第7話 かつて命を救われた俺が、囚われの恩人と再会する話。

 独房内のディアナが、ジェフリーに問いかけた。

「一体……どうしてこんなことを」


「理由なんざ大したもんじゃねえさ。オレは人外種が気に食わねえんだよ。当然だろ、結局人外種ってのは怪物、バケモンだ。人が今みてえに城塞都市に押し込まれるようになった元凶と同類だろうがよ」

「わたしは……」

「バケモンじゃねえ、か? 人外種には人格があり、バケモンには人格がねえんだったな。だが裏を返せば、お前ら人外種とバケモンどもとの違いなんざその程度ってことだ。その人格の有無でさえ会話が成り立つかどうかだの、特性が暴走してないかだの、迂遠なチェックでようやく確認がとれるようなあやふやな代物だろうが。街にいる人外種だっていつ人格を失うか、誰も分かりやしねえ。それを気味悪く思うのはそんなに妙な話か?」

 ディアナは無言だった。


 トヲルはまるで自分にぶつけられた言葉のように息苦しさを感じた。

 人外種に向けられる視線は、そうでないIDに向けられる視線とはまるで別種だ。

 <タマユラ>によるチューニングの結果が違っているだけでしかないのに、確かに理不尽な話だと思う。とはえいそれに憤っても現実は変わらないし、そういうものだと理解も受容もできているつもりだった。

 だが、ここまで真正面から悪意を示されると、やはり平静ではいられなかった。


「お前がどんだけバケモンじゃねえと主張したところで、誰もまともに聞きやしねえよ。今のこのゼノテラスを見てみろよ。市長の会見からたった一日で人外種に向けられる目の色がすっかり変わってやがる。どいつもこいつも腹の底では同じなんだよ。バケモンが市民面して幅を利かせてるこの社会が我慢ならねえんだ」

 ジェフリーは低く笑った。

「正直、人外種とオレらを一緒くたに扱うゼノテラスって都市も胸糞悪かった。何が市民の平等だ、偽善もはなはだしいぜ。だがまあ改正法と今回の事件のお陰でこの都市のそんなくだらねえ上っ面も剥がれるだろうよ」


「……そうか」

 挑むようなディアナの声が独房から発せられた。

「……話を聞いて思った。きみの視野はとても狭い。この狭いゼノテラスの中ですら満足に見えていない。確かに見た目が全く違う相手を自分と同類とみなすことに困難を感じる者も多いだろう。だがそういう者ばかりではないことぐらい、少し目を向ければすぐに分かる。人外種の姿と同様に、いやそれ以上に、人の心は、魂は、多様性に溢れている。それを知ろうともせずに底の知れない憎悪に駆られて今に至ったきみは、ずいぶんと不幸な日々を過ごして来たようだな」


 ディアナの言葉を聞いて、トヲルはシスター・クリスの顔を思い出した。

 確かにジェフリーのような考え方は珍しくないと思う。

 けれど見た目が全く違う相手を違ったものとしてあるがままに受け入れる彼女のような人だっている。


 少しの間、ジェフリーは口を閉ざしていたが、特に表情は変化しなかった。

「好きに言えよ。長年目障りだったお前が消えて今オレは気分がいいんだ。今回の功績を受けて中隊長への昇進も決まってる。お前の後釜ってことだ……まあこの程度の出世で済ませる気もねえがな」

