05.暴走_side01

 初めて流着の民の彼女の声を聞いた時、お母さまが蘇ったのではないかと、そんな都合の良い事は無いと分かっていても、期待してしまいましたの。だって、彼女はワタクシの記憶に残るお母さまの声と、全く同じ声をしてるんですもの。目を瞑って声を聴いていると、お母さまがそこに居ると錯覚してしまうほど。

 でも彼女はお母さまではありません。そもそもお母さまはあんなに身体は大きくありませんし、瞳の色も黒くはありません、髪だってもっと長くて緑色、彼女みたいにあんなに短くて茶色ではありませんでしたわ。


 彼女を初めて見かけた時、お父様に抱っこされていました。ワタクシ、それを見て非常に不愉快な気分になりましたの。お父様が、お母さまと全く同じ声をした見知らぬ女を抱きかかえている、その事実に。

 お父様に抱きかかえてもらっている彼女に対する嫉妬と、お母さまと同じ声の彼女と嬉しそうに話すお父様への怒り、両方ですわね。だからワタクシは、二人に当たり散らしてしまいましたの。完全に八つ当たりですわ、我ながら面倒くさい性格をしていると思いますの。

 ワタクシが彼女へ八つ当たりとして彼女の腕を掴んだ時、彼女は異常なまでの怯え方をしていました。ワタクシとしてはそこまで怖がらせるつもりはありませんでしたの、だってただの八つ当たり、ただのやきもちでしたから。でもそんな彼女をマースが庇いました。千歳さんと、名前を叫びながら、ワタクシの前に立ちふさがりましたの。あのマースが、あんなに必死になって誰かを庇い立てするの、初めて見ましたわ。

 事情を聞いてみれば、何者かに媚香を盛られ、媚香によって狂わされた兵達に襲われてしまったとのこと。確かに、彼女の身体からはほんのり甘い匂いがしましたわ。でもそんなことを聞いたら、もう放っておけないじゃありませんの。やきもちとか、八つ当たりとか、もうどうでもいいですわ。

 だから彼女に、


「日高千歳?と言いましたか。泊まって行きなさい。今日だけなら認めます。いいですわね?今日だけですのよ?」


 と、弱っている彼女相手に、我ながらこんな捻くれた言い方しか出来ないのかと、ああ、本当に、嫌になってしまいますわ。

 そんな捻くれたワタクシに礼を言う彼女、お母さまと全く同じ声で、ありがとうございますキートリーお嬢様、と。こんなの完全に調子が狂ってしまいますわ。名前を呼ばれるたびに頭がどうにかなってしまいそうでしたの。


 そんな彼女をテントに招き入れたワタクシは、彼女に難癖を付けまくりましたの。靴がどうだの、足が汚いだの、足を拭かれろだのと。その度に、彼女はお母さまと全く同じ声で喋るんですの。少し自信なさげに、弱弱しく。彼女はお母さまじゃないのに、声が同じだけなのに。いいえ、声が同じ、それだけで十分、ワタクシが言いがかりをつけるにはそれで十分すぎます。


 だから、どんな些細な事でも聞いてみましたわ。ワタクシとしては、もっと彼女に喋らせたい、彼女の声を聞いてみたい、ただそれだけですもの。大して腹も減っていないと言う彼女に、無理やり夕食を食べさせたりもしましたわ。話のタネになるなら、なんだってよかったんですのよ。まあ、彼女はあのパンをお気に召さなかったようですけれど。ワタクシも、あのパンはイマイチ美味しくないと思いますわ。どうせ食べるなら、やっぱり焼き立てのふわふわのパンの方が美味しいですもの。


 そんなことをしているうちに、彼女は怒ったらどんな声を出すのだろう、そんなイタズラ心が湧いてきましたの。お母さまは、ワタクシを叱ることはあっても、ワタクシに怒りをぶつけてくることはありませんでしたから。サティに魔術で脅しを掛けるよう指示しましたの。もちろん、絶対にケガはさせないよう、細心の注意を払うようにと。結果は、面白かったですわ、あんな声を上げるんだって、ワタクシ、笑いを堪えるのに必死でしたの、内心、大爆笑ですわ。でも、あの動き、サティの飛ばした氷柱に一瞬で反応し、掴もうとしたあの動き、素人が出来る動きではありませんわ。それに、腕に一瞬集まった闘気。体格と言い、筋肉と言い、何か武術をやっているのは間違いありませんわね。


