第10話

 翌日、俺の心配をよそにメリーの体調はすっかり治っていた。

 先に目覚めていたのか、寝ぼけたまま目を開くと、隣から「お兄ちゃん、おはよう」と声をかけられた。

 テレビでも見てれば良かったものを、俺を起こすまいとベッドから出なかったようだ。


「ん、おはよう」


 寝起きのいつもより低い声で俺も答える。

 しかし、そのまま上体を起こそうとしたところで違和感に気付いた。

 身体の異常な倦怠感。起きたばかりということ以上に重い頭。


 ……あー、これあれだ。

 風邪だ。


「どうしたの?」


 起き上がって額に手を当てていた俺に、メリーが不思議そうに問いかけてくる。

 そのキョトンとした顔を見て、なんでもないようにベッドから出た。

 少し視界がグラつく。

 おぼつかないというほどでもないけど、歯を磨きにキッチンまで行くのが億劫に感じた。


「お前、もう風邪は大丈夫なのか?」

「うん! 全然平気だよ! お兄ちゃんが一緒で暖かったし」

「湯たんぽか俺は」

「なんかいつもより暖かったけど、私のために温かくなってくれたの?」

「そんな便利な機能、人間にはねーよ」


 でも熱が出てたメリーが温かく感じたってことは、俺も熱が出てるってことだろう。

 メリーからもらってたって考えるのが自然だけど、ここで風邪ひいたって言ったらこいつも気付くだろうな。


「これからバイトだから、今日こそ大人しく留守番してろよ」

「うん、私メリーさん、今日は一日中このお部屋の中にいるの!」

「よし、いい子だ」


 俺は着替え終えると、聞き分けの良い返事をしたメリーの頭を撫でた。

 なんだか頭がクラクラするせいで、少しだけいつもの自分らしくない気もする。

 しかし撫でられたメリーがご満悦そうにしてるし別にいいか。


「俺がバイト行ってる間は暇だろうし、テレビとかパソコンとか見てていいからな。ただ、昨日言った通りパソコンは程々に、変なページが出たらすぐ閉じろよ」

「そ、そうだね! 呪われちゃうんだもんね!」

「呪……?」


 あぁ、そういえば昨日適当にそんなこと言ったっけ。

 ぼーっとしてるせいでついそんなことも忘れそうになる。

 メリーに部屋から送り出されると、俺はどっと身体の力が抜けた。

 本音を言えば俺もメリーと一緒に一日中部屋の中に引きこもっていたい。

 しかしそんなわけにもいかず、いつもより二段階ぐらいギアが重くなったように感じる自転車を漕ぎ始めた。



 ※ ※ ※



「お疲れー、休憩行っていいよ」

「……うす」

「なんか体調悪そうだけど大丈夫?」

「……大丈夫っす。多分」

「昨日も変なこと言ってたし、無理はしないようにな」


 頭がぼーっとして、もはや否定するのも面倒臭い。

 冬休みに入った俺には関係ないが、今日は祝日のためかいつも以上に朝から混んでいた。

 最初は勢いで仕事をこなしていたが、時間が経つほどに症状が悪くなっている気がする。

 地獄のランチタイムを終え、やっと束の間の休憩を得た俺は、バックヤードに入ると同時に机に突っ伏した。


「なになに、具合でも悪いの? ちゃんと生きてるー?」

「ギリ生きてます……」


 昨日と同じく厨房の姉御がまかないを持ってきてくれた。

 しかし食欲はおろか、身体を起こす体力すら惜しい俺は首だけ角度を変え何とか返事をした。


「風邪?」

「ご明察です」

「バイトなんて休めば良かったのに」

「そういうわけにもいかないんですよ」

「へー、君がそんなバイト愛に深い人間だと思ってなかったけど」

「いやそういうわけじゃなくて、俺に風邪うつした子が家にいるもんで」

「え!? 彼女でも出来たの?」

「はぁ……」


 思わずため息をつく。なんだって女の人はそう邪推したがるんだ。

 今まで彼女の〝か〟の字もなかった余裕のない大学生に、いきなり同棲する恋人が出来るはずないだろ。


「親戚の子ですよ。訳あって俺の家に住んでるんです」

「なんだ、つまんない」

「俺に彼女がいたとして、何か面白いことでもあるんですか」

