04.覚醒_08

「それではサティ、お父様達へ連絡を」

「畏まりました、お嬢様」


 -バサッ-

 -ザッザッザッ-


 そう言ってサティさんが杖を持って小走りでテントを出て行く。

 テントにはアタシとキートリー嬢が残ることになった。


「メグ……メグ……やっと助けてあげられる、メグ、待ってて……」


 メグの事を考え両手を組んで祈るようにつぶやくアタシ。そのアタシをキートリー嬢はまたじーっと見ていた。

 しばらくそのまま待っていたところ、テーブル向かいのイスに座っていたキートリー嬢が、


「ワタクシと一緒に、このワインをお飲みになりませんこと?」


 そう言って赤ワインの瓶と金属製のコップを持ちながら、ほんのり笑顔でアタシにワインを勧めてくる。


(さっき一気飲みしちゃったけど、ワインは結構美味しかったんだよね。パンは兎も角)


「じゃあ、頂きます」


 そう言ってアタシは自分のコップを差し出す。


「ええ、それでは」


 キートリー嬢によってトクトクとコップにワインが注がれる。


「ワタクシのにも注いで下さる?」

「はい、どうぞ」


 アタシは彼女が差し出したコップにワインを注ぐ。アタシがワインを注ぎ終わると、彼女はアタシの目を見たままコップを寄せてくる。アタシも彼女の目を見たまま、彼女のコップへ自分のコップを寄せる。


「Santé」

「ソン?ソンテ?」


 -チン-


 互いのコップが軽く触れ、コップのぶつかる音が鳴る。

 何とも締まらないアタシの乾杯の挨拶だったが、彼女はニコリと笑ってワインを飲み出す。アタシも彼女に習って自分のコップに口を付ける。


「すっきりしてて美味しいですね、これ」

「ふふふ、飲みやすいのを選んでおきましたの。お口に合ったようで何よりですわ」


 渋みが少なくすっきりとした味だった。ワイン初心者のアタシにはありがたい。そのままコクコクとワインを飲み進めて行く。

 このまま黙々と飲むのもキートリー嬢に失礼なので、アタシは適当にさっきの会話で耳にした知らない単語を聞いてみる事にした。


「そうだ、キートリーお嬢様、質問よろしいですか?」

「あら?何でも聞いてくださいな?」


 キートリー嬢はワインの入ったコップをクルクル回している。


「独立歩兵大隊ってなんですか?」

「それは、要するに1000人規模の歩兵中心の遊撃部隊ですわ。お父様の指示の元、あっちが劣勢だー!となりましたらあっちに加勢に行き、今度はこっちが劣勢だー!となりましたらこっちに加勢に行き、と、まあ忙しない部隊ですの」

「へぇー」


 そう言って彼女はクイッと一口ワインを飲む。


「戦っていて、怖かったりとか、しませんか?」

「それは怖いですわよ、でも、戦っていくうちに慣れ、と言うか麻痺していくのですわ。ああでも、初陣の時は特に怖かったですわね。あんなに近くで人がバタバタと倒れてくのは初めての経験でしたから」


 アタシも彼女と一緒にワインを口に運ぶ。


「初陣って何歳頃だったんですか?」

「6年前でしたので、14の時ですわね」

「そんな早くに?」

「あら?マースは13の時に初陣に出ていますわ、ワタクシより1年は早いですわよ?」

「はぇー」


 なんでもない風に語りながら、飲みが進む。


「お嬢様は、どうして戦うのですか?」

「ワタクシはボーフォート辺境伯令嬢、更に戦えるだけの力も持っている。なれば領民を守るのが貴族であるワタクシの義務ですのよ。と、この辺は建前で、ふふふ、来年もこの民の作ってくれるワインを飲みたいから、ってのか本当のところですけれど」


 酔いが回ってきたのか、先ほどまでの彼女のキツめの表情が、ほんのり柔らかくなっている。

 そんな彼女は、コップのワインをコクコクと一気に飲み干した後、立ち上がってアタシの隣りのイスに座った。


「もし、千歳さん」

「はい、キートリーお嬢様、なんですか?」


 隣の席から話しかけてきたキートリー嬢が、胸の前で両手を組み、何か言いづらそうに顔と視線を左右にちらちらさせながら言ってくる。


「ええと、少し、お願いがあって……」

「え、なん、ですか?」


 交換条件が足りなかったのだろうか?それともブレスレット相応の物に関する話だろうか?戦術クラスと言われると、島にある施設や燃料タンクとかその辺りになる。アタシがどうしようと困っていると、意外な事を言い出した。


