第四話 「出立」②

「それでは、以上で、よろしゅうござるな。」


 張牧は、無難督の周処に確認を行った。晋軍が建業に到着後には、何攀かはん張牧ちょうぼく、それに周処の三人が先に手引きして、孫皓そんこうらの降伏の一行を案内して王濬の陣営に尋ねる手筈てはずとなったからである。まずこの三人が、先遣として孫皓のいる石頭城へ赴くことになる。


 この日の周処は、平服の姿であったが、屈強な兵卒を選別した近衛兵を束ねるだけあって、その上からでもその頑強な体付きが見て取れる。張牧が見たところ、壮年の周処はまさに偉丈夫いじょうふというべき風格を備えた人物であって、ほとんど言を発さないにも関わらず、その眼光は鋭さを備え、内奥ないおうに秘めた意志の強さを物語っていた。


 建業の地図を前に、張牧の言をあくまで無視して、無言を貫かんとする周処に代わって、たまりかねた薛瑩せつえいが返答した。


「はい、建業に到着後は、王将軍は上陸地点である白虎門(現在の南京市草場門付近)にてそのままお待ち頂き、我ら孫呉側が隊列をなして、石頭城からそちらに降伏に上がりまする。」


 日が南中からわずかばかりに西側に偏り出した頃、ついに王濬らの大船団は、建業に到着した。呉の兵はすべて両手を挙げて、戦闘の意志のないことを表していた。王濬の麾下きかの巴蜀兵は波止場に停泊してから、すぐ東側の白虎門を占拠した。


 王濬は、白虎門の楼閣に上って、周囲を一望した。そして、北に流れる長江を左手に、鐘山を背景に広がる建業の風景を右手にしつつ、感慨深く、長く嘆息した。


「これが建業か。一国の京師とあっては、流石に壮観であるな。」


(ふむ、しかし、ゆったりと思いに耽る間もないか)


 王濬はそう思い直すと、直ぐにもあれこれと下知を行い、とりあえず本営は白虎門のすぐ東側に陣取ることとし、併せて長江沿いに南北に連なる城塞を占拠するべく兵団を準備させた。


恵與けいよ何攀かはんの字)、張軍司、それでは、南東の石頭城を宜しく頼む。まずは孫皓を引っ立ててくれ」


 何攀と張牧は、王濬の命令に通りに、案内役として周処を引き連れて、若干の共廻りを連れて、白虎門から秦淮河沿いに南の石頭城の本丸である石頭山(現在の清涼山公園辺り)へと出発した。

 

 白虎門から石頭城へは、運河伝いに凡そ2キロ余りである。その間、周処は、終始無言であった。張牧が、馬上から景色を眺めると、右手には長江が際限なく続き、山並みへと消えていた。左手には、秦淮河を堀にして竹垣が続き、その先には低山と一体となった城塞が見える。石頭城である。魏・蜀・呉の三国が華やかなりし時、建業に訪れた諸葛亮が「鐘山龍蟠、石頭虎据(鐘山には龍がとぐろを巻き、石頭山には、虎が屈んで腰を据えている)」と称えた堅城である。


 張牧らは、程なく石頭城に連なる城門に到着した。


「大晋の将軍方、お待ちしておりました。」


 城門の手前で、中書令の胡沖が出迎えた。

 

「子隠(周処の字)も大義であったの。それでは、呉郡の主、孫皓がお待ちしておりまる。」


 中書令の胡沖が手を振ると、大きな太鼓を打つ音とともに、城門が開いた。


 城門の奥には、肌脱ぎになった中年の男が後ろ手になって縛られ、いざまづいていた。首からは白い輪っかの様なものが掛けられている様だった。それは王権を表す玉壁であった。その男の後ろには、無数の人間が白無垢姿にて隊列を為して跪いた。皆が皆、俯いて何も言葉を発しなかった。


 肌ぬぎの孫晧が、つと、立ち上がり、少しどもりながらも大きな声で、馬上の何攀と張牧に告げた。


「ご、呉郡の主、孫皓、今日ここに、て、天命に帰し、大晋の王将軍に命を乞いまする!」


 孫皓がそういうと、胡沖がそそくさと張牧に近づき、名簿を手渡し、小さな声で告げた。


「将軍どの、此方が降伏者の名簿にございます。孫家の宗室はここに揃っております。」


 張牧は、名簿を開き、皇帝孫皓とその皇太子の孫瑾そんきんを始めとして、皇族二十一人の名前を確認すると、深く頷き、馬上から馬上へと何攀に手渡した。何攀も名簿を確認した。張牧が何攀に目くばせすると、何攀は、一呼吸を置くと、透き通る様な声で告げた。 


「大晋の龍驤将軍にして平東将軍、都督梁益二州諸軍事ととくりょうえきにぐんしょぐんじ王濬おうしゅんが参軍、何攀、承った!

 王将軍は、白虎門にてお待ちである。ご案内いたそう。」


「はは! あ、有難き幸せ。」


 孫皓らは立ち上がると、ゆっくりと張牧と何攀の方に向かって行進を始めた。


「張軍師、我が先導する。後詰をお願いいたす。」

 

 何攀がそう告げると、巴蜀軍が先に孫皓らの一行を引き連れ、今きた城塞の道を北に引き返していった。孫家の降伏の行列は長く、貨車に棺を引きずるものもあった。この日をもって、殉じるという意思の現れであろう。一行の最後尾が過ぎると、周処と胡沖もそれに続いて行った。張牧が出会ってからこのかた、終始、無言を貫いて、どこか宙空を眺めるような周処であったが、万感の思いがあったのだろう。この時には目に涙を湛えていた。


 馬上の張牧は、最後尾から白無垢の行列を眺めつつ、ゆっくりと来た道を戻っていった。 

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