第22話 思い上がり

 パパドは深手だ。

 治療兵が交代しながら、ふたりがかりで丸一日。まだ傷は癒えない。

 意識も戻らない。出血が多かったって……。

 このままじゃ、もしかしたら——。

 時間が長くて長くてしょうがなかった。

 サモサじいさんには、念波が使える従業員さんに頼んで、簡単に事情を伝えた。

 食欲もなにもない、眠ることさえできない。

 おれのせいでパパドがこんなことになった。いたたまれなかった。

 後悔にさいなまれて部屋を動けずにいたら、従業員さんが「お客様ですよ」って、誰かと思ったらサマエルだった。

 戸口に肩をもたせかけて、綺麗な金髪をかき上げて、ため息ひとつ。

「パパド重体だって? 母ちゃんが念波像よこして、せめて様子だけでもみてきてほしいって頼まれたの。あいつもお気楽に動ける立場じゃないし、取り乱して痛々しくてさ、代理でお見舞いって次第」

「おれのせいなんだ……おれが民兵の配置間違えたから……」

「反省会は後回し。先にこれ」

 サマエルが差し出した、堕天の実。

「潰してスプーンで口に入れてあげな。飲み込めないだろうから、ちょっとずつ。少しずつ染み込んで効いてくるから」

「ありがと、サマエル……ほんと、ありがと……」

「さすがにパパドを見殺しにするほど冷血じゃないよ。ルシファーに泣かれるの嫌だしね」

 治療兵さんに実を渡して、サマエルはさっさと帰ってしまった。

 実の効果は絶大で、たった半分食べさせただけで、パパドは数時間で起き上がれるようになった。

 背中にクッションを置いて上半身だけ。

 それでもすごい効果。死ぬかもしれないって話だったのに。

「そうか、サマエルがな。あれもたいがい性根がよい」

「ごめん……おれが配置失敗したから……パパドのところにひと組おかなきゃならなかったのに……」

 パパドが静かな口調で言った。

「思い上がるでない、サエキ」

 そして、続けた。

「我は、我の判断で、あの場にいたのだ。周りにふたりもいては、矢を射る邪魔になる。後ろから敵は来なかった。後方からの援護は我ひとりでよかったのだ。お前たちはしっかりと前衛を務めておればよい。天使ごときに打たれしは我の不甲斐なさ。面目なし」

 そうだった、なんで忘れてたんだろ。

 パパドは賢者なんだ。ちゃんと考えて動いてたんだ。

 おれなんかのせいじゃない。

 おれは責任を負えるようなご身分じゃない。

 今回のことは、結果として、しかたのないことだったんだ。

 でもパパドを襲った天使を止められなかったのは反省点。全体の動きを見てなかった。

 力不足。おれは複数での戦闘に対応できてない。

 もしかしたら『槍の英雄』は単独行動向きなのかもしれない。

 それなりの攻撃力があるから、近くに味方がいたら気を遣わなくちゃならなくて……。

 実際、ダミニをうまく使えなかった。

「実、まだ半分あるよ。食べる?」

「うむ、ありがたく頂戴しよう。早く森に戻らねば」

「その前に、癒やしの湯に浸かった方がいいんじゃない?」

「ん、そうだな。せっかくまいったのだ、湯に浸って帰ろう」

 パパドは残りの実を食べて、すっかり回復して、温泉まで歩いて行けた。

 癒やしの湯にゆっくりと浸かって。

 ——最後に美の湯にたっぷり浸かってるパパド。

 これほど美にこだわりがあるとは知らなかった。

 帰りは簡単。

 パパドが地面に文字と模様を描いたら、一瞬引っ張られるような感じがあって、気がつけば堕天の樹の丘。

「あー疲れた、ものっすごく疲れた。おれ寝る」

 サマエルは草の上に寝転がり、すぐに寝息をたて始めた。

 本当に疲れるんだな、転移魔術。

 それも二往復だもんな。ごめん、ありがと、サマエル。

 パパドは回復してたけど、まだちょっと心配。

「カバンおれが持つよ。パパドはフクロウになっておれの肩につかまってれば?」

 パパドはちょっと考えたけど、カバンをおれに差し出した。

「うむ、せっかくだ、このさい世話になろう」

 フクロウのパパド、ほんとにツヤッツヤのピカピカ。

 侮れない美の湯。

 あまり揺らさないように飛ぶ。サエキタクシー。

 無事にパパドを送り届けて、おれは家に帰った。

 サモサじいさんから「お前がおりながらパパドに怪我をさせるとは」ってお小言。

 すみません……申し開きできません。

 さすがに今回は反省した。

 槍の英雄とか呼ばれて、調子に乗ってたな。

 そういう自覚なかったけど——自覚がないのが問題なんだ。

 初心に戻ろう。

 おれはサモサじいさんのとこに下宿してる堕天者。

 魔族歴たかが1年。ヨチヨチ歩きの赤ん坊。

 葡萄の粒を選り分けるのが仕事。っていうかそれしかスキルがない。

 武器はあるけど本業は農夫。

 戦争があれば戦うけど。

 おれは、そういう存在。

「ね、じいさん」

「なんじゃ」

「おれ、弟子にしてほしいんだ。葡萄酒造れるようになりたい」

「わしゃ弟子なぞとらん」

 えー、てっきり弟子にしてくれると思ったのに、甘かったか。

「そこをお願い、なんとか!」

「とらんと言ったらとらん」

 だめか…………。

「勝手に学べ。わしゃ教えんぞ」

 絵に描いたような頑固な職人。

「ありがとう! おれ頑張るよ!」

 よかった。サモサじいさんの『弟子のようなもの』になれた!

