36

「りょうり、って、」衝撃によって生まれた疑問が、思考を取り戻す。

人間の思考を、取り戻す。

「んー?」

「料理って、人を…?」

「そうだよ?まあ、今の今まで材料、、を確保するのに忙しかったからー、アキちゃんの前でキッチンに立つのは初めてだねそういえば」

殺人鬼が事もなげに言う。

「まずはー、じっくり痛めつけて肉を柔らかくしてー、」

「いや」

「お腹を開いて内臓の色を確かめてー、」

「いや」

「首を切り離して上から順番に解体してー、」

「いや」

「鍋で煮込んで骨までしゃぶり尽くしてあげる、ってのがいつもの流れなんだけどー、」

「いや」

「アキちゃんってさ、目がすげえ綺麗なんだもん。初めて会った時から美味そうって思ってた」

だから、まずは目ね?と、殺人鬼が銀色の切先を涙袋に沿わせ狙いを定める。「いや‼︎」

痛いのは嫌だ死ぬのも嫌だこれから痛いのが死ぬまで続くだけなんてもっと嫌だ。

思考が悲鳴を上げる。

悲鳴が叫びとなって迸る。

「あ、コラ暴れんなよアキ狙いが逸れるだろうが!」

まるで私のワガママを嗜めるような物言いだった。万力のような力で顎を片手で掴まれ、あっさりと私は押さえ込まれた。

殺人鬼は満足気に獲物を見下ろす。

「ったく、手間かけさせやがって」

ハア…と彼が漏らした熱いため息に捕食者の興奮が滲む。

「ま、イキが良いのは大歓迎ってことで。

じゃ、いただきまーす」

もはや私は声すら出せず、ただ見上げる。

私に死をもたらす、強く美しい血塗れの死神を。

そして、死神は嗤いながら

ナイフを高く

振り上げて


……。


「アキちゃん…?」

3秒経った。

衝撃はこない。

「ねえ、アキちゃんってば」

7秒経った。

衝撃は、こない。

目を刃物で抉り出される、

なんて、

きっと、

すごく、

すごくすごくすごく痛いはずなのに。


「もしかしてアキちゃん…泣いてるの?」


まさか。

私が泣くわけない。と思って、いつの間にか閉じていた目を開けると何故か視界が滲んでいる。殺人鬼の顔も滲んでいる。

「あ、ああ、どうしようごめんね大丈夫?痛かった?」

妙に慌てている様子の殺人鬼が、ナイフを放り出す。カラン、という金属が床にぶつかる音が、妙に軽かった。

「痛くしないようにするつもりだったんだけど、最後結構力込めちゃったねごめんね?」

骨張った大きな手が顎を撫でる、のを、

「いやっ!」思いっきり叩いて振り払う。

瞬きすると頬を液体が伝う感触、と同時に視界がクリアになる。

目の前で、殺人鬼がぎょっとしたような顔をしていた。反射的に身を引くと、何故かホールドアップのポーズで相手も身を引く。

「……」

彼から目を離さないまま、頰を伝う液体を拭ってみるが、色はよくわからない。少なくとも赤くはないし透明に見える、つまりこれは血ではない。

というか、そもそも痛みというものがまるで無いし、今、両目で、しっかりと、世界が見えている。

「あの、アキちゃん…?」

未だにホールドアップの姿勢のまま、殺人鬼が話しかけてくる。「えっと、これで、お芝居は終わり…なん、だけど」「は?」「あ、あの、ごめんねちょっとやり過ぎたっていうかアキちゃんがそんなに怯えると思わなかったっていうか」「は?」「ごめんねホントでもアキちゃんが余裕そうに笑ってたからちょっと僕もムキになってたっていうか辞めどきかわからなくなったっていうか」「は?」

ちょっと、

待て今この男は何て言ったオシバイって言ったかオシバイってあの“お芝居”って言った?これが?ただの?お芝居?

「……何で?」

「え?」

「なんなの?」

「えっと…?」

「何で急に、お芝居って、どういうこと?」

「あの、だって、今日ハロウィンだから」

「……?ハロウィンだったら、何なの…?」

「えっと、だから、サプライズ、的なつもりだったんだけど、ごめん…」

「は?」

「ごめんなさい」

サプライズ。

これが、ハロウィンのサプライズだと。この男は、そう言うのか。

つまりこの男は、早見蘭は、

ハロウィンのサプライズとやらのおふざけで、この私を。私が、どれだけ、


どれだけ、


「アキちゃん?」「…んな」「え?」

ふざけんな。

多分、私はそう言った。と、思う。


気が付けば、早見蘭を見下ろしていた。

彼の顔は怯え切っている。

何が起こったのか、よくわからない。さっきあれだけ暴れてもびくともしなかった巨大を見下ろし、私は息を切らしていた。

手に熱を感じて、見れば指の関節の部分が擦りむけて血が滲んでいた。

おまけに、大声で叫び続けた後のように喉が痛かった。

「あ、アキちゃん…」

震える声で呼ばれる。

早見蘭が、怯えた顔で私を見上げている。

彼の顔は唇が切れて血が滲んでいて、おまけに私と目が合ったまさにその瞬間、鼻血が流れ出した。

ああ、なるほど。

私が殴ったのか。記憶は飛んでいるが、きっとそうだろう。当然だ。

その光景から、顔を背ける。

「アキちゃん、待って」

歩いて部屋に戻る。私の仕事部屋に。

カーテンが剥がされ、放り出されたままの部屋で、まず、パソコンを手に取る。

「アキちゃん」

専用のケースに入れて、リュックに詰める。

「ホントにごめん、話聞いて」

モバイルバッテリーその他諸々をまとめたポーチを入れてるとリュックの口を閉じそのまま背負った。

「アキちゃん?…どこか、行くの?」

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