 そして彼女の口から、"しゃわー"という、異世界の湯浴みの言葉が。最初の"でんしれんじ"もそうでしたが、やはり彼女も流着の民、どうしたって流着物には興味が出てきますの。ワタクシは知らない物、新しい物には喰いついてしまうタチですのよ。だから遅れているゴブリン狩りの予定挽回も兼ねて、多少の無茶をしてでも彼女の島に行ってみたくなりましたの。お母さまと同じ声をした彼女の島に。まあ、ゴブリン程度、何百体に襲われてもワタクシには傷一つ付けられないでしょうけれど、ただ、ワタクシ一人で狩りきってしまうと、兵達の取り分が無くなってしまうのですわ。有志を募ったと言えど、兵達には狩ったゴブリンの数だけ褒賞金が支払われますから。


 そんな時、彼女が出してきた交換条件。ワタクシは、彼女が一人でオードゥスルスに迷い込んで来たと思っていましたの。でも違う様子。彼女のご友人が一人、魔獣クラーケンに連れ去られたとのこと。普通クラーケンはその巨体故にあんな近海までは寄って来ませんのよ?でも彼女の真剣な表情に、ワタクシ、嘘は無いと確信致しました。そんな彼女のご友人を思い悲観する言葉に、ああ、お母さまも、いつもこんな声で戦に出るお父様の心配をしていましたわね、などと昔のことを思い出しましたの。まあ、お父様は毎回ケロっとした顔で帰ってきておりましたけれども。


 彼女言う"ディーゼルエンジン"、油で動く船。あれには驚きましたわ。千歳様の船は間違いなくA級の流着物。ワタクシ達ボーフォートの民は、隣国ジェボードの獣人共、特に魚人の攻撃に悩まされていましたわ。陸上であればワタクシの敵ではありませんが、海上海中となるとやはり人間であるワタクシには不利。魚人共は周辺の流着の島との間の連絡船を、度々襲撃してはまた姿を眩ますと言った本当に厄介な連中。我が国にも魔力で動く魔術船、B級流着物の"ブラズニル"ならありますけれど、千歳様が言ったほどの速度は出ませんし、巨船故に魚人相手の戦闘に使えるほど小回りが利きませんの。でも、千歳様の船があれば、追いかけまわして叩き潰すことができますわ。それどころか、あの速度で一気にジェボード国の背面を突き、攪乱することも可能。量産すれば、上陸隊を一気に送り込むなど、本当に彼女の言う通りの性能が出るならば、戦場が一変しますわね。


 だから彼女がもう一度交換条件を確認してきた時、彼女の立場に託けて、少々無理な条件を押し付けてみましたの。そうしたら彼女、あの船は祖母の遺品だというのに、それでも友人を助けてくれるなら条件を飲む、と言ってきましたの。その船、A級ですのよ?売って金にすれば、ボーフォートに豪邸を立てても余裕でお釣が返ってきますわよ?でも彼女は構わない、友人を助けてほしいと言いますの。その友人は彼女にとってどれだけ大切な人なのか、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまいましたわ。


 そんな彼女の決意を感じて、ワタクシはギアススクロールを使う事にしましたの。ギアススクロール自体、B級の流着物ですわ。リスクと条件付きとはいえ、遠方で会話出来る魔法具ですもの、普段はこんな契約では使いませんわ。でも、報酬の船、彼女の友人への思い、そして何よりワタクシの誇りに掛けて、彼女のご友人を救う事を誓いましたの。期限付きですが、いつでも彼女の声を聞けるように、と言う下心もありましたけれど。


