第12話 改めて、家政婦として。

 基本、コジマさんは楽観的思考の持ち主である。

 たとえ道中巨大ワニに襲われようとも、激流に巻き込まれようとも、岩に直撃して帆先の犬が吹き飛んで行こうとも。


 二人怪我なく目的地に着けば、それで問題なしなのだ。


「ふぅ……。なかなか愉快な旅路でしたね」

「……そうだね」


 もちろん二人ともビショビショで。息をつく暇もない波乱万丈な二時間に、地面に足を付けた途端ディミトリは座り込んでしまったのだが。

 相変わらず無表情のまま手を差し出してくるコジマさんに、彼は大笑いする。


「あははっ、メガネなくなって却ってよかったね!」

「まぁ、あれがなくなっても前髪が邪魔なんですけどね」

「そういや視力どのくらい悪かったの?」

「そうですね……片目で・・・、隣の山で手を振っている人の顔が辛うじて判別できる程度です」

「くふふ……俺、もう驚かない。驚かないぞ……」


 コジマさんの手を借りて立ち上がったディミトリは、必死に笑いを堪えながら立ち上がる。若干膝が笑ってるようだが……やはり怪我はないようで、コジマさんはひっそりと安堵の息をついた。


 ――良かった。

 空はもう暗くなり始めていた。赤い夕日が海に沈もうとしている。だけど岸辺の先には、もう目的の大橋が見えているから。びしょ濡れなのはご愛嬌だが、なんとか無事に目的を達成できそうである。


「それじゃあ、行きましょうか」


 シェノリア学園の別称、シェノリア諸島。その名は、ベイルーフ大陸の中央に位置した巨大湖畔リア海に浮かぶ島々のことを示している。その諸島全体がシェノリア学園として王国が直属で管理しており、シェノン王国内ほぼ全ての貴族の子供たちが下宿という形で生活しているのだ。


 そう――貴族に一律とした高い教育と交流をかこつけて、王国を裏切らないように子供を捕虜としている場所――それがシェノリア学園。

 その牢獄の入り口は、こうした大橋で繋がれている。アスラン領と繋がる橋など、だいぶ小さい方だ。それでも橋の前には煉瓦造りの簡易な砦があり、その砦には入退場をきっちり管理する衛兵らが多く配備されている。


「ディミトリ=スヴェン=バギール殿下? 高等二年の生徒の校外実習なら、五日前に全員帰還しているはずだが?」

「だから、訳あって集団からはぐれてしまい――」

「そのような報告は受けていない! 身分証も持たない者を入場させるわけにはいかないだろう⁉」

「でも刺客に追われている時、身分証を落としてしまって――」

「そんな言い訳、どんな下賤なやつでも言えるな?」


 その衛兵らと、ディミトリは揉めていた。彼の荷物は剣一本。たしかに身分を証明するものを持っていなかった。身なりも衣服も焦げたシャツ一枚。しかもずぶ濡れ。そんな見た目の少年が『隣国から嫁いできた王子』と言った所で、先方も「はいそーですか」とは行かないだろう。


 ――まぁ、どちらかと言えば嫌がらせに近いようですがね。


 少し離れた場所で待機していたコジマさんだが、衛兵の目が笑っているのが一目瞭然。ディミトリのことを狙っているという再戦派に金でも掴まされているのだろうか。実際、隣国からの王子が戻ってなかったら、たとえ『生贄』と揶揄されてようとも、えらい騒ぎになっているはず。表向きは和平の象徴たる御人なのだから。


 ――さて、どうしましょうかね。


 迷い犬は間違いなく玄関まで送り届けた――が、まさか家に入れてもらえない光景を見させられるとは。ここで見捨てる……なんて選択肢がとれるはずもない。そんな中途半端な真似、あの人ヴァタルに見せられるはずがないから。


 服の下の写真に触れたコジマさんは、視線をあげて。


「お話の途中失礼します」


 一瞬で間を詰めてきた彼女に、ディミトリを囲んでいた四人の衛兵らは「なっ⁉」と驚きの声をあげる。対して、ディミトリは別の意味で目を見開いていた。「大丈夫だから」と言わんばかりのその碧眼を無視して、コジマさんはいつも通り淡々と述べる。


