わたしはわたしとさいかいした

 感情が⅓になった。

 強気な私は「なにいってんのよ!」と反発して、弱気な私は「そんなこといわないで……」と泣きそうになって、


(そういわれると思った)


 ヘンに納得している自分もいる。

 みじかい時間で美玖みくの頭はフル回転していた。

 強気でも弱気でもない、すべてがわかっているような自分がいるのは、


(私が永次あいつだったからだ)


 だから、なにを思っているのか、彼がどう考えてそんな結論にいたったのかが、おぼろげながらつかめた。


「美玖? きこえてるか?」

「うん、きこえてるよ」


 三分割された中で、もっとも精神的に大人な彼女が応答する。

 残りの三分の二を、ぎゅーっと押さえつけて。

 自分の部屋のカーペットの上で、美玖は正座していた。

 じゃ、そういうことだからな、とスマホの向こうの声が遠ざかる。

 さすがに、引きとめずにはいられなかった。


「まって!」

「あ?」

「まって……」


 じゃりっ、と靴が地面をふむ音がした。

 おそらく永次は、私がいるほうへ、このマンションのほうに体を向けた――そんな気がする。


「なんだったんだろうな?」

「えっ」

「ほら、おれとおまえの体が入れかわったことだよ。フシギだったなー」


 世良せらは上を見上げた。

 その視線のずっと先には、たしかに美玖がいた。


「でも、ま、わるくなかったぜ」

「そうだね……それは、私も……」

「もう時間がねぇ。切るぞ」

「永次! だめ! もういいよ。ケンカなんか――――」


 つぎの一言は、美玖には意外だった。

 自分の知らない一面をみた、という思い。



「たのむ」



 世良も美玖もスマホをぎゅっとにぎりしめる。


「やらせてくれ。おれのために。不良を……卒業するために」

「卒業って……」

「なあ美玖」

「うん?」

「おまえが好きだ」


 胸が高鳴った。ぴん、と何か見えないものがつながってくれた。そのおかげで、やっと自覚できた。彼への想いを。


「わ、私も」返事しようとするその声は、もしかしたら出ていなかったかもしれない。「永次のことが」

「元気でやってくれ」


 スマホの画面を押す、太い親指。手の甲には切り傷があって、かたまった血ですこし汚れている。

 月明りで画面に映る自分の顔。

 はっ、と世良は自嘲したように口元だけで笑った。

 おかしくて仕方がない。


(不良のおれが、しかもアレのたない男が、女に告白か)


 世良は背後をふりかえった。

 そこには、橋の下のアーチがある。

 夕暮れどきには、告白の名所になるところだ。

 ここで想いをげて結ばれたカップルは、永遠に幸せになれるという。

 世良はそんなことなど知らない。かりに知っていても、彼は「くだらねぇ」と一笑いっしょうしただろう。


(さて、いくか)


 そばの階段をあがって、橋の上にでる。

 暗がりでよく見えないが、川の対岸の〈あそこ〉には、


(おーおー、掃いて捨てるほどいやがるぜ)


 不気味にうごめく黒い影、多数。

 近づくと、その影は真っ二つに割れ、その中心に――



「世良め」



 集団のリーダーの倉敷くらしきが立っていた。

 橋桁はしげたの照明が、金髪の彼を斜め上から照らしている。


「かっこいいじゃねぇか~~~、てめえが死ぬのがわかってる場所に、ひとつであらわれるなんてな~~。主役にふさわしい登場してくれるじゃねぇの~?」

「前置きはいい」世良は制服の上着を脱ぎ捨てた。「こい」

「……」倉敷の右目がひきつるように細まる。

「どうした? そんだけの手勢てぜいがいて、づいてやがんのか! 倉敷ぃっ!!!」


 周囲が、ざわついた。

 この不良少年の集まりである〈リンクズ〉では、しんのリーダーの正体を知る者はごく少数である。

 そのため、世良の怒号をきいて、「倉敷?」「あの残念アフロか?」「まじか?」とわずかに混乱が生じている。


 当然、このチャンスを世良がのがすはずもない。


 ひとまず倉敷は無視でいく。

 おどりこむように自分を囲む人山ひとやまに入って、一撃離脱。

 それを数回くり返しただけで、この場にいる戦力の⅓はやっつけた。


「あーあーもういい。さがってろカスどもが」


 言われたとおり、外野が数メートル後退する。


「おれの名前がバレた以上、〈リンクズ〉は今日でやめなきゃな……。金も女も不自由しない、いい居場所だったんだけどよぉ」

「倉敷。おまえ、将来なにをやって食っていくんだ?」


 はぁん?? とおどけるような表情で手を耳のうしろにもっていって、世良をバカにする。

 いっぽう、世良の顔つきは真剣そのものだ。


「なんだそりゃ? こんなタイミングで進路相談だと? ははっ!」

「おれは獣医になりたい。それがおれの夢なんだ」

「へー。ガラじゃあねぇな」

「一生、チンピラみたいなことすんのか?」

「きくなよ……。おれみたいなモンはなぁ、どうせヤクザか反社はんしゃ――――だぜっ!!!!」


 びゅおん、と空気を裂くハイキック。


(な―――――っ!!??)