「その、ワタクシの名前、キートリー、と呼び捨てで呼んでみて欲しいんですの……」


 と、もじもじしながら言ってくる。


「えっ?」


 アタシはキートリー嬢の先ほどまでの態度との変わりように驚きの声を上げる。アタシの中のキートリー嬢のイメージは、ちょっぴり高圧的な武闘派お嬢様。だったのだが、今の彼女は年相応、いや、それ未満の年端もいかない少女のようにアタシの目には映っている。


(さっきまでの武闘派令嬢って感じが、どっか飛んでっちゃってる。どうしたんだろ?酔ってるのかな?あ、でもなんかちょっと前にボースにも似たような事を言われたような)


 と思いつつ、これから世話になる人の頼みである。それくらいは喜んで受けよう。アタシは軽く咳払いをした後、彼女の頼みに答える。


「いいですよ、えへんっ、キートリー」

「はいっ!お母さま!……あっ!?」


 ぱあっと子供の様な笑顔を見せたかと思ったら、直後、しまった!と言った顔をして口を押えるキートリー嬢。


「お母さま?」


(アタシの事をお母さまって?やっぱり酔ってる?)


「……これは、その、あの」


 顔を真っ赤にしてアタシから視線を外し、もごもごと口ごもる。先ほどまでの威厳はどこへやら。しばらくキートリー嬢は口ごもったままこっちを向かなかった。

 このまま沈黙が長く続くのも辛いので、いっそ彼女に聞いてみる。


「似たような事、さっきボースさんにも言われたんですけど、アタシの声、なんか変だったりしますか?」


 キートリー嬢は赤面したままの目線をゆっくりと上げ、上目遣いにアタシの目を見て話す。


「違いますの。千歳さんの声が……」

「アタシの声が?」


 彼女がまたアタシから目線を外し俯く。


「……亡くなられたお母さまと、とてもよく、似ていて」

「……え?」


 そう語る彼女は、何故かとても小さく見えた。そして彼女のこの言葉でアタシはボースのアタシへの態度にも合点がいった。


(ボースがやけにアタシに優しいのは、亡くなった自分の妻と声が似ているから?)

(そしてこの子の今の態度も、アタシの声から亡くなった母親の姿を重ね合わせて見ているから?今?いや、最初から?もしかして、テントから顔を出してアタシを睨んでいたあの時から?アタシにやたらに絡んできていたのも、単にアタシと話したい、声をもっと聞きたいから?)


 アタシは考えを巡らせる。そして答えは考えるより聞いた方が早そうなので、キートリーに直接聞いてみる。


「アタシの声、貴女のお母さんにそんなに似てる?キートリー」

「あっ!ああっ……」


(大当たりだ)


 アタシがキートリーと名前を呼ぶと、彼女が顔を上げて目を見開きながら強く反応する。


「うぅ、とても、とても似てますの……」


 アタシから目線を外し、俯きながらぼそぼそと小さな声でアタシの質問に答えるキートリー。そうして申し訳なさそうに言葉を続ける。


「ほ、本当は、こう言う事は、貴女は貴女ですのに、勝手にお母さまの姿を重ねて見るなんて、貴女に失礼ですのに……」


 確かに、アタシは彼女の母親ではないし、親子と言えるほどの年齢の差がある訳でもない。


「でも、とてもよく似ていて、ワタクシっ……」


 そう言ってキートリーは綺麗な緑色のロングヘアをふわりと揺らしながら、また顔を上げる。彼女の目は潤み、声は今にも泣きだしそうなほどに震えている。彼女は悲しいのだろうか?それとも恥ずかしい?それとも、嬉しいのだろうか。アタシにはわからなかった。だから、


「じゃあ、お話ししよっか、キートリー」


 そう言って彼女に語り掛けた。


「はっ!?ああっ……」


 キートリーはまた彼女の名前を呼ぶアタシの声に強く反応する。


「はい……ですの」


 彼女はそう返答し、赤面したまま俯き縮こまる。


(かわいい)


 思わず可愛いと思ってしまった。伯爵令嬢の意外な一面だ、そのギャップにときめいてしまう。

 アタシは彼女の言うお母様、キートリーの母親がどんな人か知らない。だから言葉を交わす。


「キートリーのお母さんって、どんな人だったの?」

「おかっ」


(またアタシの事お母さまって言いかけたな今)


