第三章

 199X年12月21日


 エレインは両手の自由を奪っている縄を外そうと格闘していたが、どう頑張ってもゆるむどころか逆にきつくなるだけだと思い知って、諦めた。

 王宮からさらわれた時に気を失って、気がついたら縛られていた。監禁されている部屋は、全くの闇に包まれていて、どんな所かもわからない。他に生物の気配は感じないが、自分が一体どういった所にいるのかもわからないというのは、かなり怖い。自分のすぐ横に得体の知れない物があるかもしれないなどと想像しはじめてしまうと、身動きさえ出来なくなってしまう。

 呼吸をするのさえ慎重になって、エレインは息を潜め身を潜め、何か音が聞こえてこないか、気配が近づいてこないかと、神経をとがらせていた。


(これから……どうなるんだろう……)


 考えるまでもなく、エレインには姉である女王とネイサンが選択する道を知っていた。エレインを救出することに努力はしてくれるだろうが、エレインの代わりに今のラッセル王国がテロリストに差し出せる物はない。

 事前の打ち合わせでも、こういったケースが想定され検討された。テロリスト達が要求してくるのは、かなりの確率で、すでに投獄されている仲間の釈放だろう。そうでなければ、活動資金の現金。勿論、どちらの要求にも応じるわけにはいかない。そうなれば当然、エレインは見殺しにされる。

 女王はエレインを愛してくれているし、人質を見殺しにすることを国際社会が黙って見ているわけもない。だが、テロリストがこの誘拐を世界に公表することはないだろうし、ラッセル王国側もこんな不祥事を公にして、ようやく国情が安定してきているという印象をうち消すことは出来ない。

 エレインの救出については、運とネイサンの力にすべて託されているのだ。


(……怒っているだろうな)


 一人になるなと、ネイサンに言われたのに。

 本当のことを言われて傷ついて、逃げ出してしまった。ネイサンに嫌われていることも、子供だと思われていることもわかっていたはずなのに、はっきり彼の口から聞かされるのはショックだった。

 立場上、今頃ネイサンはエレインを救出するために奔走しているだろう。きっともの凄く怒っているだろうが、警護責任者としてエレインを見殺しにすることなど出来ないからだ。


(助けに来てくれなくていいよ)


 どうせ自分の存在など、女王陛下のマスコット人形程度なのだから。

 このままテロリストに殺されて、姉やネイサンにテロリストに反撃する正当な理由を与えられることが、今の自分の最大の利用価値ではないだろうか。


(ネイサンはきっと喜んでくれるよね。テロリスト殲滅に燃えていたもの)


 長年の懸案が片づき、目障りなエレインは消え、ネイサンはきっと大喜びだ。エレインの犠牲に感謝してくれることだろう。

 だが責任感が強く有能なネイサンは、助けに来てしまうかもしれない。そしてまた、慇懃無礼な態度で言うのだ。『ご無事でなによりでした』と、少しも嬉しそうではない顔で。


(このまま死んでしまいたい)


