05.暴走_side04

 ワタクシは右手に掲げたままの女悪魔の様子を確認しますの。


(気を、失っていますわね。まあ当然ですか)


 気を失った女悪魔、千歳様の身体をゆっくりと地面に下ろし、仰向けに寝かせましたわ。そしてワタクシは地面に膝を付きながら千歳様の様子を伺いましたの。


(死ん……死んでは……いないようですわね、息をしていらっしゃいますの)


 やりすぎたのではないかと心配していましたが、生きているようなのでセーフですの。本当、頑丈ですわね。けれど、


(もう、流石に、戻らないでしょうか?戻ってほしいんですけれど?)


 息はしていますが、肌は青いままですし、角も羽も生えっぱなしですの。一部の手指の爪、ワタクシの両肩を貫いていた爪かしら?は足より長いくらい伸びてますし、さっきの闘気放出技、ワタクシは"掌打撃発"と呼んでいますけれど、で肌着はお腹周りの中心と、背中の半分にぽっかり穴が。お腹自体は、ワタクシの掌の形にベッコリ凹んでいますが、まあ、大丈夫、ですわよね?


(どうしようかしら)


 そうワタクシがまごついていると、


「……んっ……ぁ……」

「千歳、様?」


 千歳様か、女悪魔かはわかりませんが、目を開けましたの。目は、黒白目に紫色の虹彩、瞳孔が横に長いのは変わらず。


(だ、だめかしら?)


「キー……トリー……?」


 ワタクシの名前を呼ぶ聞き慣れた声。


「千歳様?千歳様ですのね!?」

「うん……アタシだよ、キートリー」


 その声は聞き慣れた優しい声。目を開けたのは千歳様でしたわ。これでやっと一安心ですの。


「ごめんね……いっぱい、酷い事、しちゃって……」

「先ほどまでの事、覚えていらっしゃるの?」


 ワタクシ、千歳様は身体を操られているか乗っ取られていたと思っていますので、その間中も意識があったとは少し驚きですの。


「うん……アタシの身体を勝手に動かしてる人にね、止めてって、もう止めてって何回も言ったんだけど、止めてくれなくて」


 そう言って涙を滲ませる千歳様。どうも千歳様は勝手に動く自分の身体を止めようと必死だった様子。


「ワタクシは、ワタクシは平気ですの。この通り、どのケガももう治っていますわ」


 千歳様に両の腕を裏表させてケガが無い事を見せます。本当のところは、削れた両前腕の肉が再生しきれてなくて凹んでいたり、くっ付いたあばら骨がズレていたりと結構ボロボロなんですけれど、そこは千歳様に負わせたケガを考えれば誤差ですのよ、誤差。


「よかった……スゴイね、キートリーは……はは、アタシは、足が、動かないや……」


 苦笑しながら言う千歳様。千歳様の背骨は、先ほどワタクシが掌打でボキッと折りましたの、ええ。


「そ、それは……本当に、申し訳ありませんの……」

「いいよ、アタシが悪いんだもん。でもこれからどうやっていこうかな、私なんて、丈夫な身体だけが、取り柄、だったのに……うぅっ……うぇぇっ……」


 悲痛な面持ちで呻くように泣き出す千歳様。千歳様の頬をつぅーっと涙が流れましたの。


(はっあぁぁぁ~、千歳様が泣いていらっしゃるっ!あぁぁぁっんっ!とても素敵っ!素敵ですのっ!その涙っ!今すぐワタクシの口で啜りたいですのよっ!)


 ワタクシは千歳様の涙に内心大興奮ですの。青い肌、生えた大きな角と翼、黒白目の悪魔の目、と見た目は先ほどまでのクソの塊みたいな性格の女悪魔の時と変わらないのですけれど。千歳様の優しい声が、醸し出す雰囲気が、甘く芳醇な体臭が、ワタクシの心を揺り動かしますの。弱っている千歳様を前にして、興奮のあまり身悶えしてしまいますの。ワタクシ今まで20年生きてきましたけれど、人を襲ってしまいたい、食べてしまいたい、と思ったのは千歳様が初めてですわ。もし千歳様が良いと言ってくれるなら、


(その青色の綺麗な首筋に歯を立てて、千歳様の血肉を啜ってしまいたい……)


 と、ここでワタクシ、自分の感情が完全におかしい事に気が付きますの。


(千歳様の血肉を啜りたい?何を考えていますの?こんなに弱ってしまっている千歳様相手に、何故こんな感情を?もしかしてこの匂い、媚香?ワタクシにも千歳様の媚香が効いていますの?でもあれは同性のワタクシやサティには効かないと言う話では?)


