妄想は現実を越える!

杯東響時

take1「始まりに退屈があって」

「はあ……」


 ため息をついた俺、神崎時統かんざきととうはとある大学で父親である時伏ときふせが教鞭をとる『妄想科学基礎』という非常に奇妙で珍妙で、そして退屈な講義を受けている。俺はいわゆるサボリ魔って奴で最低限の単位だけにしか出席せず、この妄想科学基礎にいたっては今まで七回講義があったが、前回のテストと今回以外一度も出席していない。では何故今回は出席したのか。理由は単純、親父から流石に残りの講義は出席しろと言われたからで、今は前回行われたテストの結果を返している途中だ。


「霧山」


 呼ばれ立ち上がったのは前の席に座っていた男性。ってことは次は俺か。


「九十二点、よく頑張ったな」

「ありがとうございます」


 隠しきれない笑みと共に満足そうに霧山は自分の席へと戻る。一瞬だけこちらを見たような気がしたが気のせいだろう。というか後ろの席なんだから自然と目につくのは当たり前、気にしすぎか。


「次は……時統」


 返事もせずに立ち上がると教室の何人かまではわからない……というか多分ほぼ全員が俺を恐い顔で睨みつけている。我ながらどうすればこんなにヘイトを集めることができるのかと思う。まあ理由はそれぞれだと思うが、大多数は俺がこの講義に出席していないのに、


「九十五点、勉強はしっかりしていたようだな」


 テストで高得点が取れてしまうからだろう。親子だっていうのはバレてるはずだから不正しているのだとでも思われているかもしれない。確かに俺はめんどくさがりだし、必須科目でもないこんな講義出たくないが、毎日親父から聞かされているため勉強するまでもなく頭に入ってしまっているのだ。故にこれが一番簡単に単位が取れる講義なのだ。


 誉め言葉などには特に反応することはなく答案だけ受け取って振り返ると、ダイレクトに視線が刺さる。立場上慣れてはいるがやはりこの数の視線は毎度微妙に痛い。


 そんな視線の中に一つ、俺の後ろの席にいる女子だけはやたらとキラキラと目を輝かせてこちらを見つめていた。痛い視線は嫌だが、こういう視線もなんだかむず痒くて苦手だ。


「…………」


 なんで親父も変な目でこっちを見てるんだよ。


「次、如月」

「はいっ!」


 元気よく返事したのは先程キラキラした目で俺を見ていた女の子だ。顔が幼いせいか視線のせいか子供っぽいイメージだったが、全身像を見ればそんなことはなく可愛いというよりは美人という感想が出てきそうだ。上から89/61/90、と見た。


「七十六、前より良くなったな」

「これも教授が親身になって勉強を見てくださるおかげです。これからも頑張りますっ!」


 それからも普通にテスト返しは続き、終われば講義が始まる。普通の流れだ。


 さあここで皆さん『妄想科学基礎』だなんて聞いたことがないと思うだろう。それもそのはずで、これは親父が独自に専攻している分野だ。それを何故大学なんかで研究できているのか知らないがこの『妄想科学基礎』は……っと俺から説明する必要はないみたいだ。


「皆が受けているこの『妄想科学基礎』は君達も知っての通り、妄想の力を科学的に『説明』、『理解』、『行使』することも目的としている。では妄想の力とは何か。例えばテレビでよく見るような透視、念写、念力などの超常現象、こういったものもいわゆる妄想の力であると考えている。私はこれらを『妄想能力』と仮に名付けた」


 ホワイトボードに重要な単語を並べ説明しながら書きだす。書かれている内容は正直頭に入っているのでノートに書き写すまでもないが、どうせ暇なので一応手を動かすことにした。


 この『妄想能力』は人それぞれで発生する現象も違うが、今ある現実に脳内で想像した仮想の現象、つまり妄想を塗り替えることで初めて発現するとのことだ。このように能力によって塗り替えられた現実を『妄想現実』というらしい。まんまだし、妄想なのか現実なのかはっきりしてほしいところだ。


