第37話 アイーシャ王女は祈りを捧げる


 ◆ ◆ ◆


 アイーシャ=デゼル=シェノン第三王女。その総称の通り、彼女はシェノン王国に生まれた三番目の女児だった。国王が待望していた、正妃の子。なかなか子供ができずに仕方なく側室を持っていた王だったため、アイーシャが生まれたときは、たとえ女だったとしても大歓喜だったという。目に入れても痛くない、そんな溺愛を堂々と公言し、その娘を甘やかせた結果――アイーシャは、姉やその母親たちに嫉妬を超えた感情を向けられることになる。


 だけど幸か不幸か、彼女は生まれきっての王族だった。持つべきものを最大限利用し、敵意の中でも気丈に背筋を伸ばし続け、弱き者はしっかりと助ける。そうした彼女の生き方自身が、彼女の味方をどんどん増やし、彼女自身を助け続けてきたことは言うまでもない。


 そんな中で、アイーシャが年頃の女の子らしい感情を抱いたのは、婚約者と初めて会った時だった。


 ――あら、可愛らしいひと。


 それが彼女の、婚約者ディミトリに対する第一印象。

 出会った十五の頃は同じくらいの身長だった小柄な少年。男子にしては長めの肩までの銀髪は窓からの陽光を浴びてキラキラと輝いていた。


 そんな同い年の少年が、まるで生気のない顔をしていて。

 ――勿体ないわ。


 なかば、人形遊びの延長のような心地がなかったとは言えない。だけど、どんな心境だったとしても、彼に手を差し伸べたのは間違えようのない事実だ。


『わたくしの婚約者の奇跡を、そんなくだらないことで使わないで貰えます? これからはわたくしの許可を取ってからにしてちょうだいっ』


 それは日々の彼の特別な公務・・・・・の成果に、大臣らが喜んでいた時のこと。

 彼のもたらす聖女のような《奇跡》に、たとえ民草が喜んでいようとも。

 アイーシャの『貴族の矜持ノブレス・オブリージュ』の対象には、敗戦国から来た生贄が入らないわけがなかったから。


 国王一番の寵姫の一声に、彼の待遇はアイーシャに一任されることになった。

 だから彼に適当なことを言って、勉強を促した。彼の学力は、年相応のものよりかなり低い――というより、偏りがあるように思えたから。


 ――敢えて都合の悪いことは見せてこなかったのかしら?


 祖国であるバギール公国では、その才能スキルのため『聖女』として祀られていたという。生涯神の御子として飼いならすための処遇なら、それは許しがたいことだ。


 ――誰にだって、平等に学ぶ権利はあるべきよ。


 そうして学園での自由を許可したら、彼はさっそく髪を切った。せっかくの銀髪が勿体ない……などアイーシャは思いながらも、そのさっぱりした顔で、彼は懸命に学問に取り組み始める。


 そして、身体の訓練も始めたようだ。始めはおっかなびっくり剣を握っていたけれど、一日何回素振りをしたのだろう。教師、学友、使用人らにも、あらゆる者に自ら声をかけ、教えを乞う姿に、アイーシャは尊敬の念と、他の感情を抱き始めた頃。


 アイーシャは感謝される。


『ありがとうございました。アイーシャ殿下のおかげで、毎日がとても楽しいです』

『……敬語なんてやめてちょうだい。あなたはわたくしの婚約者なのよ?』


 なんて、眩しい顔をするんだろう。

 ただ学ぶ自由を与えただけで、これほど喜んでくれるとは。学園という檻の中で飼っている事実は、変わらないのに。


 ――もっと広い世界を見せてあげたら、どんな顔をするのかしら?


 そんな想像しつつも、それを素直に告げられるアイーシャではなかった。


『わたくしが嫌だから嫌と言っただけよ。あなたに感謝される筋合いはないわ』


 きっと自分は、可愛げのない女なのだろう。

 だけど妬まれる国王の寵姫として、我が身を守るために必然と培われた気の強さだ。

貴族の義務ノブレス・オブリージュを知らないとは言わせない。持つべき者こそ与える――わたくしはそれをしているに過ぎないの。だから……あなたがわたくしの伴侶として相応しくなるまで、黙ってわたくしに守られてなさい』


 ――カッコつけすぎた……?