 千歳様の甘い体臭、媚香。男性にしか効果が無いとお父様から聞いてはいましたが、


(よくよく思えばサティのあの悦び様、アレで効果が無いと言い切れますの?腹を貫かれて、サティは悦んでいたんですのよ?もし、もしワタクシにも媚香の効果が及んでいるとしたら?いいえ、女悪魔と戦っている時はそんな感情は微塵もありませんでしたの。なればこれは単純にワタクシがおかしいだけ?)


 考えが纏まりませんの、何故ワタクシがこんな感情に囚われているのか。ですけれど、表情も態度も外見は極めて真摯な風を装い踏みとどまりますわ。だってこんな邪な思いを口にして、千歳様に嫌われてしまうのだけは、絶対に嫌でしたから。


「うぇぇ……うぅっ……」


 泣き続ける千歳様。ワタクシは湧き上がる邪な思いを押し殺しつつ、


「わ、ワタクシが!千歳様のお世話を見させて頂きますのよ!責任はとりますの!」


 自分の胸に手を当てて、千歳様にそう告げるワタクシ。本来なら、治癒魔術で背骨の損傷程度なら治せますの。でも千歳様には魔術が通りませんのよ。


(治せない、となればワタクシは本気で責任を取りますわよ。千歳様の介護、千歳様の為ならば、このキートリー・ボーフォス、喜んで勤めさせては頂きますの)


 責任は取ると宣言し、ワタクシは自分の両手で千歳様の両手を包むように握りましたわ。千歳様を少しでも元気付けたい、この時はただそれ一心でしたの。


「あは、は、それは、助かる、かな……」


 涙を流し続ける千歳様が、少し泣き止んだ、その瞬間でしたの。


 -ギュンッ-


「えっ?」


 ガクンと膝の力が抜けズルリと肩から倒れそうになるワタクシ。


「あ゛っっっ!?」


 身体をビクンと跳ね上げ、不可解な悲鳴を上げる千歳様。


(ワタクシの闘気が、吸われた?)


 千歳様に自分の闘気が吸われた感覚に、咄嗟に千歳様の両手から手を離したものの、


(そんな、あの一瞬で、もう半分以上の闘気が吸われている!?)


 たった数秒、千歳様に触れていただけなのに、自分に残っている闘気は、集気法で集めた闘気の半分以下にまで減っていましたの。そしてビクンビクンッと跳ねる千歳様の身体。


(まさか、さっきのゴブリンをみたいに、私の闘気を吸って、ケガを、背骨を治すつもり?)

(また女悪魔が起きる?マズイですの、マズイですの、マズイですのよ!今あの女悪魔に起きられたら!この付近ではもう木も大地も枯れはてて、集気法で闘気を高めることは出来ないんですのよ!?この半分以下の闘気で、どうやってあの女悪魔と戦えと!?)

(サティは!?サティはテント……の跡地でまだ倒れてる!救援隊はまだですの!?そんな遠くなかったはずでしょう!?なんでこんな遅いんですの!?もしかして信号弾見落とされてますの!?冗談じゃないですわ!見張りちゃんと仕事しろですのよ!!)