 また名前で反応してしまうキートリー。一瞬顔を上げてまた俯く。


「お母さまは……お母さまは、とても優しくて、とても綺麗で、とても暖かい声をしている方でした……」


 そう言ってゆっくりと顔を上げるキートリー。今の彼女の目に、初めて会った時のような威圧感は全くない。とても弱弱しい、子供のような目をしていた。彼女は震える声でアタシを見ながら言葉を紡ぐ。


「魔術が使えないワタクシの事、いっぱい励ましてくださいました。だから、ワタクシは、いっぱい頑張りました。魔術学校の座学で一位になった時、お母さまは、そんなワタクシを、いっぱい褒めてくださいました」


(魔術が使えないのって、やっぱりコンプレックスだったんだ)


 彼女が特異体質で魔術が使えないというのは先ほど聞いている。魔術が使えないと言うのが、それがどれほど辛い事だったのか、それは今の彼女の様子から察しが付く。誰でも魔術が使える世界で、自分だけそれが出来ない、どんなに努力しても、それが実らない。彼女は伯爵令嬢と言う身分だ、魔術が使えない事、それが周りからどんな風に言われたか、思われたか。特に学校に通っていたとなれば、相手は同年代の子ども達、思ったことを素直に聞いてきたはずだ、なぜキートリーは魔術が使えないの?と。それは悔しかっただろう、それは辛かっただろう。


「お母さまは魔術が使えないワタクシに、武術を教えてくださいました。ボーフォートの武術大会で優勝した時も、お母さまはワタクシを、いっぱい、いっぱい褒めてくださいました。お母さまがマースを身ごもった時も、貴女はお姉さんになるのよと、一緒に喜んでくださいました」


 キートリーの言葉から、彼女のお母さんの人柄と、彼女のお母さんへの思いが伝わってくる。彼女は潤んだ瞳でアタシを見ながら言葉を続ける。


「ですが、10年前、お母さまは突然、逝ってしまわれました。治癒術士によると、不治の病だったと。遺体すら残りませんでした、そういう病だったと……」


 そう言って彼女は俯く。


(10年前なら、この子は10歳頃かな)


 彼女の言葉で、アタシも、昔母親が居なくなってしまった時の事を思い出す。


(お母さん、か。アタシのお母さんは、どうして出て行っちゃったんだろう)


 アタシが4歳の時に家を出て行った母。子どもの頃のアタシは、おばあちゃんに母がいつ帰ってくるのかを聞いては、泣き出し、よくおばあちゃんを困らせていたらしい。おばあちゃんはアタシが母の事を聞く度、辛そうな顔をしていた。ただ、おばあちゃんが母の事を悪く言うような事は、不思議と一度もなかった気がする。結局、母はおばあちゃんの葬儀にすら顔を出さず、連絡が取れないまま、アタシはこの世界に流された。

 別に今更母親に帰ってきてほしいとかは思っていないし、かといって憎んでいたりする訳でもない。ただ、どうしてアタシを置いていったのか、それだけは聞きたかった。


(それも今更か)


 ここでふと気付く。


(アタシは、彼女に過去の自分を重ね合わせて見ている?)


 出て行った自分の母の事、亡くなったキートリーの母親の事、共に母の居ない物同士としてアタシはこれにキートリーとの共通点を見いだし、彼女に共感しようとしている。同情なんて、彼女は喜ばないかもしれない。それでも、目の前で縮こまる彼女を放って置くことは出来なかった。


 アタシはキートリーの名前を呼びながら、震える彼女の手を握る。


「キートリー、あのね?私も小さい頃にお母さんが出て行っちゃって、それ以来会えていないんだ。おばあちゃんのお葬式の時にも、来てくれなかった。アタシは、もしかしたらお母さんはもう亡くなっているのかも、とか、思ってる」

「千歳さんも……?」


 ゆっくりと顔を上げ、アタシの目を見つめてくるキートリー。


「うん、でも、もしかしたら生きていて連絡してないだけかもしれないけど、アタシはこの世界に流されちゃったから、もう、どうせ、ね?はは……」


 アタシは苦笑する。


「……千歳さん、ごめんなさい、貴女は流着の民で、もう元の世界には戻れないと、本来なら、貴女の方が辛い立場ですのに」

「ううん、いいの。しょうがないよね、アタシだって、突然お母さんの声に似てる人が来たら、どうしたって思い出しちゃうよ」


 アタシはそう言ったが、正直自分が思い出す母親の声色はもう朧気で、顔も靄が掛かったかのようにぼんやりとしか思い出せない。母は写真が嫌いだったのか、自宅のアルバムを開いても母の写った写真は一つもなかった。


