俺はボディガード

紺藤 香純

第1話

 異変に気づいたのは、同棲初日だった。

 フローリングとラグにびっしり。それらは足跡あしあとであると直感した。それも、普通ならあり得ない足跡だと。

「ねえ、これ……あれだよね?」

 彼女に訊かれた。彼女も、同じことを考えていたようだ。

「内見のとき、何かいたっけ?」

「何もいなかったはずだが」

 俺はラグに膝をつき、指先で足跡に触れた。粉のようなものが指に付く。

 埃ではない。小麦粉とも違う。

「灰……?」

 俺が呟き指先を彼女に見せると、彼女は表情を曇らせた。

「悪い。意地悪したわけでないんだ」

「わかってる。私こそ、ごめん。……本当に、ごめんなさい」

「きみのせいじゃないさ。これからのことを考えよう」

 彼女と俺は、同じ病院に勤務する看護師。価値観が合い、変なところで、ツーカーの仲だ。

 だからこそ、確信を強めてしまう。

 きっかけとなったのは、あの日だと。



 正月に、交際相手である彼女の実家に挨拶に伺ったときのこと。

 山深くにある彼女の実家は、いかにも農家という感じの古い家で、彼女の父親は厳格を絵に描いたような強面こわもてだった。濃紺の着流しなんか着用しているものだから、「昭和の怖いオヤジ」を連想して萎縮してしまった。

「きみ、は」

「日野です」

「藤岡なのか」

 県をまたいだ隣の市町村出身だと誤解され、若干喜ばれたが、訂正するしかなかった。

「いえ……東京の、日野市です」

 それを聞いた彼女の父親は、落胆したように溜息をついた。

「あの子の選んだ人だ。間違いはないと思うが」

 彼女の父親は、テレビの脇に置かれた写真を見やった。

「ボディガードが何と言うかな」

 その言葉が発せられた瞬間、彼女の父親に何かが覆いかぶさった。父親は気づいていなかった。

 本人の前でこんなことは言えないが、彼女の実家は空気が澱んでいた。家の中に、何かいる。多分、家族にはわからない。他人である俺だからこそわかるような感覚だった。



 父親に認められたのか否かわからなかったが、仕事のために東京に帰らざるをえなかった。

 その後、彼女と同棲することにして、今に至る。

 結局、あの足跡のことは誰にも話していない。警察にも届け出なかった。

 おそらく、警察は相手にしてくれないだろう。

「部屋の四隅に盛り塩しておいたよ」

 彼女は、屈託ない笑顔で俺に報告してくれた。その笑顔の下の不安は隠しきれていない。

 俺が彼女を守らなくてはならない。俺はボディガードだ。

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