第8話

「しかしお前、本当によく来れたな。どれぐらいかかったんだ?」

「えー?」


 帰り道、自転車の後部に乗せたメリーに問いかけるが、上着のフードを被ってるせいか、いまいち聞こえにくいらしい。

 もう一度、少し聞こえやすいように首を捻って、大きめの声で問いかける。


「だからー、俺のバイト先に来るまでどれぐらいかかったんだーって」

「うーん、分かんなーい」


 メリーもやや大きめの声で返してくる。

 しかし分からなくて当たり前か。長時間歩いてると時間の感覚って分かり辛いもんな。

 俺みたいに自転車で通い慣れてたら別だろうけど。


「じゃあ、何時ぐらいに家出たんだー?」

「えーっとね、十時ぐらいー」


 思わずブレーキを握ってしまった。

 金きり音と共に自転車が止まり、勢いでメリーが俺の背中に突っ込んでくる。


「じゅ、十時!? お前、四時間以上かかってるじゃねぇか!!」

「えへへ、少し迷っちゃいました」

「全然少しじゃねーよ!! 風邪ひくに決まってんだろ!」


 いや、今より厚着とはいえ、あんな遠くから俺を訪ねてきたぐらいだから元から軽い風邪をひいてたのかも知れない。

 そんな状況で体力も失えば悪化するに決まってる。

 ただ、まさか四時間もかかっていたとは。

 というかこいつ、こんな調子でよく俺の家にたどり着けたな。


「お前、じゃあ昼飯は」

「食べてないです!」

「だからリゾット盗み食いしたのか」


 呆れた奴だ。食い意地が張ってたというより、単純に空腹のうえ、体力もなく、ギリギリの状態でたどり着いたってことじゃないか。

 たかがバイト先に来るのに遭難状態だろ。


「お前、今後一切俺の許可なく外出するな」

「えー」

「えー、じゃねぇよ!! 迷子もそうだけど、事故にでも遭ったらどうすんだ!」

「やだなぁお兄ちゃん、私そんなに子供じゃないよ」

「大人はそんな危なっかしくねえんだよ」


 確かに今度中学生になる子に外出の制限をするのは過保護な感じはするが、メリーにおいては決して過剰な対処とは思えなかった。

 一般的な常識に欠けるこいつを野放しにするのは完全にまずい気がする。


「取り合えずコンビニ寄るぞ。マスクとか色々買わないと」

「別に大丈夫だよ」

「飯もいらないのか?」

「行く!!」


 リゾットは俺が半分以上食べていたので、予想通り腹は満たされていないようだった。

 また、奪われた俺自身も小腹が減っていたので、何か買う必要がある。


 家の近くのコンビニに着くと、メリーは風邪だというのに危なげない足取りで店に入り、普通にコンビニ弁当を物色し始めた。

 そして、照り焼き弁当に目を付けると、それを手に取る。


「待て待て待て。そんな消化に悪そうなもの食おうとするな」

「え?」

「世の中にはだな、体調が悪いときに食べるお粥というものがある」

「なんか昔食べたことある気がするけど美味しいの?」

「うーん、若干さっき食べたリゾットってやつに似てるかな?」

「じゃあそれにする!」


 さっき食べたリゾットが余程美味かったのか、メリーは二つ返事で俺の提案を受け入れた。

 実際にはお粥とリゾットは調理過程からしてまったくの別物なんだが、米を使っているというところで似通ってはいるし、特にそれ以上の説明はしなかった。

 その他に、俺の夕飯用の弁当や幾つかの商品を買物カゴに入れると、そのままレジに通した。

 細々とはしてるが、また出費が積み重なる現実に俺は目を背けることにした。


 店から出ると、取り合えずメリーに女性用のマスクを着けさせる。

 しかし、メリーの顔が小さすぎるため、顔の半分がすっぽりと隠れてしまった。まぁ、暖かそうでいいだろう。

 メリーは「給食当番みたいだね」と言っていたが、本来の用途はこちらの方がポピュラーであることを教えておく。

 家に着くと、メリーは「ただいまー」と言いながらベッドへと駆け寄り、そのまま勢いよく倒れこんだ。


「おい、大丈夫か!?」


 心配になって覗き込むと、どうやら熱というよりは疲労が原因のようだった。


「私メリーさん、今体力の限界にあるの」

「四時間以上も歩けば当たり前だ。横になる前に手洗いとうがいしろ」


 横になったメリーのわきを抱えて持ち上げてやり、台所へとうながしたが、ふざけて俺に寄りかかってきたため、しょうがなくそのままキッチンまで引きずっていく。


「あと、ちゃんと着替えてから横になれよ。今お湯でタオル絞ってやるから汗も拭いとけ」

「お兄ちゃん、ママみたいだね」


 メリーがニコニコしながら呟く。