「だからね、アタシでよければ、いっぱいお話しするよ、キートリー」

「千歳さん……ありがとう、ございます……」


 目を滲ませアタシに礼を言ってくるキートリー。

 その後、彼女は一瞬、ハッと何かに気づいたような顔をし、アタシの目元にそっと触れる。


「キートリー?」

「瞳の色は違いますけれど、目も、とてもよく……」


 そう言ってアタシの目元を愛おしそうに優しく撫でる。


「アタシの目も?そんなにお母さんに似てる?」


 アタシはキートリーに目元を撫でられながら、彼女を見る。


「はい……とてもよく、似ていますの」


 キートリーは愛おしそうに、アタシの目元を撫で続ける。


「キートリーのお母さんの瞳の色って、どんな色だったの?」

「紫色の、吸い込まれるような瞳をしていました……とても、綺麗で……見つめられるだけで、とても心が躍ってしまって……」


 キートリーはアタシの目に、母親の目を重ね合わせ、昔を思い出しているのだろう。彼女のアタシの目元を撫でる手が、優しくて心地よい。

 アタシもキートリーの目を見つめる。瞳は小さいけれど、とても綺麗な目をしている。威圧感なんてない、とても優しい、少女の目だ。だからぽろっとこんなセリフが零れてしまう。


「キートリーの目も、とても綺麗だよ、アタシ、キートリーの目好き」

「えっ?あ、あ……」


 それを聞いたキートリーの、アタシの目元を撫でる手が止まる。


「キートリー?」

「あぁ、うぅっ、あああっ……」


 彼女は顔をくしゃくしゃにしてその綺麗な目から涙をボロボロと流しだした。


(な、泣いちゃった!え、どうしよ、どうしよう!)


「キートリー?大丈夫?大丈夫?もしかしてアタシ何か酷いこと言っちゃった?」


 突然泣きだした彼女を前に焦るアタシ。泣きながらアタシの言葉に違うと首を横に振るキートリー。


「おかっ、お母さま……お母さま……」


 目元をこすりながらキートリーはすすり泣く。その姿はまるで母親とはぐれて迷子になってしまった子供のよう。


(そう言えば、アタシも昔、お母さんが居なくなったって、こんな風に泣いてたな。あの時、おばあちゃんがアタシにしてくれたこと、あれは、そう)


 子どもの頃、泣き止まないアタシにおばあちゃんがしてくれたこと、それを思い出し、アタシはキートリーを優しく抱きしめる。


「いっぱい泣いていいよ、キートリー」

「お母さま……お母さまっ……お母さまっ……うぅぅっ……あぁぁぁっ……」


(そうだ、こうやっていっぱい、泣かせて貰ったんだっけ)


「よしよし」


(アタシはキートリーのお母さんじゃないけど、今だけ、今だけは、好きなようにさせてあげよう)


 アタシはアタシの胸で泣き崩れるキートリーの背中を優しく撫でながら、彼女の涙が枯れるまで、好きなだけ泣かせることにした。


「うっ……うぅぅ……」


 暫く経った後、彼女は満足したのか、自分の目元を拭いて、抱きしめるアタシの手から離れる。

 そしてイスから立ち上がり、こちらから少し離れた彼女は、スカートの裾を広げてアタシに向かってお辞儀をする。


「千歳様、突然のご無礼、お詫びいたしますわ」


 そう言って再び目を開けた彼女の表情は、もう元の凛々しい彼女の表情へ戻っていた。


 -ザッザッザッ-


 彼女が立ち上がったその後、テントの外に、小走りに走る人の足音が聞こえた。


 -バサッ-


 やがてテントのカーテンを開ける音と共に、テント内にサティさんが戻ってきた。


「サティ、首尾は?」


 テントに入ってきたサティさんに向き直り、報告を聞き出すキートリー。


「はっ、はっ、はーっ……」


 サティさんが少し息を整えながら報告をする。


「はい、旦那様はおおよそお嬢様の作戦で実行されることに同意されました。マース様とグレッグ様も異論はありませんとのこと。ただボース様は少し作戦を詰めたいとのことで、あちらの兵達への連絡を終えたましたらこちらへ一度向かうとの事です」

