婚約破棄―その愛と死の応酬

ひとしずくの鯨

本編

第1話

 私は、婚約者であるボリス王子

――第1王位継承権者

――の呼び出しをずっと拒んでおった。


 何のために、しつこく呼び出すかは分かっておった。

 最初の呼び出しの使者が来て、既に6ヶ月が過ぎておった。

 その後も、呼び出しの催促は度々来たが、その度に私は病と称して、断り続けておった。

 ただ、この対応も限界が近い。

 私は地元の公爵領には帰らず、王都の公爵家の館に留まっておった。

 ゆえに、私の病が嘘であることは、使用人に金を握らせるなり、出入りの者に探らせるなりで、王子は既に把握していると想われた。


 これもそもそもは、体調が戻れば、すぐ王城に向かいます。そのため、病にもかかわらず、王都に留まっております、との健気さを演じて、

――参内せぬことへの言い訳として用いるためであったのだが。

 何であれ、公爵家の悪評の種となることは、避けるべきことであったゆえに。

 ただ、こうも長くなってしまっては、却って怪しまれるもの、それほど悪いなら、公爵領に戻って治すべきであろうと当然なろうし、嘘を勘ぐり、探りもしよう。

 うまく行かぬ時には、何事も行かぬものだなと想わざるを得ない。




 そしてつい先ほど、死神と契約した。

 だから、今、私には死神がついておる。

 猶予は1日、つまり、明日の今頃。

 その時刻までに、ある条件が満たされなければ、私は死神に命を取られる。




 私は国の有力貴族ハイネベルグ公爵家の一人娘アレクサンドラ。

 我が家は代々王家と通婚しておった。

 つまり、代々の娘は王妃、しかも正妻の座を得ていた。

 これほどの栄誉を保ち続ける理由はただ2つ。

 その2つを私も受け継ぐ。

 1つはまさに完璧な美貌。

 これに魅了されぬ者はおらぬ。

 それは歴史が証明している。

 ただ、これのみでは十分ではない。

 男とは愚かなもの。

 浮気性で移り気で、どうしようもない。

 それでも肝腎要のところを抑えてくれておれば、文句は言わぬ。

 私と婚約し、無事結婚を済ませ、そして私に正妻の座を確約してくれるならば、他に何も望まぬ。

 結婚の後であれば、いや、前でさえ、浮気などに目くじらを立てる気もない。

 私は結婚する前もそして結婚した後も、静かに過ごしたいだけだ。

 夫の愛など求めておらぬ。


 ただ私の婚約者ボリスは、まさにその肝腎要のところが分かっておらぬ。

 猟の際に見かけた村娘と恋した挙句、その小娘を連れて来て、それを本当の恋だと周囲に言いふらしておると聞く。

 そして王城の内でも外でも、私が婚約破棄されるに違いないとのもっぱらの噂とのことであった。

 それから、ここずっとの呼び出し。

 私はただ婚約破棄を言い渡されぬためだけに、それを拒んで来ておった。

 時と共に、その小娘への情愛も冷め、放り出すものと想っておったのだが。




 ところが、来たのはその娘が去ったとの噂ではなく、王子からの最後通牒とも言い得るもの。

 私が参内できないなら、王子自ら来るとのこと。

 使者が我が家の執事にそう伝えたので、

――私はやはり病と称して、応対には出なかったのだが、

――さすがに、王子を臣下の家に来させる訳には行かない。

 あの家は無礼だ。王家をないがしろにしておるとの悪評を招く訳には行かぬ。

 もちろん、私が本当に病気であれば、そしてその目的がお見舞いならば、話は別である。

 それは王子が婚約者の病状を気遣う美しき情景と共に、

――私アレクサンドラに向けられた優しさと愛の証しとして、世に喧伝することもできたろうが。


 そうではないのだ。

 そこで婚約破棄などされては、どうなる。

 先の悪評と相まって、我が公爵家を他の貴族どもは遠慮無く打擲しよう。


 そして、それ以上の問題があった。

 王子が我が家を訪れては、私や公爵家が疑われる原因となるやもしれぬ。

 毒味も含めガードが完璧な、証人もたくさんおる王城にて、

――私は王子と面会する必要があった。

 例え、私のその無残な様を見られたくない者に見られようと、私が婚約破棄を告げられ、何もなし得ず帰ったことを目撃させる必要があった。

 なす術なき哀れな公爵令嬢として、その者たちの目に焼き付ける必要があった。

 何より、疑われぬために。

 私は、明日、おうかがいするとの返答を使者に託した。




 そして私は迷っていたことに、1つの決断を下した。

 我が家に代々伝わるもの。

 それは契約書であった。

 既に契約書はほぼ完成しており、後はしかるべきところに私がサインすれば良かった。

 伝承によれば、そもそもは10枚あった