「んー、君に彼女が出来たらどんな風になるのかなーってのはちょっと興味あるよ」

「ははは、それは俺も興味ありますね」


 乾いた笑いが漏れる。

 自分が誰かと付き合うなんて今はまだ想像も出来ない。

 中学生ぐらいの頃は、高校や大学に入れば当たり前のように恋人が出来るものだと漠然と思っていたけれど、女友達は出来ても浮いた話しは一つもない。

 だから、誰かを好きになって、好きになられて、一緒にいるなんて感覚、俺には分からない。


「君はなんだか、何かに入れ込んだり、熱中したりすることがなさそうだから、どんな感じになるのか気になるよ」

「人を無気力人間みたいに言わないでくださいよ」

「でも実際そうでしょ? 何に対してもどことなく割り切ったっていうか冷めた感じがするよ」

「これでも割と付き合いとかいい方なんですけどね」

「それよそれ。付き合うことはしても、付き合わせることってないんじゃない? 自発的っていうか何かそういうの」

「あー、まぁ」

「だからそんな熱のない君が、彼女が出来たらどういう風に接するのかなーって」

「分からないっすねー」


 正直、死ぬほどどうでもいい。

 それより増してく身体のダルさの方が切実だ。

 出来れば少しの間でいいから寝かせてくれ。


「あ、ごめん、体調悪いんだもんね。賄いは食べやすそうなの作り直してあげるから休んでて」

「すみません」


 俺の気のない返事で察したのか、彼女は申し訳なさそうに席を立った。

 別に悪気があったわけじゃないだろうし、こちらも若干申し訳ない気持ちになる。

 昼飯まで作り直してくれるとか、相変わらず面倒見いいな。


 しばらくすると彼女は本当に新たにまかないを作ってきてくれた。

 先ほど作ったものは自分で食べるらしく、同じ机に腰を下ろす。

 俺に差し出されたのは雑炊だった。

 野菜と卵と細かい鶏肉が上品な感じの出汁でまとめられてて、俺が昨日メリーに作ったものとは雲泥の差があった。

 汁気が多く、体調が悪くともサラサラと入っていく。


「ごちそうさまでした、美味かったっす」

「体調は大丈夫そう?」

「気持ち悪いっすけど、ちょっと楽になった気がします」

「どれどれ」


 彼女が無遠慮に俺の額に手を当ててくる。

 細くて冷たい指先が触れ、いきなりのことで少し戸惑った。

 メリーみたいな子供にするならともかく、いい歳した俺に突然そんなことしないでほしい。


「え、これ結構やばいんじゃない?」

「そんな気はしてました」

「早く帰りなよ。チーフには私から言っておいてあげるからさ」

「いや、でもさっき言った通り家には親戚の子がいるんで」

「うつしちゃうってこと? でもその子から風邪もらったんなら大丈夫じゃない?」

「そうじゃなくて、あいつ、俺に風邪うつしたって気付いたら落ち込むでしょうから。ただでさえ遠慮してるところあるんで、迷惑かけたとか思ってほしくないんですよ」

「……へー」


 なんだか含みのある笑みだった。

 ニヤニヤと面白いものを見るような感じで、あまり居心地は良くない。


「なんですか?」

「いやいや、さっきは熱がないなんて言っちゃったけど、案外そうでもないんだなって」

「……? 熱ならやばそうって言ってたじゃないですか」

「そっちじゃないよ。まぁ、君はあれだね、わりと尽くすタイプになるのかもね」

「意味が分からないです」


 また何を言ってるんだこの人は。こっちは余裕ないってのに。

 今日はまだやることが多いんだ。

 もうすぐ休憩終わるから、夕方になって混む前に補充系やってメニューも差し替えてドリンクバーの整備して、あと、メリーの夜飯どうするかな。


 昼飯を食べ終えた後は、休憩の時間ギリギリまで椅子で横になっていた。

 頭がガンガンして酷く気持ちが悪い。

 でも多分、家で平気なふりをするよりは仕事をしている方が体調の悪さも紛れる気がする。

 それから俺は、半ば朦朧としながらもバイトを続けた。

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