第5話

 メリーを自転車の後ろに乗せ、取り敢えず駅前の中心街まで出ることにした。

 カーディガンにパーカーを羽織らせた程度で大丈夫かと心配したが、防寒のインナーが効いているのか、あまり寒がっている様子はなく安心した。

 メリーは道中、色んなものに興味を見せ、あれこれ質問してきたり感想を述べていた。

 背中から聞こえてくる賑やかなリアクションが、昔を思い出させる。

 騒がしいのに、これだけ反応がいいともっと見たくなるから不思議だ。


「なぁ、どっか行きたいところあるかー」

「どこでもいー!」


 俺は、取り敢えず、たまに暇を潰す時に寄るゲームセンターへと向かった。

 メリーの知識の中にはゲームセンターという概念がなかったようで、最初はどういうところなのかを理解していなかった。

 ただ、幾つかアーケードを試させてみると、予想通り、いや予想以上の興奮を見せてくれた。

 テレビゲームは難しいだろうから、レーシングやシューティングゲームをやらせてみる。

 キャーキャー言いながら、余程新鮮なのか、夢中でプレイしていた。


 途中、ボールをスクリーンに投げまくる体感ゲームをやらせたが、それが一番気に入ったらしく、五回も付き合わされた。

 最近運動らしいことはしていなかったから、明日は軽い筋肉痛かも知れない。

 しかしゾンビ系のガンシューティングはいささか刺激が強すぎたらしい。


「お、お兄ちゃん、これどうやるの!? 何かこっちに来r、キャーー!!」

「いいから撃て!! そいつらはもう死んでるんだ! お前の手で成仏させてやれ!!」


 俺がアドバイスすると、メリーは『ごめんなさい! ごめんなさい!!』と半泣きでゾンビを撃っていた。

 周りからは当然注目を集めてしまい、何故かその視線の矛先は俺だった。

 いや、ちょっと待て、俺は親戚の子を遊んでやってるだけだぞ!? 何故そんな好奇の目を俺が向けられなければならない!?

 今しがたメリーに言った、お前の手で成仏させてやれ! という少し熱のこもった言葉が恥ずかしくなり、思わず顔が赤くなる。

 いや、違う。きっと皆、俺の言葉なんて誰も聞いてない。

 多分メリーの容姿と、それにそぐわない日本語が珍しくて目に留まっているだけで、たまたま一緒にいる俺のことを見ているだけだ。

 そう自分に言い聞かせていると、ゲームを終えたメリーは放心状態だったので、一応ゲームの設定とかを説明してフォローしておいた。


「ちょっとトイレ行ってくるから、これでも飲んで待ってろ」

「うん!」


 先ほど自販機で買った缶ジュースを渡し、店内の一番奥にある化粧室へ向かう。

 しかし、ゲームセンターをここまで満喫したのはいつぶりのことだろうか。

 子供の頃は、確かに俺もあんなふうにはしゃいでいた気がする。

 一通り遊び倒したのでそろそろ帰ろうかと考えながら戻ると、メリーがクレーンゲームのアーケードに張り付いていた。


「ほしいのか?」

「え!? あ、あの、別に、大丈夫……」


 後ろから急に話しかけたから動揺したのか、メリーはクレーンゲームの筐体からパッと離れ、違う方へと向かおうとした。

 ガラスの中を覗くと、一昔前に話題になった、世界最大のげっ歯類のぬいぐるみが不規則に陳列されている。

 ……でかいな。

 クレーンゲームはある程度得意だが、取れるか?

