第32話 肩透かし

 さて、黒竜討伐の成果はというと、初日から全日空振りに終わっている。

 というのも、黒竜の姿がまったく見えなくなったからだ。以前は不定期に空を飛ぶ黒い影が目撃されていたのだが、まるで幻だったかのように気配がないのだという。


「身の危険を感じてよそへお引越ししたんでしょうか?」

「それはないはずだ」


 夜、ふもとまで戻って来たクレイドが藍華の疑問を一蹴した。

 クレイドと一緒に馬のブラッシングをしていた藍華は思わず手を休めた。


「以前交渉した時、奴はここから離れる気はないときっぱり宣言した。自分が住む場所を人間に定められるのは不愉快だと」

「なるほど」

「だから黒竜が自ら出て行くことはないはずだ」

「もっと住みよい山が見つかったとか? 温泉が湧いたいい場所があるのかも?」

「温泉か……」

「温泉、大事な要素ですよ」


 そんなことが理由になるのか、というような顔をされたため藍華は慌てて付け加えた。少なくとも温泉大国日本では理由としてそれなりに支持を得るはずだ。


「アイカは温泉が好きなのか?」

「ベレイナにも温泉て湧いているんですか?」

「確か北の方に」

「わあ。いいなあ」

「いつか連れて行こう」

「本当ですか?」


 すっかり黒竜から話が逸れてしまった。旅行と行くとわくわくしてしまうのは仕方がない。家族旅行や大学の友人らと行った温泉旅行が思い出される。浴衣姿で卓球勝負したっけ、と思い出に浸っていると馬が鼻息を荒くした。


「あ、ごめんね」


 さっさとブラッシングを再開させろという主張である。藍華は慌てて手入れをするために腕を動かす。


「アイカの方は変わりはないか? リウハルド伯爵にしつこく付きまとわれたりしていないか?」


 どうやらクレイドは自分の不在中にリウハルド伯爵が藍華に無理を押し付ける事態を懸念しているらしい。


「実はわたし、国王陛下からレポートを提出するよう命令をされているって、伯爵に言ったんですよね。だからここを離れられないことになっているんです。勝手に作り話をしちゃって、これも不敬罪に当たりますかね?」


「いや、そんなことはない。なるほど……報告書か。知恵が回るな」

「社会人はなんでも報告書ですからね」


 入社した会社ではことあるごとに報告書の提出を求められた。その応用である。


「明日からは魔法使いによる探査を重点的に行うことになった。やみくもに山に入っても体力を消耗するだけだ」


 なるほど、と藍華は頷いた。

 それから平和的に解決できるから、黒竜が温泉好きだといいなあとも思った。




 その二日後、藍華は村から近い森の中にいた。村の子どもたちが森を案内してくれるという。小さな村である。最初こそ人見知りを発揮されて遠巻きに眺められていたのだが、少し話せば仲良くなるのに時間はかからなかった。


 実は村長の家でプリンを作ってみたのだ。村の子どもたちに振舞ったところ一気に懐かれた。甘いものは正義だ。


 子供たちにとって森は恰好の遊び場だ。奥に入れば狼に襲われる危険もあるが、村に近い場所であれば問題はない。

 彼らと一緒に落ちた枝などを拾い集めるのが今日のお仕事だ。リタも一緒に森に入り子供たちを手伝う。


「この奥に沢があって、網を張って魚を囲っているんだ」

「村長さんが平等に魚を分けるんだよ」


 子供たちの話から村の生活が垣間見えて、藍華は都度感心する。

 小さな村だから食料確保にも苦労があるのだろう。騎士団たち討伐隊は自分たちの食料を持ち込んで逗留を続けている。定期的に物資の搬入が行われ、藍華もいざというときのためにチョコレート作りを日課に組み込んでいる。


 現在の所まだ出番はないが、できれば出番は来ないで欲しい。チョコレートをポーションとして使うときは怪我人が出た時だからだ。

 森から帰って、クレイドたちと合流して取り留めもない話をして「おやすみなさい」と眠りにつく。


 そして翌日。藍華はクレイドたちと森へ入った。探索魔法の成果は未だにない。


「おそらく、奴はこちらを警戒しているのでしょう」

「あの個体はずいぶんと年を取っていた。今度こそ追い払われると考えているのかもしれません」

「魔法で気配を消しているのか。小賢しい」


 この地で見つけることができなければ移動することも考えなければならない。そのように話が進んでいく。


「黒竜は年をとっているんですか?」

「ああ。前回そのように話していた」

「それなのに出て行けと……?」


 クレイドの返答に藍華はつい非難めいた声を出してしまう。


「寿命が近いと言っても黒竜だ。まだあと百年は生きられるとも言っていた」

「それは……そこまで短くもないような……?」


 黒竜の感覚が分からくなった。

 隊員たちが黒竜の気配を探している最中、藍華はふらふらと足を進めていく。


 昼の時間で、木々の合間から陽の光が届くため雰囲気は悪くない。

 山道から少し外れた場所にある沢へやって来て、水筒に水を入れる。この辺りは他の騎士たちも使うためいくつかの木に目印が付けられている。

 冷たい水に手を浸し、一人でパシャパシャ水遊びをしてみる。


「んー、やっぱり、双方が納得できる解決策があるといいんだけどなあ。黒竜が生贄を求めたって、おとぎ話の要素も含んでいるみたいだし」


 独り言は黒竜に関するもの。

 野生動物と人間の共存はやはり難しいのか。人を襲わないと約束ができればそれが一番いいと思う。


「怖い存在だって言うけれど、人間と言葉が通じるのなら話し合いの余地もあるっていうか」


 人間よりもはるかに強い魔力を有する生き物。人間を襲うかもしれない。過去にそのような事例があったと文献が残っている。そのような理由で討伐がされていいものなのか。


 真剣に考えていると背後から音が聞こえた。カサリという葉を踏むそれに驚いた藍華は背後を振り返った。

 自分のすぐ後ろにいる動物を見た瞬間、藍華の目が丸くなる。

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