2-7

 王妃がルーファスの執務室を訪ねてきたのはその日の夕方である。迎え入れたのはバージルでルーファスは不在だった。侍女を下がらせてバージルと二人で向かい合って座る。


「ルーファスの怪我はどうですか?」


 先程の能力の暴走で負った火傷だ。ルーファスの能力は抜きん出ている。その分制御には精神力が必要となる。大臣達があてこすったのは能力の暴走がルーファスの未熟さの表れだからだ。尋ねた王妃は子供を心配する母親でしかない。


「跡が残るような酷い火傷ではありませんが、利き手ですから治るまでは動かす度に痛みはあるかと。今は休んでもらっています」

 バージルは疲れたように溜息を吐く。


 酷い有様で、ミズリに会いに行くと言ってきかないルーファスに一服盛って強制的に休ませている。何を言わずとも王妃はわかったようだ。


「そうですか。その方がいいでしょう。わたくし達でも受け止めきれないのです。ルーファスはより冷静にならなければ」

 感情的に動いては事態を悪化させるだけだと王妃は言う。王妃の言動はルーファスに寄り添っているように思える。


 暫く躊躇った後にバージルは口を開いた。

「王妃様はミズリの運命はルーファスだとお考えですか?」

 王妃は少し困った顔をした。

「今までの守護者も第三者が納得できる確たる証明はありません。二人の間の感覚的本能的な直感がお互いを運命だと知るのです」

 王妃の両親は聖女と守護者だった。聖女と守護者については一般人よりも知っている。


 先代聖女は5歳の時に聖女に選定され、全ての守護者候補と面会した。聖女が聞かされていたのは『これからあなたと共にいる友人を選びます。仲良くしたいと思う者がいれば教えて下さい』という言葉だけだったという。先代聖女は誰も選べなかった。皆と仲良く丸一日遊んでもその中の一人を選ぶ事が出来なかった。


 選定から一年以上過ぎて、不妊で悩んでいた公爵夫人が神殿に足を運んだ時に先代聖女との偶然の出会いがあった。先代聖女は公爵夫人のお腹に飛び付いて離れなかった。後に発覚したのは、公爵夫人が既に妊娠していた事とその時お腹にいた子供が守護者であった事である。

 王妃はこの話を聞かされる度に不思議に思い、母親を質問攻めにした。


『子供の時だから、あまり覚えていないのよね~。………皆と遊んだ時はね、皆と楽しくしていたのに、一人を選べといわれてもわからなかったのよね。公爵夫人とは出合い頭でぶつかったのだけど、お腹の周りが凄く温かそうだったのよ。くっ付いていると気持ちがいいし。そう言えば、引き離される時は大泣きしたわね』


 王妃が覚えている両親の姿はいつも寄り添っていた。国の守護という重い重責を背負っていたのだろうが、二人は始終幸せそうだった。

 二人の間には子供でも割っては入れない特別な絆を感じていた。それが羨ましくもあり寂しくもあった。

 

 バージルは眉根を寄せて苦い顔をした。

「ミズリはルーファス以外の守護者候補にはほとんど会わなかったことも、今になって不信を招く結果になっているのでしょうか」

「それはわたくし達の落ち度です。ミズリがルーファスの腕の中で聖女に選定された事は類をみない奇跡でした。その奇跡を前にルーファスを守護者でないと思うものはいなかったのです」

「俺の目から見ても、二人は特別に見えました。こんな事になっても微塵も疑う気がしない」

「せめてルーファスがただの王族であったなら‥‥‥」

 王妃は悲し気に目を伏せる。


 ルーファスが王太子でなければ状況はかわるかもしれない。だが、ルーファスが王太子を降りる選択を与える事は出来ない。

 ルーファスは王家唯一の王子であり代りがいない。先代聖女を祖母に持ち、歴代最強と言われる能力保持者であり、守護者でもあるルーファスは国民の人気がとても高い。ルーファスを廃嫡すれば国民の反感と不信を買うだろう。王族への求心力の低下は神殿とのパワーバランスを考えれば憂慮すべき事である。


 ミズリ自身の問題もある。大臣が言っていた王妃の資質もあるのだろうが、聖女の資格を途中で失う者の血筋を取り込む危険だ。王族は能力保持という絶対的な天命がある。ミズリに対して忌避感を抱く者がいるのは安易に想像がつく。

