わたしはよけいなことを言った

 美玖みくには悩みがあった。

 それは幼なじみがプレイボーイすぎるということだ。女の子とつきあっては別れてをくり返して、17才にして、その回数をカウントするのに両手の指では足りなくなりつつある。

 こっちは、男子と一度もつきあわずに、ずっと待ちつづけてるのに。

 そう。

 新名あらな美玖みくの恋愛は、悲しいほど〈待ち〉の姿勢だった。

 自分にふり向いてくれるのを信じて、積極的なアクションは起こさなかったのだ。今日の今日までは。

 話は変わるが、今、彼女の下半身はギンギンにっている。


「ちょっと! これ、どうしたらいいのっ!」

「知らねーよ!」

「知らねーよじゃなくてっ! あなたの体でしょ⁉」

「あー……なんというか、その、だな……そうなったことが……」


 ごにょごにょ、と声がフェードアウトする。


「えっ? 何? きこえない、はっきり言って!」 

「…………ったことないんだよ」

「えっ?」

「えーい、おれは生まれてこのかた勃起ぼっきしたことがないんだっつーのっっっ‼」


 ぴきーん、と美玖の体はうすい氷でこおりつく。

 だが次の瞬間、そのみえない氷をバリバリと割ってなんとか正気にもどった。


「と、とにかく。どーしたらいいのよ、これっ!」

「知らねーよ。勃起したことないって言ってるだろ」

「あーもう! ボッキボッキって! 人にきかれたら恥ずかしいでしょ!」

「おまえも言ってるじゃん……」


 とりあえず、土手にあがる階段に二人でならんで腰をおろす。

 そのうち、心拍数も血流もふつうにもどって、下半身のものはしかるべきサイズにもどってくれた。

 だが、


(自分の足なのに、ヘンな気分)


 すらっと伸びる生足と、ときおり夕凪ゆうなぎでめくれるスカートが視界の横に入るとドキドキする。

 美玖はなるべくそっちを見ないようにした。

 そこで、おーい、と声がかかった。

 女子の声。

 美玖は聞き覚えがあったが、美玖の体の中の世良には聞き覚えはない。

 そのはずだが、彼女の〈脳みそ〉にたまたまアクセスできたのか、


「おまえの友だちか?」


 と世良は直感でわかった。

 やばすぎ、と美玖は低い声でつぶやく。

 まず美玖(体は世良)が立ち、追いかけるように世良(体は美玖)が立ち上がった。


「かくれて!」

「なんでだよ。友だちだろ?」

「不良のあなたといっしょにいたら、モカに誤解されちゃうじゃない!」

「へー、『モカ』ね。そう呼んどきゃいいんだな」

「え?」

「まーまかせろや。うまくやっといてやるから」


 女子が背伸びして、10センチ以上も背が高い男子の頭をポンポンとやる。


「こうなった以上、戦いは長期戦だ。連絡はケータイでとれるから、地道にやっていこうぜ」

「ケータイって……」美玖はブレザーのポケットをあさった。「あ、スマホあった」

「おれのもおまえのも指紋であくタイプだ。使うのに問題はねーだろ?」

「うん……って、なによこの待ち受け。あなたロリコン? どうみてもこの子、小学生でしょ」


 妹だよ、と言った世良の顔がどこか切なくて、美玖は何も言えなくなった。

 その顔には家族を想うやさしさと、しばらく家族に会えなくなる寂しさがあった。


「あのモカって子に聞けば、すくなくともおれは帰宅できる」

「え? じゃ私は?」


 ぱたぱたと土手の向こうから駆けてくる美玖の友だち。ツインテールの髪がゆれている。

 時間がない。世良の住所を伝えている時間が。

 そう思っていたところに――


 ぶぉぉぉん


 とバイクのエンジンをふかす音。

 世良はそっちを見る。川の向こう岸の河川敷。


(ちっ。決闘に助太刀はいらねーって言っただろ……あんなトコにいやがったのかよ)


