第19話

 学校を後にすると、再びウォーキングに努める。

 用務員さんが寒いだろうとくれたカイロが、上着のポケットの中で温もりをくれる。あの人は多分、前世は菩薩か何かに違いない。


 さすがに市街地をかなり離れてきたせいか、ずいぶんと周囲の様子も変わってきた。

 街中のように整備された緑ではなく、山側の木々は生い茂っており、道も土くれていて凸凹している。

 途中、視線のようなものを感じ何度か振り向いたが、当然のように道には誰一人おらず、歩いているのは自分だけだった。


 畑がちらほら見受けられ非常に見通しが良くなったおかげで、遮るものがなく空が非常に広く感じる。

 そのため、寺は辿り着くかなり前に発見することが出来た。

 遠く離れた山林の中から屋根らしきものが突き出している。

 しかし、幾ら歩いても近付かないため、蜃気楼か何かなのかと思えた。


 結局、辿りつくまでに学校を発ってから1時間近くかかってしまった。

 どうやらあの用務員さんの中では、時間がずいぶんとゆっくり流れているらしい。

 着く頃には日が傾き、太陽の色が白から赤へと濃く変わりかけていた。


 寺へと続く階段を上がると、石畳の参道を経た立派な建物が見えてきた。

 見たところ無人のようで、閑散とした空気が流れている。

 本堂の脇には地蔵が並んでおり、どうやらその奥から墓所へと続いているようだった。辺りを窺いながらそちらの方へと進んでいく。


 山間に設けたためだろう、墓所は棚のように段差があり道が入り組んでいる。

 この中から、メリーの家の墓を探すのは骨が折れそうだった。

 しかし、そう考えていた矢先、あっさりと墓は見つかった。

 というか、勝手に視界に入ってきた。


 もっとも良い場所であろう敷地の中腹に、ひと際大きな墓石が佇んでいた。

 近付かずとも分かる、あれがおそらくそうだろう。

 遠目で見ても明らかにサイズやスペースが違った。

 まぁ、この地域の大地主というぐらいだから当たり前なのかも知れない。


 目の前まで行き、墓に記された名前を確認すると、間違いがなかった。

 幾つかの卒塔婆や小奇麗にされたスペースとは裏腹に、花や線香の類は添えられていなかった。


「ちょっと失礼します」


 一応墓へと手を合わせてから墓石の横へと回る。

 念のための確認だった。

 別に深い意味もないし、疑ってるわけでもなかった。

 ただ、それでもそれを見たとき、自分の中で決定的な喪失感のようなものが心を抉った。


 ……墓石には、確かにメリーの名前が刻まれていた。 


 名前の上には〝享年十一〟と記されていた。数え年と聞いたことがあるから、実際には十歳か。

 その隣には、見覚えのあるメリーの両親の名が刻まれており、遣る瀬無さに襲われる。


 しばらく茫然とした後、墓の正面へとしゃがみ、途中で摘んだ花を添える。

 一輪しか見付からなかった、八重咲きの、小さく黄色い花。

 何かで見たことがある、確か花言葉は……。

 ――別れの悲しみ。

 何故こんなことを覚えているのか自分でも分からなかった。寂寥とした感情が込み上げ、思わず呟く。


「どこ行っちまったんだよ、お前……」


 当然、言葉を返す者は誰もいなくて。

 西に傾いた墓地の斜面が夕日に照らされオレンジに染まる。

 目の前の墓石はひと際その存在を主張するように光を弾いて輝いていた。

 立ち上がって赤に染まった太陽を眺める。

 広がる山々や畑も同じように赤く色づいていた。


 ここまでなのかも知れない。

 もう一度メリーに会えるだなんて漠然と計画性もなく飛び出してきたけれど、結局俺に出来ることは何もなくて、してやれることなんて何一つ残されてなくて。

 つい昨日までの出来事なのに、メリーと一緒にいたことが霞みがかってしまう。

 まるで、本当に幻と過ごしたかのように。


 体力的なものもあるのだろうが、メリーの墓石に刻まれた名前を見た瞬間、フッと力が抜けてしまったようだった。

『どうしようもない』、そんな言葉が頭に浮かんだ。


 うな垂れて、再び自分で添えた献花へと目を移す。

 こんな花言葉を持つものを摘んできたことの皮肉と、添えるその時まで思い出せなかった自分の間抜けさを呪う。

 ただ、何故か花の名前は思い出せなかった。

 喉元まで来ているのだが、もうひと押しがない。

 確か、この花の名前は……。


「キンセンカ」


 ――後ろから不意に声を掛けられ、思わず仰け反る。

 振り向くと、若い女性が立っていた。


「よく咲いていたものを見つけましたね。この辺りでは珍しいのに」


 透明感のある澄んだ声が響く。

 ただ、その言葉は感情らしいものがなくて、淡々と音を発しているかのように感じた。

 無機質でどことなく人間味がない。整った顔が、余計人形染みたものを印象付ける。

 俺は、突然の出来事に息を呑み立ち尽くした。先ほどまで人の気配なんて感じなかったのに。

 女性はそんな俺を他所に話し続ける。


「お嬢様のお墓参りに来たんですね」

