第6話


「バカねぇ、あんたが気まぐれで山内さんに花なんかあげるから、止め時がわからなくなるんだよー」


 夕刻を迎えようとしていた高齢者介護施設の事務所の中で、若い女性職員たちが笑っている。

 

 それは、蓮江が山内典子の話を聞いたおよそ一週間後のことだった。


(……え?)


 背中越しの出来事に、蓮江はぎょっとして固まった。


「えー、だってさ、フフ、山内さんさぁ、可哀想じゃない?」


(…ぇ、)


「あんな年でさ、未だに声かけてくれた男を好きでいるとかさ。普通、ありえないじゃん。」


(………え、)


「だから、せめて最後に夢を見させてあげようってさ、親切心で始めたけどさぁ、…今日も花を期待して待ってんだよ、信じられないよ、重いっての、」


(……何?、何を言ってるの…?)


 事務所内で、背中合わせの彼女たちの会話を耳にして、蓮江は思わず持っていたペンを落としてしまった。


 そのままペンは薄汚れた床へと転がり落ちていく。


 それを拾うために俯いた顔の眉間に深いシワが寄った。


「もういいんじゃないの?花、あげなくても。あんた、よく頑張ったよ」


「だよねぇ」


 あはは、と笑いながら労い合う彼女たちの華やかさに反比例するように、蓮江の心に鈍い色が宿る。


 拾ったペンを握る手に力がこもった。


 頭から血の気が引いていくのが、ありありとわかる。


 刹那蓮江は、ほとんど無意識に声を上げていた。


「あの!」


 声と同時に、ドン、と机を叩いて立ち上がる。もはや蓮江は、どす黒い怒りに支配しているようだった。


 しかし、


「…あの、」


 それでも、蓮江の、重ねた年齢が人目を気にして理性を利かす。


 蓮江の声は、一見すると穏やかに響いた。


「…あなたはもう、山内さんに、千日紅をお渡しにならないんですか?」


「はあ?」


 蓮江の声に、怪訝そうに振り返った女性職員の尖った目が、立ち上がり見下ろす蓮江を捉えた。


 若い女性の目に映る蓮江は、泣きそうな顔で唇を震わせている。


「なに?」


「山内さんの想い出を、あなたは、…あなたは、……っ、」


 堰を切ったように溢れた蓮江の思いは、しかし、的確な言葉を見つけられずにさ迷い宙ぶらりんとなった。


 自分は、同情から声を荒らげているのではないか。

 ならば、自分も彼女たちと大差ないのではないか。


(…それでも、…それでも私は、)


 飲み込んだ言葉が蓮江の頭と心の狭間でグルグルと巡る。


 押し付けのような親切心を、彼女たちは誇らしそうに話している。


 そして親切心の止め時がわからないと一興のように笑う。


 気まぐれの親切心は、彼女たちにとっては戯れでしかなかったのかもしれない。


「…なら私が、」


 だから蓮江は、震える声で静かに言った。


「私が、山内さんに千日紅をお渡しします。ですから、もう二度と、…面白半分で山内さんの想いを、汚さないでください。」


 お願いしますと、蓮江は深く頭を下げた。

 握りしめた拳は白く揺れていた。


「はあ?別にいいけど、何なの?私たちは山内さんを思って花を贈ってあげてたんだよ?後からあなたも続けるんなら、私たちと一緒じゃないの。あなたも山内さんが哀れだって思ってるんでしょ?まともな恋愛も結婚もできなかった山内さんをさ!」


 そう言って、二人の女性はおかしそうに笑っていた。


 蓮江は、下げた頭を上げられなかった。


 込み上げたのは確かに怒りだった。


 しかし、怒りの矛先を見つけられずに、怒りは涙となってただ、ぽたりぽたりと事務所の床を小さく濡らした。

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