 サティにお父様への連絡を伝えるように言いつけた後、ワタクシのお気に入りのワインを彼女に振る舞いましたの。サティがテントを出て行って、ワタクシと彼女の二人きりでしたし、やっぱりまだ彼女と会話がしたかったんですの。彼女とワインを飲みかわす内に、やっぱりその声で、ワタクシの名前を呼んでほしくなって、頼み込んでしまいました。キートリーと、呼んでほしい、と。


 彼女はワタクシの頼みを聞き入れて、呼んでくれました。キートリー、と。その一言で、お母さまの顔が、あの優しい笑顔を思い出してしまって、つい、はいお母さまと、子どもの頃を思い出して、答えてしまいました。ワタクシの完全な失態ですの。彼女は自分の声が変なんじゃないかと、お父様にも同じ事を言われたと、言っていましたわ。お父様は、まあ当然気づいていますわよね、お母さまはお父様の妻なんですもの。


 そうして彼女に訳を話したら、本当に優しい声で、お母さまと同じ優しい声で、キートリーと、呼んでくれましたの。その瞬間に、いろいろな物が、お母さまとの思い出が、子どもの頃の記憶が、頭の中に浮かんできてしまって、彼女の顔を直視出来なくなりましたの。見てしまうと、思い出してしまう。彼女に、お母さまの姿を重ね合わせてしまう。ワタクシの感情が、グラグラと揺れ動いて、崩れてしまう。


 彼女に名前を呼ばれるたびに、ワタクシの感情はぐら付きましたわ。いつ崩れてもおかしく無い、砂で出来たお城のように。そんな彼女は、お母さまの事について聞いてきましたの。当然ですわよね、自分と声が同じ人、その人の娘が、名前を呼ぶ度に目の前でこんなアタフタしているんですもの。気になりますわよね。だから彼女に伝えましたの、お母さまの事を、ワタクシのお母さまとの思い出を、そしてお母さまが亡くなった時のことを。そうしたら、彼女も自分の母親とはもうずっと会えていない、もしかしたら亡くなっているかもしれないと。

 彼女は流着の民、この世界に流れ着いた以上、例え彼女の母が生きていたとしても、もう2度と会うことは出来ない。ワタクシは自分の事ばっかりで、その考えが完全に抜け落ちていましたの。ワタクシは本当に、自分勝手で、どうしようもない人間ですわね。でも彼女は、しょうがないよと、自分も同じ気持ちだと、もっと話そうと、言ってくれましたの。優しい声で、優しい顔で。


 そう言って微笑んでくれた彼女の目が、同じように微笑んでくれたお母さまの目にそっくりで、思わず息を呑んでしまいましたわ。とても綺麗で、ワタクシの心が躍ってしまう、そんな目。

 そんな彼女の目に見とれていたワタクシの目を、彼女は見ていいましたの。


「キートリーの目も、とても綺麗だよ、アタシ、キートリーの目好き」


 ワタクシの感情が、ガラガラと音を立てて崩れて行きましたの。あの時、お母さまに言って貰えた事と、全く同じ事を、全く同じ声で、言ってくれましたの。もう耐える事が出来ませんでした。


 ワタクシのこの目、子どもの頃から、従者からは怖い、睨まれている、今日も機嫌が悪いなどと。魔術学校の学友からは、どうしていつも怒っているの?魔術が出来ないからってこっちを睨むな、目が怖いなどと。いろいろ好き勝手言われてきましたの。ワタクシは我慢しました、いっぱい我慢しました。けれどいよいよ耐え切れず、お母さまに泣きつきましたわ。そんなつもりはない、睨んでなんかいない、どうして怖がるの?と。そして言ってはいけない事、


「なんで魔術も使えない、こんな、こんなワタクシを産んだのですかっ!?」

「ワタクシも、お母さまみたいな綺麗な目が良かったっ!こんな目、こんな目ならっ!もう要らないっ!」


 と、本当に言ってはいけない事をお母さまに言ってしまいましたの。その時のお母さまの悲しそうな、辛そうな顔、今でも目に焼き付いていますわ。本当に、ワタクシは大馬鹿物ですわね。

