奏は見た (2022.1.2)

「好きな人ができたんだ」


 なにかの聞き間違いだと信じたかった。

 でも、彼女は確かにそう言った。

 パスタをフォークに巻き付けながら、「今日はこんなことがあったんだ」と報告するように。いたって平然に。


「あ、念の為先に言うときみじゃないよ?」

「え、うん」


 うんと頷いたが、後からザクッと刺さる。もしかするとこのナポリタンは、僕の血で赤く染まっているのかもしれない……作ったの僕だし。

 ってそうじゃない。あまりにも現実的じゃなさすぎてつい変なことを考えてしまう。先回りして「きみのことが好きなんだ!」というオチを消していくという立ち回りをする彼女のせいでもあるかもしれないが。

 でも、まあ……現実的ではない。なぜなら、彼女は今日の朝も僕にべったりくっついてきて「人間カイロ〜」とか言ってきたし、「今日のご飯も美味しいね」なんてにこにこして美味しそうに味噌汁を啜っていたし、果てには「行ってきますのちゅーは!?」とテンション高く要求してきたのだ。

 ということは考えられることは二つ。二次元の誰かが好きになったか、三次元の誰かに本当に恋してるか。今までの彼女ならきっと前者だろう。というか前者であってほしい。


「で、誰なの?」

「んっとね……なんて説明すればいいかな……」


 彼女が視線を逸らす。その頬は少し赤らんでいた。

 ……嫌な予感がする。スプーンとフォークを一度置いて、まっすぐ彼女を見つめた。


「大学時代に、すごくお世話になった方なんだけれど、たまに会話に出てきてたーー」


 つっかえながら、彼女は誰かを楽しげに語る。

 残念ながら、三次元だったようだ。

 ……残念ながら?


 僕は今まで、彼女と別れる未来を考えたことは無かっただろうか?


 ……なかった。

 怖かったのだ。それを考えることが。だから、開けたくない箱として扱って、奥の方にしまいこんで。


「――って感じの人、かな」


「きみは会ったことないよね、確か。今度会ってみる?」


 相変わらず残酷なことを言ってくる。この子はたまに「相手の気持ちを考えたことありますか?」と問いたくなるようなことを言う。

 そんな子なのに、僕以外の誰かに彼女を任せられるのか。


 ……違う。

 僕は彼女の親じゃない。

 彼女の幸せを彼女なりに考えて、その結果でこの選択なんだ。

 それを僕は、僕の幸せのために縛り付けて邪魔して、そんなことをして良いのだろうか?


 きっと、それは正しくない。

 じゃあ僕のすべきことはなんだ。


「いや、遠慮しとくよ」

「そう? 面白そうな展開なりそうなんに」


 そう言って彼女はパスタに再び手をつける。美味しそうに、口元を緩めながら。


「しーさん」

「ん?」


 パスタから目を離し、不思議そうな目で僕を見つめてくる。


「どうかお幸せに」


 微笑んで、僕も自分のパスタへと手を付け始めた。

 ナポリタンの赤が滲む。


 ……そんな、最後の晩餐。


  ◇◆◇


 パチッと目が覚める。起き上がる気はおきなくて、枕元のスマホへ手を伸ばす。電源ボタンを押して、表示された時間を見て、起きるにはまだ早いな、と判断。

 再び目を閉じる。贅沢な二度寝。でもどこか胸騒ぎがして、上手いこと夢の旅に出かけられない。

 仕方なく目を開けて起き上がることにした。

 隣で静かに寝息を立てている彼女の頭をくしゃりと撫でる。うぅん……と一度唸って、またすやすや寝息を立て始めた。


 ……起きねぇ。まあいいや。


 キッチンに移動して、お湯を沸かし始める。

 コーヒーの匂いにつられて彼女が起きてくるまで、今日の夢をどう話そうかシミュレーションを行なっていた。

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