4

「だって僕の顔面から出た汁が全部染み込んでるんだよ⁉︎」

「いや言い方」

「多分、ポップコーンの油も!」

「いやだから普通に洗濯すれば取れますって」

「大体、僕なんかに洗濯させたら何をするかわからないからね⁉︎」

「むしろ何をする気だよ」

おもむろに彼はスマホ画面を突きつけてきた。

「何コレ」

「何だと思う?」

全体的に薄い茶色(?)をベースとして、ピンクやら青やら黄色やらが複雑怪奇な模様を成した、ボロボロの布の塊が映っている。

3秒考えてから私は言った。

「………前衛芸術?」

「正解は僕のパーカーでした」

「はあ」

「元は真っ白だったんだけど、ジーンズと赤いTシャツと革ジャンとスニーカーと一緒に回したらこうなっちゃって」

「一緒に回した…って、え?まさかそれ全部そのまま洗濯機にぶち込んだの⁉︎」

「洗濯ネットとかに入れるべきだったって気付いたときにはあとの祭りで」

「いやそういうことじゃ…ん、まあ、ネットも大事ですけど、でも、革ジャンってそもそも洗濯機で洗わないでしょう」

「そうなの⁉︎じゃあ、どうやって洗うの?」

「自分じゃ洗えないので、クリーニングに出します。革製品を専門に修理とかクリーニングしてくれるとこもあるし」

あと、ジーンズとか色の濃い服は色移りしやすいんで、基本的に他の洗濯物とは分けた方がいいみたいですよ…などとアドバイスしながら、私は内心何をやってるんだろうと思う。いつもの流れなら、映画を観た後この人気の無い喫茶店でランチをとりつつ、“内”モードで饒舌になった男と映画の感想を言い合ったりちょっとした雑談をするはずだった。間違っても洗濯の講義ではない。

男は男で、そうなんだあ物知りだねえ、と素直に感心するばかりだ。

聞けば、男はスニーカーに関しても、思いっきりドロドロになったのを、事前にある程度洗い流しもせずにそのまま放り込んだのだという。

私自身、靴を洗濯機で洗えることはごく最近人から聞いて驚いたくらいだし、正しい方法なんて知らないが、男のやり方がまずいことくらいはわかる。

「それで、洗濯機の方は大丈夫だったんですか?壊れたりとか」

「それが全然壊れてなかったんだよ。でもその日以来、回すたびにジャリジャリとか、ガリガリとか、すんごい音がするようになってね」

「いやそれもう壊れかかってる」

「でも、一応ちゃんと回ってたし。ただ、使い続けてるうちにガリガリとかにプラスしてさらに変な唸り声をあげるようになっちゃって。その声がどんどん大きくなるから、なんだか洗濯機が怒ってるみたいで…あ、ちなみに録音あるんだけど聴く?いい?…まあ、とにかく、ここ最近は怖くて使ってないんだよ」

「…色々突っ込みたいところはあるけど、それじゃあ今洗濯はどうしてるんですか?」

「1週間分まとめてクリーニングに出してる」

だから、ユキちゃんのハンカチはクリーニングに出して返すから。

と言われて、そういえば私のハンカチの話だったのだと思い出した。火星に行って帰って来たような気分になりながらも、「自分で洗いますから」と私が丁重に断ると、男はしょんぼりした。

そのタイミングでピラフが運ばれてきて、私たちは“怒れる洗濯機の雄叫び”をBGMにそれを平らげた。

結局、映画の感想は食事の合間にオマケのようにポツポツ話した程度だった。私としては、また感情がぶり返して泣かれるとどうすればいいかわからなかったので助かったというのが本音だ。私は優しいふりは得意でも、実のところ泣いている人間は見るのも苦手だった。

この男は不器用だが、目の前まで泣いている人間がいれば、きっと大いに慌てふためくだろうが、それでも心を尽くして慰めるんだろう。


「また会ってくれる?」


ピラフの油やら米粒やらで彩られた男の口元を見ながらそんなことを考えていた私は、一瞬反応が遅れた。

「……え?」

「僕はできれば、これからもユキちゃんと映画に行きたいな。僕、こんなに趣味が合う人、今までなかなかいなかったし」

ごめんね、と謝る男は私の呆けた顔を拒絶的な意味で捉えたらしい。

しかし、ごめんねとは。

「わかってるんだ。今日で色々、情けないとこ見られちゃったし。僕みたいなマダオがユキちゃんに釣り合うわけないって」

「マダオ」

「まるで、ダメな、オッサン、の略」

「や、それは知ってますけど」

「おまけに嘘つきだし」

「ん?」

「僕ね、ホントはアキラっていう名前じゃないんだ」

そんなこと、こっちはとうの昔に気付いている。

「ごめんね、僕、自分の本名があまり好きじゃなくて……でも、ユキちゃんには本当の僕のことをもっと知ってほしい。その上で、ユキちゃんがヤなトコは全部直すよ。僕、頭悪いし呑み込みが遅いから、時間はかかるかもしれないけど」

むしろ、そうまでして私なんかと会い続けたいという方が驚きだった。それに、

「別に頭は悪くないと思いますけど…」

洋画の字幕が実際の英語のセリフとニュアンスと違う時なんかは、後でいちいち丁寧に解説してくれた男だ。ガッツリ喋るところを見たわけではないが、多分、相当英語ができるはず。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る