 でも、お母さまは怒らずに、言ってくれましたの。


「私は貴女の目、オレンジ色のガーネットみたいに綺麗で、とても好きなの」

「キートリー、知ってる?ガーネットの宝石言葉にはね、真実、情熱、繁栄などの意味があるのよ。私はキートリーが毎日いっぱい頑張っているのを知ってるわ。人一倍、努力しているのを知っている。私は、キートリーが頑張っている時の目、とても素敵で、キラキラ輝いていて、とても好きなの。いつか、いつか貴女の努力が、情熱が、認められる日がきっと来るわ。だから、要らないなんて、言わないで、ね?」


 単なる慰めかもしれませんけど、それでもお母さまに好きだと言ってもらえるなら、他人になんと言われようと、お母さまだけでも好きでいてくれるなら、前を向こう、顔を上げて進もう、と心に決めましたの。それからは他人になんと言われようとも耐えられるようになりましたの。


 それから、お母さまから魔術の代わりにと、武術を教えて貰いましたの。もともとこの世界にあった武術、異世界から伝わった武術、いろいろな武術を教えて頂きましたわ。そしてお母さまから教えて頂いたとっておきの技。


「私と、キートリーだけが使える、とっておきの技。覚えておいて、ね?」


 そう言って橙色に光輝くお母さまは、とても強くて、とても綺麗で、忘れられませんわ。


 お母さまから教えて頂いた武術と、とっておきの技を引っさげたワタクシは、ボーフォートの武術大会に6歳で出場。並みいる大人たちを全部なぎ倒して、優勝しましたの。武術大会で優勝したワタクシに、正面から因縁を付けてくる者はすっぱりいなくなりましたわ。現金なモノですわね。でも相変わらず魔術学校で、魔術が使えない事にケチを付けてくる連中はいましたわ。でもその方達、ちょっと睨みつけて手を振り上げるマネをするだけで、怯えて逃げるんですの。そのまま校舎の壁を破壊しつつ追い掛け回して、貴方達の顔もこの校舎のようにぐちゃぐちゃに破壊してあげますわよ?と言ったら、泣きながらごめんなさいとワタクシに謝るんですの。謝るくらいなら最初からしなければいいですのに。でも滑稽で面白かったですわ。その話をお母さまに伝えたら、やりすぎはダメと叱られました。反省ですの。


 そんなお母さまが突然病に倒れ、亡くなってしまって10年間、知らず知らずのうちに耐えてきたハズの想いが、堪えてきた感情が、千歳様の一言で崩れ去りましたの。ワタクシはお母さまに泣きついた時の、子どもの頃の自分ように、彼女の前でみっともなく泣いてしまいましたわ。お母さまはもういないのに、お母さま、お母さま、と。彼女はそんなワタクシを見かねたのか、優しく抱きしめてくれましたの。本当に優しく、この方が本当はお母さまの生まれ変わりなのではないかと、錯覚するくらいに。


 涙が枯れるほど泣かせて頂いて、ワタクシすごくスッキリしましたの。きっと溜まっていた鬱憤が涙と共に全部流れていったんですわ。例え声が全く同じでも、千歳様は千歳様、お母さまはお母さまですの。混同したら、千歳様にもお母さまにも失礼ですわよね。

 そうこうしているウチに、サティが帰ってくる気配がしましたの。サティにこんなみっともない姿、恥ずかしくて見せられませんわ。ワタクシは千歳様からスッと離れて、無礼を詫びましたの。会って初日で泣きついてくる女なんて、面倒くさいと思われたかもしれませんわね。

 だから、戻ってきたサティから、作戦と人員の概要を聞きだした後、千歳様に粉を掛けてみましたの。ワタクシのベッドで休んでほしいと、これはワタクシの我儘だから、どうか聞き入れてほしいと。わざと耳元で、手を握って。大抵の従者はこれをすると大人しくなりますのよ。流石に従者を自分のベッドには寝かせませんけれど、ワタクシの事を怖がっている従者にはこうやって手を握って、ワタクシの為にいつもありがとう、と優しく囁いてあげますと、次の日からはもの凄く懐きますの。面白いですわよ。