「……きみ一人のたくらみではないのだな。誰かの差し金か」


 ディアナの問いに、ジェフリーは紫煙を大きく吐き出すだけで何も答えなかった。

 そのままきびすを返し歩み去って行く。

「じゃあな」

「待て、話はまだ――」

 今度はジェフリーも振り返ることなく、廊下の向こうへと姿を消した。


 トヲルも彼の後を追おうとそっと足を運ぶ。

「待て」

 ディアナの声が背中から聞こえる。

「……待ってくれ。ジェフリーではなく、きみに言っている」


「……!」

 思わずトヲルは足を止めた。独房の方を見る。


「……やはりそこにいるのだな。わたしは鼻が利くのだ。先ほどからジェフリーとは違った匂いを感じていたが、彼はきみの存在を気に留めてすらいなかった。何者だ?」


 トヲルは動きを止めたまま唾を飲み込んだ。イヤホンからアイカの声がする。

『気付かれた……? トヲル、早くこの場を離れて』


 トヲルは独房の扉をしばらく見つめていたが、近付いて覗き窓から中の様子をうかがった。

 室内は暗く、ディアナの姿を確認することはできない。


「目には見えないが、いるのが分かる。しかも嗅ぎ覚えのある、懐かしい匂い。きみは誰だ? どこかで会ったことがあるのか?」


『トヲル、とりあえず仕事を済ませんのが先よ。彼女のことはまた改めて考えましょ』


「……十年前のエクウスニゲルを覚えていますか?」

 トヲルはそう投げかけた。

『トヲルってば』


 沈黙の後、ディアナの声が返ってきた。

「覚えている。そう……あの時の少年なのか。成る程、嗅いだことのある匂いな訳だ。その姿、かなり特別な固有IDを手に入れたようだな」

「人外種でした。……あなたと同じ」


「すまない。人外種であることを隠すつもりはなかったのだが、きみの故郷を破壊した怪物と同じ種族〈ワーウルフ〉だと、流石にあの場では言い出せなかった」

「謝らないでください、人格を失って怪物と化したワーウルフと、人外種〈ワーウルフ〉としてのあなたを同じだなんて考える訳がない」


 トヲルは相手に見えないと思いつつも、微笑んで言った。

「俺は嬉しいです、再会できて。あの時ちゃんと言えなかったお礼が言える。……改めて、俺はトヲル・ウツロミです。ディアナさん、あの時は助けてくれてありがとう」


 ディアナの声に柔らかさが混じった。

「トヲル、トヲル・ウツロミか。やはりきみは強い子だ。最初に会った時の印象は間違っていなかった。……あれから、妹の消息については?」

 十年も前のことなのに、トヲルが妹を探し出そうとしていたことを覚えてくれていたらしい。

「いえ。それは、まだ……」

 独房の中から気づかわしげな溜息が聞こえた。

「そうか……きみと一緒に妹を探すと約束していたが、どうやら果たすことができそうにないな。今のわたしはこの通り囚われの身で、明日にも処刑されるそうだ」


 トヲルは覗き窓に手をかける。

「話は聞いてました。事件を起こしたのはディアナさんじゃないんでしょ? むしろあなたは濡れ衣を着せられた被害者だ。処刑される理由がないじゃないですか。真実を訴え出るべきです」


「気持ちはありがたいのだが、先ほどのジェフリーの口振りも聞いていただろう。この件に関わっているのは彼一人ではなさそうだ。問答無用で拘束されて、まともな裁判もなく処刑が決まることからして普通じゃない。何か大きな力が関わっているのだ。訴え出ても、握り潰される可能性が高いだろうな」

「し、処刑を受け入れるんですか?」

「ここに月の光がひと筋でも入ればこの程度の扉を破ることなどたやすいのだがな。地下の懲罰房の中ではどうしようもない。処刑が正午なのも、わたしの特性を警戒してのことだろう。月夜の屋外であれば最期にひと暴れもできそうなものだが」


「諦めちゃってるじゃないですか! このままにはしておけない、俺も協力します」

「きみ一人の力が加わったところで、どうにかできるような問題でもないのだ」

「それでもどうにかしなきゃ。俺、色々あったけど今こうしているのはあなたという恩人がいたからです。妹のメイを見つけ出す希望を捨てずにいれたのは、あなたのかけてくれた言葉があったからです。あなたが諦めても俺が諦める訳にはいかないんだ」

 トヲルの剣幕にディアナは言葉をつぐんだ。


「それに、こう見えて俺、一人ではないんですよ」

「……え?」

「腕が立って頭が切れる最強の〈ヴァンパイア〉の助手やってます。彼女ならきっと何とかしてくれるはず」


『おいおいおいおい。おいこら助手、いきなり無茶ぶりしてくんな! 何が最強の〈ヴァンパイア〉よ、持ち上げりゃいいってもんじゃないっつうの!』

 案の定イヤホンの向こうでアイカが咆え始めた。


「けどアイカ。この事件の真相を探るのが当初の目的でしょ。このままディアナさんが処刑されたら真相を探る所の話じゃなくなるじゃないか」

『いや……そりゃそうだけど! 助けないワケにはいかないけど! いやでも明日の正午でしょ……? もう少し先延ばししてよ!』

「俺にそれ言われても」


『と、とにかくトヲル、最初の予定通りあんたの端末とデータセンターを接続すんのよ。実際に事件の容疑者を連れ出すことになったら確実に大ごとになる。兵団のデータセンターから得られる情報がこれからの武器になんだから』