 ワタクシが頭の中で考えを巡らせている最中、千歳様の身体はビクンビクンと痙攣し続け、ついに変化が。


 -ビリッビリリッ-


 下半身が盛り上がる筋肉と共に大きくなり、ズボンが弾けて破けましたの。ワタクシが付けたお腹の掌形の凹みも治っていきますのよ。


 -ビリッビリッビリリリッ-


 上半身も盛り上がる筋肉と共に大きくなり、上の肌着が弾けて破れましたの。その身長は、もうお父様より大きいですの。


 -スゥゥッ-


 千歳様の体中に、黒い模様、タトゥーのようなものが全身の側面から中央目掛けて描かれましたの。そしてそれが重なり厚くなり、秘部や乳房を隠すように申し訳程度に包みましたの。


 そして最後に、


 -フワッ-


 フワリと浮きあがった千歳様のロングヘアになった先端だけ茶色の黒い髪、その髪色が、黒から次第に金色へ変わっていきましたの。


(あ……綺麗、ですわ)


 思わず見とれてしまいましたわ。とても美しくて、キラキラ光って。でも、それが命取りでしたの。


 -ガシッ-


「ぐがっ!?」


 起きあがった女悪魔に、ワタクシの首が掴まれてしまいます。片手なのにものスゴイ握力で、ワタクシの首を絞めてきますの。


「グガアアアッ!!」


 ワタクシの首を掴んだまま立ち上がる女悪魔。ワタクシは完全に首を絞められたまま宙吊りにされる形となり、呼吸が出来ず、頭へ血液が渡らなくなっていきますわ。


『やめてっ!キートリーが死んじゃうっ!やめてよっ!!』


 何故かワタクシの頭の中に響いてくる千歳様の必死の声。ですが女悪魔の動きは止まりませんの。ミシミシと音を立てるワタクシの首。


「かっ!?……っっ……っ」


 ワタクシは必死にもがきましたわ。女悪魔の手を両手の爪で全力で引っ掻いて、足をジタバタさせて、目を白黒させて精一杯暴れましたのよ?でも女悪魔の腕はビクともしませんわ。メリメリと音を立てて筋肉を潰しながらワタクシの首にめり込んでいく女悪魔の指。

 更に女悪魔は、


 -ギュンッ-


(闘気が……力が……全部吸われて……)


 ワタクシの残り少ない闘気とワタクシの生命エネルギーまでを強制的に吸い上げて行きますの。

 窒息、脳の貧血、闘気の全失と命そのものの吸収。苦しさに表情が歪み、次第に青紫色になっていくワタクシの顔。最早抵抗する事が出来なくなり、だらんと力なく垂れ下がる手足。


『キートリー!?どうしてっ!?どうして止めてくれないのっ!?いやああぁぁっっ!!もうやめてええぇぇっっっ!!』


 頭の中に響く千歳様の悲痛な叫び。


(息が……意識が……遠く……千歳さ……ま……)


 輝きを亡くしていくワタクシの瞳。次第に暗く、黒くなっていくワタクシの意識。ワタクシの意識はそこで……


 ……


「……ゥウオオオオッッリャアアアアッッッッ!!!」


 意識が途切れる寸前、聞こえてくる野太い男の声。


 -ザンッ!-


「グガアアアアアアアッッッ!?」


 何かが斬られる音、聞こえてくる女悪魔の悲鳴。


 -ドサッ-


 突然の浮遊感とともに、地面に落ちるワタクシ


 -ボトッ-


「っっ……かはっっ、げほっ……っ……はっ……はっ……?」


 ワタクシの首を掴んでいた女悪魔の手は、手首から先が切断されて、掴む力を無くし地面にずるりと落ちました。女悪魔の手から解放されたワタクシの首と喉。足りない空気を弱った身体で精一杯吸いましたの。

 そして何者かの太い腕に抱えられるワタクシの身体。抱えられたままワタクシの身体は、女悪魔から遠ざかって行きましたの。そしてワタクシを抱えた太い腕の主の声。


「キートリー!生きてるか!?」


 未だはっきりしないワタクシの意識。ですが、その声には聞き覚えがあります。ワタクシが産まれてからずっと、お母さまがいなくなってからもずっと聞いていた、荒っぽいですがワタクシを安心させるどこか暖かみのあるあの人の声。


