第50話 ヤクの売人

 控室から会場に向かう途中で作戦会議が始まった。

 まずはこれまでにあったことを整理する。これまでのところ、会場の来賓客で夫人に恨みを持っていそうな人はいなかった。だが、夫人の子供たちである三人は、各々夫人に恨みを持っているようであった。

 最も、夫人は腕に自信のあるボディガードを帯同していた。あの状態で物理的に夫人に近づくのは難しい。隙を突いて攻撃しようにも、ボディガードに防がれてしまうだろう。


「犯人は誕生会で夫人の命を奪うって言ってたけど、人が多い中さらにボディガードに守られてちゃ、行動に移すのは難しいよね」


 椿は歩いていた足を止めた。交通の邪魔にならぬよう、俺たちは廊下の壁際を歩いていた。


「何か食べ物に毒でも盛ったりするのかしら」

「確かにそれなら攻撃する必要がないから、ボディガードに妨害されることはないだろうけど……不特定多数の人がいる中で毒を仕込むのって相当なリスクがありそう」

「うーん。言われてみればそうよねえ」


 事件が起きるよりも先に犯人を告発しないといけない。だが、何も証拠がない状態でどうやって犯人を見つけるのか……。

 そして梔子夫人自身が何を考えているかもわからない。時折、「またやり直したい」とか、「こんなんじゃなかった」というようなことを口にしていた。

 そういえば会場に来るときに、タクシーの運転手からある話を聞いていた。


――梔子家のご夫人は“ヤクの売人”と夜に取引をしている


 巷ではそんなことが噂になっているらしい。

 事件に関係あるのかどうかはわからないが、まさか“ヤク”というのは……。

 さっき祝賀会の時に見かけた二人組――俺が東京を出るときに遭遇した白装束をまとった奴らだ。そいつらがこの会場にいた。

 まさか、夫人は薬を使って何かしようと考えてるのか?


 ふと脈絡もなく、俺の口から気になることが漏れた。


「なあ椿、萌さんは子供たちをどう思ってるんだろうな」

「いきなり何の話よ」

「いや、子供たちを間違って育てたように後悔してたからさ。また子育てをやり直したいのかな」

「……やり直したい?」


 椿は何かを思い出すように顎に手を当てた。


「そうだ……確かに、こんなはずじゃなかったとか言ってたわね。でも、子供を自分の思い通りに育てようとする気満々じゃない」

「ああ」


 俺の中にはある仮説があった。梔子夫人の目的は子供たちをどうするかにある。さっきの祝賀会で目撃した二人、今朝方聞いた噂……。

 俺は、今朝ここに来た時にタクシーの運転手とした話を椿と紅葉ちゃんに話した。


「“ヤクの売人”?」

「実は可能性がありそうじゃね?」


 俺は祝賀会の席でその二人を見ている。


「さっきの祝賀会で、東京で俺に薬を売りつけてきた奴らがいた」

「ほんと⁉︎」


 思わず声を上げる椿。


「ああ。白い服は着ていなかったが、風貌からしてあの白装束の連中だった」

「まさか、あなたは萌さんが“人生をやり直せる薬”を使って子供さんたちをどうにかすると考えてるの?」


 俺は首を縦に振った。しかし、まだ考えが確信に変わったわけじゃない。


「まだ仮説にすぎないけどな。状況証拠と噂しかないし」


 ところが、椿は俺の仮説に興味を示しているようで、何かを思い出すかのように話を始めた。


「でも、私も気になることがあるの」

「何かあったのか?」


 椿は携帯しているメモ帳を取り出した。


「実はね、会場に来た時に、駐車場で勧誘を受けたって人がいてね」

「勧誘? 宗教とか?」

「いや……その時は父さんと一緒だから詳しくは聞けなかったけど、健康食品の売り込みを受けたって……。白い服を着て、フードを被った人だったって」

「それって、まさか……」


 一瞬の俺にあいつらの顔が浮かんだ。

「健康食品の売り込み」はあくまで建前だろう。本当は薬の購入の勧誘。

 俺のまさかと思った表情を確認したのか、椿も何か確信めいた顔になる。


「あなたや、紅葉が見たって人かも。そして、“ヤクの売人”も白装束の奴らだと思う」


 かなりの確率で、あいつらはここにいる。

 俺は祝賀会の時に見たあの二人の男女を思い出した。


「……ひょっとしたら、こいつら今のこの会場にいるかもしれねえ」


 しかし、椿以上に驚いていたのは姉の隣で手をつないで歩いていた妹の紅葉ちゃんであった。紅葉ちゃんの足が止まる。


「うそ……じゃあ、ほんとに来てたんだ……。わたし、白い人たち見ちゃった……」

「紅葉、ほんとに見たの?」


 紅葉ちゃんはこくりと頷いた。


「控室でスマホを見てた時……ちょうど、お姉ちゃんたちが梔子さんの誕生パーティに出てた時だったわ」


 ふと窓越しに声が聞こえてきたという。しかもその声はつい最近聞いた声。

 控室は襖で仕切られており、外部がどうなっているかは音でしか判断できない。紅葉ちゃんは音がしなくなったのを確認すると、そっと襖を開けた。

 紅葉ちゃんは見てしまった……白い装束を身にまとった、若い男女二人の後ろ姿を。

 彼らはそのまま歩いて行き、姿を消したという。


「間違いなく、薬をくれた人だった……」


 その話を聞いて、俺の疑いは確信に変わった。

 間違いなく、奴らはこの会場にいる。

 だが、まだ夫人と白装束の奴らとの関係は推測の域を出ない。


「一度、夫人に事情を聞いたほうがいいかもしれないな」

「萌さん、嫌がるだろうけど易々と聞けるものなの?」


 椿の言うことも一理ある。だが、事件と関わっている可能性がある以上、調べないわけにはいかない。

 いずれにせよ、夫人と早く合流し、事情を聞いたほうがいいだろう。犯人を突き止めなければ。

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