第18話 姪のひまちゃんを溺愛してるんだよね

 明けて十二月三十一日大晦日本日、年末寒波に見舞われた沼津はいつになく寒い。最高気温が9℃しかない。一桁だ。極寒だ。地獄の京都出身の椿に「なに言うてはんのや」と言われたが彼も寒いものは寒いらしく結局仏間でこたつにこもっている。


「お空がくもったはるからこんなに寒いんやなあ。おひいさんが見たい」

「呼んだ?」

「ひいさんやない。おてんとさま」


 こたつで、どてらでもこもこしている椿と、大樹のパーカーを着た稔、向日葵のセーターを着た菜々、ヒートテックのおかげで薄着の向日葵の四人がトランプのババ抜きをしている。体の弱い椿が熱を出さないといいのだが、こたつにエアコンにホットカーペットと暖房フル回転で向日葵からしたらこの部屋だけ少し暑い。


 椿が稔の手札から一枚引っこ抜く。自分の手札を見て、4のペアを捨てる。


「いや、ちょっとかけてる。ひいさんは太陽のようなお人や」


 菜々が椿の手札から一枚引っこ抜く。何のペアもできなかったのだろう、「ああ」と溜息をつく。


「それも京都弁?」


 そう言った稔に椿が「京都弁言うな、京言葉は立派な都言葉や」と唸る。ずいぶん仲良くなったものである。


「でもそうかも。意識してへんかったけど、他におひいさんて言うてる人見たことあらへん」


 向日葵は菜々の手札から一枚取った。スペードのクイーンだった。ジョーカーはまだ見ていない。他三人の誰かが持っているらしい。クローバーのクイーンとペアができたので捨てる。


「『ひいさん』はどこから来たの? ひまわりちゃんのひ?」


 そう言いつつ、稔も向日葵の手元から一枚抜いた。ハートのエースだ。ペアができたらしく、今出ていったカードとセットでスペードのエースを抜いて捨てた。


「違う。これはもともとお姫様やったのが、お姫さん、姫さん、ひいさんにどんどん略されてったん」


 初耳だった。昨日今日と菜々と稔のおかげで新鮮な発見が多い。ずっと意識していなかった椿の秘密がどんどん明らかになっていく。恥ずかしさで顔を赤くしながら「そうだったの!?」と声を上げた。椿が稔の手札から一枚抜きながら「言うてへんかったかな」と呟く。


「聞いてない」

「ほな僕の心の中だけでそういう変遷をたどっていったんやな」

「言ってよ」

「聞いてこなかったやろ」


 椿が目を真ん丸にした。稔が「椿くんおもしろいね」と微笑んだ。きっと稔から椿にジョーカーが移動したのだ。稔はとんだポーカーフェイスである。次に椿から一枚取らなければならない菜々が「ぎゃーっ、やめてよーっ」と叫んだ。


 玄関から大きな声が聞こえてきた。大樹の声だ。


「叔父さん和枝さんご夫妻ご到着だぞー」


 椿が自分の手札を一気に全部山に広げて置いた。やはり稔から来たらしいジョーカーが交ざっている。


「お客さんや。おしまい」


 いかにも椿らしい負けず嫌いである。


「卑怯だよ、自分が負けそうな時に限ってそういうこと言って」


 稔が非難したが、椿は無視して立ち上がり、玄関のほうに向かって歩き出した。菜々も「やったージョーカー引かなくて済む」と言いながらこたつを出る。向日葵も稔に味方して「ずるい奴らだ」と言ったが、叔父たちに挨拶せねばならないのには変わりがないので、自分のカードも引っ繰り返して山に放り出した。結局トランプを片づける役目は最年少の稔に託された。


 玄関に向かうと、ダウンジャケットを着た兄が、右手に自分の車の鍵、左手に叔父の妻の荷物とおぼしきボストンバッグを持って上がってきているところだった。彼が沼津駅まで迎えに行ったらしい。


 大樹の後ろを、叔父の正樹が、そしてその妻の和枝がついてくる。


 正樹は父広樹の二つ年下の弟で今年五十歳になったはずである。背は高いが細身でひょろひょろしており、筋肉質でごつごつしている広樹とは対照的だ。顔立ちも、パーツは広樹に似ているが、農作業で日焼けした広樹に対して事務仕事の正樹は色が白い。隣に池谷家最大の男大樹が並んでいるせいで余計に細く小さく見える。


 和枝は正樹と同い年の女性だが、彼女も色白で顔にはしみなどなく実年齢より若く見えた。華奢だからか小さく見えるが身長は向日葵と同じくらいのはずだ。向日葵は彼女を見るたびいつも折れてしまいそうだと思う。菜々や稔の母親らしくいつも愛想よく微笑んでいるが、もの静かな人で愛嬌があるというのもちょっと違う。


「おはようひまちゃん。これお土産」


 和枝が箱を差し出してきた。お年賀、という熨斗紙がついているが、土産と言われたので開けてもいいだろう。包装紙をびりびりと破いて開けていたら兄に「性格出るな」と言われた。無視する。引っぺがすと下から出てきたのはステラおばさんのクッキーの詰め合わせだった。向日葵の大好物だ。思わず「都会のお菓子だー!」と叫んでしまった。和枝が目尻にしわを作りながら目を細めた。