「お嬢様?」


 と、ここで一つのことに気付く。

 俺はこの人に会ったことがある。しかも極々最近のことだ。

 突然話しかけられたショックで、そんなことにさえ気付かなかった。

 和服にエプロンという特徴的なその格好。


「あなたさっき屋敷で見た……」

「はい、お屋敷で女中を務めさせて頂いております」

「いったい何でこんなところに?」

「あなたを追い掛けるように言われました」

「は?」

「お嬢様のことを調べておられるのでしょう?」

「さっきからお嬢様って何のこと、……って、もしかしてあいつのこと言ってるのか?」


 俺の言う〝あいつ〟が誰を指すのか察したようで、家政婦の女性は薄く顎を引く。

 メリーのやつ、お嬢様なんて呼ばれてたのか。

 確かにあの屋敷じゃ納得せざるを得ない呼称だけど。


「あいつのこと知ってるんですか?」

「よく存じてます」

「聞きたいことがあるんですが。それも山ほど」

「はい」

「いや、ちょっと待って下さい。何から聞けばいいのか」


 予期せぬタイミングで現れた解答者に、何から聞いていいのか分からず頭の中を整理する。

 この街に来て分かったことは、一昨年に船舶事故で亡くなったこと。

 学校では馴染めていなかったこと。

 しばらくしてから不登校になってしまったこと。


「えーと、ここにはよく来るんですか?」

「昨年遺品を納骨して以来ですね」

「へー。若そうに見えますけどいくつぐらいなんですか」

「来月で十九です」

「あ、同い年ですね」

「そうなんですか」

「……」


 違う、こんなどうでもいいことを聞きたいわけじゃない。

 しかし、家政婦さんはそんな質問にも律儀に答えてくれた。

 今まで話した人達と違い、その淡々とした様子がかえって聞きやすいように思った。


「そ、そんなことじゃなくてですね、あいつのことなんですけど」

「はい」

「いつからあいつのこと知ってるんですか?」

「お嬢様がこの街にいらっしゃったときから存じております。私の家は母の代からあのお屋敷に仕えておりますから」

「そうなんですか。あいつ、事故が起きる前はどんな様子でした? 何か、悩んだりとかしてなかったでしょうか?」

「悩んでいるというのがどういったことを指しているのか分かりませんが、私には明るく接して下さいましたね。お菓子などをお持ちした際には、大変喜んで下さいます」

「そ、そうですよね!」


 やっと、やっと俺の知っているメリーの印象と合致した。

 今まで聞いた話は、まるで違う人間のようでいまいちピンと来なかった。

 そのズレが疑問となり、俺はそれをそのまま訊ねる。


「……でも、あいつが学校に行かずに不登校だったって本当ですか? とても想像出来ないんですが」

「確かに、途中から学校には行かなくなりました」

「学校の用務員さんには馴染めていなかったって聞いたんですが、やっぱりそれが原因なんですか?」

「学内での様子は分かりかねますが、とても行けるような様子ではありませんでした」

「そ、そうなんですか」

「はい」

「やはり、あいつは辛かったんでしょうか?」

「そうですね、表だって不満を見せる方じゃないので分かりませんが、状況は苛酷なように思えました」

「過酷って……。おばさんやあなたは、そんなあいつに何かしてやれなかったんですか?」

「私はあくまでお嬢様の世話役に過ぎませんので、差しでがましいことはできません。何かをしてあげられるような立ち場ではないのです」

「じゃあ、そのままあいつは学校にも行かず家に引きこもってるままで、苦し紛れに旅行に連れて行ったら事故に遭ったっていうんですか……?」

「……そのようですね」

「そのようですねって、なんだよそれ」


 ――なんで、そんな他人事みたいな言い方なんだよ。


 どうしようもない怒りが自分の中で膨れ上がる。

 それでも、もうそれは過去のことで、死んでしまったあいつには何もしてやれなくて、行き場のない想いが語調を荒くする。


「……もうちょっと、どうにかならなかったのかよ」

「あなただったらどうにかしてあげられたのですか?」

「分からないよ。ただ、あんたみたいに傍観だけは絶対にしない」

「左様でございますか」

「あんたには明るく接してたって言ったよな? なんでそんなあいつの助けになってやれなかったんだよ」

「返す言葉もございません」

「あんたにとっては仕事相手かも知れないけどな、あいつはただの小さな子供だったんだよ。自分一人の力じゃ、出来ないことだってあるだろ!」

「おっしゃる通りです」

「ふざけんなよ!! 機械的に答えないでくれ。あんたちゃんと感情あるのか?」

「……」

「両親が死んで、天涯孤独で、学校にも馴染めなくて、家でもそんな他人みたいに扱われたら、あいつは誰に助けを求めたらいいんだよ!! そのまま辛いことしかないまま死んだなんて、いったい何のために生まれてきたんだよ!! あんたらがもう少し何かしてやれたら、こんなことにはならなかったんじゃないのかよ!?」