 でも千歳様は、


「うん、キートリーも、無理しないで、休んでね?」


 そうワタクシの耳元で囁きましたの。ダメでしたの、ワタクシの感情が、心が勝手に踊り出しましたの。ワタクシの負けですわ。ワタクシから仕掛けておいて、ワタクシが懐いてどうするんですの?ああもう、心がドキドキして溜まりませんわ。喜びで緩む顔を、サティに気づかれないよう我慢するので精一杯、ワタクシは駆け足気味にテントを出ましたの。


 その後は、お父様との作戦会議。サティの結界が張ってあるままなので、会議場所はテントの外、結界の境界線のところですの。ワタクシやお父様ならサティの張った結界程度なら無理やり破って入ってくることも出来ますが、これから寝るというのにそんな野蛮な事するほどお父様もアホじゃありませんのよ。


「お父様、ワタクシはここですわ」

「おお、悪ぃな」


 お父様が結界の外、結界のほんの少し手前まで近づいてきます。この結界、下手に触るとバチッと弾かれますの、結構危ないんですのよ。それを指先一つで解くマースは、ホント、あの子おかしい。魔術の才能と言い、千歳様の懐きぐあいと言い、少々嫉妬してしまいますわ。でも、ワタクシに取っては大切な弟ですの。ワタクシ、魔術の実技は出来ませんが、座学であればマースにだって負けませんから、結構相談に乗ってたりしますのよ?あの子、毎回突飛な発想で新しい魔術を考えて報告してくるんですけれど、ほんのたまに理論が間違ってたりするんですのよね。その辺りの理論の再チェックをしてあげますと、ありがとう姉様!って元気に手を振ってワタクシの部屋を出て行って、また研究に戻りますの。空気中の水分をゼロにする魔術とか、いったい何に使うんですの?


「お父様、それで作戦会議とはなんですの?」

「あー、いや、作戦とかは、まあお前の出した案で別に問題ねぇんだ、ただ、あー」


 結界の外側で、お父様が何か言いづらそうにしていますの。


(まあ、だいたい予想はつきますのよ)


 作戦会議でも無いとすると、お父様がワタクシの顔を見るためにわざわざここまで呼び出すわけがありませんの。おおかた千歳様の様子が気になっているんですわよね。


「千歳様の事ですのね?」

「あっ、まあ、そうだな、何か困ったこととかは……」

「ありませんわ」


 ワタクシはスパっと手を振って何もない事を伝えますの。


「今頃千歳様はベッドでお休みになっていますわよ」

「そう、そうか」


 やたらしょんぼりするお父様。


(なんですの?このしなびた葡萄の様な有様は?お父様がこんなに凹んでいるの、初めてみましたわ)


 露骨に凹むお父様の様子に呆れましたわ。いつも何を言ってもガハハと豪気に笑う軽快な性格なのですけれど、今回の落ち込みようは異常。なので、


「千歳様の声がお母さまと同じだから、彼女の事が気になるんでしょう?お父様?」


 直球で聞いてみますの。ボーフォート辺境伯であるお父様と言えど人の子、突然亡き妻と同じ声の女性が現れたら、気になりますわよねえ。


「あっ、がっ、あいやっ、その、それはだな」


 露骨に焦るお父様。なんですのお父様のこの煮え切らない態度。


「はぁぁ……千歳様は千歳様、お母さまはお母さまですのよ?どうせ明日の朝また会うんですの、その時じっくり話せばいいと思いますわよ」


 呆れて頭に手を当ててお父様を諭すワタクシ。なおワタクシが千歳様にお母さまの姿を重ね合わせて彼女の胸で泣きじゃくったことは内緒ですの。自分の事は棚に上げるのがワタクシですわよ。