 それは無邪気な感想だったのだろうが、両親を亡くしたメリーの口から聞くと、どこか居たたまれないような複雑な気持ちになった。

 同時にメリーの母親の顔をおぼろげながら思い出す。


「……あんなに綺麗じゃねぇよ」

「え、なに?」


 俺の言葉は耳に届かなかったらしく、メリーが手を洗いながら振り向く。

 その顔は、はっきりと思い出せないものの、やはりメリーの母親のそれと似ている気がした。


「いや、何でもない。ちゃんとうがいもしろよ」

「はーい」


 メリーが手洗いうがいを済ませると、俺も同じように風邪の予防対策を済ませマスクをかける。

 勿体ないのでメリー用に買ったマスクの残りを俺も使うことにしたが、俺には少し小さく感じた。


 タオルを熱めのお湯で絞り、洗面器と共に部屋へ持っていくと、立ち上る湯気が乾燥した部屋の湿度を上げ、少しだけ呼吸がしやすくなったように錯覚する。

 一人では加湿などに気を使うことはなかったが、今日は濡れたタオルでも部屋の中に吊り下げようと思った。

 メリーにタオルを手渡すと、俺は昼飯の補填をするため台所へと戻った。

 しかし、皿に粥をあけレンジに入れたところで部屋から「お兄ちゃん、こっち来てー」と呼び出された。

 扉を開けると、ベッドの上にいる半裸のメリーが、背を向けたまま首だけ振り返って呟いた。


「せ、背中うまく拭けない」

「嘘付くな」


 そう言い残して扉をピシャリと閉める。

 お前は風呂でどうやって体を洗ってるんだ。そう心の中で一人ごちた。

 しかし、扉が思ったよりいい音で閉まったため、若干の心苦しさを感じる。

 そーっと扉を開けメリーを覗き見ると、案の定分かりやすくベッドに手を付きうな垂れていた。

 仕方なくメリーの後ろまで歩み寄り、タオルをひったくる。

 そろそろこういった些細な甘えたがりにも慣れてきたところだ。別に今さら断る理由もない。


「ふぇ!?」

「こっち向くな。背中向けろ」

「は、はい」


 メリーが慌てるように背を向け、服を手繰り寄せて胸元で抱きしめた。

 少しだけ猫背になった背中を拭き取るため、タオルをたたんで汗を拭う。


 ――透き通るような白い背中に、幾つかの青や黄色の痣。


 何度見ても胸が詰まるような気持ちにさせられる。

 それとは別に、メリーの肌があまりに綺麗で、芸術品を悪戯に汚されたような憤りに近い感情が沸いてくる。

 昨日のメリーとの会話が頭をよぎる。

 メリーはこの傷の原因を話すことを拒絶した。

 どういった理由なのかは分からない。


 ただ、それでもメリーはこうして無邪気に甘えてくる。

 それに少しばかり救われている自分がいた。

 悪態はついてしまうけど、ささやかながらこいつのために何かしてやれることが嬉しかった。


「ほら、終わったぞ」

「……う、うん」

「あれ、お前さっきより熱出てないか?」


 マスクをしていて分かりにくくはあるが、先ほどより顔が赤い気がした。

 額に手を当ててみると、明らかに先ほどより手に伝わってくる体温は高かった。


「熱が上がってるな。すぐに服着て横になってろ」

「だ、大丈夫! そういうのじゃないから!」

「は? よく分からないけど取り合えず寝てろ。今お粥温めてやるから」


 台所へと戻り、粥を入れたままのレンジのタイマーをひねる。

 メリーの方を見ると、もそもそと服を着て大人しく布団を被っていた。

 ふざけたり甘える元気はあるらしいが、やはり体力を消耗しているのだろう。

 二分ほどで、レンジは小気味良い音を立てて粥が温まったことを知らせてくれた。

 器がかなり熱くなっていたので、雑誌をトレー代わりにしてメリーの元へと運ぶ。


「熱くなってるから気を付けて食えよ」


 メリーが無言で頷いて雑誌ごとお粥を受け取る。

 スプーンを口元へと持っていき、冷まそうと息を吹きかけるのだが、その光景はずいぶんと間抜けなものだった。


「マスク外せ。どうやって食うつもりだ」


 俺に指摘されずとも気付いたのだろう、言い終わる前にメリーはマスクを外していた。さっきと同じように顔が赤くなっている。

 すると、恥ずかしかったのかそれを誤魔化すように焦った様子でスプーンを口へと運んだ。

 口に入れた瞬間、相当熱かったのか体をビクつかせ口元を押さえる。


「んんっ!?」

「冷ませよ。なんでお前は何か指摘されると一つ前のことを忘れるんだ。鳥か何かか」

「わ、わたひめりーひゃん、い、いま、あついの!」

「そのまんまじゃねーか。ちょっと待ってろ、水持ってきてやるから」


