名前のない化石

2021/12/05

Night17:息の根止めてシンデレラ

「有動クン!」

 dOlarOcOrp OrisquOquOsOdiO,……O・O・O・O――

 佐備沼さんが錆びた魚の模型を大量に身に纏わせ、こちらに駆け寄ってくる。


「ボロボロじゃないスか! っつか、あっちにも尾武クンがアキレス腱ぶった切られて倒れてるんスよ! 夜嘴さん、早く治療お願いしますって!」

 よく見れば、駆け寄ってきた彼も左腕を負傷していた。黒スーツの袖ごと焼け焦げているが、自分の怪我の方は一顧だにしない。

「……ありがとうございます、佐備沼さん。でも、先に二人を治してください。おれは、『硬化』があるので、」

「バッカ! そんなことしたら僕が尾武クンに怒られちゃいますよ」

佐備沼さんは軽くおれを小突いて、親指を立てる。

「有動クンが良いヤツなのは、話で聞いてるんス。皆で生きて帰りましょ」

そう言って、にかりと歯を見せて笑った所で――


「馬鹿か、餓鬼んちょ」

 おれと佐備沼さんはそろって後ろから膝の裏をぴしゃり、と叩かれる。

「腕と足両方吹っ飛ばしといて何言ってんだい。全員重傷だよ、さっさと直しな」

 杖を持ってぼやく音籾さんは、佐備沼さんとは対照的に傷一つ付いていなかった。

 上の階の攻防も相当激しかっただろうし、三人がかりとは言え五人ほどのロレム・イプサムを相手どったことを考えると、意味不明としか言いようがない。


「ひとまず、まずは環を下ろすよ。佐備沼、運搬手伝いな」

「えっ? あっ、ハイ……」

そう音籾さんが佐備沼さんに指示した所に、


「――やあやあ、有動くん」

 

 いつも通り、しなるように艶やかな彼女の声が聞こえる。壊れた水槽の向こうを見ると、夜嘴さんが煙草を咥えながらこちらに歩み寄って来ていた。

 先ほどまで、音籾さんの能力で宙に浮かんでいたはずだが。

「いやぁ、凄いね。あの二人、普通に無記課くらいのレベルだったろう?」

 彼女はくつくつと笑って、おれに肩を組んでくる。

「……こんな成果は、ただの暴力の巧拙です。別に凄いとは思わない」

「うふふ。ま、きみはそれで良いよ。ちょっと用事が済んだら治してあげる」

 おれの肩をぽんと叩き、夜嘴さんは佐備沼さんと音籾さんの方に向かった。

 足取りはいつもの如く、踊るように軽い。

 そのまま夜嘴さんは治療のためか佐備沼さんに触れようとして――


ut aut【||】


 しわがれた声。

 音籾さんが、能力でその手ごと彼女を『停止』させていた。

「は? ちょ、音籾サン?」

 佐備沼さんが困惑した様子を見せるが、彼女は一顧だにしない。

 拳銃を抜き、飼い犬に餌でもやるように夜嘴さんに向けて発砲する。

 

 ずがん。

 銃声が鳴り響いた。

 

