第25話 コジマさんの前髪を切る愚者は

 そしてアイーシャが選んだ服飾店は、コジマさんでも知る王家御用達のブランドマークが掲げられていた。その豪華な店内で、アイーシャは一着のワンピースをコジマさんに宛てがいながら満足気に頷く。


「これ素敵ね。じゃあ、ここからここまでと……ここからここを全部アイーシャ=デゼル=シェノン宛の領収書でいただけるかしら?」

「そんなにいただけません‼」


 さすがの量に、珍しくコジマさんは声を荒げる。だけど、振り返った巻き髪をなびかせ振り返った第三王女は、こてんと小首を傾げるだけだった。


「あら、ちゃんと屋敷まで運ばせるわよ?」

「収納場所も、足りませんので!」

「ミーチェ、そんなに狭い部屋を充てがっているの?」


 その問いかけに、彼女の婚約者兼コジマさんの雇用主のディミトリは苦笑を返す。


「ほら、俺の庭に小屋があっただろう? あれがコジマさんの家だよ」

「え?」


 それに、アイーシャの長いまつげがバサバサと三回。


「あれは犬小屋ではなくて?」

「いや……あの……」


 ――まぁ、実際犬小屋だったんですけどね。

 その会話に、思わず吹き出しそうになるのを押し殺すコジマさん。


 やっぱりあのサイズは犬小屋に相応しかったんだ――かつての最愛のひとヴァタルとの思い出に一度目を閉じて。コジマさんはアイーシャを肯定する。


「そうです。あんな狭い小屋には入りませんので。ありがたくお気持ちだけ頂戴いたします」

「ミーチェ……従者の扱いに対して、あとで話があるわ」

「それは正直……俺も相談したいかも?」


 二人の悩み事が噛み合っているようで噛み合っていないことに、コジマさんは気が付いていながらも。


 ――まぁ、いち家政婦には関係ないことですね。

 家政婦はただ、言われるがままに働くだけなのだから。


 都合よく解釈したコジマさんは「では着替えて参ります」とアイーシャが持っていたワンピースを受け取り、試着室のカーテンを開ける。




 アイーシャが選んだワンピースは清楚でシックなものだった。

 全体はアイボリーの厚手の生地。だけどヒダで膝周りは可愛らしく膨らんでおり、襟周りやウエスト部は黒で引き締められている。靴は黒のハイヒールを用意されそうになったが……それはコジマさんが強く断った。家政婦である以上、常に動きやすくあるべきだ。この街は基本石畳だ。主人と行動を共にしている以上、急事にヒールを嵌めてしまうなど言語道断。


「街中で家政婦に強いられる急事って何かしら?」

「いつ暴徒に襲われてもいいよう、気を張っておかなければいけませんので」

「あなたが撃退するの⁉」

「家政婦ですから」


 もちろんアイーシャの頭には疑問符がたくさん浮かんだが、ちょうど可愛らしいローヒールのパンプスを見つけたので、それで合意した二人。


 だけど、問題は次に訪れた整髪店で起こった。


「バッサリと! バッサリと行きなさいっ‼」

「それだけは謹んでお断りさせていただきますっ!」


 店員さんそっちのけで。

 ハサミを持ってにじり寄るアイーシャと、ズルズルと後退していくコジマさん。後ろ髪は整える程度にカットしてもらったはいいけれど、問題は前髪だった。そもそもアイーシャはコジマさんの顔の見えない前髪をどうにかしたかった一方、絶対に前髪を切りたくないコジマさん。


 店内は幸いにも貸し切り。だがさすがに暴れるわけにもいかない。決闘では圧勝したコジマさんだったが、アイーシャとて基本的な戦闘技能は学年トップ。まさかこの程度のことで昏倒させるわけにもいかないし……とじわじわ距離を詰められていると。


 コジマさんの隙をついたアイーシャが、羽交い締めにしてくる。


「ミーチェ! 今だけはあなたの特技を許可するわっ! さぁ、コジマさんが前髪を切るよう口説きなさいっ‼」

「え~? 俺、そんな女々しい特技持ってるつもりないんだけど」

「無自覚なのが余計に腹立ちますが、今だけは目を瞑って差し上げるわ! さあっ‼」


 そんな二人の攻防をソファに座って傍観していたディミトリは「仕方ないなぁ」と腰を上げて。

 あっさりとアイーシャの持っていたハサミを取り上げたディミトリは、コジマさんの前髪をシャキンと切り落とす。


『あ……』


 コジマさんとアイーシャは二人してぽかんと口を開くしかできなかった。

 綺麗に磨かれた床に落ちた黒髪の量は、想定よりも多く、長く。残った前髪はコジマさんの白いおでこの真ん中までしか残ってない。


 開けた視界――コジマさんが見たのは、ディミトリの無邪気な笑みだった。エメラルドグリーンの瞳が細まった目の中でキラキラしている。


「やっぱり……コジマさんの目はすごく綺麗だね。俺、また見れて嬉し――」

「ば……馬鹿じゃないのおおおおおおおおお⁉」


 だけど、その甘い賛辞をアイーシャの絶叫が掻き消す。

 呆然とするコジマさんをよそに……しゃがんだ彼女が泣きそうな顔でディミトリの肩を揺さぶりだした。


「髪は……特に前髪は女の命です! それを……プロの手でなく素人が……しかもこんな適当に切るなんて……‼」

「え、でも、アイーシャが今のうちに切れって――」

「人の話はしっかりとお聞きなさい! わたくしは前髪を切るよう説得しろ・・・・と言ったの‼」

「……どっちも結果としては同じじゃん」

「全然違いますっ‼」


 二人がそんな口喧嘩を続ける中、店員に「お騒がせしてすみません」と頭を下げてから。コジマさんは大きな鏡を見る。


 前髪が短くなり、顕になった両眼――アイスブルーと、ラベンダーの色違いの瞳オッドアイに。一瞬自身で見惚れてから、目を閉じる。


 ――後悔は、していないのだけどね……。


「まぁ、切ってしまったものは仕方ないわっ!」


 一通りの文句を言い終えたアイーシャは、くいっとコジマさんの顎を引き下げて。


「これでも前よりはだいぶマシに……あら? あなた、前からこんな色していたかしら?」


 顔をキョトンとさせたアイーシャに、コジマさんは目を細めた。


「はい。昔から……こうでしたよ」

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