 ……うん、知識は持っていても理解ができない。講義を受けてなかったので当然といえば当然だがこうなるとやっぱり退屈だ。


 よし、寝よう。


 そう決意するとペンをしまい机に伏す。幸いなことに親父は声をかけても無駄だと諦めているのか起こしてくることはなかったので気持ちよく寝ることができそうだ。




☆☆☆☆☆




 完全に寝入ってた俺は誰かが呼ぶように肩を叩いていたので伏せていた顔をなんとなしに横に向けると、そこには可愛らしい少女の顔があった。その距離およそ五センチ! 割とこうガチ恋距離ってやつだ!


「うおっ!? お、お前は——」

「はいっ、これ」


 驚いて仰け反った俺の口へとその少女は何かを押し込める。これは、眠気覚ましのガム? 正直ミントは苦手だからやめてほしかったが、おかげで目が覚めた。彼女は如月萌華きさらぎもか、後ろの席にいたキラキラ目の少女だ。


「目、覚めた? 私は如月萌華、よろしくねっ」

「あ、あぁ。よろ、しく……?」


 なんでよろしくなのか理解はできないがあまりにも自然な流れだったので思わず返事をしてしまった。あとミント辛い。


「突然なんだけど勉強教えてくれない?」


 本当に突然だな。


「……別にそれはいいけどさ。わざわざ俺じゃなくておや——、教授に教えてもらえばいいだろ。今までだってそうしてたんだろうが」

「そうだけどさっ。ほとんど講義に出てないのに高得点を取れるなんてよほどすごい勉強のコツがあるに違いないっ、と思って声かけちゃった!」


 毎日聞かされているだけだなんて聞いたら幻滅するだろうなぁ、とか思ったがなんとなくこの子の言葉は聞いておきたいと思ってしまうんだから不思議だ。


「……わかったわかった。教えるから——」

「ありがとう! じゃあ明日ショッピングモールの二階にあるカフェスペースに来てねっ! 来てくれないと私泣いちゃうから! じゃあ急ぐからばいばい!」

「あっ、ちょっと待って!」


 今日じゃないのかよ。そしてお前がどこで泣こうと俺の知ったことでは……いや名指しで泣かれたら割と困るかもしれない。


 ……それはそうと萌華を追おうとも思ったが面倒になった俺はそのまま寄り道もせずに帰宅することにした。




☆☆☆☆☆




「ただいま」


 口の中に残る辛さを抱えて帰宅したが、シーンという音でも聞こえてきそうなほど静かである。親父は大学に遅くまでいて、母親は幼い頃に無くしているので当然といえば当然だが、やっぱり少しだけ寂しいかもしれない。


 母親、神崎奈津かんざき なつのことはあまり覚えていないどころか思い出せることといえば今もリビングに飾ってあるので忘れようのないその優しそうな顔だけだ。

「ん、お前は今帰ったとこか?」


「今日は早いな、親父」


 振り返った先にいたのは少しくたびれたスーツの上に季節ハズレのコートを羽織った親父だ。靴を脱いで家へ上がるとお湯を沸かすために入浴所へと向かう。親父が家に帰るなり最初にすることで、なにやらよくわからないがこだわりがあるらしく他の誰にもやらせようとしないのだ。


 さて、じゃあ自分はどうしたものかと思案していると洗濯用の洗剤が少なくなっていることを想いだした。朝は覚えていたのに帰る頃になると忘れてしまって困る物第三位くらいには入るのではないかと思うくらい忘れる。そんな経験皆様はないだろうか。


