商売の邪魔

「てめえだよ。バカ口とじてこっち来い。口さえ開けてりゃおまんま食えるってのか、魚頭が」同じ方角から別の声がした。目を凝らすと、路地の反対に二人の男が並んでいた。一人は太郎と、あるいは帯刀の陣の下人と同じようななりで、口のすぼまった四角いざるを抱えている。


 もう一人を見て、太郎はおもわず息を呑み、編み籠をしかと抱きしめた。検非違使だ。水干に烏帽子をかぶり、木弓と箙に太刀をたずさえている。痩せぎすで頬はこけており、太郎よりはましな身なりだが、身につけているものはどれも色褪せたり、角が磨り減ったりしている。


 噂に聞く持衡とかいう野郎にちがいない。ある噂は装束を仕立てなおすにも苦労する貧乏捕吏に過ぎないといい、べつの噂は上がよこすものだけを懐に入れる清廉潔白な官吏だという。方違を忘れたツケだ。太郎は舌打ちこそこらえたが、知らずしらずのうちに唇を噛んでいた。


 太郎は汗のにじむ手で籠を抱えこみ、すうっと息を吸って吐いたが、ちっとも落ち着かない。ひざがふるえるのは飢えと行商の疲れだけではない。検非違使が従者とともに小路を横切って詰め寄ってくる。「小官に品物を見せてはくれまいか?」


 太郎はあいまいな返事をしながら、籠のふたをずらして三日月をつくり、中身が見えるようにした。「もっとよく見たいのだが」「ハエどもがきますから」「気にせずともよい」太郎はやむなく蓋を取りさった。中身は開いて干した切り身だ。皮は剥いである。


「干魚ですよ。帯刀の陣の御方々がごひいきにしてくだすって…」検非違使は腕組みして売り物に目を凝らしている。「毎日つかまえてきては干して、朝方に売りに行ってるんです。うまいうまいと、それはもうたいそう気に入って頂いてて、持衡様もいかがです?」


「親分、名が売れてきましたね」従者らしき男はニンマリ笑ったが「三郎よ、私達は法の番人だ。名にこだわるべきではない」持衡が子分の目を見てたしなめ、何かを手繰りよせる仕草をすると、子分は肩をすくめて口のすぼまった四角いざるから二つのものを出した。


 研ぎ澄まされた包丁と蛇の死骸である。アオダイショウのものだ。腐った臭いが太郎の鼻をかすめたが、蛇はもとの形をとどめている。検非違使は地面に蛇を置かせると、刃物を受け取って蛇の腹に突き立てた。水が流れるかのように白刃が動き、肉が顕になる。手が汚れるのをかまう様子もない。


 つづいて持衡は、開いた蛇を四寸ほどに切り分け、最後に包丁を拭って三郎に返した。「おまえの売り物を、蛇と並べて見せてくれ」持衡の言葉に太郎は黙従した。蛇に睨まれた蛙である。二つの品物が路上に晒される。


 太郎が干魚として売っていた切り身と、持衡が手配した蛇の開きは、同じ色をしている。太郎はやじ馬たちの視線を感じた。「おまえは詐欺の罪を犯した。蛇の肉を干魚と偽称して売っている」


「アオダイショウだよ」「こちとら講釈聞きにきたわけじゃねえんだぞ」三郎が息巻いたが、太郎も口を尖らせてやり返す。「マムシは売らねえって言ってんだ。毒蛇の見分けもつかねえのか」「いずれにせよ魚ではない」持衡は容喙し、太郎を睨んだ。


 検非違使の双眸には鋼の意志があり、隣でニヤつく三郎と対照をなしていた。「おとなしくお縄を頂戴しやがれ」下人の寄越した決まり文句が、太郎の肝に鞭を入れた。親分がいるからって偉そうに。太郎は唾を飛ばして「おれは悪くねえ。てめえら知らねえだろ」


 持衡は小首をかしげた。「はじめは蛇の肉って売ってたんだよ。正直にな。そしたら誰一人、買いやしねえ。骨と皮だけで出来てるような奴ですら断りやがる。ためしに魚だと言ってみせたら買い手がついた。そういうことさ」太郎は乾いた口から唾を絞り出し、飛ばして見せた。


「罪は、罪だ」持衡は折れない。「どうせこれ目当てだろ」太郎は鼻を鳴らして腰の巾着に手をのばしたが、「待て」と持衡が弓の本弭で制した。「詐欺に加えて贈賄の罪も負うつもりか」「猫かぶってんじゃねえよ」太郎は袋の口を開くのをやめて、丸ごと持衡に突き出した。


 芝居上手な業突く張りの木っ端役人め。巾着めがけ三郎の手が伸びたが、持衡が抑えこんだ。「親分、またですか」「またもなにもない。いつもこうだ」「そしてこれからも」三郎は肩をすくめて「だから子分が俺だけなんですよ」主人を仰ぎ見れば、持衡も負けじと睨み返す。