 夜嘴さんの側頭部が吹っ飛び、美しい黒髪が散らばって倒れた。

 レンズを赤に染めた金縁の眼鏡が、おれの足元に転がってくる。

「佐備沼。あたしの〈代数能力アルゼブラ〉を知ってるね?」

「え? 『停止』スよね? ……じゃなくてさァ!いきなり撃つこたないでしょ」

 佐備沼さんは、そこまで呟いて。

 『空中で止まっていたはず』の……撃たれて地に伏せている夜嘴さんを見る。

「いや、いやいや。まさか、そんなはず」

「無駄だとは思うがね、あんたは逃げな。今起きたことを上に伝えるんだ」

 音籾さんは弾丸を一回り換えて、つめたく呟いた。


「ンなこと言っても――」

 そう零しながら。動揺している佐備沼さんの視線が、ある一点で止まった。

『停止』していたはずの夜嘴さんの死体が起き上がり、銃を握っている。

 そして、銃口の先には音籾さんが立っていた。


「上司に発砲とは、感心しないね」

 起き上がった夜嘴さんは、唇を吊り上げて微笑む。

「ち」

 音籾さんは再び〈代数能力〉を起動しようと振り返るが、それよりも先――引き鉄に掛けられた指が動く方が早い。

「くそっ、音籾ばあちゃん!? どうなってんだよ」

 佐備沼さんが叫び、咄嗟にといった具合で〈代数能力〉を起動しながら走り出す――だが、一歩間に合わない。状況を把握しきれていないまま、体だけが反応していたのだろう。

 だからおれも跳び出した。

 夜嘴さんが何を考えているのかは解らない。

 何が起こっているのかも解らない。

 だが、考える前に動かなくてはならな


「あーあ。いけないんだ」


 .murobal tse di mina tillom tnuresed aiciffo iuq apluc ni tnus ,tnediorp non tatadipuc taceacco tnis ruetpecxE .rutairap allun taiguf ue erolod mullic esse tilev etatpulov ni tiredneherper ni rolod eruri etua siuD .tauqesnoc odommoc ae xe piuqila tu isin sirobal ocmallu noitaticrexe durtson siuq ,mainev minim da mine tU .auqila angam erolod te erobal tu tnudidicni ropmet domsuie od des ,tile gnicsipida rutetcesnoc ,tema tis rolod muspi meroL


 ――ならなはてくなか動に前るえ考、がだ

 いなら解もかのるいてっこ起が何

 いなら解はかのるいてえ考を何がんさ嘴夜

 たし出び跳、はれおらかだ

 い早が方く動が指たれらけ掛に鉄き引――先もりよれそ、がる返り振とうよし動起を〉力能数代〈び再はんさ籾音


 かちん。時計の針が定められたような音が、頭の中で響いた。


 跳び出したはずのおれは、

 同時に、放たれた弾丸は、


「ぎあっ」

 走り込んでいた佐備沼さんの胸を、正確に貫いていた。


「ああ”ッ、しくッた、くそ……」

目立つ金髪がふらりとおれの目の前で揺れて、くずおれる。

 夜嘴さんはそれを気にすることなく、壊れた眼鏡を拾って再び掛ける。

 

 佐備沼さんには、『酸素操作』の〈代数能力〉があるはずだ。

 弾丸を錆びさせた瞬間に、自分の支配下に置いて被弾を回避する。

 そのような運用すらも、彼ならば可能だっただろう。だが現実には、

「有動くーん。これ、きみのせいだぜ」

 倒れた佐備沼さんの体からは、すでに大量の血が流れ出していた。

 左胸に二発着弾している。助からない。

 ――嫌な想像を振り払い、おれは夜嘴さんの襟元を掴む。


「治して下さい。佐備沼さんを、今すぐ」

「やん。エッチだな、少年」

 夜嘴さんは鼻で笑って、おれの手を払いのけた。

「きみはよくよく可哀想だね。手に全然力が入ってないじゃないか? 隠してるだけで、ほんとは死ぬほど参ってるんだろ? 友達みたいに思ってたわるぅいお姉さんが、実はホントに邪悪な人間だったなんて、さァ!」

 そう言って、夜嘴さんはすらりとした脚を振り上げた。

 ごすっ。

 佐備沼さんの体の側面に、ふかぶかと夜嘴さんの蹴りが入る。

「呼吸して見なよ。ご自慢の酸素とやらで」

 二発。三発。人体の砕ける湿った音が水族館に響く。

 肋骨が折れたのか、がぶとかごぶとかいう肺に血が混ざった声が聞こえた。


「ばあ”ッ、ちゃ……ん、だいじょぶ、だいじょぶ……だかァ、ら」

ごづ。

「これで、いき、できぅ……ぁ、ろ」

ごじゅ。

「ぼく、たずけっ、から、」


 蹴られるたびに壊れた玩具のように掠れた声で何度も、何度もうわごとを漏らして、やがて佐備沼さんは動かなくなった。そして、

「ああ、気持ちよかった!」

 佐備沼さんを殺した張本人である夜嘴さんは、ひと仕事終えたとでも言うように、悠然と伸びをする。


「かれさ。正直良い奴だから反吐が出そうだったんだ。だって肺の感染症で、人工呼吸器が間に合わなくて亡くなったお婆ちゃんを助けたかったのをきっかけに、酸素を操る〈代数能力〉に目覚めたんだってさ。馬鹿みたいじゃないか? そんな能力手に入れたってただの代償行為に過ぎないだろうに」