「あら、また来るんですの?お父様もお忙しいこと」


 そうサティさんに答えるキートリーの姿には、先ほどまでアタシの胸で泣いていた少女の姿はかけらもない。


「ん?サティ、おおよそ、とはなんですの?」

「はい、早馬でボーフォートのヤン様の騎士団と、国王陛下の国王直轄軍に援軍を頼むとのことです」

「あらまあ、援軍が来る前に終わってしまいますわよ?それに、お兄様は兎も角、陛下がワタクシ達に手を貸すとは思えないですけれど」


 また知らない人の名前が出てきたが、今は黙って二人をみていることにする。


「まあ、いいですの、魔術師の方はどうですの?」

「はい、水の魔術師としてジェームズ、風の魔術士はエメリーとパヤージュが同行します」

「え、パヤージュを!?」


(あの子は、あの村で受けた傷でまだ歩けないはず。そんなあの子を連れて行くの?)


 パヤージュはアタシがゴブリンの村で助けたチョコエルフだが、あの時の傷が酷く歩けないハズだった。いくらなんでも無理が過ぎる、そう思っていると、


「パヤージュの治療にはマース様が直接あたっています。明日の朝には問題なく動けるようになるとのことです」


 サティさんがアタシに向けてにマースが治療を行っている旨を告げてくる。


「千歳様、マースの治療術は完璧ですわよ、パヤージュの事なら心配いりませんわ」

「マースが?そう、マースなら、うん」


 アタシはキートリーの言うマースの治療術を見ていないからわからないが、なんとなく、マースなら安心出来そうな気がして、異論を挟むのをやめた。


(本当はジェームズとかグレッグみたいなアタシの媚香でおかしくなった人たちのことも聞きたいけど、サティさんの様子だとまあ普通に起きてるみたいだからいっか)

(あの二人の事、まだちょっと怖いけど、寝て起きたらきっと、忘れてる忘れてる)


 ボースの話だと明日にはアタシの媚香は消えるらしいので、今日あったことは悪い夢だとでも思って忘れる事にする。


「さて、そう言えば元々は千歳様はお休みになるためにワタクシのテントへ参ったのでしたわね」

「え?ああ、そう言えばそうだったね」


 そう言えばそんな話でこのテントに来たのだった。いろいろあってアタシはすっぱり忘れている。


「ワタクシはこれからお父様と明日の作戦の詰め作業を行うため、一旦このテントを出ますの。千歳様は先にお休みになって?仕切りの向こうにワタクシのベッドがありますの、それをお使いになってくださいな」


 キートリーはそう言って自分のベッドを使えと進めてくる。


「えっ、待って、じゃあキートリーはどこで寝るの?」

「ワタクシは今日はこちらの簡易ベッドを使いますのよ」


 そう言って彼女は足元の小さなベッドを指差す。


「ええっ?そんな悪いよぉ、アタシがそっちのベッドで寝るから……」


 伯爵令嬢であるキートリーを押しのけて流れ者のアタシが彼女のベッドで寝ると言うのは気が引ける。

 しかし、キートリーが傍に寄ってきてアタシの手を握り、微笑みながらそっと耳元で囁く。


「お気になさらず、これはワタクシの我儘ですの、どうかあちらで、御就寝くださいな」

「ほわっ?」


 フワリと風で靡く緑色の髪、間近で見る朱色の瞳、ほんのり艶気を含んだ優しい彼女の声は、アタシの心をギュッと掴んでいく。アタシの顔はまた赤くなっている事だろう。だがアタシも負けじとキートリーに微笑み返して言う。


「うん、キートリーも、無理しないで、休んでね?」

「……はい、約束いたしますわ」


 そう言って彼女はアタシからトトンッとリズム良く離れ、少し大げさにクルリと回ってサティさんへ向き直る。離れて行く寸前の彼女の顔は少し赤みを帯びていた。


「サティ、千歳様をお連れして。服はどれでも好きなものを着せてさしあげて」

「はい、お嬢様」

「それでは千歳様、お休みなさいませ」


 -バサッ-


 そう言ってキートリーはカーテンを開けてテントを出て行った。


(凄いドキドキした。女の子なのになんであんなにカッコイイんだろ。マースといいキートリーといい、この姉弟はカッコイイやらカワイイやら、何なのホント)


 アタシはそんなことを思いながら、笑顔を隠せないのだった。

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