「はっ……はっ……おと……う……さま?」


 どこの白馬の王子様かと期待していましたが、あら残念、なんてことのないいつものハゲのオッサン、お父様でしたわ。


「キートリー!まだ生きてるな!?」


 そう言って、ゆっくりとワタクシを地面に降ろすお父様。すぐに振り返って後ろの少年に声を掛けますの。


「マース!キートリーに治癒魔術を!」

「はい!父上!」


 こちらも聞き覚えがありますの。幼さを残しつつも優しさと強い信念を持った、ワタクシの心を明るくさせてくれる声。サラサラの緑色のボブヘアーを揺らし、青色の杖を両手で掲げる少年。ワタクシの、たった一人の弟。


「水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者の傷を癒せ、ヒール!」


 -キィィィン-


 お父様の後方に控えていたらしい、マースの掲げた杖が青く光り、ワタクシに治癒魔術が掛けられますの。

 ほんのり光るワタクシの身体、次第に楽になって行く呼吸、戻ってくる元気と体力。女悪魔の手の形にベコリと凹んでいたワタクシの首が、元の綺麗な形に治っていきますわ。


「けほっ!けほっ!かはっ!はーっ、はーっ、はーっ!」


 咽ながらも全力での呼吸。足りていなかった空気、足りていなかった血液が頭に一気に入ってきますの。


「キートリー、大丈夫か?」


 地面にしゃがみ込み、ワタクシの上体を手で抱えながら、聞いてくるお父様。いつも豪快に笑っているあの顔が、珍しく心配そうな顔をしていますわ。似合いませんわね。


「んんっ!大丈夫じゃないですの!これが大丈夫に見えますの!?死ぬところでしたわよ!?魂出かけましたわよ!?」


 なんとなく気恥ずかしさから、お父様相手に素直な返事を言えないワタクシ。でもそんな文句が言える程度には身体が回復しましたの。

 安心したワタクシは、サッと周りを見渡し状況を再確認しますの。地面に横たわるワタクシと、ワタクシを抱えるお父様。杖を掲げワタクシに治癒魔術を掛け続けているマース。吹き飛んだテントとその中で結界を張ったまま横たわるサティ。枯れたり折れたりしている森の木々、ところどころヒビの入った地面。斬り落とされ手首を失った腕をもう片方の手で握ってうずくまる女悪魔。


(匂い、あの匂いは?)


 ここでワタクシは気付きます。ワタクシの思考を蕩けさせ感情を狂わせる程出ていた千歳様の媚香の匂いが、とても弱くなっている事に。


(周囲からも媚香の匂いがほとんどしない?先ほどまでの千歳様の匂いはどこへ?)


 大きくなった女悪魔はワタクシの目線の先にいますの。ですけれどそこから漂ってくるハズの媚香の匂いはとても弱く、ほとんど無いと言っても良い程度。

 そんなワタクシの考えをよそに、ワタクシを地面に下ろし女悪魔への攻勢を掛けるお父様達。


「よし、マース!あの青いギガントオーガレスを拘束しろ!」


 立ち上がったお父様が指差した女悪魔、お父様はギガントオーガレスと仰っていますが、確かにあの女悪魔、大きな角に、身体の大きさといい盛り上がった筋肉と言い、一目見ただけでは、オーガの女性体、オーガレスにしか見えませんわよね。それも身長は5エールト近い高さ。並みのオーガが3エールト程度ですので、お父様がギガントオーガレスと呼ぶのも無理有りませんの。


「はい!父上!水の女神メルジナよ、その冷たき怒りを持って我が敵を大地に縛り給え、インプリズン!」


 -キィィンン-


 マースがワタクシへの治療魔術を止め、杖を掲げて女悪魔に向けて魔術を放ちましたわ。そして片手を切り落とされた女悪魔の周りに、青く光る四角柱型の魔術で出来た牢獄が現れ、女悪魔を閉じ込めますの。


「やったか!?」


 お父様、そのセリフはフラグですのよ。ワタクシは起き上がってマースへ言いましたわ。


「マース!ダメですの!その方に魔術は!千歳様に魔術は効きませんのよ!!」

「えっ?千歳さん!?」


 そう、あの女悪魔は元は千歳様。千歳様の身体は魔術はかき消してしまいますのよ。案の定、何事も無かったかのように魔術牢獄からヌッと現れる女悪魔。


「グガアアアッ!!」


 しかもいつの間にか切り落とされた片手まで治っていますの。いえ、女悪魔の前の地面にお父様が切り落としたあの悪魔の手がまだ残っている。これは、


(片手、治ってるんじゃなくて、新しく作っているんですの?ちょっとデタラメすぎませんこと?)