 ――違う、こんなことを言いたいわけじゃない。

 こんなこと言っても何も変わらない。ただの八つ当たりだ。

 でも、どうしても治まらない。

 あいつが、あんなに明るくて無邪気でバカで、健気なメリーが、不幸なまま、孤独なまま死んでいったなんて、納得できるはずがなかった。


「だから、だから俺はあいつに……」


 その先の言葉は続かなかった。

 くだらないことばかり気にして、踏みこまれたくないことなんだと決め付けて、俺はあいつに何一つしてやれなかった。

 あいつがそんな風に生きてきたなんて知らずに。


 不甲斐なくて、自分が許せなくて、だからこそもう一度会いたかった。

 このまま終わりだなんて、耐えられなかった。

 きっと、誰も信じてくれないだろうけど、それでも俺はあいつのことを幻だなんて思わない。

 絶対にもう一度会って、伝えなきゃならないことがある。

 例え、方法が分からなくても、何年かかっても、必ず見付け出す。


「――あなたのことは、お嬢様から聞いていました」


 無言で心を決めていた俺に、突拍子もなく家政婦の女性はそう声をかけた。

 だけど、俺はそれを聞き流すことしかできない。

 俯き、メリーを会うためにどうすればいいか模索する。

 しかし、そんな俺に女性はなおも声をかける。

 そして、その言葉は、今までと違い人間味を帯びた響きだった。


「お嬢様に会いたいですか?」

「……っ」


 予想もしなかった言葉に驚き、言葉に詰まる。

 顔を上げると、もう随分と陽の沈んだ夕闇を背にして女性は薄く微笑んだ。

 その光景はどこか浮世離れしていて――、思わず息を呑む。


「会いたいって、どういうことだ?」

「皆さんは死んだと言っておりますが、私にはお嬢様が見えております」

「……何言ってるんだあんた?」


 先ほどメリーが幻なんかではないと思った俺が言うのもなんだが、正気ではないと思った。

 自分が体験しているにも関わらず、死んだ人間が見えるだなんて、そんなオカルト染みた話しを信じることが出来ない。


「座敷わらしというものをご存知ですか?」

「あ、あぁ。あの家の中にいる妖怪みたいな奴だろ」

「ええ。その家に富をもたらし、座敷わらしが去るとその家は衰退すると言われています」

「それがどうしたんだ?」

「あの家にとって、お嬢様はそういった存在なんです」

「……馬鹿にしてるのか? ブロンドの座敷わらしなんているはずないだろ」


 いきなり話しがとんでもない方向へと向かった。

 思ったよりも痛い人なのかと疑いそうになる。

 ただ、そんな冗談染みたことに付き合う余裕は今の俺にはなくて、苛立ちが募るばかりだった。


「ふざけるのも大概にしてくれ。死んだ人間が見えるだなんて、あんた本気で言ってんのか?」

「……」

「じゃあ、あいつは今あの家にいるっていうのかよ」

「左様でございます」

「嘘付くんじゃねぇよ! そんなこと信じられるはずないだろ!!」

「信じられるか否かより、事実かどうかが重要かと思われますが」

「――っ」


 確かに、そう淡々と告げる様子から、冗談の類ではないと思った。

 しかし、それを鵜呑みにすることを、俺の常識観念が妨げる。

 それに、怖かった。

 信じて、願って、期待を裏切られることが。

 そんな俺を見透かすように、女性は俺の言葉を待ち、真っ直ぐと見詰めていた。


「あんた、いま事実が重要だって言ったな?」

「左様でございますが」

「じゃあ、あいつが、つい昨日まで俺の家にいたって事実があるとしたら、それを信じられるか?」

「……」

「あんたの言い分じゃ、あいつはあの家にいるんだよな? それとも座敷わらしってのは瞬間移動でも出来るのか?」

「それは出来ないでしょうね」

「それでも、あいつは確かにあの家にいるっていうのかよ?」

「相違ありません」

「さっき、あいつに会いたいかって聞いたよな?」

「はい」

「会いたいって言ったら、会わせてくれるとでも言うのかよ」

「はい」

「ハハハ、死んだ人間に? 本気で言ってるのか、あんた」


 思わず、渇いた笑いが漏れる。

 当然、愉快な気持ちなど欠片もなくて、とてもじゃないけど信じられなくて、……それでも、それでも、その言葉に縋りたくなってしまって。

 俺は、思わず滲みそうになる涙腺を閉め、彼女へと懇願した。 


「……じゃあ頼むよ。あいつに、もう一度だけでいいから会わせてくれ」


 行き詰った俺に、選択の余地など最初からなかった。

 藁にも縋る想いでこの街に来たのだから。

 頭上から降り注いだ女性の返答が、日の暮れた墓地へと響く。


「はい、かしこまりました」

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