エピローグ

第44話 帰還

 遠くの方でサイレンの音が鳴り響いていた。ざわつく喧騒の中でよぞらの意識はふっと浮上する。

 まず最初に飛び込んできたのは街路樹の枝の隙間から見える曇り空だった。うめきながら身を起こすと、自分はどうやら道路脇にあるベンチに寝かされていたらしい。腰にかけられていた誰かのカーディガンが滑り落ちそうになる。

 ズキズキと痛む頭を押さえながら視線を巡らせると、すぐ近くに歩道橋が見えた。あの青い雪が降った日に壊れたはずの橋は、何事も無かったようにそこに佇んでいた。救急車が甲高い声を上げながらその下を潜り抜け、目の前を右から左へ通り過ぎていく。

「え、起きた!?」

 その時、近くにいた若い女性が驚いたような顔で振り返った。社会人に見える彼女は、膝を着いてこちらの目線に合わせてくれる。おろおろと携帯端末を握りしめながら話しかける様は、何となくいい人そうだなと言う印象を抱かせた。

「よかった、今ね、あなたの受け入れ先の病院を探してるところだったの。大変なのよ、あっちこっちで子供たちがいっせいに倒れてるみたいで……! 原因も分からないし全国で起きてるみたいだし、みんなパニックでっ」

「え……なんか、どこも一斉に目覚めてるっぽい。何だこれ」

 携帯でSNSを見ていたらしい男の人が驚いた顔で報告する。よぞらは割れるように痛む頭を押さえながら問いかけた。

「すみません……今日って何日の何時ですか?」

 一瞬呆けた顔をした二人だったが、画面を見て答えてくれる。それを聞いたよぞらは、電脳世界にダイブしてから数時間も経っていないことを知った。あの世界で過ごした半年は、本当に一瞬だったのだ。

「これ、ありがとうございました……」

「あっ、どこいくの!?」

「おいムリすんな!」

 介抱してくれた二人には申し訳なかったが、ロクなお礼も言えずカーディガンを返して駆け出した。後ろからの制止を振り切り混乱する人ごみの中に潜り込む。

「っは、っは、っは」

 次々と人にぶつかりながらもよぞらは走った。ポケットに入れておいた携帯端末を取り出し、父の番号をコールするが出る気配はない。

(お父さん……!)

 嫌な予感がざわざわとうなじの辺りを這い上がる。

 この現実世界では、もどかしいほどに足は遅くて、ガードとして駆け抜けていた時とのギャップに困惑する。何度か転び膝をすりむいたが、それでも全力で走った。張り裂けそうな心臓を押さえながら自宅のマンションの階段を駆け上がる。

 扉のノブを壊れる勢いで掴んだよぞらは、半年ぶり――そして実際には数時間ぶりの帰宅を果たした。

「お父さん!!」

 返事はない。靴のまま中へ駆け込んで父の寝室に突進する。バタンと開けると真っ暗に締め切った部屋の中で、パソコンの画面だけが煌々と輝いていた。その手前にぶら下がる黒いシルエットがある。天井に渡した物干し竿にネクタイを括り、今まさにその輪の中に首を入れようとしている父の姿が――

「!? よぞ……」

「やめてえええ!!」

「うわっ、あ、ぁ、あああ!?」

 考えるよりも先にタックルをしていた。父の身体は不安定な椅子の上でよろめき、悲鳴を上げながら親子もろとも床になだれ落ちる。

 ひどい有様だった。衝撃で部屋の物は散乱するし、腰を打ったらしい父は情けないうめき声を出している。よぞら自身も落ちた際に足首をひねったが、ズキズキとした痛みを無視して目の前の身体にギュッと抱き着いた。

「何するつもりだったの?」

「え、と、それは、その」

「私、お母さんにお父さんのことよろしくねって頼まれたんだよ? なのに勝手に死のうとしないでよ、お父さんのバカ!」

 拳を握りしめ、目の前の胸を何度も殴りつける。その度に「うぐ」だの「ぐぇ」だの聞こえたが一切の手加減はしなかった。やがてパタリと力なく拳を落としたよぞらは、盛大に泣き出す。

「おかあ、さん、居なくて、お父さんまで、居なくなっちゃったら、わたし、わたし」

「よぞら……」

「いやだよ、一人にしないで……」

 あの、大人しくて不満を呑み込むだけだったよぞらが、こんなにも感情を露わに主張している。その事に気づいた父は、つられたように顔をクシャクシャにして泣き出した。

 しばらく親子はそろって子供のように泣いていた。やがて泣きつかれてすすり泣く程度になってきた頃に、よぞらはぽつりと諭す。

「お父さん、もう一度お母さんと会わせてくれてありがとう。私、ゲームの中の半年でちょっとだけ強くなれたよ。大人じゃないけどもう子供でもない。離れていても平気だから……だから」

 インターホンと、玄関の扉をドンドンと叩く音が聞こえる。ただ事ではない誰かの来訪は、これまでの日常が変わってしまうことを感じさせた。それでもよぞらは、変化を恐れずに受け入れようと顔を上げた。

「ちゃんと罪を償ってほしい」

 お互いを想って生きてさえいれば、どこに居たって繋がっているはずだから。


 よぞらはそう信じている。

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