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良くも悪くも、私の言動を真っ直ぐ受け止める彼の性格を、私は顧みるべきだった。

…と、私が心中密かにそんなことを考えていると、彼の顔を包んでいる私の手に骨張った手が絡みつく。

「…?」

されるがままにしていたら、私の両手はそのまま厳かに彼の首に導かれた。

見上げてくる彼の目は昏い懇願に満ちている。

深いため息が出た。

「………やだよ。私は人殺しなんてしない」

この世の終わりのような顔をされた。はらはらと涙を零す彼に、私は再び天を仰いだ。

だから、私は、泣いてる人間が、苦手なんだってば。もはやその存在を信じてもいない“神”とやらに、文句を言いたい気分だった。

一体、私にどうしろと。

途方に暮れた挙句、私はわざと場違いな軽い口調で、天気の話でもするように問いかけた。

「それにしても蘭さんさぁ、よくもまあ、この短期間であそこまで仕上げたよね」

「…う?」

「小道具も凄かったけど、蘭さんの演技。蘭さん、俳優の才能あるんじゃない?」

蘭さんは、基本的に嘘をつけない。ついたところで、すぐバレる。今回の事だって、本人の言う料理以外の何かしていること、それ事態は隠せていなかった。

嘘をつくことと、演技をすることは、また別物なんだなあ、と私はもはや感心していた。

しかし蘭さんは、「そんなわけないよ…」とどこまでも謙虚だった。

「だって、“お前はもう二度と演技すんな”ってみんなに言われたもん…」

「…は?みんなって?」

「昔入ってた劇団の仲間」

「劇団⁉︎」

「……昔の話だよ。結局、一年も所属してなかったし」

かつて蘭さんの所属していた劇団というのは、演劇に疎い私でもその名前を耳にしたことのあるほど有名なところだった。確か、どこぞの旧家の箱入り娘が若くして立ち上げたという、新興の劇団だったはずだ。

今までの演劇にはない、最新のテクノロジーを駆使した斬新な演出と、ストーリーの緻密さ・壮大さがたちまち話題になり、後にアカデミー賞を取るような有名俳優をも輩出している。

そんな煌びやかな世界に、目の前のこの男が。

「…所属してたって言っても、僕は偶然が重なって巻き込まれただけなんだよ…」

蘭さんは、劇団長になったその娘さんとは高校時代の同級生だったらしい。

「同窓会に顔を出したら、あの人に捕まってさ。それまで話したことすらなかったのに、いきなり代役を頼まれて」

「代役?」

「そう。本来、主役をやるはずだった人が事故で怪我したとかで。僕はたまたま団長の目の前に立ってて、その主役の人と背格好が似てたってだけなんだよ」

蘭さんは俯いてホットコーヒーを啜った。私も手の中で汗をかき始めたアイスカフェオレをストローで吸う。両方とも、つい先程シュンさんが淹れてくれたものだ。彼は店の何処からか持ってきたキャスター付きの椅子にドスンと腰を下ろした。手には自分の分であろう、マグカップを手にしている。

そして、まじまじと蘭さんの顔を見つめたかと思うと、

「……やっぱり。アンタ、あの、、早見蘭か」

そう言った途端、隣に座る男はフーッと威嚇の唸り声を上げた。毛を逆立てた猫のようだ。

と私が思ったのに対して、シュンさんは「爬虫類かよ…」と呆れている。

「……何、2人は知り合いなの?」

「いや、知り合いっていうか「ううん、全然無関係の知らない人だよ」…オイ」

シュンさんの言葉を食い気味に否定した蘭さんはプイと子供のように顔を背けた。これじゃあ、どちらが年上かわからない。

「…OKわかった。とりあえず2人は知り合い以上の関係ってことで」

「リツカさんはそれでいいのかよ…」

「別に今無理に知らなくていいです」

そんなに興味ないんで。もう少しでそう言いかけるところだった。だって、2人がただの知り合いではないという事実が、私に害をもたらすとは到底思えない。

「…あー、シュンさんは、蘭さんが劇団に入ってたことは…?」

「知ってたよ。観に行ったから」

「へえ。どうでした?」

蘭さんはギョッとしたようにシュンさんを振り向き、それからしおしおと背中を丸めた。

「…どうせ酷評するんだろ。所詮僕は代役の、大根ダメ役者だったよ」

「え?いや、違ェよ。アンタの場合は、演技力が無かったっていうより…」

むしろその逆、上手すぎたのだろう。

皆まで言わなくともわかる。

そしてこれもまた言うまでもないことだが、蘭さんが最初にして最後の舞台で演じたのは、やはり殺人鬼の役だった。

髪を切りながら、シュンさんが教えてくれた。

「…実際、オレはその場に居ましたけど、観客のリアクションはそれはもう凄かったですよ。子供は泣き叫ぶし、大人でもビビって半泣きの人がいるくらいで。で、劇団には感想という名の苦情が何百件と寄せられたみたいです」

「…でしょうね。ちなみに、その劇のタイトルは?」

「『綺麗な目だね』」

「……………ホラーじゃん」

怖っ!

私はそう言って、大げさに腕をさする仕草をする。まるで、どこにでもいる普通の人間みたいに。

「今じゃ、劇団の初期作品にして“伝説の問題作”って言われてるらしいですよ」

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