 ワタクシも、集気法、あれで折れた骨程度なら治しますからあまり人の事は言えませんが、流石に切り落とされた部位を残して手が生えてきたりはしませんわ。


「ギガントオーガじゃなくて千歳!?マジで言ってるのかキートリー!?俺の倍近くデケぇぞ!?」


 女悪魔を指差しながらワタクシに信じられないと言った顔を向けるお父様。実際にお父様の倍近い大きさですから、その心境もわかりますけれど。


「あれが千歳さんなんですか!?姉様冗談ですよね!?」


 同じく女悪魔を指差しながらワタクシに信じられないと言った顔を向けるマース。この子のこんな驚いた顔を見たのは久しぶりですわね。

 ワタクシはまだ痛む身体に鞭打って立ち上がり、二人に向けて告げますの。


「冗談だったらこんな苦労してませんわよっ!!あれは日高千歳様が変化した物!ただちょっと意識が何者かに操られているみたいで!!失神すれば一旦治るんですのよ!でもさっきからゴブリンやらワタクシの闘気やら吸ってその度に強くなって暴走して困ってるんですのっ!!あっ!絶対に彼女に素手で触れちゃだめですのよ!!闘気も命も丸ごと吸われますわよ!!」


 と、ワタクシは矢継ぎ早に重要事項を一気にまくしたてましたので、


「何!?何が何なんだぁ!?」


 案の定、お父様は状況をよく理解していない様子。なのでとりあえずこれだけ守っていておけばよいと思うモノを一つ、お父様に伝えますの。ワタクシはお父様をビシッと指差しつつ、


「お父様はとりあえず絶対に素手で触るなって事だけ覚えていてくださいなっ!」

「ああ!?なんか知らんがそれだけ守ってりゃいいんだな!行くぞ千歳ェェ!」


 若干混乱しつつも、要点は掴んだらしく剣を構え一人で女悪魔を抑えに走るお父様。

 マースの方はと言えば、


「わかりました姉様!一旦援護魔術に切り替えます!」


 そう答え掲げた杖をクルリと回転させてまた掲げますの。あれはあの子の癖ですの。ああすると杖の回転と一緒に頭の中の切替もスムーズに進むらしいですわ。

 ですがマースにはワタクシ達の援護より優先してほしい事がありますの。


「マース!ワタクシのテントのあったところにサティが血だらけで倒れてますの!先にサティを助けて!」


 ワタクシはそうマースに言っても元テントの敷地を指差します。もともと救援隊を呼んだ理由、それはサティのケガの治療でしたのよ。ワタクシを死の淵に立たせるほどの戦闘は、そもそも想定していませんでしたわ。


「サティが!?わかりました!」


 ワタクシの救援要請を聞いてサティの方へ向かおうと走りだしましたの。マースはタタっと少し走ったところで何か思い出したのかクルリとこちらに向き直り、素早く杖をこちらに向け、早口で詠唱を行います。


「水の女神メルジナよ!その慈悲深き力を持って彼らに天恵を与えよ!フルブレッシング!」


 -キィィィン-


 マースの強化魔術により、ワタクシとお父様の全身が強化されますの。キラキラと光るワタクシの身体。身体の隅々まで染み渡るマースの魔力。


(マース、やっぱりすごいですわ。身体が軽いですの。力が、戻ってくる……)


 マースの使う最上位強化魔術"フルブレッシング"、まさに神が人間に与える恵みの如く、ワタクシの力が元に戻り、さらにその力はワタクシの限界の更に上へ上へと昇って行きますの。ワタクシ達ボーフォートの戦士がジェボードとの闘いで勝利を収めることが出来るのも、マース達魔術師の援護、この強化魔術あっての事。特にマースが使う天恵の魔術は身体の強化のみならず、体力の回復から毒の浄化、闘気の補充まで行う破格のモノですの。後ろにマースが居る時のワタクシ達は無敵ですのよ。