「私はディミトリ=スヴェン=バギール殿下を保護・・していたアスラン家の未亡人でございます」

「ア、アスラン家の未亡人?」


 その単語に、衛兵の一人は心当たりがあったのだろう。もちろん、コジマさんがエプロンの隅に刺繍された家紋を見せたのもあるが。

 だけど、兵士の口は「あ~あの!」とせせらと歪んだ。


「あれか。辺境伯家に嫁いできたものの、結婚式の後に婚約者に死なれて、馬鹿な弟に娶ってもらい惨めに暮らしているという!」

「まぁ概ねそんな感じの者ですが……我が領で倒れていた殿下を保護し、送り届けに参りました。殿下のご身分はアスラン家が保証致します」

「だがこんな薄汚いのが、かの夫人とはなぁ?」


 当主からの婚約破棄が正当に受理されていないのを予想していたコジマさんだが……たしかにこんな見た目の家政婦風情が『夫人』というには無理があろう。


「じゃあ、仕方ありませんね。もっと上の方を出してもらえますか?」


 たとえ身分証がなかろうとも、それなりの立場の者ならディミトリの顔、そして自分の顔も知っている――そう踏んだコジマさんの交渉に、もちろん衛兵が頷くはずもなく。


「こんな法螺吹き相手も対処できないなんて思われるわけにもいかんからな」


 と剣を構えた衛兵らに、コジマさんは「仕方ない」と肩を竦めた。


「それじゃあ、“交渉”するしかありませんね?」


 交渉も、アスラン家では家政婦業の一貫だったのだから。彼女にとってこの程度、何も問題ないのである。




 そしてわずかな時間にて、辺境の橋に大勢の兵が集まることになった。

 無論、コジマさんがあっという間に砦を制圧してしまったからだ。


「ねぇ、コジマさん」

「はい、なんでしょう」

「ここからどうするの?」


 積み上がる衛兵の山の上に悠然と座っている家政婦コジマさん。彼女を仰げ見るディミトリの疑問符に、コジマさんは「それは――」と答えようとした時だ。


「私がお話しましょう」


 と、緊張した面持ちの老年の騎士がやってくる。彼はディミトリの顔を見るや否や「殿下、ご無事でしたか!」と声をあげて。それにディミトリも「ジョセフさん!」と名前を返す。


 ――これで私の仕事も終わりですかね。


 そう、山から飛び降りるも。ディミトリとジョセフと呼ばれた老年騎士は何やら少し話してから、二人してコジマさんを見てくる。「行っちゃうの?」と言わんばかりのディミトリの目に後ろ髪を引かれるものの――コジマさんが踵を返そうとした時だった。


「ご無沙汰しております」


 短い赤茶の髪の所々に白髪が混じり、目元や口元にも皺が刻まれている。そんな年配者から恭しく頭を下げ。見覚えのある顔をあげた騎士の青い瞳は少し淋しげだった。


 その紳士は終戦時、年の離れた戦友として婚約者ヴァタルの遺体を連れて帰ってきてくれた騎士だったから。


「その後のお噂はもちろん聞き及んでおりましたが……本当に行かれてしまうのですか?」

「私がここに留まる理由がありませんので」

「ありますでしょう? 未成年の令嬢が学業を再開するという、立派な理由が。こんな言い方はずるいとわかっておりますが……我が友も、それを望んでいると思います」


 ――あぁ、そういやそんなことになってたわね。


 すっかり忘れていたコジマさんが珍しく目を見開いていると、ディミトリが「え、どういうこと?」と二人を交互に見てくる。


 そんな可愛らしい彼の様子に、コジマさんは無表情で答えを与えた。


「私、ここを休学していたんですよ。花嫁修業に入るから、という理由で」

「へ?」


 ――ちょうどいいのかも。


 これからどう生きるかわからない身において、学歴があって損することはないだろう。それに……一度、世話をしてしまったのだ。エメラルドグリーンの目を丸くしている子犬の『おうち』を、少しだけ『整理整頓』するのも悪くない。


 それに……婚約のために休学を決めた時も、『年相応の環境に居ること・・・・こそが大事だ!』と、最後まで反対していたのが婚約者ヴァタルだった。


 ――きっとあのひとも、それを望むでしょうから。


「では復学申請をお願いします。でも身分はディミトリ殿下の家政婦、ということで。殿下、この不肖コジマを、殿下の家政婦として雇ってはいただけないでしょうか?」

「い、いいの⁉」


 ただ単に、目をキラキラさせた愛らしい子犬に絆されたわけではない……と、思う。


 ――どうしたら、厳しく躾ができるんでしょうね。


「未成年の使用人も共に在学することを認められていますよね?」

「それは大丈夫!」


 ――どうせ、他に行きたい所もありませんし。


 新たな主人ディミトリは、色々遅れてから「これからもよろしくね」と手を出してくるも。

 コジマさんは徹夜で婚約者と愛犬の躾け方について討論しあった夜を思い出しながら、


「改めて、どうぞ宜しくお願いします」


 日が暮れようとしている巨大湖を背に、姿勢良く頭を下げる。

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