 おどろいた。

 クリーンヒットまちがいなしの、

 横っ面につま先をめりこませる強烈なキックだというのに、ひるみもせず、


(うそだろ)


 すずしい顔で立っている。

 たちつづけている。


 ここから先はスローモーション。


 じろり、とキックのほうへ目だけを流す世良。

 無意識に防御のためにあげた左手を、おもむろにパーにして広げる。

 その手のひらに、吸い寄せられるように倉敷のくつの先がすすんでゆき、

 瞬間、

 ぐるん、と手が巻くようにうごいて、がっちりと彼の足首をキャッチ。

 ぎろり、とまた目が流れる。

 みているのは正面、好きな女を危険な目にあわせた張本人の顔面。

 力任せに足首がひっぱられる。

 たまらず倉敷は体勢をくずす。

 世良の顔の横に、ビキビキに血管をたてた右こぶしがスーッとあがる。

 ただ、そのこぶしほどには、表情に怒りはなく、

 それどころか相手をあわれんでいるようにみえたのは、はたして錯覚だったのだろうか。


 ここから先の記憶はない。


 目が覚めたら朝になっていて、倉敷は彼の仲間もろとも、たくさんの警察官に完全に包囲されていた。

 以降、〈リンクズ〉というチームはきれいに消えてなくなる。

 すなわち、新名美玖を狙う不逞ふていやからは、どこにもいなくなったのだ。



「おっはよ、みくぴ!」

「おはよう、モカ」



 ふたたび日常にもどった美玖。

 世良のおかげで男にラチされたというわるい噂がたつこともなく、


「お、おはよう……美玖。今日も、かわいいな」


 イケメンの幼なじみにも好意を寄せられて、学校生活はこれまでにないほど充実してきた。

 でも何かが足りない。


(はやく元気になってよ)


 足りないのは、かつて自分と体を交換した、たった一人の存在だ。


 世良永次。


 彼はあの日、自力で家まで帰ったが、そこでスイッチが切れたように気を失ってしまった。

 そのまま病院にはこばれ、入院である。

 原因は〈疲労〉。


(あいつ、甘いものって好きだったっけ?)


 と、見舞いにもっていく品物を考えるも、美玖は肝心の入院先を知らない。

 どうしても教えてもらえなかった。

 直接家に行って世良の姉や妹にきいても、申し訳なさそうに「口止めされてるから」と首をふるので、あきらめるしかなかった。 


 そのうち、一か月がたった。


 美玖がロミオを演じた文化祭も終わり――かなりの好評――季節は冬になろうとしている。

 まだ世良は学校にこない。きくところでは、すでに退院はしているらしいのに。


(やっと出たよ…………あれ?)


 ある日、かけた電話に出たのは、まったくの別人だった。一応確認してみたが、世良の家族でもなんでもない赤の他人である。

 この一件で、美玖は大きく肩を落とす。

 まさかスマホの解約までするなんて……と、いまの状況が信じられない。


 とうとう、吐く息が白くなってしまった。

 12月。二学期の終業式の数日前。


「あ、あのっ!!」

「え?」


 ひかえめな色のシュシュで髪をまとめた、上級生がふりかえる。

 校門の前で自分を呼びとめた相手を確認した彼女は、そっとメガネのフレームに片手をあてた。


「あなたは……永次くんと仲良くしてた子ね?」

「はい」

「そう」


 いきなり声のトーンが落ちた。

 がっかり、とか、残念、を思わせるような暗いくちぶりの宮入みやいり雛子ひなこ


「彼は元気でやってる?」

「…………え?」

「あなただったら連絡を――」はっ、と口元を手でかくす。「まさか、そこまで徹底してたなんて」

「あの……なんの話でしょうか」

「行方不明なのよ、彼」


 そこで美玖は、宮入から〈世良永次〉にかんする説明を受けた。

 ずいぶん前に退学したこと、家を出て一人暮らしをはじめたこと、両親以外には行き先を伝えていないこと、などを。


「どうして……」

「あなたなら、わからない?」


 おーい、と遠くから宮入が呼ばれる。

 美玖もそっちをみると、小柄でメガネをかけた、生徒会長が片手をふっていた。もう片方の手は、自転車のハンドルをにぎっている。

 じゃあね、と去っていく宮入。

 生徒会長に駆け寄ると、彼らはまるで恋人のように身を寄せ合った。


(わからないよ)


 すでに私は誰かに狙われる危険はなく、外出時はいつも注意するように心がけているが、危ない気配すらない。

 警察につかまった彼らも、たたけばホコリがでる身の上なのか、仲間同士でふざけあっただけだと言い張って〈世良永次〉の名前は口にしていないという。そんな話を、マキさんから聞いた。そういえば……いつのまにかあの人ってふつうに会話するようになってて、ときどき私に笑顔さえ見せてくれる。


(突然いなくなるとか)


 毎朝、マンションの前や学校の近くで、いったん止まってあたりをさがすクセがついてしまった。

「おう」と片手をあげる、あの姿がみつかるのを期待して。

 でも……。 

 今までどおりの生活をつづけていたって、なんの問題もないように美玖には思えるのに。


(退学までする? スマホも……)


 学校から帰って夕食までの時間、美玖はベッドに横になって目をつむった。


(……)


 部屋の外から、母親の呼ぶ声。

 寝乱れた髪の毛を直しながら起き上がって時計をみると、二時間もたっていた。

 ぼんやりした頭で部屋を見わたすと、ふと違和感が。


(…………なにこれ?)


 テーブルの上に、なにか書かれたメモが一枚。

 帰宅したとき、こんなものはなかった。


(うそ。これ……あいつの字だ!)


 キャラに似合わず、ていねいな筆跡。まちがいない。

 そこにはこう書かれていた。「動画をみろ」。メモのすぐ近くにはスマホ。

 美玖は急いで、そのファイルをさがして再生する。



「おう。美玖」



 小さな画面の中に、あぐらをかいて自撮りしている美玖じぶんがいて、挨拶のようにかるく片手をあげた。

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