 私が王子からの呼び出しに神経をすり減らし、苦しみの中に留まるを強いられても、なおためらっておったのは、

――自らの命を危険にさらさねばならぬというのが、第一だが、

――他の理由として、もう枚数がそれほど残っておらぬ、ということもあった。


 今、手許にあるは3枚。伝承が正しければ、既に7枚使われ、私が使うと残り2枚となってしまう。

 公爵家の永代の栄えを願うならば、一枚でも多く後世に残すべきであるは明らか。

 使わずに済めば・・・・・・、そう願っておったのだが。


 しかし、そのようなことは言っておられないようだ。

 私が婚約破棄される訳には行かない。

 他に姉や妹がおれば、そこに望みを託すということはあったろうが、私には兄と弟しかおらぬ。

 私で代々続いた通婚を断たせる訳には、行かぬ。

 我が公爵家は有力であるからこそ、敵も多い。

 一代、通婚が途絶えれば、どうなるか分からぬ。


 実際、私が苦境に立っておるのも、私の父方の伯母上、つまり父の姉のヴィクトリア

――現国王の王妃であり正妻であった

――が3年前に亡くなったためであった。


 今では、伯爵家より嫁いだ側室が我が物顔で口を出しておると聞く。

 そして今回の呼び出しも、その側室が関わっておるのではないか、

――私の悪口を王といわず王子といわず、吹き込んでおるのではないか、

――そう、想えてならぬ。

 まず私を追い落とし、次は村娘。

 王子の愛がある間はいざ知らず、一端、それを失ったならば、何の後ろだてもない村娘を追い出すなど造作ないはず。

 それから、自分の親戚なり言う通りに動く手駒なりを、王子の妃の座へすべり込ませれば良い。

 つまり、ここまま行けば、『現国王の側室』と『王子の妃』との強固な連係ができあがってしまう。

 兄弟の娘が、やはり私並みの代々の美貌を受け継ぐを得たとしても、かなり不利となってしまう。

 兄の方には既に娘が一人おり、その片鱗はあったと言いたいところだが、何分、幼すぎる。


 いずれにしろ、私の代には私しかおらぬ。

 そして、私は私でやれることをやって、次代につなぐしかなかった。

 伯母上が私になそうとしてくれておった如くに。

 もし、伯母上が生き残っておれば、王に対しては正妻として、王子に対しては実母として、決して好きにはさせまい。

 まさに伯母上の死は痛恨であった。


 それで、この契約書という訳だった。

 一体、先祖がどのようにして、これを死神と取り交わしたのか?

 それについては、今では、分かりようもない。

 恐らくその代償として多くのにえを出したに違いない。

 場合によっては、生け贄を、一族の中から出したのかもしれぬ。

 例えば、生まれたばかりの新生児などを。

 ゆえにこそ、伝えられておらぬのだろうと想われた。


 先祖の残したものは、家訓のみであり、他には何も伝わっておらぬ。そこには、

『ひたすら、愛の神を祭り、尊崇せよ』とあった。

 まさに歯の浮く戯れ言である。

 死神と契約するような者がかようなものを残すとは。

 あるいは、契約ののちに後悔したのか。

 あるいは契約をなしたことを隠蔽するためか。

 いずれにしろ、死神の呼び出し方も契約書を新たに結ぶやり方も伝わっておらぬ。

 ただこれを契約した先祖も、そして代々受け継いだ者たちも、これを破り捨てることはなかった。


 伝承によれば、そこには、こうあると言う。

 といって、私にその書面は読めぬ。

 それは古文字で書かれておるとのこと。

 ただ契約内容はいたって単純。

『我が子孫が愛をないがしろにする宣告――婚約破棄や離婚の宣告――を受ければ、それを告げた者の命が奪われる』

 つまりボリス王子が死ぬのである。

『そうでなければ、契約者たる我が子孫の命を代わりに奪う』

 つまり、私の命が奪われる。

 そして期限は1日。


 通常なら、この期限が1日というのは厄介なものとなりうるが、今回ばかりは、その恐れは無いと言って良かった。

 何せ、王子は私に婚約破棄を言い渡したくて、ついには自ら臣下の館に赴くとまで言い出しておるのである。


 そのどこぞの村娘を新たな婚約者に迎えるためであることは、確実である。

 恐らく、村娘がそう王子にこいねがい、それを受け入れてであろう。

 当然、村娘としては、王子が己にのぼせ上がっておる内に、手を打ちたかろう。

 そして、残念ながら、それほどに王子はその者に魅了されておるのだろう。

 我が公爵家の代々の美貌をもってしても、如何ともし難いということか。


 ただ、逆に言えば、私が呼び出しに応じれば、その当日に言い渡されることは確実であった。

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