第32話 騒がしいギルド

 トリーシャの母が容体を急変させた日の夜。

 取り乱したままのトリーシャを、ルカは家まで送ることにした。

 その際、やはり彼女の母が出てくることはなかった。

 普段であれば、ルカが来たとなれば間違いなく顔を出す人だったはずだ。

 それがまた、いよいよその時が来てしまったことを示していて、寂しさを覚えた。


「……大丈夫かな、トリーシャ」


 翌日、その翌日もトリーシャがギルドに現れることはなかった。

 そして今日も、まだその姿を見ていない。


「ほらルカ、次はこいつを片付けておけ」


 ギルドマスターはトリーシャ不在分の仕事を、一部ルカに回すことにした。

 それによって、一層ギルド仕事に追われることになったルカ。

 帳面を手に、鍛冶場へ戻って来ると――。


「ルカ!」


 大慌てで駆けこんできたのは、行商人だった。


「お前、もう聞いたか?」

「何を?」

「……出たんだ」


 その言葉にルカはハッとする。


「まさか……」

「ああ、出たんだよヒュドラが! しかも場所は……ダンジョンだ」

「ッ!!」


 万病を癒すという万能薬。

 その原料となる竜胆石を持つ、唯一の魔物。

 ここ数年発見情報すらもなかった、そしてルカが求め続けていた魔物がついに現れた。


「すまない。これでも急いだんだが、どうやらすでに討伐に向かった上級者パーティがあるようだ。まさかここに出るとは……」

「詳細は?」

「中級パーティが地図の外、ダンジョンの端で偶然発見したらしい。ギルドへ戻って来た時に話を聞いた上級者たちがそのまま討伐に向かったとのことだ。さっきちょうど発見パーティが酒場でその話をしてて、経緯を聞いてきた」

「なるほど、地図の外か」

「それとそいつらの話を聞くに、ヒュドラ討伐に向かった上級者たちの中に受付嬢がいたらしい」

「トリーシャが!?」

「なんでもヒュドラ発生の話を聞いた途端に受付嬢の様子がおかしくなったんだと。それで話を聞いた上級者たちがそのまま一緒に向かったらしい」

「まさか竜胆石のために……ありがとう。俺、行かないと!」

「あ、ああ」


 嫌な予感に押されて、ルカは鍛冶場を飛び出した。

 すでに酒場は、騒がしくなり出していた。


「聞いたか? ヒュドラが出たらしいぞ」

「マジかよ……何年ぶりだ?」

「もう上級のヤツらが向かったらしい。レッドフォードたちがダンジョンに向かうのを見たってさ」

「俺たちも行こうぜ。もしかしたら俺たちの方が先に見つけられるかもしれない」

「私たちも行きましょう、見学だけでも」


 中級者以下は、お祭りの様な感覚で。

 上級者には、これからの参戦を目論んで動き出すものが出始める。

 そんな中、ルカは大急ぎでギルド酒場を後にする。


「待て。どこに行くつもりだ?」


 そんなルカを呼び止めたのは、ギルドマスターだった。


「すいません……行かなきゃいけない場所があるんです!」

「はあ? お前何言ってんだ? トリーシャがいないんだ、その分の仕事を誰がやると――」

「時間がないんです!」

「ルカ!」


 そう言い残して背を向けたルカを、再びギルドマスターが呼び止める。


「いいんだな? この忙しい時に仕事を放り出して行くってんなら今後は保証できないぞ。忘れるな、鎧鍛冶なんていくらでもいるんだ」

「……分かりました。それでも俺は、行かなきゃならないんです!」

「おい!」


 ルカは、ギルドマスターを振り切って走り出す。

 行き先はウインディア王国ダンジョン。34階層。


「頼むトリーシャ、無事でいてくれ……っ」



   ◆


「それにしてもお前、運がよかったなぁ」


 目的の34層までは、あとわずか。

 レッドフォードと呼ばれる長身の男は、強気の笑みを浮かべてそう言った。


「そうだね。僕たちは金銭に目がくらんだりしないから」


 銀髪の優男がそれに賛同する。

 二人は、貴族の出身だ。

 生活に困らない二人が求めているのは金ではない。ただ名誉のみ。


「急に一人で走り出した時は、どうしたのかと思ったけどな」


 よって欲しいのは、ギルドからの特別待遇。


「俺たちの実力なら騎士になれる……だが、それにはきっかけだけが足りてない」


 母を看病するための休みをもらおうとギルドにやって来たトリーシャは、ヒュドラ発生の報を聞き慌てふためいた。

 その理由を聞いた貴族の二人が持ち掛けたのは、取引だった。

 ウインディア王国ギルドは、長くダンジョンを管理してきた。

 当然、騎士候補として優秀な冒険者を推薦をすることもある。

 狙いはここだ。

 彼らは魔剣を持つこともあり、早く上級者となった優秀なパーティ。

 そのうえヒュドラという『金になる』魔物を倒し、見返りを求めず、困る者にその成果を譲ったとなれば、王国も一目置くだろうという算段だ。

 強く、清廉。

 それはまさしく、騎士という存在に求められる要素。

 この状況はまさに、推薦を受ける絶好の機会といえる。


「この二人なら、能力は間違いありません」


 そんな貴族たちのあと押しをしたのは、瀟洒なローブを着た長髪の青年。

 学生時代から彼らのサポートをし続けて来た、同級の魔術師だ。


「そのうえ君の口添えまであれば、もう完璧ですよ」


 そんな青年の言葉にトリーシャは、普段の快活さとはまるで違う面持ちを浮かべる。

 そこにあるのは、不安と悔恨。

 これまでギルド関係者として、一部の冒険者を特別扱いしたことなどなかった。

 しかしトリーシャは自分を責めながらも、母を救うためにこの条件を飲み込んだ。

 一介のギルド職員に、竜胆石を手に入れることなんてとても不可能だ。

 他に、手はなかった。


「そんなに心配するな、ヒュドラ程度なら問題なく倒せる」

「そうだね。もう相手の戦い方が分かってるってのは大きいよ」


 銀髪の貴族が言うように、ヒュドラについてはすでにギルド作成の本にも記述が多く、対処法まで明らかにされている。


「何より、二人には魔剣がありますからね」


 魔術師の青年も、余裕をのぞかせる。


「君は戦闘に参加する必要はないよ。僕たちがすぐに何とかする」

「スキルも使わなくていい。たとえ戦況が有利になるとしても、いつもと感覚が違えばそこに隙が生まれるかもしれない」

「普通に戦えば勝てる相手ですからね」

「……はい」


 魔剣持ちを二人も有する高ランクパーティ。

 普段は40層を超えるような、深層を狩場とする者たちだ。

 その実績なら問題なく、ヒュドラを打倒することができる。


「ふふ、家族のために危険を顧みずダンジョンへ飛び込んだギルド嬢。その危機を救いアイテムを譲った冒険者……シナリオは完璧だ」


 三人と一人は、ダンジョンを降っていく。

 ヒュドラまでの道のりは、もう残りわずかだ。

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