 ポケットから崩した残りの小銭を取り出し、コインの投入口へと流し込む。


「あの、ホントに、いい……あっ」


 上手いことタグにクレーンの爪が引っ掛かり、かなり取り出し口へと近づいた。

 メリーがそれに合わせて思わず声を漏らす。その様子から、本当は欲しいのだと分かった。

 俺はメリーの言葉には応えず、無言で次の百円玉を投入した。

 狙うべきところは分かった。あとは、同じように寄せてっと。


「うあっ」


 再びメリーが声を漏らす。

 もう興味がないふりはやめたのか、ケース内のでかいネズミの挙動に首ったけだ。


 もう一度タグに爪を引っ掛けると、ぬいぐるみは今にも落ちそうなところまで来た。

 だけど、獲物が大きいせいで、先ほどのやり方じゃ落とすまでは行かない。

 クレーンの幅を確認して、再度コインを投入する。

 五百円玉を入れておけばよかったと後悔しかけたが、同じ金額で何とか取れそうだ。


「あ、お兄ちゃ、通り過ぎ」

「大丈夫」


 目標を通り過ぎたクレーンは、そのまま下降し地面に当たって爪を広げた。

 しかし、ぬいぐるみは広がった爪に押されることで落下し、やっとのことで取り出し口にその顔を覗かせた。

 なんとか面子は保てたな。これだけすかしておいて取れなかったらどうしようと、内心焦っていた俺は心の中で胸を撫で下ろした。


「ほら」


 そういった感情は見せずに、ぶっきらぼうにぬいぐるみを渡す。

 誰かのために景品を取るなんて初めてで、少し照れくさい。

 メリーはぬいぐるみを受け取ると、そのでかいネズミと睨めっこしていた。

 顔を突き合わせ、そして服を渡したときと同じように、ギュッと小さな腕で抱きしめる。


「……かわいい」

「そっか」


 メリーが顔を少しだけ赤らめ、俯いて呟く。

 いつもは騒がしい癖に、ずいぶんとしおらしい。

 たかがぬいぐるみなのに、そんなに心底嬉しそうにするなよ。普段みたいに何気なく無邪気に笑ってくれ。


「それじゃそろそろ行くか」

「うん」


 そう言って店外に向かうと、ぬいぐるみを抱えながらメリーは俺の裾を掴んできた。

 何とも言えない気持ちが胸に去来する。


 これが同情なのか、父性なのか、愛しさなのかは分からない。

 ただ、守ってやりたい気持ちに、助けてやりたい気持ちに駆られた。

 メリーに裾を引っ張られたまま、俺は自転車には乗らず、押して歩くことにした。


 しかし、今日の散財っぷりは酷いものがあるな。

 昨日から数えて諭吉先生が二人ほど俺の元を去っていった。

 正直、バイトと仕送りでやり繰りしてる学生には結構な出費だ。夜飯はテカ弁で済ませるかと考えた。

 とはいえ、夕飯には流石にまだ早い。

 帰りがけに通りかかった公園をメリーが眺めていたので、ちょうど良いと思い敷地内のベンチに腰を下ろすことにした。


 ゲームセンターを出てから、俺たちは一言も言葉を交わしていない。

 公園に入るときも、それとなしに進路を変更して、後ろで裾を掴んでいるメリーが着いてきただけだ。

 別に空気が重いわけじゃない。

 ただ、久しぶりに再会して終始和気あいあいと話せるほど、俺とメリーは近い位置にいない。

 年齢も身長も立場も経験も、何もかもが離れ過ぎていた。


 それに、たまに振り返ってメリーの様子を確認しても、ぬいぐるみを抱えてうつむき、ポーっとしているので、別段話す必要もないと思った。

 夕暮れの公園はまだ遊んでいる子供も多く、メリーと同年代ぐらいの子もいる。

 俺は視線を前に向けたまま、メリーに問いかけてみた。


「最近、学校とかどうだ?」


 言葉にしてみて気付いたが、なんて当たり障りなくてオッサン臭い質問なんだろう。

 まさしく俺は親戚のオジサンと化していた。


「えと、行ってないからよく分かんない」


 ……当たり障りはあった。

 え、ちょっと待ってくれ。というと、あれか? 


 あの傷跡は学校が原因? 俺は勘違いをしていたのか?

 ハーフ。容姿の違い。両親がいなくて。由緒正しい裕福な家。妬み。省き。イジメ。体罰。不登校。家出。


 一瞬にして様々な推測や考えが同時に浮かんで弾ける。

 そして、遂に俺は聞くことにした。

 これ以上、踏み込まずになんかいられない。

 意を決してメリーへと向き直り、昨日訊ねた疑問を再度言葉にする。


「……なぁ、お前さ、その身体の痣、どうした? 誰にやられた?」

「……」


 沈黙が下りる。

 ただ、俺はそれ以上何も問いかけない。

 言いたくないなら話さなくていい、とも言わない。

 何かを口にすれば、取り繕うようで、誤魔化すようで、何だか嫌だったから。


 メリーは相変わらずぬいぐるみを抱えたまま、遊んでいる、自分と同世代であろう子供達の方へと視線を投げていた。

 その瞳からは、俺は何を考えているのかは分からなかった。

 ただ、遠い目と言うのはこういうものを言うのだろうなと、そんな風に感じた。

 どれぐらいの時間が経ったのか、やがてメリーがポツリと呟いた。


「私ね、いらないんだって」

「え?」


 俺は、メリーが零したその言葉を上手く受け止めることが出来なかった。

 いくらでも取りようがあったから。


「……いらない?」

「うん、いらないの。いらないし、どこにもいないの」

「どこにもいない?」

「うん」

「どういう意味だよ? それに、そんなこと誰に言われたんだ?」

「……」


 メリーは何も答えない。

 言われた言葉がどういう意味なのか、俺には理解しかねた。

 ただ、何か声をかけなければならない気がして、必死で頭の中を探しまわったけど、上手い言葉は見付からなかった。

 メリーは黙ったまま、先ほどと同じように遠くを見つめている。

 問い詰めるような言葉も浮かんだが、その横顔を見て思わず呑みこんだ。

 聞いても、それ以上語ることはないだろうと分かってしまったから。

 沈黙こそが、メリーの拒絶を雄弁に語っていた。

 踏み込ませまいとしているのが伝わってきた。

 それは、俺に出来ることはないのだと突き付けられているようでもあった。


「ふぅ」


 どれぐらい時間が流れただろうか、メリーが勝手に区切りを付けるように一息ついた。

 ベンチからやや勢いを付けて立ち上がると、まだあれこれと考えている俺にも区切りを付けさせるよう、目の前に立って声をかけてくる。


「お兄ちゃん、ぬいぐるみありがとう! 大事にするね!」


 人もまばらになった夕闇の公園を背に、メリーは俺に微笑みかけた。

 その笑顔は曇り一つなくて、何だか呆然とした。


 こいつはまだ十二歳の子供なのに。

 自分だけじゃどうしようもないことも、分からないこともいくらだってあるはずなんだ。

 そう思っていたのに、その笑顔を見たら、まるで自分の方が子供のように思えてしまった。


 暮れる空は幻想的で、目の前の光景は美しいはずなのに、メリーの言葉だけがずっしりと腹の底に残って、石を呑んだかのように重く重く息苦しかった。

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