 捕吏たちの視線が逸れた一瞬、太郎は一目散に駆け出した。


 籠も巾着も放り捨て、角を曲がってさる大路に走りこめば、道端にころがる童の骸に鼻をひくつかせる野良犬に鉢合わす。上体を倒し弓なりの道筋で小路に駆けこめば、白湯に酔ったつもりの男たちが屯して道を塞いでいる。太郎は倒れこんで丸太のように一回転してかわし、勢いはそのままに再び飛びだす。


 山間での蛇狩りが太郎を健脚にしていたらしい。こんどは路端で勝手に店を広げる笠売だ。水がもるような仕上がりだろうが顔は隠せる。太郎が、自分でも驚いたことに、至極当然のように笠をひったくろうとしたときが、自信の泉の枯れどきだった。


「ぬすっとめ!」太郎は罵りと平手を食らい、目に涙を浮かばせながら手を引っ込めた。悔しさに歯噛みしながらも駆けつづけると、後ろに騒ぎを聞きつけた。火付けか強盗かと角に隠れてようすを見れば、先ほどの笠売が検非違使と下人に怒鳴り散らしている。


 どうやら、追いつ追われつのさなかに、検非違使たちのどちらかが、あやまって笠売の縁台を蹴飛ばしてひっくり返し、売り物を台無しにしたらしい。持衡は三郎の頭を下げさせているが、笠売の怒りは止まないようだ。罵り合いの火事は燃え盛る一方である。


 太郎は、三郎と笠売に向けて舌でも出してやろうと思ったが、追われる恐れが喜びに勝った。さとられぬよう一歩二歩と忍び足で遠ざかる。人目を引かぬよう走らずにおく。笠売たちの喧嘩さわぎは遠ざかり、崩れ屋根の目立つ右京から野犬とカラスの声が聞こえてくなか、太郎は朱雀大路に近づいてゆく。


 このまま都はずれにある家まで帰りつけるだろうか。太郎は首を振った。朱雀大路の西側に網を張ったというセンもある。さきごろ自分の荒屋の周りで、三郎とかいう輩を見かけたような気もする。家は割れているのではないか。


 一呼吸してのち、太郎は声をだしてうなずき大路に飛び出した。地面を蹴りつけていき、道の真ん中で南に折れる。罪人が都一番の大通りを進むとは、検非違使どもも考えるまい。太郎は急ぎの使いであるかのような顔つきをして南へ駆けてゆく。


 お尋ね者らしからぬ、用向きを抱えてますよと言わんばかりの生真面目な顔。歌をしたためた短冊を下京の女のもとへ急ぎ届けよと、命じられた下人のような顔つきだ。これまでにも何度か使った顔である。


 大路にいるのは腹の虫を鳴らしながら下を向いて歩く者ばかりだ。なんども人とすれちがうが、太郎に構うものはいない。本当に用を抱えているらしい者たちもいるが、向こうはこちらに目もくれない。中には顔見知りもいるだろうが、声をかけるほど元気のある奴はいないようだ。


 やがて、太郎は朱雀大路の南端に達し平安京の外へ飛び出す。詐欺で生計をたてていた者が都落ちして、人のまばらな田舎へ落ち延びるなどと、検非違使は考えるだろうか。都の中を駆けずり回って、せいぜい腹をすかせるといい。


 時を忘れるほど走り続けた挙げ句、山城の野を覆い尽くす丈高い茂みに倒れこんだ。もはや追手の気配は無い。笑みを浮かべて、火照った体に青臭い空気をいっぱいに取り込むと、太郎の背中に冷たいものが走った。


 羅生門。


 よりにもよって、羅生門をくぐってきたのだった。楼上に鬼の巣くうと噂のある門を。巷にはびこる噂では、鬼は人を喰らうのだという。生きたまま足の先からかじっていくのだという者もいれば、いや頭から丸呑みだという者もいる。屍にかえて腐りかけにしてからだという者もいる。


 太郎は噂でだけ鬼のことを知っている。いつか自分が鬼に出くわし、とって食われると予感がある。これまで太郎が働いてきた数え切れないほどの詐欺について、鬼が裁きを下しにやってくるという理屈には、太郎を捕らえて離さない力があった。


 なにも朱雀大路を真っ直ぐ南に走ることもなかったろう、西へとぬけて桂川のほうへ逃げてもよかったろうと、思ってまた震えた。検非違使から隠れおおせて獄門を逃れたところで川と街路の境目を見誤り、沼にはまって溺れて沈んだ先こそ地獄、という想像にも力があった。


 太郎が起きあがって、都の南東の山々へと向かうのは、しばらく後のことだった。

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