見ないで

 言うまでもなく、メールを送っているのは白石わたしだ。青木のメールアドレスとパスワードを盗み見し、自分のスマホから青木のアドレスを使って送っている。


『目』の力で青木の生活を見て、リアルタイムでメールを送っているのだ。声こそ聞こえないが、映像は正確。更に言えば目線の小さな動きまで言葉通り『見て取っている』のだ。


 とはいえ、穴はある。


 サーバー管理者に問いかければ、メール送信を行っているスマホの特定は可能だ。青木に知識があれば警察や弁護士を通して情報開示を願えば、私のスマホにたどり着くだろう。


 だが青木にその知識はなく、それ以前に常にみられているという恐怖から冷静な判断ができないでいた。それは通りすがった人に掴みかかったことで証明されている。


(何処だ何処だ何処だ!?)

(誰だ誰だ誰だ!?)


 青木は余裕なく周りを見る。監視されている。見られている。自分を見ている誰かがいる。それは確かだ。だけどそれがどこにいるのかわからない。だれがみているのかわからない。


 絶え間なく監視されていることをメールで告げられて疲弊する青木。完全に疲弊して、有休をとって家にこもる青木。カーテンを閉めて、電気も消して、毛布をかぶって身を守る。


 スマホは怖くて電源を切っている。誰にも見られないようにしないと。ぶつぶつと言いながら、時を過ごす。


 とんとん、と扉を叩く音がする。その音に驚く青木だが、その後は何の反応もない。覗き窓から外を見ても、誰もいない。その代わり、ドアの郵便受けに何かが入っていた。コンビニで売っている茶封筒。中にはルーズリーフに手書きで文字が書かれていた。


『みてるよ』


 一枚目に大きく書かれた文字。驚き尻もちをつく青木。手からこぼれた紙には、


『7:30 店に電話』

『7:42 コンビニに行き、大量のゼリー飲料と飲料水を買う』

『8:01 ゼリー飲料を口にする。カーテンを閉めて、毛布にくるまる』

『8:21 寝返り 胃を押さえて苦しみ、目を閉じる』

『8;53 寝返り 胃を押さえて苦しみ、目を閉じる』

『9:12 寝返り 胃を押さえて苦しみ、目を閉じる』

『9:32 寝返り 胃を押さえて苦しみ、目を閉じる』

『11:12 寝返り 胃を押さえて苦しみ、目を閉じる』


 朝から今まで、寝ようとして寝れなかったことが書かれていた。正確な時間は自分でもわからないが、だからこそ恐ろしい。自分を見ているモノが確かに存在しているのだ。そしてそれは、ついさっきまでドアの前にいた。


「何処だ……!」


 近くに自分を見ている者がいる。自分の生活を脅かすものがいる。青木は靴を履き、外に飛び出した。捕まえて、こんなことは終わらせてやる。そうだ、終わらせてやるんだ。


 ワンルームマンションから外に出れば、そこには近所の人や散歩する人がいた。いつもなら青木はこの時間はここにはいない。青木はその中では異物だ。


 道行く人は風景のように青木を目の端に捕らえる。マンションの住人かな? そんな程度の興味。そんな程度の目線。


 それが、青木には深く刺さった。複数の目で見られる錯覚。知らない間に観察される錯覚。見られている。自分が見られていることが、いまはっきりと自覚できる。


 口元を抑えながら、部屋に戻る。見られた。見られた。たったそれだけの事なのに、それがこんなに怖い。叫びそうになる衝動をかろうじて押さえ込み、何とか自分の部屋に戻る。


「……ん?」


 郵便受けに挟まっている紙があった。さっきの茶封筒に入っていたのと同じルーズリーフ。青木は恐る恐るそれを手にする。まさかまさかまさかまさか。


『みてたよ おかえり』


 短く書かれた8文字。青木は慌てて周りを見回す。これがここにあるということは、近くに見ている人がいるはずだ。家から出てそんなに時間は経っていない。どこだ、どこだ、どこだ――!


「あ――」


 見回す青木の目の端に、手を振る何かの姿が見えた。まるで手を振る少女。口元はマスクで隠しているが、どこかの学校の制服を着た女性。それはすぐに視界から消える。


「お前、かぁ!」


 青木はそれが自分を見ている人間だと判断し、追いかける。根拠などない。追いつめられた青木は誰もかれもが疑わしい。監視される生活から解放されたくて、必死だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 必死に走る青木。少女の影は青木に見つかるタイミングで建物や壁の影に消えていく。青木が見た瞬間を見計らって消えていく。まるで、どこかに誘導するように。


 少女は街の外れにある廃病院に姿を消す。取り壊されることなくずっと建っている病院。誰かが壊したのか入り口には鍵がかかっておらず、肝試しや動画のネタとして利用されている場所。


「へへ、こんなところに逃げるとか、へっへへ」


 外から見えない場所。多少叫んでも誰も来ない静けさ。少しぐらい暴力を振るったってかまわない。青木に冷静な思考はすでになく、この状況から逃れることしか頭にない。


 常に目の端に写る女性。青木はそれを自分が追い詰めているのだと思っていた。相手はか弱い女。卑怯な事しかできない女。男の足に勝てるはずがない。捕まえて一発殴って、その後は――


「そうだ。酷い目にあったんだから、お返ししないとな」


 唇を舌で湿らせる。暴力で相手を屈服させる快感を想像し、唇が歪む。どうお返ししようか。気が済むまで相手を痛めつけて辱めて。そうだ。復讐する権利はある。ここまで苦しめられたんだから。俺は正しい。


 青木の歪んだ怒り。しかし一理あった。罪には罰を。咎には刑を。悪事には法による裁きを。それは正しい。悪を許してしまえば、それによって苦しむ者は絶えることはないのだから。


 しかしそれは、青木自身にも当てはまる。


 制服少女が廃病院の一室に入るのが見えた。青木もそこに向かって走る。息を切らせて全速力で。少女を逃すまいと部屋の中を睨みつけ――


「ひ」


 壁一面の目を見てしまう。


 正面の壁。壁面。床。窓。そこにある目。大量の、目。


 それは紙に印刷された『目』のイラストだ。それを大量にコピーして壁に貼り付けているに過ぎない。冷静になればすぐにわかることだ。


 だが、青木は冷静になれない。さんざん観察され、さんざん精神を追い込まれたのだ。見るな、見るな、見るな、見るな――


 尻餅をつき、パニックに陥る青木。照明のない廃病院に差し込む陽光が制服の少女を照らす。マスクと逆光によりその顔はわからない。少女は、青木にゆっくり近づいてくる。


 少女は長い手袋を脱ぐ。腕が露出していくたびに、そこにある奇妙なものを青木は見る。


 目。腕に生えた、目。眼球は動き、そして青木を見る。まるで本物の目であるかのように。ありえない。ありえない。ありえない。青木のパニックは最高潮に達した。


 完全にとれた手袋。二の腕から指先まで露になった、手の生えた腕。異形の腕を見せつけるように少女は近づいてくる。青木はそれから目が離せない。蠢く眼球から目が離せない。


 み、ないで。唇が動く。みないで、みないで、みないで。言葉にならない恐怖。目の前の異形。目の生えた腕と言う異形。ずっと見られているという恐怖。それが、青木を狂わせる。


 制服少女は、そんな青木にとどめを刺すように、静かに告げる。


「ずっと、見てるから」


 少女の腕にある目が、一斉に青木を見る。


目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目――


「見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで! ああああああああああああああああああああああああああぁ!」


 絶叫し、口をパクパクさせながら失禁する青木。

 そのまま白目をむき、意識を失った。

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