工藤珠希という源氏名でした

釧路太郎

第1話 いつも下を向いていたお客様の話

 昼間は事務員をしているのですが、それほど給料が良いというわけでもなかったので生活はそこまで豊かではありませんでした。趣味があるわけでもなく、恋人もしばらくいなかった私は週末になると暇な時間を持て余していました。

 そんな時、たまたま立ち寄ったコンビニで見かけた求人誌の最後の方に週末限定の求人が載っていたのです。無知だった私はその仕事が水商売であるとは気付かないまま面接に行ってしまい、あれよあれよと話が進んでいって週末から働くことが決まってしまいました。

 ただ、幸いなことに私はそれなりにお酒も飲んできたし、人と会話をすることも苦痛ではなかったので、初日からそれなりに楽しむことが出来ました。周りのスタッフさんや先輩キャストの方たちもいい人ばかりだったという事もあるのですが、私が接客したお客さんたちも皆いい人達だったという事もあったのです。

 最初だけこんな感じなのかなと思っていたのですが、週末限定で働きだしてから半年がたってもそれは変わることがありませんでした。私の後に入った子たちもみんな楽しそうに働いていました。

 そんな中、私にはとても気になるお客様が出来ました。気になると言っても、恋愛感情ではなく単純に興味があるという感じです。

 そのお客様は土曜日の午後十時から閉店まで毎週のように来てくださいました。スタッフさんに聞いたところ、そのお客様は平日にいらっしゃったことは一度もなく、ほぼ毎週土曜日の決まった時間にいらっしゃるようです。

 そのお客様は席について最初のうちは一言二言顔を見て会話をするのですが、その後は私どもの顔を見ずに下を向いてお酒を飲まれているのです。ただ、会話をしたくないというわけではないようで、お客様からも話しかけられますし、私が話しかけた事にも返事はくださるのです。


 週末に働くキャストはそれなりに多いのですが、何度か私が席についてからはご指名をいただくようになりました。私は週末限定の勤務という事もあって、それなりに人気もあったのでずっとそのお客様のお相手をすることは出来なかったのですが、それでもその方は毎週私をご指名してくださりました。

 しかし、ご指名をいただくようになってもそのお客様と顔を見て会話をするのは最初のお酒を作るまででして、それ以降は以前と変わらずに下を向いたままお酒と会話を楽しまれているようです。

 私はどうしても下を向いてお酒を飲んでいる理由が知りたいと思い、思い切って尋ねてみることにしました。すると、お客様は私の予想もしなかったことをおっしゃいました。


「僕はね、女性の足が好きなんですよ。男とは違うそのスラっとした綺麗な足を見るのがね。ここではみんな綺麗な足をしているのですが、お姉さんの足が一番僕の好みなんだよ。なので足ばっかり見ちゃってたんだけど、こんなのって気持ち悪いよね」

「お客様が喜んでくださるなら気持ち悪いなんて思いませんよ。それに、今まで一度も足を褒められたことが無かったので嬉しいですよ」

「本当ですか?」

「はい、本当ですよ。でも、私の足ってそんなに綺麗ですかね?」

「綺麗と言うか、言葉で伝えるのは難しいのですが。とにかく、足の形も大きさも僕の一番好きな感じなんです。そこで一つ質問なんですが、普段はヒールのない靴を履いていたりしますか?」

「そうですね。どちらかと言えばヒールのない靴を履く機会の方が多いですね。平日は事務員をしているというのもありますが、休みの日でもヒールを履く機会はほとんどなかったですね。ここで働くようになってから履く機会は増えましたけど、プライベートではほとんど履いていないですよ」

「素晴らしいですね。お姉さんの足だったらいつまでも見ていられる気になりますよ。ちなみになんですが、事務員として働いている時の靴は指定されていたりするんですか?」

「靴ですか。指定はされていないですけど、スニーカーを履いていますね。事務員の割には意外と移動が多いので楽な靴になっちゃうんですよね。最初はパンプスの方がいいのかなと思ってたんですけど、靴擦れが酷くてスニーカーにしちゃいました」

「ちなみになんですけど、そのスニーカーってどれくらいで買い替えたりしてますか?」

「買い替えと言うか、何足かあるのをローテーションで履いていますね。壊れたら新しいのを買うって感じなので、買い替える期間は決まってないですね」

「そうなんですね。じゃあ、もしもですよ。もしも、僕がお姉さんにスニーカーをプレゼントしたとしたら、そのスニーカーを履いて仕事をしてくれますか?」

「極端にサイズが違わなければ履きますよ。でも、私の履いてるのは安いのばっかりなのですよ。高くても三千円くらいだと思います」

「意外と安いのを履くんですね。それでしたら、来週ここに来た時に靴を買ってくるのでソレを履いてもらってもいいですか?」

「それはお客様からのプレゼントと思ってもいいですか?」

「プレゼントって程の物ではないと思うのですが、そう思ってもらっても結構ですよ」

「嬉しいな。私って、あんまりプレゼントとかもらう事ないんですよ。同伴もアフターもしないってのも原因だと思うんですけど、あんまり欲しいものって無い方だと思うんですよね。でも、スニーカーだったら普段も使えそうだし、嬉しいですよね」