 かなり熱かったらしく、いつもの変な言い回しも何一つ捻れていなかった。

 水を持ってきて、コップを渡し、代わりにしょうがなく粥の入った器をメリーから受け取る。

 適量を掬い、十分に冷ましてからメリーの口へとスプーンを運んだ。


「ほら、口開けろ」

「は、はい」


 メリーの顔がまた赤くなる。どうやら照れているらしい。

 こっちはというと、人生初めての『あーん(する方)』に甘酸っぱい感情は何一つなく、どちらかと言うと、生まれたての雛に餌をあげるようなそんな呑気な気分になった。

 しかし、三杯目を口に運んだところで、メリーが何か物言いたげにジッと上目遣いで見上げてくる。


「どうした? 熱かったか?」


 メリーが首を振る。

 確かに熱いわけはない。徐々に冷めつつあるわけだし、十分冷ましてから口に運んでいる。


「じゃあなんだよ?」

「……あの、あのね。その、何ていうか、その」

「だから何なんだよ?」

「あの、……あんまり、おいしくないの」

「……」


 何だろう、本来イラッとくる場面のはずなんだが、あまりにもメリーが言いづらそうに、申し訳なさそうに訴えてくるので、逆にこちらが悪い気がしてしまった。


「そりゃ病人食だからな。それに所詮レトルトだし」

「そっか。じゃあ、しょうがないね。……うん、分かった」

「えーと」


 ……飯一つでそんなに落ち込むなよ。頼むよ。なんで俺が悪いみたいになってんだよ。

 確かにさっき先輩が作ってくれたリゾットと似てるとは言ったけど、コンビニのレトルト食品には明らかに荷が重いだろ。


 しかし、食べ物を食べてるこいつはいつも幸せそうなので、なかなか無下にもし難い。

 というか、過剰に期待させてしまった原因が俺にもあるため、若干の後ろめたさもあった。


「あー、ちょっと待ってろ」


 後ろ頭を掻きながら、器を持ち台所へと移動する。

 キッチンの下の収納から小鍋を取り出すと、コンロへ置きお粥を火にかけた。

 そこへ、冷凍庫に保存しておいた生姜を包丁で削り入れ、鮭フレークと卵を落とし、塩コショウ醤油で味を調え一煮立ち。

 わずか五分の作業だ。

 この程度のことに気付かず、手を抜いた俺にも非はある。


 かき混ぜておじや風にすると、メリーの元へと再び運んだ。

 調理中の匂いで再度食欲を刺激されたのか、メリーが二つの意味で熱い視線を送ってきた。

 口からはジュルリと音が鳴りそうなほどだ。


「出来たぞ。さらに熱いから今度こそ気をつけろよ」


 さすがに再度『あーん』をしてやる気にはなれなかった。

 先ほどと同じように、トレー代わりの雑誌ごとメリーへと渡す。


「い、いただきます!」


 湯気がモウモウと立ち上る熱々のおじやもどきを受け取ると、メリーはガッとスプーンで掬い、そのまま勢いよく口へと放り込んだ。

 バカなのかこいつは。


「んふぅう!!」

「お前、学習しろよ!!」


 再度メリーが悶絶し口を押さえる。

 先ほどより熱そうなため、さすがに心配になってテーブルに置いておいた水を差し出した。

 しかしメリーが掴んだのは、コップではなくスプーンだった。

 顔をあげ、再びおじやを掬うと今度はキチンと息を吹きかけ冷ましてから口に入れる。


「お兄ちゃん、なにこれ!? 美味しい!」

「いや、卵と鮭と生姜入れて味付けしただけだよ」

「すごいね、お兄ちゃん! 女子力高い!」

「ははは、ふざけんな。というか、なんでそんな言葉は知ってる」


 大学でも同じことを女子から言われたことがあるので、若干呆れた気持ちになった。

 この程度のことで女子力云々言われるのであれば、家事を毎日こなす世のお母様方は女子力53万ぐらいはゆうに超えそうだ。何ならあと三回ぐらいは変身を残しているだろう。


「取り合えず、早く食って寝ちまえ」

「でも眠くないよ?」

「まぁ、まだ夕方前だしな」


 メリーがおじやをパクつきながら答える。

 昨日あれだけあっさり寝てたし、この時間に寝ろというのは確かに無理があるように思った。

 だいたい風邪のときってのは暇なもんなんだよな。

 大して興味もない番組眺めたり、一回見た漫画読み返したり、そのくせ変に人恋しかったり。


「じゃあ絵本でも読んでやろうか?」

「お兄ちゃん、流石に子供扱いし過ぎじゃない? だいたい絵本なんてあるの?」

「お前な、今はパソコンという文明の利器があるんだよ」

「なにそれ?」

「……冗談だろ?」


 こいつ、マジか。

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