第39話 聖女大作戦

 さて、その後の展開は迅速だった。するべきことが決まれば即座に実行するだけである。クレイドはまず同行する王宮魔術師団にのみ話をつけた。

 彼らも最初、クレイドの話を疑っていたが、藍華を媒介にして黒竜の記憶を見せれば頷かざるを得なかった。藍華といえば、中継地点にされているため機械の苦労がなんとなく理解できるようになった。


 ポチとクレイドが相談した結果、藍華の持つ命の結晶については伏せられることとなった。命の結晶は黒竜の次代に関わることで、情報の取り扱いについて慎重に考えなければならない。


 そして守り手は藍華である。拡散させてよい情報と秘匿にされるべきもの、クレイドはきちんと判断し、またポチもこのことを多くの人間に知られることに対しては難色を示した。


「それにしても、この数日で事態が一気に動いたって感じ」


 藍華は宮殿の一室から庭園を見下ろしていた。

 そう、現在藍華は王都ツェーリエにいるのだった。


「ふむ。人間は不思議だな。黒竜は怖いというのに、このカピバラとやらの姿になると蕩けた顔で近寄ってくる」

「そりゃあカピバラは可愛いですから」

「……ふむ?」


 どうやら納得していただけないようだ。ポチは小さく首を傾げる。そんな仕草すらあざと可愛い。


「だが、黒竜の名誉回復作戦とやらは上手くいくのか……?」

「いかせるんだ」


 と、そこにクレイドが入室してきた。


 そもそも国王の息子である第二王子のおかげで国王に話を持っていくことができたのだ。ちなみにツェーリエまでは黒竜の背中に乗った。藍華とクレイド、事情を話した王宮魔術師団の魔法使いとダレルである。


 片道数日の距離を彼の背に乗れば一飛びだ。飛行機のように早くて、けれども彼が魔法で結界を張ってくれたため猛スピードでも空の旅は快適だった。

 どうやら立て続けに藍華特製チョコレートを食べたおかげで、加齢と命の結晶を生み出したことによる体力の衰えが回復したらしい。寿命が延びることはないが、魔法については若いころのように使えるようになったとのこと。


 頼もしいが、それを聞いたこの世界の人々が頬を引きつらせていたため、和平を選んだ方がいいという意見に傾く一因でもあるらしい。


「わたしの声が国民に届くといいのですが……」

「大丈夫だ。アイカなら上手くやれる」

「うう……、なにかこう、授業参観前の父親的な励まし」


 藍華が正直な感想を伝えると、クレイドが「父親……ハハ、チチオヤ」と視線が遠方へと向けられた。


「うむ。生殺しという奴か」

「うるさいぞ。ポチ殿」


 わだかまりも解消に向かいつつあるらしい。

 今回、国王とも手を繋ぎ、黒竜の知識と記憶を共有した。

 また、宮殿に書庫に魔術師たちが缶詰めになり、古い文献を読み漁った。黒竜に関する伝承はひどく曖昧で、中には黒竜を使役し世界を制覇しようともくろむ男がいた話や、黒竜はお宝を守っており、それは不老不死の薬であるとか、強大な力を秘めた宝石である話もあった。


 真実を知る藍華とクレイドは「なるほど、命の結晶の話が色々とねじれて伝わっているんだな」「そうですね。生まれたばかりの黒竜をペット同然に躾けて世界制覇……確かに怖すぎますね」などと乾燥を言い合った。


 肝心の魔瘴を食べるという記述についても記述が見つかった。それはツェーリエに住む研究家が所蔵する書物に書いてあった。民間伝承を集めた説話集のようなもので、一行だけ「黒竜が空気を浄化し、魔素の均衡が保たれている」と書かれてあった。


 魔瘴についてはポチ自らが実演してやると請け負ったため、どこかで現れれば彼が実地で魔瘴を食べるところを見ることができるだろう。


「アイカのほうは準備ができたのか?」

「……ええ、まあ」


 あとは自分の度胸によるところが大きいだろう。正直不安だ。学芸会だってお遊戯会だって藍華はいつもその他大勢のちょい役立ったのだ。それが今回、台詞の多い主人公。正直、口から胃とか心臓が飛び出そうだ。


 とはいえ、役に立つというのなら頑張る。だって、ポチのためなのだ。そして彼から託された命の結晶のためでもある。次の黒竜が生まれるまでに少しは彼らにとって生きやすい世界になってくれればいいと思う。


「わたし、頑張ります!」

 藍華は自分を鼓舞するために大きな声でこぶしを天井に向けて突き上げた。




 藍華たちがリウハルド伯爵領の山を不在にしていたのは六日ほどのことだった。事前の根回しやら事実確認などを含めても最短で戻ってきたのだが、伯爵には不在がバレていたため、彼はさっそくクレイドに文句を言いにやって来た。


