日雇い救世主の見聞録 ~36歳、《すばやさⅩ》の力で異世界攻略RTA~

蒼蟲夕也

プロローグ

1話 その名は仲道狂太郎

『日雇い救世主メシア 募集中!


 仕事内容:異世界の救済

 勤務地:いろいろ ※担当エリアは当社の都合によって決定します

 雇用形態:アルバイト

 就業期間:一度の転移につき最長一ヶ月程度を予定しています

 応募資格:資格者には採用担当による面談の上、採用の可否をお知らせします

 給与:一つのワールドにつき100万円 ※ボーナス、昇級有 長期歓迎

 備考:服装の規定はなし 私服面接OKです

 完全出来高制のため、手早く業務を終わらせられる方にオススメ!

 電話番号:○○-××××-△△△△

 (有)エッジ&マジック異界管理サービス』




 古びた羊皮紙に、手書きで書き殴られた一枚の求人広告。

 ぺたぺたと貼られた雑多なチラシに紛れたそれは、どことなく悪魔の契約書めいた、異様な雰囲気を放っている。


 この広告を発見したのは、つい先日のことであった。



 完全出来高制。一仕事につき百万円。



 何かの冗談にしか聞こえないその内容が、まごうことなき真実であることを、筆者は知っている。

 というのもこの”日雇い救世主”なる怪しい仕事、――私の同居人である、仲道狂太郎のライフワークであるためだ。


 あらかじめ言っておくとこの物語は、彼の口伝を元にした見聞録だ。


 これからお話しするのは、仲道狂太郎がいかにして”日雇い救世主メシア”となり、その類い稀なる才覚を覚醒させていったかについてを語ったものである。


 多少の誇張やデフォルメ、物語の簡略化などが含まれることは否めないが、基本的には全てノンフィクションであると思っていただきたい。







 まずは本編の主人公、――仲道狂太郎くんについて語っておこう。


 彼について一言で説明するのならば、「孤独死するタイプの男」という表現がふさわしい。


 その容貌は凶相と言って良く、肉厚のないげっそりとした頬に、ぎょろりとした三白眼。眼光のみいたずらに炯々けいけいとして、ぜんたい、どこか人生への深い絶望をたたえているようであった。

 無理もない。

 彼は大学を卒業後、十二年もの時を胡乱うろんに過ごしている。


 狂太郎が定職に就いていない理由に関しては、――就職氷河期世代であることも一因にあるとはいえ、――いくつか、ある。


 顔が怖いから。

 他を寄せ付けない性格だから。

 ネクタイを締められない体質だから。

 入社一年目の記念日に、時速80キロで走るトラックに自ら轢かれにいった同期を目の当たりにしたから。


 この物語の筆者である私と彼の付き合いはというと、いわゆる腐れ縁というやつだ。

 都会の暮らしに疲れ果てた我々が、主に経済的な理由によってルーム・シェアを始めたのは三年前。

 私は小説なんぞ書いて細々と暮らしており、彼はというと、金がなくなった時にだけ働く、漫画喫茶の店員として生計を立てている。

 それが当時の、我々の社会的な立場の全てであった。


 その日も彼は、スマホの中に大量にインストールしているゲームに興じており、


「なあ、きみ。我々のようにほとんど無職の人間でも、スマホさえあれば遊びきれない量の暇つぶしがある。ずいぶんと良い時代になったものだねえ」


 みたいな、ちゃらんぽらんなセリフを吐いている。


 そんな狂太郎が最初のを経験したのは、近所のサイゼリヤ、店内に飾られた、アンニュイな表情の天使の絵の前。

 時刻で言うならば、昼の十二時半から夕方五時過ぎまで。およそ四時間半程度の小旅行であった。



「ねえ、きみ。世帯の総収入が900万円を超えてようやく、我が国で得られる社会保障ととんとんの年収だそうだよ。つまり、所得がそれ以下の世帯はいわば、社会のお荷物というわけだ」


「ねえ、きみ。現代の低所得者層の生活は、100年前の王族の豊かさとほとんど等しいそうだよ」


「ねえ、きみ。ナマケモノの死因で最も多いのは、餓死だそうだ」


「ところで、――今話した話をいくつか、皮肉交じりにツイートしてみれば、我らのような低額所得者の共感を呼んだりできないものか」


「もしもぼくがバズったら、きっときみの小説の宣伝をしてやるよ」


「……ところで実は今日、小銭を切らしていてね」


「できれば支払いを任せたいとおもうのだが……」


 そんな、狂太郎の独り言をすべて無視しつつ。


 夏の終わり頃。とある日中のことだった。


 私は、書きかけの原稿の続きを。

 狂太郎の方はただなんとなく、涼を求めて。


 二人、サイゼリヤのテーブルに居座って、長々と粘っている。


 こちらはディアボラ風ハンバーグの単品とドリンクバー。

 あちらはミラノ風ドリアと、水。

 そんな注文をしていたことを良く憶えている。


 行きつけにしているこの店の店員は、影で我々を「貧乏神」と呼んでいた。

 実際に二人は、そう呼ばれても致し方のない風貌である。私の方は、自分の容姿を気にかけるよりも原稿の出来不出来が大切だったし、狂太郎も狂太郎で、物持ちが良すぎる性格が災いしてか、大学時代、お母さんに買ってもらったチェック柄のシャツを愛用し続けていた。