「あの、それともう一つお願いがあるのですけど、それも聞くだけ聞いてもらってもいいですか?」

「はい、何ですか?」

「その、再来週も来るので、プレゼントしたスニーカーをその時に履いて見せてもらってもいいですか?」

「履いて見せるだけでいいんですか?」

「はい、無理にとは言いませんが。どうでしょうか?」

「私は大丈夫なんですが、ドレスと靴はお店から指定されているので靴を履き替えてもいいか確認してきてもいいですか?」

「はい、ダメだったらダメで大丈夫ですから」

「じゃあ、ちょっと聞いてみますので待っててくださいね」


 私はマネージャーのいるバックヤードに行ったのだけれど、そこにはマネージャーの他に売れっ子の先輩がいた。私は初めてここにはいったのだけれど、意外と整頓されていた。普段の様子を見てもマネージャーが几帳面だと何となく思ってはいたのだけれど、この部屋を見てそれが確信へと変わった瞬間だった。


「あれ、珠希さんどうしたのかな?」

「ちょっとお客様の事でご相談がありまして」

「お客様の事って、珠希さんのお客様って土曜日の常連様だよね。彼が何か問題でも起こしたのかな?」

「そう言うわけじゃないんですけど、お客様からお願いをいただいたので、それが可能かどうか確認するためにマネージャーにご相談にきました」

「お願いって、アフターとかなら常識の範囲内で行ってくれたら大丈夫だよ」

「いえ、そうではなくて、お客様からスニーカーをいただけることになったのですが、その一週間後にお店で履いている姿を見たいっておっしゃってまして。店内で靴を履き替えても大丈夫でしょうか?」

「うーん、スニーカーか。お店の品位にも関わることだから断りたいとこなんだけど、あの常連様は毎週ラストまでいらっしゃるし、他のお客様の前ではスニーカーを履かないって言うんだったら大丈夫だよ。でも、なんでスニーカーを履いて欲しいんだろう?」

「私もよくわからないのですが、私の足が好みだとは仰ってました」

「へえ、珠希ちゃんの足ってそんなに綺麗なんだ。触ってもいい?」

「え、くすぐったいからダメですよ」

「でもさ、あの常連の方っていっつも下向いてお酒飲んでるもんね。恥ずかしいんじゃなくて足が好きだったんだね。脚フェチってやつなのかな。珠希ちゃんの足って、言われてみたら他の子よりも綺麗な気がしてくるよね」

「もう、からかわないでくださいよ。じゃあ、お客様を待たせてるので戻りますね。お客様にもマネージャーの確認を取ったことを伝えておきますね」

「他のお客様には見えないように履くのが条件だからね」


 私はマネージャーから言われたことをお客様に伝えると、お客様はとても嬉しそうにしてくださいました。

 約束通り次の週は私に新しいスニーカーをプレゼントしてくださいました。お店に来る途中にある量販店で買われたそうなのですが、さっそく試しで履いてみたところ、サイズも履き心地も違和感が無かったので安心して使えそうです。

 お客様は私の足を見て嬉しそうにしてくださっていました。

 ただ、一度靴を履き替えることを忘れてしまったのでマネージャーからは注意されてしまったのですが、それ以降はきちんと履き替えていました。


 それ以降も何度かスニーカーをいただく機会があったのですが、それだけの頻度で靴を買うことも無かったので自宅の玄関が靴で溢れそうになってしまいました。

 シューズロッカーにも入りきれないくらいの靴があるのでこれ以上は新しいスニーカーをいただけないと申し上げたのですが、それだったら新しいスニーカーと古いスニーカーを交換しようという話になってしまったのです。

 私としては靴を交換することに関して特に問題は無かったのですが、お店に古い靴を持ってきて交換するという事は大きな問題のように思えました。さすがにマネージャーも古い靴を店内に持ってきて交換するのはよろしくないと思っているようで、後日どこか別の場所で交換をするということになりました。


 私もさすがに家の近くにお客様を呼ぶことに抵抗があったのでお店の近くにあるファストフード店で待ち合わせをすることになりました。

 今にして思えば、それが私の初めての店外デートだったのかもしれないですが、お店に滞在したのは三十分にも満たなかったと思います。

 お互いにカフェメニューを頼んで少しの会話をしていたのですが、私もお客様も外で会うことに慣れていなかったようで、会話は全く弾みませんでした。

 まるで付き合いたての高校生カップルのような気まずい時間が過ぎていたのですが、お客様から唐突に紙袋を渡された時は少しだけ寂しい気持ちになってしまいました。紙袋の中に入っている物は見慣れた靴箱が入っていました。私も同じような紙袋を持ってきていたので交換したのですが、しばらく履いていたものと新品の交換は少しばかり気が引けました。

 ですが、お客様は私が手渡した靴箱の中を確認すると、とても満足そうな笑顔でしたのでこれで良かったのかなと思ってしまいました。

 このような関係は私がこのお店をやめるまで続いていたのですが、このお客様は私と店外で会う時もお店の中で会う時も変わらず大人しい方でした。

 一度、私が履いていた靴をどうしているのかと伺ったのですが、飾っているという答えが返ってくるだけでした。それが本当なのか嘘なのかはわかりませんが、このお客様が満足しくださっているのならいいのだろうなと思っていました。


 私がこのお店をやめた後にたまたま外で会ったスタッフさんに伺ったのですが、このお客様は今でも毎週土曜日の決まった時間にいらっしゃっているようです。

 ただ、私のような好みに合った足のキャストに巡り合えないらしく、以前のように下を向いて大人しく飲んでいるだけのようです。

 しかし、以前とは違ってお客様の目的もハッキリとわかっていますので、毎週土曜日は系列店から色々な子を呼んでお客様の席につくようになっているそうです。

 今では、新人研修も兼ねていると冗談のようにスタッフさんは仰っていたのですが、お客様の好みに合ったキャストと出会える日が来ることを私も願っているのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る