「おい」

「えっ」

「あれ。あそこにバイクみえんだろ? バイクにまたがってるヤツ、おれのツレだから」

「バイクバイク……」はっ、と美玖が息をのむ。「あの赤い髪の人? やばすぎ。遠目でもめっちゃコワそーなんだけど」

「いいヤツだ。すくなくとも女に悪さはしない」

「どうすればいいの?」

「家までケツに乗っけてくれや、でいい。よけいなことは言わないほうが」だっ、と階段を駆け上がった。「時間いっぱいだ! んじゃ、また明日なっ!」

「待って! 名前を教えてよ、あなたの名前」

「おれは世良せら永次えいじだ」

「私は新名あらな美玖みく。友だちに、おかしなこと言わないでよね!」



 30分後。

 世良とモカは、ファミレスにいた。



「うちのママさー、冷食で手ぇ抜くからさー、がっつり食べる気なんよ」モカは笑顔でちからこぶをつくった。「みくぴも食べるっしょ?」

「おう」


 一秒の静寂があった。


「お、おっけー」モカはコップの水に口をつける。「元気があるのはいいことネ。うん」


 ウェイトレスが注文をとりにきた。


「あー、私ぃ、アイスティーとナポリタンとシーザーサラダで」と、メニューも見ずに言った。「みくぴは?」

「じゃーこれだ」ひらいたメニューを指さして「トンカツ定食。ごはん大盛りで」

「男やね……」

「ああ。おれは―――」寸前で、世良は思いとどまった。「私、おなかがすいてまして」

「なんで敬語になるのよ。みくぴ、なんかキャラおかしくない?」 

「そ、そうかしら」

「これスクバ」と、対面にすわるモカが持ち手をもって美玖の目の前にあげる。「荷物も教室においたまんま、告白に突っ走っちゃうっていうのも、ふだんのキミのキャラじゃなかったし……で」キラキラした目で見つめる。「成功した? オッケーしてもらったかい?」

「告白ってなんだ?」

「告白だよ。悠馬ゆうまくんに」


 おぼろげながら事情がわかってきた。

 おれが決闘をしてたとき、あいつはヤローにコクってたのか、とほぼ核心にたどりつく。

 世良はテストの成績こそわるいが、このようにカンがバツグンにいい。


「あーはいはい、そうね、したよ。したした。告白」

「それで結果は?」


 世良は親指をたてた。

 そして満面の笑みとともに、後先も考えずにこう言ったのだ。


「大・成・功!」

「――っ!」


 モカが両手で口元をおさえた。

 両目は、うるんでいる。

 このツインテールの女子は、井川いがわ友香ともか。出席番号が近いのがえんで仲良くなった、美玖の親友だ。


「うう~~~~~」


 ぽろぽろとこぼれた涙が手の指にのって流れ落ちる。


「うう~~~~~‼」


 泣いた。

 大泣き。


「みくぴ~~~、よかったねぇ~~~~」

「う、うん。はは……」


 世良の胸は罪悪感でいっぱいだった。

 おれ、軽はずみなことを言ったか? と思うも、もうおそい。

 泣くモカのうしろには、通りに面した大きなガラスがある。その反射で、世良は〈自分〉の顔をみた。

 ゆるふわストレートで、目がパチッと大きい女の子。


(……わるくねぇじゃん。こんなん、告白なんかしなくても、ヤローのほうから寄ってくっだろ)


 ならよし。おとこに二言はねぇ。

 美玖のヤツがどこの馬の骨に告白したかは知らねーが、もっぺん告白して、モカにげたことを事実にすればいい。

 カンタンだぜ。

 しかし、


(いい女だな、こいつ……。友だちのために、ここまで泣けるなんてよぉ。友情ってのはダンゼン、男のほうが熱いって思ってたが、そうでもないかもな。ははっ、なんか食欲がわいてきたぜ!)


 そして世良は、周囲の目をひくほど豪快な食べっぷりでトンカツ定食をたいらげた。


 時はもどって、世良が「大・成・功!」と口から出まかせをいったその25分前。

 偶然にも、美玖も「大・成・功!」と口から出まかせをいっていた。

 バイクの男に会え、と世良に指示されて橋をわたっていたそのとき。


 一人の女子と会った。


「あら」


 メガネをかけた、いかにも優等生という雰囲気の女子。

 茶色いブレザーの襟元に三年の組章をつけていて、世良や美玖と同じ学校の上級生だ。


「ちょっと」


 すれちがいざま、肩をつかまれる。

 えっ? と思わず美玖はおどろいた顔をした。

 その顔をみて、相手もえっ? とおどろく。


「どうしたのよ。そんな他人みたいな態度とって。あなたと私の仲でしょ?」


 橋の上の歩道。車道は片側二車線で、つねに交通量が多い。


「ソウデスヨネ」

永次えいじくん」名前を呼びながら、心配そうに世良の顔を下からのぞきこむ。「大丈夫? 頭でもうったの?」


 美玖の成績は、学年トップレベル。

 頭の回転は早いほうだ。


「い、いや、うってねーし。がはは」今の自分にふさわしい〈自分〉を演じ始める。「オレがそんなヘマするかっつーの。おまえじゃねーんだから」

「……なんか、いつもとちがうような」こめかみに指をあて、小首をかしげた。「顔つきも、どことなく女の子みたいにやわらかいのよねぇ……アンタらしくない、草食系の表情っていうか」

「がはは」笑ってごまかす。それより、今はあの〈バイクの男〉だ。彼にはやく接触しないと、最悪、今夜は野宿することになる。「じゃあの」

「こら」


 うしろから、首のうしろをつかまれる。

 こんなことをするからには、親しい間柄あいだがらの人なのね、と美玖は思った。


「待ちなさい。あれ、どうなったの?」

「あれ?」

「そう、あれ。アンタは頑丈だから平気だと思うけど……」

「まあな」美玖はピースとともに「大・成・功!」と言った。

 それでいいと思ったのだ。

 結果からいえば、その読みはまちがっていた。


「そう。じゃクビね」 

「クビ?」


 細かい文字が書かれた紙を、メガネの女子は〈勝訴〉の紙みたいにつきつけた。


「退学です」

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