「さーて。ソシャゲの周回作業も終わったことだし。これからどうしたものかな」


 狂太郎は、向かいに座っている私に聞こえるような、聞こえないような口調でそう呟く。

 私からはあえて、何とも応えない。

 それは、我々の間で交わされた暗黙の契約であった。

 こちらから声をかけるのは良い。

 だが、向こうからのアクションは一切無視させてもらう。

 何せ私は今、彼と違って仕事中なのだから。


 故に、これからのことは全て、後々になって狂太郎から間接的に聞いた話だ。


 退屈を持て余した仲道狂太郎が特に注意を向けたのは、サイゼリヤの壁に印刷された、二人の天使の絵であった。

 ちなみにこの絵は、ラファエロ・サンティが描いた『システィーナの聖母』の一部を切り取ったもので、子供の物欲しそうな表情を見事に描き上げた一作である。


「……………ん? むむむ」


 しかし狂太郎が興味を惹かれたのは別に、この有名な天使の絵に感銘を受けたからではない。


 サイゼリヤに出入りする者の多くが見慣れたその絵に……明らかな異物が認められたからだった。

 三人目の天使が、なんだか不機嫌そうな表情でぷかぷかと浮いているのである。


 まず狂太郎は、「3Dだな」と思った。

 そして次に、「なんだか、こっちを見ている気がする」とも。


 やがて一拍遅れて、それが絵に描かれたものではなく、現実としてそこに存在していることに気付く。

 男にも、女にも見えるその中性的な生き物は、狂太郎が目を瞬かせていると、かなり苦い表情で腕を組んで、――少しずつ彼に近づいてきていた。


 どのような物理法則が働いているのだろうか。

 その純白の羽根をわずかに羽ばたかせるだけで飛行するその生き物を見て、


――遂にぼくも、気がへんになってしまったか。


 と、ぼんやり思う。


 とはいえ彼自身、狂気を弄ぶのには慣れていた。

 一度など、アスファルトにこぼれたソフトクリームになりきって、自室の中央でとろとろになっていたことすらある。


 狂太郎は試しに、天使に向けて片手を挙げて、ちょっぴり微笑んでみた。

 好奇心一杯に。


「やあ、こんにちは」


 すると相手は、美人画のように端正な表情をこれでもかと歪めて、


「ま、いいや。あんたで」


 と、言った。

 その次の瞬間である。

 仲道狂太郎が、突如としてサイゼリヤから姿を消滅させたのは。


 私はというと、残念ながらその決定的瞬間を見逃していた。

 というのも、物語にちょっとしたアクセントを入れたくて、主人公の妹を無残に殺してしまう決断をしたところだったためだ。


 狂太郎が姿を消したことに気付いたのも、たぶんそれから、一時間後かそこら。


――何か急用でもできたのかな?


 と、私は、そう思っていた。


――っていうかあの野郎、マジで食事代払わずに出て行きやがった。


 とんでもないやつだ、……とも。




 そのまま、執筆作業に没頭すること、四時間と少し。



 今日はずいぶん善いものを書けたなあと思いつつ、仕事終わりのコーヒーを一杯。


 その時だった。


 今度こそ、私はその一瞬を目の当たりにしたのである。

 『二人の天使』が印刷された壁を背景に、一人の男が、突如として出現したのだ。

 その男、――狂太郎は、ずでーんと私の足元にぶっ倒れて、「きゅう」などと言った。

 さすがに驚いていると、彼はむくりと起き上がり、私の淹れたコーヒーを引ったくってごくごくと飲んでから、


「ねえ、君。ぼくは今日、かなり得がたい経験をしたよ」


 と、彼にしては珍しく、興奮気味に言う。

 何のことやら、と、私が首を傾げていると、


「世界を救ったんだ。――それもこの、たった数時間ほどでね」


 無論、私には意味がわからない。

 ただ、お母さんに買ってもらった大切な洋服がずたぼろになっていたこと、……彼の頬がかつてないほど、健康的な血色を帯びていることはわかる。

 狂太郎を『山月記』に登場する李徴(自己中過ぎて人食い虎になったアイツ)のように感じていただけに、私にはそれが少し意外だった。


「ひょっとすると今日のぼくの体験は、きみの小説の材料になるかもしれない」

「ほう」


 意外に思う。

 これまで、彼がこのようなことを言い出したことはなかった。

 狂太郎は、私の仕事に関しては常に、敬意を払いつつも決して不可侵の立場をとり続けていたためだ。


 仕事はちょうど終わったところ。一日で一番気分が良いタイミング。

 友人のおしゃべりに付き合わない理由はない。


「そこまで言うなら、聞かせてもらえないか。この数時間、――おまえは、どこに行っていたんだい」


 すると彼は、こう応えた。


「剣と魔法と、……恐るべき女悪魔ディアブロが支配する世界へ」


 無邪気に笑うその表情は、私が見たところ正気に見えた。

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