「おーい、洗剤買ってくるの忘れたから下のコンビニ行ってくるけどなんか買うもんある?」

「枝豆とビールが欲しいな」

「ばっか、未成年に酒を買わそうとすんな」

「冗談だ。あえていうなら……カレーに合いそうなものでも買ってきてくれ」

「アバウトな注文ですこと。じゃあ行ってくる」


 何でもない普通の親子のような会話をした後マンションを出てみると外はすっかり暗くなってしまっていた。


「そういえば明日は満月だっけか」


 空を見てると満ちそうな月が綺麗に輝いている。今は雲一つない晴天のようでこういったら風情もクソもないが、正直あそこまで綺麗だと逆に不気味に見えてくる。




☆☆☆☆☆




「カレー、カレーに合うねぇ」

「何かお探しですか、お客様」

「カレーに合う何か付け合わせでもと思って……ってお前か」

「あら、お前とは失礼しちゃう。私には佐藤紅理さとうあかりって立派な名前があるのよ」


 こいつはマンションのすぐ下にあるコンビニで働いている店員さん。ちょくちょく話している間に少し仲良くなっていたが、そういえば彼女の情報を何一つ持っていなかったと思い出す。外見からわかるのは同じ年くらいだということ、綺麗な顔立ちをしていてモテそうだなってこと、それと触れていいものかわからないが左手首に不自然な切り傷があることくらいだ。


「店員の名前なんて知るかよ……」

「店員側はお客さんのこと案外覚えてるものよ、サボリ魔さん」

「げっ、お前まさか同じ大学かよ」

「やっぱり気付いてなかったのね。何回かすれ違ったことくらいあるのだけれど」

「まあ特別興味でもねぇとわっかんねぇよ。そういう意味ではお前、案外俺に気が合ったりしてな」

「なっ!?」

「冗談だ冗談。んな特徴もない普通のサボリ魔に近寄ってくるモンなんて変なのしかいないって」

「…………変なので悪かったわね」

「あ? 声が小さくて聞こえなかった。もっかい言ってくれ」

「言わないわよバカ! ったく……」


 何か怒らせるようなことでも言ってしまっただろうか。無意識に人を傷つけるようなことがあるから友達が少ないという自覚はあるが、本当に無意識なので対策しようがない。諦めて、


「ごめん」


 と謝ることにする。とりあえず謝っておけば仮に自分が悪くても悪くなくっても雰囲気を悪くすることはないはずだ。


「べ、別に謝ることじゃないわよ。それよりカレーに合うものってコンビニじゃハードル高すぎない? 福神漬けだって置いてるコンビニ少ないわよ」


 え、まじか。確かに言われてみれば見たことないかもしれない。でもスーパーまで行くのは面倒だし、どうしたものか。


「付け合わせってほど大したものじゃないかもしれないけれど、目玉焼きとか納豆とかは? 無難だけど美味しいわよ」


 納豆、確かに納豆って選択肢はなかった。美味しいかはわからないが納豆は割とよく食べるのでありかもしれない。念のため卵も買っていこう。うん、これだけでも充分かもしれないな。


「ありがとな。えっと、紅理、だっけか」

「っっっ……! 名前、憶えてくれたんだ」


 さっき教えてもらったばかりで忘れるのは無自覚とか以前に人間として終わっている気がする。もしかしてそういう人間だとでも思われていたのか。失敬な、友達付き合いは少ないけどそれくらい弁えてるって。


 買い物かごに洗濯洗剤と卵、納豆を入れて会計を済ませて外に出ようとしたところでふとあることが気になって振り返る。


「この店暖房でも入れてるのか? まだ外寒くないと思うけど」

「——いいえ、そんなもの入れてないわよ。気のせいじゃないかしら」


 ……そう言われればそんな気がしてきたかもしれない。っと、早く帰らないと親父が腹を空かせて待っている。


 今度は振り返らずにそのまま家へと帰ることにした。


 あぁ、俺も腹が減った。早く帰って飯にしよう。


「——また、明日ね」




 ——少女が呟いた言葉は少年に聞かれることはなく空に溶ける。言葉を吐いた口から舌が覗かせ、ぺろりと乾いた唇を舐めた。


「確かに、少し熱いわね」

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