 ひとしきり体を伸ばしたあと、夜嘴さんはおれにくつくつと笑いかける。

 赤い返り血と、泳ぐ光に照らされて、彼女は鴉のように美しかった。

「あ。そういえばウトさんは逃げたんだね。相変わらず手際のいいご老人だ」

 彼女の言う通り――気付けば、音籾さんは既にその場から消えていた。

 夜嘴さんは煙草ピースを人差し指と中指でくわえ、動けないおれに顔を近づける。重いバニラに樹木の香気を混ぜたみたいな匂いが漂った。


「ウトさんの〈代数能力〉の本質はね。『停止』じゃない――『空間の掌握』だ。彼女だけが自由に形状を操作できる、不可視の空間を保有してるのさ。例えばそれを限りなく薄くして、周辺に敷衍すれば、傍目にはまるで『時間が止まったような』挙動として映る。空間の出力と体積はきみの『硬度操作』のように反比例するから、さっきのような運用は数秒しかできないけどね、解ってても原理上止められないんだ。あれには、形而上での影響がある」

 夜嘴さんの声はおれを上滑りしていく。

 佐備沼さんが死んだ。

 知り合ったのはこの間で、付き合いも浅かった気がする。それでも――『記述迷路』での戦いでも、水族館での戦いでも。そして、つい先ほども彼は、いつもおれを気に掛けてくれていた。助けられて、勝手に死なれる側は、こんな気持ちだったのかということにおれはようやく気付いた。

 義務感ではなく、と、初めてそう思った。

「何で」

「うん?」

「何で殺した?」

 ひどくしわがれた声が自分の中から出ていた。

「何でって、そりゃあ……もう彼の役目は終わったしね。ほんとは尾武くんとどちらを殺すべきか迷っていたんだけれど、流石に彼まで皆殺しにしたら、有動くんはおかしくなってしまうだろう? まあ、ウトさんを殺せなかったのは少し面倒だけど」

 夜嘴さんはうまそうに煙草の煙を喫い、そしてゆっくりと吐き出す。


「まあ、そこまで気にすることもないだろう。視界にさえ入れば私の能力の射程圏内だし、それに、彼女一人では何もできない」

 煙は白んだ息のようにおれの視界を通り過ぎて行った。

「もう少し待っていてくれよ。あとは」

 夜嘴さんは折口さんと蔵内さんの倒れている方へ歩き出す。

「――やめろ!」

 叫ぶと同時に、おれは〈代数能力〉を――.murobal tse di mina tillomを――〉力能数代〈はれお、に時同とぶ叫


 かちん。

「うっふふ。堪え性がないな、きみは。やっぱりベッドでも自己中なのかい」

 時計の針が嵌まるような感覚と共に、認識が再開する。

 まただ。

 また、おれの動作が中断され――発動していたはずの〈代数能力〉が、いつの間にか全て巻き戻っている。


 待て。

 ……


『ああ、わたしの能力かい?』

『そうだな。『回復』とでも言えばいいかな』


 彼女は、おれに嘘をついてはいない。

 だが。それにもまして、本当のことを語ってはいなかった。最初から。

 能力について微妙にぼかした言い方をしたときの違和感。

『回復』と呼ぶには異常すぎる強度の治癒。

 そして、おれを襲った二度の認識の異常。

 まるで、行動がなかったことになったような――


 ぽとりと。蒸留された思考の雫が紡がれるように。

「……時間を、巻き戻してるのか」

 その答えは、おれの中から自然に滴り落ちた。

 違和感はホテルでの戦闘から萌芽していた。だがおれは、ひょっとすると――意識の底で、その違和感から目を逸らしていたのかも知れない。

 夜嘴さんはこういう人だから。

 理解しているとは言わないまでも、うまい付き合い方を心得ているから。

 ……何も壊さない? 壊させない? 馬鹿じゃないのか? 

 おれは初めから、ただ踏み込まなかっただけの臆病者だ。


「ふふ。正解。流石にきみは賢いね」

 夜嘴さんはぱちんと指を鳴らし、優美な足取りでカフェテラスまで歩いて行く。

 そして、彼女が手を伸ばした先には――倒れたままの、蔵内さんと折口さんのからだがあった。


「じゃあ、そんな有動くんに問題。私はこれから何をしようとしているでしょうか」


 おれの足が動く。心のどこかで、無駄な行いだと理解しているのに。

――だめだ、考えるな!

「やめろ!」

 動け。わずかでも、ひとを助けられる可能性がある限り、


 ぱしゃり。


 当然のように、倒れたままの折口さんと蔵内さんのからだは、

 

 そのようにしか表現できない。目標を失ったおれの疾走は無様につんのめり――転んだ先の絨毯には、人型の染みだけが残されている。

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