買ったケンカに売られたケンカ

 だんじて私は百合ゆりではない。

 なのに、なぜコソコソと自分の部屋に逃げなければならないのか――と、新名あらな美玖みく困惑こんわくするばかりだ。

 広いリビングでくつろいでいた、


・女子大生らしきお姉さん

・中学生らしきショートカットの妹

・あきらかに小学生のあどけない女の子


 この三姉妹が、下着じゃんそれ、という格好でリラックスする光景に美玖の下半身は反応してしまった。

 って、ソファから立てなくなるという始末。

 すー、はー、と息をととのえていたところに「にゃおん!」と、ショトカの妹が強引にひざまくらしてきた。ひざごしに感じる体温とシャンプーのにおい。首元がざっくりひらいたスポーティーなランニングシャツと、そこからみえみえのスポーツブラ。

 限界である。

 ここにはいられない! と美玖は先刻、うのていで自室に逃げこんだのだ。


「おーい、兄キー」


 どんどん、と乱暴なノック。


「……ん? うそだろ。あの兄キが部屋にカギをかけてる…………」


 数秒の静寂。

 イヤな予感がして、美玖はドアのそばまでいって待ちかまえた。


「ママ―! 兄キがカギを――」

「まって!」


 ドアをあけ、彼女の手首をつかんで引っぱり、とりあえず中にれこんだ。

 美玖はおどろいた。

 妹が、体重を感じないほど軽かったことに。

 あ、そっか。

 こんなにたくましい体だったら、それぐらいの腕力があって当然だ。


「どれどれ」


 妹は、エンリョもなく部屋を見わたしている。


「ひとりエッチの可能性はないし――なんだろな……」小ぶりな胸を上にのせるように腕を組む。「あ! わかったぞ!」

「なにがですか……じゃなくて、な、なにがだよ」

「ク・ス・リ。そうなんでしょ?」

「え?」

「あやしいクスリ買ってきて、ムリクリたせようってんじゃないのかー?」


 なんと、アケスケな物言いなの。

 下ネタも恥ずかしくない関係性なのね。

 まー……きょうだいの仲がわるいよりかはずっといいか。ウチの弟にくらべたらね……あーあ、私もこういう妹ちゃんが欲しかったなぁ、と思った美玖である。


「ちがうよ。さ、出てってくれ。今から勉強するんだから」

「勉強ねぇ……」

「なんだよその顔。まじだって。ほらほら」


 妹の背中を押して、部屋から出した。また騒がれたらこまるので、とりあえずカギはかけないでおく。


 やっと一人になれた。


 さあ、やるべきことはたくさんある。

 まずはコミュニケーション。体が入れかわった世良あのひとと、もっと情報交換しなくては。

 今後のために。このなぞの現象の解明のために。

 イスにすわって、スマホをながめる。


(うーん、せめてラインの交換ぐらいはしとくべきだったなー。でもあのときはバタバタしてたし、モカが近づいてきてたし……)


 モカ。美玖の親友の女の子。

 のどから手がでるほど彼女に連絡したかったが、それはできない。したって、ストーカーあつかいされるのがオチだろう。ああ。あの「みくぴ!」と呼ぶ声がなつかしい。 

 せめて非通知設定で電話だけでも……ダメか。こんなドスのきいた低い声では。

 電話。


(そうだ。自分のスマホの番号はおぼえてるから、あの人にかければ……)


 と、何度かトライしてみたが、いっこうに出ない。

 時計の針は、午後九時をさしている。

 タワマンに帰宅して、名字が〈世良せら〉の家をさがしてドアをあけてもらって、食事して、ゆっくりお風呂にはいって、ちょっとだけリビングで家族を観察して――とやっていたら、こんな時間になってしまった。

 そう、美玖はとっくに入浴ずみである。トイレにもいった。

 なるべくアレをみないようにして。

 アレをみることに、罪悪感があるのだ。

 それにしても……ずいぶん弟とカタチがちがうものだ。弟のは親指みたいで可愛らしかったのに。


(一応、念入りに洗っておいたけど)


 机の前のイスにすわったまま、美玖は、ジャージとトランクスを持ち上げて中をたしかめた。


(えっ)


 なんか、ぬれてない?

 やだ。ちょっとティッシュで……ふかないと。


(オシッコもらしたとかじゃないよね?)


 美玖がティッシュでふいているうちに、それが刺激になった。

 ムクムクと大きくなってゆく。

 やばすぎ。

 男の子ってこんなスピードで変化するの?