 自分の発言に対する彼の反応が怖くてひっそり覗い見れば、彼は複雑な顔をしていたから。


 ――あ~もうっ!


 たとえどんな環境におかれていようとも、生まれ持った性質というものがある。

 彼が勤勉で努力家だったのと、同じように――アイーシャもなんやかんや素直を隠しきれないのだ。


『でも、それじゃあ納得してくれないというのなら……一つお願いしてもいいかしら?』


 そうしてちょっと憧れだった『愛称呼び』を無理やりこぎ着けたアイーシャは、夜ベッドの上でゴロゴロと頬を緩ませ続けていたことは、専属の侍女しか知らないこと。




 その長年連れ添っている専属の侍女が言った。


『アイーシャ様、ディミトリ殿下がお呼びでございます』

『ミーチェが?』


 あれからおおよそ二年、どんどん元気になるディミトリを見るたびに、どんどん愛着が湧いていたアイーシャは毎日がとても楽しかった。しかも、最近は友達まで増えたのだ。


 始めは色々悶着もあったけど――彼女は自身の持つ後ろ盾を何も使わず、そしてアイーシャの後ろ盾を何も利用しようともせず、日々を粛々と、だけど傍から見たらとても派手に過ごしていた。


 アイーシャはやっぱり人形遊びが大好きだった。そしてやっぱり、男よりも女の子を可愛くしてなんぼ。その集大成であるダンスパーティーで、自分が可愛くした少女を見てディミトリが驚く顔を見るのが、何よりも楽しみだった。


 ――まったく、仕方ないんだから……。


 彼女が現れてから、ディミトリの表情はさらに明るくなった。……というより、とても嬉しそうな、それこそ今まで見たことない甘い顔をするようになって。


 アイーシャはひと目で感づいた。あれは、恋をしている目だ。


 ――そっかぁ。


 人並みの人生を送り始めたきっかけを与えたのは、間違いなく自分である。だけどあんな目、一度も自分に向けられたことはない。別に嫌われているとか、そういうわけでもないのだろうけど。


 ――そっかぁ……。


 だけどなかなか認められなくて、決闘なんて馬鹿なことをして。完膚無きまでに敗北して。その上『コジマさん』なんて馬鹿馬鹿しい呼び名で呼ばれる彼女は、誰よりも気丈で。真面目で。けっこう変わり者な気もするけど、とてもいい子で。


 ――どうせなら、最高な姿の二人で。


 そんな心地で、彼女をドレスアップした後、侍女に声をかけられた。


 ――会場で落ち合うつもりだったはずだけど?


 何かトラブルでもあったのだろうか。そう心配して、コジマさんから預かった写真入れをしまいにいくよりも先に、侍女に言われるがまま裏口まで着いていき。


「あら、ミーチェは――」


 最後まで訊くよりも前に、背後から口元に布を当てられる。その甘い香りに、しまったと後悔するよりも前に――


「ごめんなさい……ごめんなさい……アイーシャ様……」


 自分の口に布を押し当て続ける侍女が、目からボロボロと涙を零していたから。


 ――これは……仕方ないわね……。


 アイーシャは諦めて、目を閉じる。抵抗しようと思えばいくらでもできた。だてに戦闘スキル最高位の《神々の雷槌トールハンマー》を所持していない。


 だけど、その後は? 脅されているだろう彼女はどうなるの?

 最近身の回りに起きる一連の事件の犯人に、当然心当たりのあるアイーシャは諦める。


 ――こんな終わりでも、いいかも。

 ――その方が、ディミトリも自由になれるでしょ?


 そんな弱気になっていたのは、彼女が失恋を覚悟していたせい。

 その年頃の弱さが、アイーシャのまぶたを閉じさせた。


 ――どうか、彼らが幸せになれますように。


 それはまるで、神に祈りを捧げる乙女のように――……

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