「あ、ああ、そう……」


 まだ何か煮え切らない様子ですけれど、何か言いたい事があるならば、直接本人に言えばいいんですのよお父様。


「千歳様はとても優しいお方ですの。訳を話せば、ちゃんと聞いてくれますわ、お父様」

「そっか……そうだな、そうだな!」


 お父様の言葉に力が戻ってくる。


「ガハハ!おうキートリー!お前も早く寝ろよ!じゃあな!」


 そう言って笑いながら手を振り走って自分のキャンプに帰っていくお父様。


「調子が戻ったのはいいのですけれど、なんなんですの、ホント」


 呆れ顔でそうお父様に向けて言いつつ、自分もちょっと駆け足でテントに戻ってしまうのがワタクシなのですけれど。そうしてワタクシは千歳様とついでにサティの待つテントへ戻るのでした。


 テントへ近づいてきた頃、


「あら?この匂いは?」


 どこからか漂ってくる匂い。クンクンと匂いを確かめると、これは千歳様が何者かに盛られたという媚香の匂いではありませんの。はて、千歳様がテントの外に居るのかと、周りを見渡して見ますがそんな気配は無く。


(これは一体?)


  と不思議がっていると、


「……♥……♥……♥ヌールエルざま゛……♥この瞬間をぉっ♥ずっど……♥♥♥」


 サティの声がテントの外へと聞こえてきましたの。やたら嬉しそう、と言うか、


(なんですの?なんでサティはお母さまの名前を叫んでいるんですの?)


 訳が分からないのですわ。千歳様と何を話しているのやら。そうしたらまた聞こえてきましたの。


「あ゛っあ゛っーーっっ!?……♥……♥……だべでぐだざいぃ……♥♥」


(何を食べて?そんな気合入れて食べてもらうようなもの、持ってきた覚えがないんですのよ?)


 どうも千歳様に何かを食べて貰っているらしいですわね。それにしてもサティのテンションが高いんですの。


(サティ、あんな風に喋る事出来たんですのね)


 サティはワタクシに付く前はお母さま直属の従者をやっていましたの。ワタクシが武術大会で優勝した後、ワタクシが伯爵令嬢としてはあまりにもヤンチャでやりたい放題していた時期に、お母さまの一番信頼できる従者だからと、ワタクシの矯正も兼ねて、サティをワタクシに付けてくれたのですわ。それ以来、サティとは10年以上の長い付き合いですのよ。サティからは礼儀作法から令嬢としての振る舞い、部隊指揮官としての心構えまで、まあいろいろ指摘を受けましたわ。サティの教えを聞いて、今では大分それらしい振る舞いが出来るようになりましたの。なりましたわよね?そんなサティが、千歳様相手にワタクシが聞いたこともないような声を上げてあんなに喜んでいる。


(サティも千歳様の声でお母さまを思い出したんですわね。まあちょっとテンションおかしいのが気になりますけれど、たまにはいいんですのよ)


 千歳様とサティ、もう少しだけ二人っきりにしてあげようかしら?とテントへ向かう歩みを遅めにした辺りで、千歳様の声も聞こえてきましたの。


「美味ェッ!溜ラナク……!!モット……!オ前ノ……!モット……!!」


(あら?千歳様?何か様子が?)


 先ほどワタクシを抱きしめてくれた彼女の優しい声、それが今の声からは感じ取れませんでしたの。


(何?何か、変ですの)


 心がざわつきますの、何かおかしいですわ。ワタクシは緩めた歩みを元に戻し、テントへ急ぎましたわ。

 テントに近付くにつれ、次第に媚香の匂いが強くなり、サティの声もハッキリと聞こえるようになってきますの。


「ヌールエルざまぁぁ♥♥ずでぎですぅぅっっ♥♥あ゛あ゛あ゛っっ♥い゛い゛の゛ぉぉっっ♥♥ザディのい゛の゛ぢぜんぶずっでくだざいぃぃっっ♥♥お゛え゛っ!?ごぶっ!?」


(何!?サティ!?自分を吸って???何を言っているんですのっ!?)


 明らかな異常事態、普通ではありませんの。お母さまの名前を叫びながら、自分を吸ってと叫ぶサティ。相手は千歳様のハズ、そんな声でそんなことを叫んで、普段のサティならそんな突拍子も無い事は言いませんの。それにサティの声、喉が枯れんばかりに叫んでいるのに、声色は喜んで……いや、


(ええぇぇっ!?嘘、嘘、嘘!そんなことありませんわよね?千歳様とサティが、なんて!)