「まったく。ツェーリエからの呼び出しとはいえ、聖女様まで連れて行かなくてもいいではないですか。彼女にはポーションの量産という大事な役割があるでしょうに」


 魔法使い数人がかりで発動させた移動魔法によりふもとの村まで戻った直後の彼の台詞である。


「父上からの呼び出しがあった。だが、私が居ずともここに残った騎士たちは皆精鋭ばかりだ」

「未だに黒竜を撃退することもできずにずいぶんと呑気なものですねえ」

「それについてはこれから――」


 いよいよリウハルド伯爵の口調から、なけなしの王族への敬意が取り払われた。

 クレイドが彼に対し言葉をつづけようとした直後、突風が吹きつけた。

 誰かが「あれはなんだ!」と叫んだ。


 外に出ていた面々が一斉に顔を空へと向ける。黒い影が青い空を飛んでいる。鳥ではない。もっと大きなものだ。それが村の上空を飛び回る。


「竜だ!」

「ついに黒竜が現れたぞ!」


 騎士たちがどよめき立つ。それに釣られたかのように村に残り手仕事を行っていた女将さんたち、そして子供たちが外に出てくる。おそらく畑仕事をしている男たちも黒竜の姿を捉えているかもしれない。


 魔法騎士たちが一斉に動き出す。村の上空に向けて攻撃魔法を一斉に放った。炎や氷、雷といった魔法が黒竜を直撃する。


(!)


 藍華は思わず目をつむった。

 これを直撃してポチは大丈夫だろうか。

 だが、それは杞憂だった。何しろ黒竜は、ポチは無傷だったのだ。

 その後も攻撃は続けられる。クレイドの先導によって騎士たちが村の外へ走る。


「アイカ、危ないからあなたは非難しないと」

「わたし、できればこの戦い止めたいの」

「止めたいって。どうやって?」


「だって、黒竜は人の言葉が分かるんでしょう? そう習ったよ。だからね、話し合って平和的に解決できるならしたい」


 藍華はリタに向かって初めて本心を語った。嘘偽りのない自分の心だった。だから、一度口にするとすらすらと言葉が出てくる。


「話し合いって……」

 リタが呆れたような顔を作った。藍華の周りに集まった村人たちも同じだ。


「だって、この地に黒竜がやってきて、彼は一度でも人間を襲った? 人を食べた? そんなことしていないでしょう?」

「だが、いつ生贄を求められるか」

「そうさ。黒竜は昔から悪いやつだと決まっているもんさね」


「その悪いやつって、誰が決めたの?」


 藍華は努めて平静に村の女将さんに尋ねた。彼女は、うっと言葉に詰まり、他の村人に視線をやる。彼女たちは返事に困り、互いに目配せし合う。


「この土地にやってきたのだってもしかしたら何か理由があるのかもしれない。もし、話し合う余地があるのなら。わたしはまず、対話をしたいと思っているんだ」

「アイカ……」

「だから行くね」


 藍華は騎士たちを追って走り出す。

 話をしている間にも轟音が響いている。事情を知るクレイドたちも今は本気で魔法を使っている。


 いくらポチが元気になったからといって、本気の戦闘はやはり心臓に悪いのだ。

 村の外へ駆け出していく藍華の隣にリタが走り並んだ。


「まったく。アイカは無茶するんだから」

「リタ」

「はいはい。分かっているって。止めないよ。アイカは女神の客人だもん。そのアイカが言うんだから、これもまあ、女神さまの思し召しかなって思うわけよ」

「リタ……」


 友人が分かってくれたことが嬉しい。九割以上が女神様信仰によるものだろうが、どちらでも構わない。

 それに、女神様だってきっと、平和を願っていると思うのだ。だからこのような考え方をする藍華をこの世界に遣わした。なんて、考えすぎだろうか。


(でも、共存って大事なことだと思うんだよ)


 特に黒竜のこの世界での役目を知ってからは強くそう思う。

 さて、ポチと討伐隊との戦闘は派手の一言に尽きた。


「ていうか……ポチ、とと、黒竜が無傷ってすごくない?」

「何感心しているの。黒竜なんだから当たり前じゃん」

 思わず口からついて出た言葉に突っ込みが入った。


「だって」


 思わず苦笑いだ。今まで人から聞いたり本を読んだりしただけだったのだ。本気の戦闘なんて大丈夫だろうか、と危ぶんでいたのだが、ポチを軽く見すぎていたようだ。

 でも、これ以上の戦いは無意味だ。自分たちは、黒竜への偏見をなくすために動くと決めたのだから。


 藍華はぐっと拳を握り、駆け出した。


「やめて!」


 それは、今まさに黒竜が口から炎の塊を吐き出そうかという瞬間だった。討伐隊の前に躍り出た藍華は、黒竜によく見えるように両手を左右に広げた。


「もう、これ以上戦わないで! わたしはあなたと話がしたい!」


 黒竜に、ポチに向かって声を張り上げる。ポチは今まさに灼熱の炎を地上に向けて落とそうとした恰好のまま止まった。


「我を最初に殺そうとしてきたのは人間たちだ。我は……ただ、思い出の地に戻っただけだというのに」


 黒竜が口を利いた。その声は不思議とよく響いた。どこか物悲しそうな声である。

 だが、これまで戦ってきた騎士はそれくらいでは止まらない。再び魔法の詠唱を始めたため、藍華は「お願い、みんなやめて!」と叫んだ。


「聖女殿」「しかし……」「相手は黒竜ですぞ」などと彼らは言い合う。

「分かっている。でもね、言葉が通じる相手だよ。人と人との国の間に和平が成り立つのなら、黒竜とだって分かり合えると思うの」

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