのだ。この調子では日が暮れてしまう。

 アタシはゴブゴブくんを右脇に抱えた。そして全力で走り出す。


 -ザッ!-


「アンタは走らなくていいから、アタシを洞穴に誘導しろ!どっち!?」

「ハイ、アッチデス」


 最初からこうすれば良かったのだ。アタシはゴブゴブくんの指差す方角に兎に角走った。方角は西、とにかく西だった。

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