第9話 コジマさんの燃えていく日常

 木の上には目的の果実があった。その名はバナーナ。黄色い皮に包まれた縦長状の果実だ。房状に木の高い部分になっており、その身はとても甘く、栄養価が高いことで有名だ。ただし、その希少性から来る値段の高さも有名で、庶民はおろか貴族でもそうそう口にする機会に恵まれない伝説の果実である。


 そんな噂の果実は、かの生贄王子の思考も逸らしたようだ。


「え、あ……なんでバナーナがこんな所に……?」

「さあ? 以前結婚祝いにもらった一つを当時の婚約者と面白半分で植えてみましたら、なぜか生えまして」

「そんな簡単に育つものなの⁉」

「まぁ、犬もあんな大きくなるくらいなので、果物ごときで今更驚くのも面倒かと」


 あいも変わらず淡々と事実のみを述べるコジマさん。

 本当に当時の婚約者ヴァタルと『キールのためにももっと増やせたらいいのにね』と日当たりの良さそうなこの場所に植えて(刺して)みたものが、翌日ニョキッと伸びていたのだ。イヌもよくここら辺で遊んでいるので、お日様の力って凄いなぁ、と思っているやっぱり楽観的なコジマさんである。


 そんなコジマさんは慣れた様子でザラついた幹に足をかけた。


「では取って参りますね」

「え、危ない――」


 そんなディミトリの制止を、コジマさんが聞く理由がない。スタタッと幹を駆け上がったコジマさんは、慣れた手付きでバナーナの果実を三本ほど折り取る。そしてそのまま飛び降りようと幹を蹴ったコジマさんの真下には――必死な形相のディミトリが両手を広げていた。


「コジマさん⁉」


 ――危ないのはそちらですっ!

 とっさに身を捩ろうとするも、避けきるには高さが足りず。覚悟を決めて、コジマさんはディミトリの両腕の中に収まるよう軌道を調整する。そしてドシン――と。勢いに耐え切れなかったディミトリは尻もちをついて。


 コジマさんは眉根を寄せたまま即座に立ち上がり、彼に手を差し出した。


「着地点にいきなり入って来ないでください。余計に危ないです」

「ご、ごめんなさい……でも」

「でも?」


 低い声を発したコジマさんに、ディミトリが肩を竦めて苦笑した。


「コジマさんは……女の子でしょ? あんな高い所から、危ないよ」

「ご安心ください。十七歳の家政婦はあの程度から飛び降りることはなんてことありません」


 四日経っても根に持つコジマさんは、事あるごとに「十七歳」を強調してディミトリの言葉を詰まらせていたのだが――今回ばかり、なぜか彼はそこに食いついてきた。


「そうだよ、同い年の女の子なんだから、なんてことあるんだよ!」

「ご、ございません! こんな時ばかり『同い年』や『女の子』を強調しないでください」

「でも俺、心配で――」

「心配は不要ですっ‼」


 きっぱりと言い切ったコジマさんは、ズレた眼鏡を掛け直す。その際、何気なく長い前髪を一瞬だけ耳にかけて……ふと、ディミトリと目が合った。


「……なんですか?」

「いや、本当にコジマさんって綺麗な目をしているなって。オッドアイだったんだ」

「なっ⁉」


 立ち上がったディミトリが、そっと指先で前髪を押さえてくる。いつも見えていたラベンダーの右眼の隣。「アイスブルーなんだね」と微笑で感想を漏らすその手を、コジマさんは思いっきり振り払った。


「見ないでください‼」

「ご、ごめん……」


 ――しまった……。

 他人に気を抜いてしまった。コジマさんは髪の上から左目を押さえつつ、ディミトリを覗き見る。彼はコジマさんに叩かれた手を押さえて、俯いていた。その手は赤く染まっている。

 強く叩き過ぎた自分に嫌悪する。オッドアイなど、自ら望んでなった・・・・・・・・ことなのに……。思わず、コジマさんは目を閉じていた。


 ――相変わらず中途半端ですね、私は。


 だけど「じゃあ、これだけ」と手を伸ばしてきたディミトリの声に、彼女は瞼を開ける。


「女みたいって……笑わないでね……」


 片膝をついたディミトリは、その甲に唇を落としていて。

 その途端、その手がほんのりとエメラルドに輝き出す。その光は、とてもあたたかくて。優しくて。彼が唇を離して一呼吸する頃には、光も止んでしまったけど。


「俺の才能スキル……こんなでさ」


 照れくさそうに笑う彼の声音は、やっぱり優しかった。


「『聖なる口吻セイント・キス』……口付けした対象に加護を授ける才能スキルでね。このスキルを所有する者は、俺の国だと聖女に祀り上げられたりしてるんだ。今はコジマさんが怪我をしませんように、と祈っておいたよ。効果は一度きり。でも、特に制約期間はないから」


 そうディミトリはコジマさんを見上げて。そして口元に人差し指を立ててから、クシャッと目尻にしわを作った。


「これが『聖女』ならず『聖王子』なんて呼ばれる由縁で……女々しくでしょ? コンプレックスなんだ。だから……これでお互い様ってことで」


 許して、と肩を竦めるディミトリの目が、やっぱりキラキラ眩しかったから。

 掴まれていた手を胸に寄せ、顔を逸らしたコジマさんは「今回だけですよ」と顔を逸らした、その時。彼女はヒクヒクと鼻を鳴らした。何かが焦げたような、燻された臭いがする。


「コジマさん?」

「お静かに」


 口元に指を立てたコジマさんは目を閉じた。耳を澄ませば、パチパチと何かが弾ける音。方向。距離。それらを計算して――コジマさんは最悪の事実を導き出す。


「まさか⁉」


 そしてコジマさんは、即座に駆け出した。「え、待って!」とディミトリが手を伸ばしてくるが、待っている暇なんてない。だって、だって――近づくにつれて、空気が薄く感じるから。それは小屋が燃えているからだけではない。思い出が……最愛の婚約者ヴァタルとの思い出が赤い炎に包まれているから。


 轟々と燃える小屋のそばには、見覚えのある青年がいた。思わず呆然と立ちすくむコジマさんに指を突きつけて、それは嗤う。


「はーははははっ! 見たか、未亡人! オレに捨てられて粋がっていたようだが、それもこれで終いだ‼ どうだ? オレに三指ついて頭を下げるなら、再び屋敷で家政婦やらせてやらないことも――」


 五日前に婚約破棄兼クビを言い渡したアスラン家現当主ザナール=アスランが何か喚いていたが――どれもこれも、どーでもよかった。


 ただ、コジマさんにとって大切なのは――


「ヴァタル様……‼」


 思い出の彼を炎から救うべく。

 彼女は赤く燃え上がる小屋のノブを素手て掴み、躊躇うことなく扉を開く。

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