「分かった、上で鍵を探そう」


『もー、ゼノテラスで食材沢山調達しておきたかったのに! 名産の厚切りベーコンを楽しみにしてたのに! 買い物する時間作れるかなあ!』

 半ばやけくそのようなアイカの声が聞こえてくるなか、トヲルはディアナに言った。

「喜んで力になってくれそうです。絶対に諦めないで待ってて」


「トヲル……」

「行ってきます」

 ドアの前を離れ、鉄格子の方へ向かう。


 扉は開いたままだった。

 ジェフリーは戻って来るつもりなのかも知れない。急いだ方がよさそうだ。


 石造りの廊下を歩いて上への階段を目指す。


 トヲルはそこで足元に違和感を覚えた。

 じゃりじゃりと、細かい砂が通路に積もっている。

 来た時はここまで汚れていなかった。辺りを見回すと、横に迫る石壁の表面が所々、等間隔に砕けていた。細かく砕けた石が砂となって床一面に散らばっているのだ。


「……」

 トヲルは後ろを振り返って、途端に背筋が寒くなるような嫌な予感に襲われた。

 砂の上に、ここまで歩いて来た彼の足跡がくっきりと残っている。


「そこにいるんだな」

 声が聞こえたと同時に、トヲルは衝撃と共に床に転がっていた。胸の辺りに激痛が残る。


「この手応え……腹を狙ったつもりだったが上過ぎたか。案外、小柄な野郎みてえだな」

 トヲルを見下ろすように立っているのは、この場を去ったかに思えたジェフリーだった。


 どこかの部屋に身を潜めていたのか。

 そう理解しても胸の痛みで呻き声しか出せない。思いっきり殴られたようだ。倒れてもがくトヲルの姿は、床の砂の上に跡として残った。


『トヲル! どうしたの、トヲル!』

 アイカの声が聞こえる。


 ジェフリーはゆっくりと煙草の煙を吐く。

「首は……ここか」

 彼は左手でトヲルの喉元を掴んだ。


 凄まじい握力で壁際に押さえつけられ、そのまま引き起こされる。喉を締め付ける手にトヲルの体重がかかった。

 ジェフリーの右手が、枝を折るような音を立てながら拳の形に折り畳まれていく。


「さっきから何か妙な気配を感じてたんだよ。音には敏感な方でな。一応張ってみたはいいが、まさか透明人間がくっついてやがったとは思わなかったぜ。舐めた真似してくれんじゃねえか、おおッ!?」

「がはッ!」

 鋭いボディブローがトヲルの脇腹を抉る。


「透明でも悲鳴は出るんだな。まだガキか。インヴィジブルフォーク、だったか……そんな珍しいバケモンが兵団の学校にいるってのはどっかで聞いた。言えよ、誰に言われてオレに張り付いてた?」

「……ッ」

 この場にいるのはジェフリーと鉢合わせしたからで、なかば偶然だ。トヲルは何と答えようもなかった。


「言えこらあッ!」

「ぐうッ!」

 再び拳がトヲルの腹にめり込んだ。

 首を抑えられているため満足な呼吸も出来ず、攻撃に備えることすらできない。


 ジェフリーの昏い目が、苦し気に喘ぐ透明なトヲルを見据えている。

 もう一度、トヲルの腹に拳が入った。息を吸う間もなく、更にもう一度。

「がぁ……ぅげほッ……」


「訓練されてんのか、ただの何も知らねえ使い走りのガキか……何とか言えよ、おおッ!?」

 更にもう一発、腹部に激痛を突き込まれ、トヲルは膝から崩れかけた。しかし彼の首を強く押さえ付けるジェフリーの手がそれを許さなかった。

「がは……ッ、あ……」


「ちッ……表情が見えねえってのは厄介だな。誰がこのオレを疑ってやがる……?」

 トヲルの首を掴む手が、いらだたし気に締め付けてきた。

「……面倒臭え、あの女の処刑が済んでから考えるか。こんな場所に一人で乗り込んで来たお前の馬鹿さ加減を恨むんだな、このバケモンが!」

 ジェフリーの両目が見開かれる。


 唐突に、トヲルの意識はそこで途絶えた。



つづく

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