 ルーファスがミズリの運命であっても無くても二人の婚姻は難しくなっている。


「ルーファスという守護者がいながら能力を失ったミズリを王族が受け入れる可能性は低い。そもそも運命でなかったなら、リスクを押してまで王となるルーファスと婚姻させる意味がない‥‥‥‥くそっ!」

 王妃の前であったが思わず悪態をつく。王妃もバージルを咎めなかった。

「いずれにせよ、ルーファスは納得しないでしょう。わたくし達王族は一途な者が多い。簡単には諦めない事を知っているから大臣達も敢えて厳しい事を言ったのでしょう」


 王族の性質あるいは守護者の性質故か、伴侶をとても大切にする。自由恋愛は難しい立場にあっても、良好な婚姻関係を結ぶ者が殆どであった。


 王妃が伺う様にバージルを見た。

「あなたは信じられないかしら?」

「いいえ」

 苦笑を滲ませてバージルは首を振る。


 バージルは前公爵の愛人の子供という立場だ。王族に限って言えば愛人を持つ者は珍しい。バージルの母親が平民であったことも衝撃的な事であった。


「今は余計に納得していますよ。確かに王族は腹立たしい程一途だと思います」


 諸々の事情を知ったのは母親が死ぬ際だった。一人になるバージルを案じて全てを話してくれた。前公爵は妻を亡くし長く独り身を貫いていた。亡き妻を深く愛する公爵に恋をしたのは母親だった。やがて、受け入れられても、いくら好きになっても一番になれない事に耐えられなくなった。子を宿したのを機に別れを告げたのだ。年若い母親に前公爵は縋る事はしなかった。


 母親は苦しかったのだと言った。亡き妻を愛しているあの人を好きになったのに、いつまでも愛する事を止めないあの人を憎みたくなったと。

 男女の間は、当事者にしかわからない。ただ、母親を亡くして何年か過ぎて父親だと名乗り出た前公爵を前にして母が逃げ出した理由が分った気がした。


 時に何が不幸か幸福かはわからない。バージルと母親の二人の生活ではいつも幸そうだった。あのまま前公爵に囚われていては幸せにはなれなかっただろう。

 だが、ルーファスは。


「ルーファスとミズリは引き離すべきではないと思います。ルーファスは良い王になれと言われれば良い王になるでしょう。でも、それはミズリがいるからだ」


 ルーファスがして来た沢山の努力は、単に国を統べる者の責務からだけではなく、そこにミズリがいたからだ。ミズリと共に国を守り支えるという覚悟があったから。


「神子が現れた今、最悪の事態は回避されたと言って良いでしょう。大臣達を説得できる可能性は残されています。それにはまずミズリの同意も必要です。二人の強い意志がなければいけません」

 バージルが苦い顔をする。ミズリの頑固さにはずっと手を焼かされているからだ。

「ミズリはルーファスに会う事を拒んでいます。何度か接触を試みていますが無しの礫です」

「これからは神子の事もあるのですから、ミズリもこのままというわけにはいかないでしょう。神官長も話し合いには協力してくれます。それに、あの子が頑なにルーファスを拒むのは、本当には割り切れていないからでしょう」

 ミズリの決意の固さは脆さでもある。

「聖女は王に並ぶ地位です。聖女で無くなってもミズリの国への貢献が無くなるわけではありません。自分の幸せを願ってもいいのだと気が付いてくれればいいのですが」

 そう言いながら王妃は在りし日のミズリを思い出していた。


 ルーファスの背後でもじもじとこちらを伺う可愛らしい女の子。この国では一般的な緑の瞳は若葉のように艶々としてキラキラと輝いていた。恥ずかしそうに舌足らずな声で『は、は、ぅぇ‥‥‥さま‥‥』と言ったのだ。あまりの可愛らしさに抱き締めようとしたらルーファスがさっとミズリを抱き締めて隠してしまった。ルーファスの顔には小さな嫉妬と独占欲があった。それは一端の守護者の顔に見えた。王妃は笑って二人を抱き締めた。


 二人は幸せになるために出会ったのだ。二人に課せられた神の定めがどうであっても構わない。聖女と守護者は幸せになるために出会うのだと王妃は信じていた。

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