7.見て見ぬふりしか出来なくて、ごめんなさい。

「じゃ、あたし今からバイトあるし帰るわ。資料とか何かはレンタルエリアに行けば見つかると思うし。」

 平然とした顔でそう言い放ち、ひらひらと手を振ってそのまま帰ろうと更衣室に歩き始めようとするアイネさん───彼女にもう『さん』は要らない、アイネを私は腕を取って引き留めた。


「待って!?まだ全然話もまとまってないし、私一人じゃ決められないことの方が多いから、今帰られると凄く困るんだけど…。」

「バイトだって言ってるじゃん、耳聞こえてる?遅れられなれらんないし、今もギリギリなの。……LINE交換するから早くスマホ出して。」

 スマホをポケットから取り出し、私の方へ画面を向けてくる。有無を言わさないその口調に押されるようにして私もLINEを立ち上げた。


「はい、登録完了。まあ適当に連絡しといてよ。」

 それだけ言うと、駆け足で更衣室へと向かってしまった。衣装や過去のステージの録画を見たり、めざしたい方向性をより固めるために実際に練習ブースに向かったり。

 こんな調子で絶妙に噛み合わない会話を続けながらも色々と歩き回った末、戻ってきたカフェスペース。

 本日二杯目のカフェオレを飲んでいた私は、そんな形で一人放り出されてしまう。


 取り合えず写真フォルダを開き、参考にと撮影した衣装の写真や実際の歌声の録音を聞き返す。

 顔立ちが可愛らしいため、きっと衣装は何を着ても似合うだろうが歌声はロックの歌い方といった感じで、そんなアイドルソングを歌うビジョンが見えない。

 他にも、メイクやヘアスタイルを変えるにしても彼女の意向がなければこちらから決めるのは難しい。

 

 走り書きのメモが残された手帳とスマホの画面を睨めっこ。これ以上は収穫が無いだろう、と判断して私は椅子から立ち上がる。

 そのまま家に帰っても良かったけれど、せっかくアイドルの事務所に来たんだから大好きなアイドルのライブを見て帰ろうと思ったのだ。

 勿論熱心な人なんていなくて、あくまでも身内だけのカラオケ大会。でも、探せば一人や二人、ちゃんとしたライブをしている人がいるかもしれない。確証はないし、きっとその可能性も恐ろしく低いけれど。


 


 そんな淡い希望は、一時間もすれば打ち砕かれた。きちんとしたライブをしている人なんて当然一人もいなくて、それどころかカラオケ大会すらしている人すら居ない。

 衣装や録画を保管しているフロアにはそこそこ人がいたのになぁ、と溜息を吐きながら結局私も更衣室に向かう。

 制服のリボンを解き、元の学校の制服に着替える。こちらでの制服に比べれば、随分生地が固くて地味に見劣りしてしまう。



「あなた、さっき絡まれてた子だよね?」

 ロッカーに鍵をかけて、そういえば専属アイドルの登録ってどうやってするんだろう…?なんて考えていると、後ろからそんな声が掛かった。

 弾かれるように身をねじると、とても可愛い女の子が立っている。

 淡いピンク色のふわふわしたロングヘア―、ぱっちりとした大きな紫色の瞳。ピンク色の制服に身を包んで、全身から『かわいい』が発せられている彼女はまるで砂糖菓子のようだ。


「わたし、実はあの時に更衣室に居てね。見て見ぬふりしか出来なくて、本当にごめんなさい。とても怖い思いをしてたはずなのに…。」 

 そう言って私の手を取ってぎゅっと握る。その手はとてもすべすべしていて、いかにも女の子らしい。

 

「い、いえ。私も多分、あの人たちに気の触ることしちゃったんだと思います…。」

「ううん、あいつらは難癖付けて新規さんをいじめてるだけだから、あなたに非はないの。……それで、専属アイドル探してるんだってね。わたしも今フリーなの。真面目にアイドルを目指してる訳じゃないんだけど、せめて強制退所を免れるために、わたしの名前を貸してあげようかと思って。」

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