第13話 今年のクリスマス、最悪だったけどおもしろかったな

「まあいいよ、おしゃべりしよ。何かおもしろいことしゃべって」

「無茶言わんといて。今日一日一緒にいたしネタないやろ」

「またまた、そう言いながらわたしたち四六時中何かしゃべってんじゃん」

「ひいさんがネタ尽きひんのやわ」

「わたしがおもしろい奴みたいに言うのやめてよ」

「おもろいで、五年一緒にいても飽きひんもん」

「わたしだって。わたしも椿くんとしゃべってると何の話でも楽しいよ」


 そこで椿が声のトーンを落とす。


「でも肝心なことしゃべってへんかったな。結婚したのに、夫婦なら話さなあかんこと話してなかった」

「何かあったっけ?」

「子供のこと」


 テンションが、ずどん、と落ちた。


「考えてた?」


 向日葵は少しの間黙った。


「いや、正直わたしも忘れてた」

「わたしも、やないやろ。僕はずっと考えてた」

「えっ、マジで?」


 運転に支障が出ないよう配慮しつつ、ちらちらと椿のほうを見る。椿が窓の外を見ているので表情がわからない。


「欲しい?」


 たっぷり十秒ほど間をおいてから、向日葵は頷いた。


「いつかは」

「そう」

「ぜんぜん考えてなかったけど……、言われれば、うん」


 ハンドルの表面をがりがりと引っ掻く。


「子供好きだし。自分も家族仲いいし。でもそれがあるべき姿だとも思ってないよ。マジ今日おばちゃんに言われるまで考えてなかったしね」


 ただ、母性は迷子になるものなのかもしれない。本来ならば子供に向けるべき感情を椿に注ぎ続けることになるのだろうか。


「僕は欲しくない」


 椿は窓の外を向いている。


「ずっと嫌やったんや。家のために子供を作らなあかん。相続のためだけに、誰もが納得する男の子を。それもよう知らん婚約者と。そこに僕の意思はなくて、そういうものやったの」

「うん」

「生殖ってなんでこんなに汚いんやろ。生まれてきたくもない子供をこの世に引きずり出すために女の人の体の中に自分の体の一部を挿入するんか。とても傲慢なことやと思うし、単純にそのために他人に触るのが生理的に気持ち悪い。一生そんな行為したくない、って」

「……うん」

「僕自身が生まれてきたくなかったんやな。そやから父親になりたくない。それで……、ひいさんはあの時ああ言うて僕の名誉を守ってくれたけど、僕がコンドームを使うのはひいさんの体を気遣ってやなくて妊娠したって言われたら僕が困るからやね、まあほんま、そういう最低な男なの、それでもひいさんとはしたいの、生殖ではなくてスキンシップとしての性行為を」


 少しの間、沈黙する。


「初めて池谷家に来た時、お義父さんが、ひまが家を継いでもいいしひまが嫁に行くなら親戚の子にやってもいいし、最悪家をたたんでもいい、って言わはったのびっくりした。世間にそんな考え方があるなんて知らんかった。僕の常識で言えば絶対長男の大樹さんが継がなあかん。ひいさんが婿取って継ぐんならひいさんの息子が。でもそんなんこの家こだわらへんのな、と思ったら、すーっと楽になって、それまで感じていたプレッシャーがなんもかんもなくなった。あ、別に無理して男の子を作る必要ないんや。――その考え方だけで僕は救われてる」


 左腕を伸ばした。椿の後頭部を無造作に撫でた。椿は「なにしはるの」と呟いたが、まったく抵抗しなかった。


「話してくれて、ありがとう。散々な目に遭ったけど、そういう話を聞けたから、本当はいいタイミングだったのかもしれない。よかったのかもしれない」

「そう?」

「お父さんの言うとおりだよ。うちはわたしが継ぎたいから継ぐんであってわたしが継がなきゃいけないわけじゃないの。次の世代があるとしたら、お兄ちゃんの子供や従兄弟の子供になってもいい。椿くんが婿に来たからがんばらなきゃとか思ってんだったら違うからね。ただ――」


 乱れた椿の髪を手櫛で元のとおりに整える。


「夫婦の好き勝手なスキンシップの果てに愛の結晶が生まれてもいいじゃん。わたしは椿くんとのセックスがだいすき。子供も好き。好きなことしてるうちに好きなものができるんならいいことだと思っちゃう」

「単純やな」

「でもわたしはそういう単純なわたしが大好きだから変える気はない」

「僕もそういうひいさんが好きやから変えないでほしい」


 向日葵は両手でハンドルを握り締めて「よし!」と言った。


「決めた。二十代のうちは二人で暮らそう。それで三十歳になったらもう一回考えよう。その時に椿くんの気が変わってなかったらうちは子供いらない。椿くんがだめなうちはだめなんだよ、わたしは椿くんに無理強いしたくない」

「そんなんでええの?」

「ママが我を通して一人で作って産んでもパパに可愛がってもらえないんならつまんない人生だと思う。わたしはお父さんに可愛がられて育ったからね。そんでもって、つまんない人生送らせるくらいだったら産まないほうがいい」


 息を吐いてから「正直悲しい」と微笑む。


「わたしは椿くんが大好きで椿くんがこの世に生まれてきてくれたのが本当に嬉しいから、生まれてきたくなかったって言われたらなんかめっちゃ不幸な気持ちになる。椿くんや椿くんの子供がそんな不幸感じるくらいだったらいいんです。現時点で妊娠してないわたしはできるかもわからん子供より目の前にいる椿くん優先です」

「そうなんか」


 椿の肩から力が抜けていくのを見て取った。


「よーし、決めたぞ。今夜はとっとと帰って楽しいセーフセックスをしよう。いちゃいちゃべたべたしてハッピーな夜を過ごすのだ」

「ほんま」

「小さい子がいたらできないこといっぱいしよう。楽しく暮らそう。二人で」


 彼がやっとこちらを向いた。嬉しそうに笑っている。彼のそんな顔をしているとこれでよかったのだという気持ちが固まってくる。

 同時に、三十になる前に気が変わってくれたらいい、とも思う。心のどこかに、池谷家と九条家の血を引いた子供ではなく自分と椿の遺伝子を掛け合わせた子供は欲しいという願望が残っていて、実家にいる間に何かを失った椿がこっちでの能天気な暮らしの中で失ったその何かを取り戻して同じことを考えてくれたら、と祈ってしまう。

 しかし自分たちは今二十三歳で、三十歳まで七年だ。七年は長い。中学高校の六年間がすっぽり収まる。そんなに長い時間があったら考え方などいくらでも変わる。


「そしてそう決意したところで渋滞が緩和されるわけでもなく……」

「いつ帰れるんやろな……」


 結局のところ、二人のドライブは夜十時まで続き、疲れ果てた二人はシャワーを浴びたあとさっさと寝てしまい、そのスキンシップとやらにも発展せず睡眠をたっぷりとって朝を迎えたのだった。今年のクリスマスはこうして終わってしまったのである。

 そして、話は年末に続く。



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