 これからは、ちゃんと『師匠』って呼ばなくちゃ。

 ダルーばあさんがニコニコして言った。

「家に部屋をひとつ作ってあげようね。あんたの部屋だよ」

 おれの部屋!

 今いるのは客用の部屋で、ずっと気を遣ってたんだ。

「でもさ、それだったらそっちを客間にしたらどう?」

「パパドの森の木を柱に使うんだよ。あんたに知恵がついて、立派な葡萄酒造りになれるようにね」

 師匠は黙ってるけど、反対もしない。

 うるっとした。

 この家の前に飛ばされて、ほんとによかった。

 このふたりに助けられて、ほんとによかった。

 パパドがいて、サマエルがいて、ほんとによかったよ……。

 ぐっすり休んで、次の日、ふたりに報告に行った。

「ほう、弟子入りできたか。だがサモサは厳しいぞ、覚悟して臨め」

「おれ頑張る。陛下に献上できるような葡萄酒造れるようになるんだ」

「それは気宇壮大な。しかし、実によい」

「民兵は……まだちょっと結論出ないや」

「まあ、急がずともよい」

「なんか……兵隊としての戦いに責任が持てないんだ、今はまだ」

「正しく恐れるのはよきこと。ひとつ知恵がついたな、サエキ」

「パパドのおかげだよ。ほんと尊敬する」

「そうか。もっと尊敬してかまわぬぞ」

 なんか、実体とフクロウ、微妙に人格違うよね……。

 実体は上品で謙虚な印象なのに、フクロウになった途端、俗物っていうか。

「……うん……また今度」

 また今度とはなんだー! ってキレてるパパドをおいといて、サマエルのところに。

 樹の下で、なにか弄ってる……。

「あー、サエキ! ちょうどよかった。これ」

 サマエルが両手の上に載せておれに差し出したのは——子猫?

 ちっちゃい。まだ生まれて二か月にも届かないくらい。

 魔界の動物のことはわからないけど、ほんとにちっちゃい子猫だ。

 真っ白でフワフワしてて、片目が金色、片目はパープル。

 宝石みたい。

 おれを見て、すっごい可愛い声で鳴いた。

「どうしたのサマエル、子猫飼うの?」

「お前が飼うの」

 …………。

「えええぇっ、おれ、猫飼うの⁈」

「そう」

「なんで!?」

「バルバトスがお前にって。下賜じゃなくて私的な贈り物だよ」

「どうして!?」

「パパドは頭よすぎて友達少ないから、一緒に旅行とか戦闘とかしてくれる仲間がいて、ものすごく心配もしてもらえて、嬉しかったんだよ」

 いやー、アクセサリーとか槍とかならまだしも、生き物は……。

「雑食だからなんでも食べるってさ。葡萄でもあげておけばいいじゃない。もしかしたら畑の雑草も食べるかも。手間が省けて助かるじゃん」

 猫……。

「飼っていいかどうか、じいさんに訊かなきゃ……」

「バルバトスの贈り物だって言えば断らないよ。息子に甘いけど一応大将だし」

 猫か……好きだけど飼ったことはない。

 でもこの状況だと断れないし。

 いくらプライベートでも、相手は元帥さんのご麾下。無下にはできない。

「ほら、持ってみな、ほんわりして、あったかくて、めっちゃ可愛いから」

 促されるまま、両手で子猫を受け取った。

 おれの手のひらに載って、ちゃんとおすわりしてる。

 やばい、ほんとに可愛い、この子。

 金色の目と紫の目でじっとおれを見てる。

「名前どうする? 名無しってわけにはいかないじゃん」

 名前か……なにかに名前つけたことなんかないから、全然思い浮かばない。

 ミケとかタマとかっていうのは違うし、あまり呼びにくいのもだめだし。

 真っ白な子猫かあ……逆に特徴なくて困るかも。

 目が紫だからアメジストとか……うーん、違う。

 悩んでたら、子猫がちっちゃい舌でおれの手をペロって舐めた。

 白くて、舐める——。

「——みるく」

「それって牛の乳だっけ? 白いから? めっちゃ安直!」

 サマエルはゲラゲラ笑ってるけど、決めた。

「よし、お前の名前は〝みるく〟にする」

 そしたら、サマエルがまだ笑いながら言った。

「名前つけたな、完全にお前のものだからな」

「え?」

「こいつはもうお前以外を主と認めないよ」

「——わかってて、名前つけさせたんだな……」

「あったり前じゃん! 預かり物なんだから他の奴に名前つけられたら困るもん」

 そう言って、また笑う。

 見事に嵌められた。

 しょうがない、おれにしか従わないんなら。

 ちっちゃい子猫を抱えてパタパタ飛んで、帰りにもう一度パパドのとこに寄った。

「すまぬー! 母上はいつまで経っても子離れができぬのだ……」

 いつまでって、どんだけ経ってんだよ。

「まあ、名付けてしまったものは致し方あるまい。可愛がってやるがよい」

「うん、大事にするよ」

「それとな」

「うん?」

「高位魔族の愛玩動物ならば、あるいは魔力を持っておるやもしれぬ。用心せよ」

 ——すごい危険生物を飼うことになったのかもしれない……。

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