 美玖はアセった。

 アセって、イスから立ち上がる。


「おーい、兄キー、ジェンガしよーぜー」


 ノックもなく入ってくるショートの妹。


「あっ」

「兄……キ……?」


 妹の目には、部屋の真ん中で仁王立ちする兄の姿。

 下げられたパンツと、雄々おおしく天をつく、世良(中身は美玖)のシンボル。

 右手にはティッシュ。左手にはティッシュの箱。


「たった」ふるいアニメの、有名なあのセリフのように妹は放心状態で言った。「兄キがたった」 


 翌日。

 頭上には、さわやかな秋の青空が広がっている。

 通学のバスを待つ間、世良はスマホをチェックした。


(うおっ! すげー着信履歴……この時間は、もうおれが爆睡してた時間だな)


 昨日の夜の世良の行動はこうだ。

 午後七時半ごろ帰宅。メシはいいからとフロに直行。そのあと歯磨きとトイレにいき、ベッドにダイブ。以上である。

 かるく母親と口をきいただけで、勤務先から帰っていなかった父親と、美玖の弟とは顔を合わせていない。


(電話するか? いや、同じ学校なんだから、ツラ合わせて話しゃいいだろ) 


 ちなみに美玖とは逆に、世良は入浴時、自分の体をしっかり見た。

 見たが、なんとも思わない。

 だいたい女の体がどういうものかは知っていたし、いまさら女の体には興奮しない。

 マネキンを洗うように自分の体を洗っただけだった。


(さて、おれはおれの、やるべきことをするか)


 放課後。

 ちがうクラスの男子を呼び出した。手紙や人伝ひとづてではなく、面と向かってストレートに約束をとりつけた。

 呼び出したのは、古畑ふるはた悠馬ゆうま

 美玖の幼なじみである。


「二日連続かよ……っていうか美玖、昨日はどうしたんだ? おまえ、ハートマークんとこに来てなかったじゃないか」

「わりぃわりぃ」ぼりぼりと頭をかく。その髪は当然、なんのセットもされていない洗いざらしだ。ちょっと寝癖もついている。「でさ、ものは相談なんだが」


 校舎の中庭。

 面積が広く、テニスコート三面はとれる。

 芝生がしかれていて、中央には噴水があった。

 その噴水の前に、二人はいる。


「つきあってくれ。なっ?」

「おい。ずいぶんサラっと言ったけど……それ告白だろ?」

「イヤか? そんなわけねーよな。こーーーんなにカワイイんだから」と、世良は自分のほっぺに両手をあてる。

「ははっ」みじかく笑って、悠馬は前髪をかきあげた。「ヘンなヤツ。自分でカワイイとかいうなよ」


 夕陽が顔の横半分にあたり、陰影がきわだつ悠馬の表情。

 二重で目尻のするどい目元と、スッととおった鼻筋、ひきしまった口元、シャープなあごのライン。

 世良はドキッとした。

 ドキッとしたことに、ドキッとしたのだ。


(たしかにこいつはイケメンだが……なんでドキドキしてるんだ?)


 だんじておれは〈そっち〉じゃない。

 パン! と気合をいれるようにほっぺをたたいた。

 すると、


「バカ。おまえ女だろ。なにやってんだよ。そんなに」すっ、と手首をとられた。「たたくヤツがあるか」

「お、おう……?」

「美玖。いま聞いたことは忘れる。おまえ、ちょっと疲れてるんだよ」


 頭をなでられる世良。

 その瞬間、心にポッと明かりがともったような感覚があった。

 心と連動するように、美玖の顔がピンクに染まった。


「じゃなくて!」世良は頭をなでる手を、ふりはらった。「つきあってくれっ! この想いは…………マジだっ‼」

「美玖」


 ゆっくりした動きで、悠馬の目がとじられた。

 世良はもう、彼の一挙一動にクギヅケだった。

 そして悠馬は、つらそうな顔つきで横に首をふる。


「ごめん」

「え」

「おれは、おまえをそういう目でみれない。ずっと幼なじみだったせいで、美玖のことはきょうだいみたいにしか思えないんだ」

「……そんな」

「な? わかってくれ。な?」


 また、頭をさわった。

 なぐさめるように。

 同じ男同士で、通じるものがある。

 悠馬はウソはいっていない。これは、まぎれもなく本心だ。

 つまり、新名美玖は、彼にカンペキにふられてしまったのだ。


「じゃあな」

「……」


 おう、とも、ああ、とも世良は返事ができなかった。

 背後で、噴水がいきおいよく空中にき上がった。

 すこし風で流れて、世良の体にかかる。


(あらら。美玖ちゃん、ふられてやんの。はは……)


 その水とはべつに、世良の顔がれていた。


(ちっ! なんでおれが……)


 涙がこぼれていた。

 とめられない。せきを切ったように流れている。

 チャイムが鳴った。

 噴水の近くの物陰ものかげから、ゴソゴソと誰かが出てきた。


「どうして――」


 あらわれたのは、世良の体に入った美玖だ。

 すでに号泣している。


「どうして泣いてるのよっ! あなたには関係ないでしょっ!」

「美玖」

「あなたにはっ! 関係が…………」

 

 美玖のブレザーにしがみつく美玖。

 泣いた世良を下から見上げる世良。


「ばかやろう」

「えっ」

「美玖。おれは生まれてこのかた、ケンカで負けたことがねぇ。この告白は、おれが買ったケンカだ。みてな……絶対に」


 胸に誓うように、彼は美玖の細い手で力強くにぎりこぶしをつくった。

 そこで、美玖のスマホがバイブした。

 世良は美玖の声で電話に出た。


「はいよ」


 スピーカーから、落ちつきを失った美玖の母親の声がする。

 世良は、彼女がいったことを確認するようにくり返した。


「弟がケンカで病院おくりだと――?」

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