 だが、自殺する勇気もない。

 そんな自分の弱さに、エレインはただ声もなく涙をこぼし続けた。



 エレインの姿が宮殿内のどこにもないという報告のあと、レイノックス王国のウォルター王子が、ネイサンのもとに駆けつけてきた。


「すぐに! 一刻も早く! この件を公にするべきだ。それが、エレイン殿下の身の安全にもつながるっ」


 ウォルター王子は苛立った口調でまくしたててきた。


「それは出来ません」


 対するネイサンの態度は冷静そのものだ。


「公にすることがエレイン殿下の安全を保証するとは限りません。逆に向こうを挑発してしまうかもしれません」

「だが、そうなってから彼女を殺害すれば、国際社会を敵に回すことぐらい、テロリストにもわかるはずだ」


 顎を引き、ネイサンは黙りこむ。


「彼女を見殺しにするつもりか」

「どうぞこれ以上は。内政干渉となります」

「何をっ」


 ネイサンに詰め寄ろうとしたウォルター王子を押しとどめるようなタイミングで、事務官が姿を見せた。


「ネイサン様。陛下と連絡が……」


 室内のウォルター王子の姿に気がついて事務官は口を閉ざしたが、ネイサンは遠慮するつもりなどないようだった。事務官に頷いてみせると、さっさと席を立つ。

 そして、背後に控えていた副官を呼んだ。


「マックス」

「は、はいっ」

「後を頼む。王子、国王陛下へのご報告は、この者がさせていただきます」


 マックスがウォルター王子に頭を下げる。王子の注意が副官に向かったすきに、ネイサンは足早に部屋を出ていった。




 別室に移動し、ネイサンは女王につながった電話を渡された。


「二十四時間よ」


 ネイサンの謝罪の言葉を遮りながら、女王は一言そう言った。


「それが限界だったわ。あとはなんとかしなさい」

「なんとかですか……」


 ネイサンは厳しい顔で、じっと目を閉ざす。

 女王アンドレアは、国民からは女神のように敬われている、神々しいまでに美しい女性だ。腹違いの妹エレインは愛らしく可愛らしい容姿をしているが、アンドレアは真っ直ぐなプラチナブロンドに深い青の瞳の、硬質で整いすぎるほどに整った顔立ちの文句なしの美形。

 血縁関係にあるネイサンとは非常に雰囲気の似た美形同士で、子供の頃は似合いの一対として婚約の話などもあったが、当人同士は全くそんなつもりはなかったし、なったこともない。それは、お互いにお互いのことを知りすぎ、お互いが周囲には隠している本性を知りすぎてしまっているからだと、ネイサンは思っている。

 アンドレアはエレインにとても甘い姉だし、国民に対しては神秘的な笑みを振りまいているが、実際は恐ろしいほどに有能で、どんな腹黒い政治家も手玉に取るほどの狸でもある。そして、自分が狸であることを、周囲にほとんど気づかせない。気づかない愚かな周囲の男達を影で笑っているような、筋金入りの狸なのだ。


「他に情報は?」


 そのアンドレアがテロリストと交渉したのなら、なんの情報も得ていないわけがない。


「エレインの命は、二十四時間しか保証しないと言ってきたわ」


 電話の向こうのアンドレアは、ため息混じりにつぶやいた。

 ネイサンは顔を強ばらせ、受話器を握る手にぐっと力が入った。


「今この瞬間にも、エレイン姫の命は危機にさらされているということですか」

「そういう風に聞こえたわね。二十四時間後に仲間の釈放を認めたとしても、手遅れかもしれないと言ったわ」

「…………」

「連中にはエレインの存在も邪魔なのよ。妾腹だし認知もないけれど、最後に残った王家の直系だしね」

「なんて勝手な」


 だが、今はエレインを認めないと躍起になっている連中も、アンドレアにもしものことがあれば、エレインを担ぎ出すしかない。今の王家には、女王と王妹二人しかいないのだ。


「あの子にはしっかりと守ってくれる存在が必要なのかもしれないわね」


 アンドレアらしくない、力のないつぶやきがもれた。気丈な女王も、ただ一人の肉親が命の危機にさらされて、さすがに気落ちしているのかもしれなかった。


「あなたがその存在でしょうに」

「私は姉である前に女王だから」


 ふうとため息をつき、アンドレアは自分の中の弱気を追い出したらしい。すぐにいつもの口調に戻って、ネイサンに命じた。


「出来る限りのことをして、あの子を救い出して。私も出来る限りのことをするわ」

「わかりました」


 この命にかえても、エレインを助け出してみせると、ネイサンは心の中で密かに誓った。

 電話の向こうで、アンドレアが苦笑している気配を感じて、ネイサンは眉をひそめる。


「エレインを助けられるのは、あなたしかいないと思っているわ。でも、あえて言わせてもらうけど、あの子と同じぐらい、あなたの存在も国には必要だわ。私に、一度に二人の存在を失わせるような真似だけはしないと誓って」


 ネイサンはしばし言葉を失った。

 アンドレアはエレインのために命さえかけようというネイサンの覚悟を知っている。それはすなわち、ネイサンがそれほどまでにエレインを思っているということを知っているということだ。


(俺の態度はそんなに露骨なのか?)


 巧妙に隠していたつもりなのに、マラカイにもアンドレアにも知られていた。当のエレインには誤解されまくっているというのに。


「それは誓えません」


 電話の向こうで、アンドレアが再度苦笑した。


「エレインが無事に帰ったら、ご褒美にいいことを教えてあげるわ」


 エレインが無事だということ以上に『いいこと』などあるのだろうかと思ったが、ネイサンは素直に礼を言っておいた。

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