 正樹が靴を脱いで玄関に上がった。大樹があまりにも大きすぎるせいで感じなかったが、こうして至近距離に立つとやはり背が高い。

 彼は向日葵を見ていなかった。目が合わない。いつもは真っ先に向日葵に声をかけるのに珍しいことだ。

 彼の視線の先をたどった。

 ぎょっとした。

 椿を見ている――もっと正確に言えばにらんでいる。


「君が『椿くん』か」


 険しい顔、剣呑な空気に向日葵はひるんだ。だがとうの椿は平気な様子で、涼しい顔で答えた。


「椿と申します。よろしゅうおたのもうします」


 向日葵はすぐさま察知した。椿のこの顔は相手に内心を悟られないための防御態勢を示している。大学の同期たち相手にもよくこういう涼しい顔をしていた。正樹に対して即座に心を閉ざしたということだ。

 彼は正樹に深々と頭を下げた。礼儀正しい、綺麗なお辞儀だった。稔や菜々には取らなかった態度だ。

 頭を上げると、正樹と椿が真正面から向き合った。椿は相変わらず落ち着いた顔をしているが、向日葵の目にはバチバチと火花が散っているのが見えた。


「ちょっと、正樹さん」


 和枝が笑みを崩して夫の腕を叩く。


「やめてちょうだい。相手は菜々と変わらない子供なんだから」


 彼女は一気に地雷を踏んだ。彼女にはこういうところがある。椿は一生彼女相手に心を開かないだろう。


「君には後でちょっと話がある。時間をくれないか」


 正樹がそう言った。椿は「喜んで」と返した。とんでもない。稔も凍てついた空気を察したらしく「本家で揉めるのはやめてほしい」と言ったが二人は聞かない。


「ちょっと、叔父さん、どうしちゃったの?」


 向日葵は笑みを浮かべようとしたがきっとぎこちないものになっただろう。


「向日葵は黙っていなさい」


 叔父はそう言ってぴしゃりとはね退けた。これも子供扱いをしている台詞だ。『女の子』の向日葵に口を差し挟む余地はない。

 おかしい。どうしてしまったのだろう。確かに叔父は相手を女子供だからという理由で区別しがちだが、逆に言えば女子供である限り保護してくれる昭和後期の紳士特有の価値観をもった男性で、普段は真面目で穏やかな人なのだ。表面的な態度に限定して言えば正樹と稔はよく似ている。


 空気を察したかのように玄関のチャイムが鳴った。その場にいた全員が驚いた顔で戸の向こうを見た。あまりにもタイミングがいい。

 最初に我に返って「はい」と答えながら戸を開けたのは大樹だ。さすが兄、肝が強い。

 戸を開けると、そこに立っていたのは大柄な女性だった。白髪交じりの髪をひっつめにした、体格のいい女性である。白くて細い和枝と並べると対照的で、頬にははっきりしたしみとしわがあって年相応だ。エプロンの上にフリースを羽織っている。目はぐりぐりと大きく、口元は機嫌良さそうに笑っている。


「おかえり正樹! あんたが本家に帰ってくるって聞いたから姉ちゃんすっ飛んできちゃった」


 広樹正樹兄弟の姉、池谷家長女の由樹子だ。徒歩二十分くらいのところに住んでいるので、用事があるとすぐ家まで押しかけてきてしまうのだ。良く言えば明るく朗らかで気さくな性格の静岡のおばちゃんである。


「ユキねえ

「えっ、何この空気? 何かあったの?」


 大樹が「いやーユキ伯母ちゃんナイスでーす」と言いながら戸を閉めた。


「伯母ちゃんどうした? 正月に来るかと思ってた」

「まあぶっちゃけ正樹の顔は明日でも見れるんだけどさ、桂子ちゃんがまだ餅ついてないって言うからさ、おばちゃん手伝いに来てやろうと思ったさぁ」

「そりゃどうも。じゃ、これから餅つき大会ね」


 三十年以上前に嫁いで出ていったくせに、由樹子が率先して「ほら、上がって上がって」と言う。和枝が靴を脱いで上がり、自分の靴と正樹の靴を揃える。


「ばあちゃんの部屋の隣の客間使ってほしいってばあちゃんがさ。とりあえず荷物置けや」


 言いながら大樹が廊下を歩き出した。正樹と和枝は大樹の後ろについていった。

 由樹子が向日葵に「何かあったの?」と聞いてきた。向日葵は顔をしかめながら「なんか叔父さん機嫌悪そう」と答えた。


「えーっ、正樹が? 珍しい」

「ほんと、何なんだろ。めんどくせー」


 いつの間に笑みを消したのだろう、椿も憮然とした顔で「何なんやろ」と言ってくる。


「僕なんで初対面でこない嫌われてるん?」


 稔が溜息をついた。


「父さん、姪のひまちゃんを溺愛してるんだよね」


 由樹子が「そうだった」と自分の額を叩いた。


「こりゃあ荒れるぞ、椿くん覚悟しなあ」


 椿も溜息をついた。




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