「サティの救命処置が完了するまで、なるべく回避に専念してください!千歳さんと接触したら強化魔術が解けてしまうかもしれません!僕はサティのところに行きます!」


 そう言ってまたサティの方へ走って行くマース。ですがワタクシはマースに聞いておきたいことがありましたの。


「マース!?他の救援隊は!?」


 そう、いないんですのよ、お父様とマース以外の兵が。ワタクシは魔術信号筒で近くのキャンプへ救援隊を呼びましたが、二人だけと言うのは明らかに異常ですの。


「すみません姉様!近くまで救援隊を連れて来ていたのですが、ついさっき僕と父上以外の男性兵達が一斉に失神してしまいして!」

「なんですって!?」


 少し遠くで口に手を当てて杖をぶんぶん振って答えるマース。いったいなんでそんな事になっているのか、検討も付かない、という訳ではありませんでしたわ。心当たりがありますの。


(千歳様の媚香、ですわね)


 ワタクシがお父様との話からテントを戻る際に、既に千歳様の媚香はテント外に漏れだすほど強くなっていましたの。そして先ほど一度意識を取り戻した際の千歳様の媚香は、同性であるワタクシすら魅了しかけるレベルの匂いでしたわ。恐らく救援隊の男性兵達はその強烈な媚香の匂いを嗅いでしまい、発情を通り越して一気に失神したのでしょうね。


「なので!倒れた男性兵達の保護を女性兵達に任せたので、ここに到着出来たのは僕と父上以外いません!!」


 マースの発言で救援隊が遅れた理由も察しましたわ。ワタクシ達の救援へ向かうにも兵達がワタクシのテントに近づくにつれて匂いの強くなる媚香によって次々と失神、状況把握しているうちにも次々と失神していく男性兵達。ゴブリン跋扈する森に失神した兵達の放置はできませんので残った女性兵達に保護を任せ、最大戦力であるお父様と治癒魔術のエキスパートなマースの二人だけで急いでワタクシの元へたどり着いた、と言ったところでしょうね。


「んんんん!?だいたい分かりましたわ!サティを頼みますの!」


 ワタクシは少し頭を抱えましたが、気を取り直して女悪魔に向き直りましたの。よくよく考えればあの女悪魔はワタクシが競り負けるレベルの相手。下手に救援兵が援護に入ったとしても無駄に被害が増えるだけ。最悪、女悪魔の足元に転がっている骨と皮だけのゴブリンのように、命を吸われて女悪魔を強化してしまう、と言うのも考えられますわ。結果的に救援隊がたどり着けなかったのは不幸中の幸いですのね。

 そんなワタクシの思案中に、マースが膜材が吹っ飛んだ元テントのところに駆け込み、サティの救命処置を開始しましたわ。


「サティ!僕だよ!マースだよ!どこに……いた!」

「マース様……申し訳ありま……」

「気にしないで、大丈夫、僕が必ず治すから。えいっ、結界解除!」


 -パァァァ-


 サティを見つけたマースが人差し指をクルリと回し、サティの個人結界を強制解除していますの。


「この傷は……わかった、リザレクションで行く。この包帯から手を離して、ってこれ姉様のスカートじゃないか!」


 マースがワタクシがサティの止血の為に千切ったスカートの切れ端を広げて驚いていますわ。サティの救命のためですもの、ドレスの一つや二つでダメにしても構いませんのよ。


「水の女神メルジナよ、その慈悲深き力を持って彼の者の命を救い賜え、リザレクション!」


 -キィィィン-


 元テントのところで青い光が輝いていますの。マースがサティの前にしゃがみ込み、サティに光る手を当てているのが見えますわ。マースの使った最高位治癒魔術、"リザレクション"は、傷や体力の回復だけでなく、失った身体の部位を修復することすら可能ですの。恐らくはサティが女悪魔に腹をかき回された際に、内臓に深刻なダメージを負っていたのでしょう。

 兎も角これでサティは一命を取り留めましたわ。ただ治癒魔術は即効性が高いとは言え、リザレクションを使うレベルの損傷となると、完治には少々時間がかかりますの。その間、ワタクシとお父様で二人を守らなくては。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る