 ワタクシの脳裏に百合色のイメージが浮かび上がりますの。千歳様とサティの、イケナイ関係のイメージが。


「ほおおぉぉおーっ!?」


 ワタクシは顔を赤らめ頬を両手で挟み込みながら奇声を上げましたの。


(ああ、イケませんわ、お客人と従者のイケナイ関係……イケませんわ!イケませんわよ!ほんと!サティ!!)


 ワタクシの脳内で繰り広げられる百合色の場面。ワタクシは居ても立っても居られず急いでテントのカーテンを潜り抜けましたわ。すると、


 -バサッ-

 -ムワッ-


(うっ?この匂いは?)


 テントの中は、強烈な媚香の匂いが充満していましたの。甘ったるい甘美な匂いで、ワタクシの頭の中までトロリと溶けてしまいそうなほど。ワタクシ思わずドレスの袖で鼻を隠していましたわ。

 ですがその匂いに紛れ、僅かに漂ってくる鉄のような匂いが。


(これは、血の匂い?おかしい、早く二人のところへ)


 ワタクシ、仕切りの奥の自分のベッドへ向かいましたの。


「二人とも、何をして、いらし……て……?」


 そう声を掛け、そしてそこでワタクシが見たモノ。


「ゲヒャ!ゲヒャハハハハ!吸ッテヤル!全部吸ッテヤルゼェ!オンナァ!!オレガオ前ヲ全部吸ッテヤル!!ゲヒャハハハハハハ!!!」


 そこには、青い手をした女が、サティに跨りながらサティの腹に手を突き刺している光景が広がっていましたの。ベッドの上には血で真っ赤に染まった寝具とワタクシのネグリジェ、傍にはワタクシが千歳様に貸したブラウスが脱ぎ捨てられ、肝心のサティはベッドの上で腹から血をだらだらと流し、口からも血を吐いていましたわ。サティの上に乗り、サティの腹を弄っている身体の大きな女、その女の声には、聞き覚えがありましたの。だけど、その声は、もっと優しく、穏やかで、包み込んでくれるような落ち着いた声のハズで。でも今聞いた声は違う、暴力的で、サディズムで、品性の欠片もない、野蛮な声。


「何を……何を……して……いますの……?」


 困惑と混乱の中、凄惨な状況のベッドを前に、呆然と立ち尽くしながらなんとか搾り出したワタクシの引きつった声。ワタクシには、理解できませんでしたの。この野蛮な女が千歳様で、腹を貫かれ血を吐きながら倒れているのがサティだなんて。

 その千歳様らしき女が、ワタクシの声を聞いて、ゆっくりとこちらに振り返りましたの。


「なっ!?」


 思わず驚愕の声を上げてしまいましたわ。彼女の目は、おおよそ人の目をしていませんでしたの。あれについて、昔、本で読んだことがありますわ。神と対立し、人を誘惑する、人外の存在。


 ""


 悪魔の目、黒い白目に紫色の虹彩と、山羊の様な横長の瞳孔、そう、あれは悪魔でしたの。


 その悪魔の目をした女が、ワタクシを見て口を開く。


「キー……トリー……」


 女悪魔が、苦悶の表情を上げてポツリと呟きましたわ。その声は、その顔は、ワタクシの知っている千歳様。優しい、暖かい、その声で、


「たす、けて……」


 とても辛そうに、とても苦しそうな顔をして、ワタクシに助けを求めてきましたの。


「千歳様?千歳様なんですの!?なんで、こんな……」


 状況の分からないワタクシ。なぜそんな姿をしているのか、なぜサティに危害を加えているのか、なぜワタクシに助けを求めているのか、聞きたいことが沢山ありましたの。

 ですけれど、次の瞬間、


「ゲヒャハハハ!女ダ!モウ一人美味ソウナ女ガイルゾォ!?」


 その女悪魔はニチャアと薄気味悪く笑い、薄汚いセリフを吐きましたの。

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