〈 i 〉


ドクダミは目を覚ました。

場所は、日本のどこにでもありそうな墓地だった。ドクダミはいつも、よく分からない家の墓石と、墓地全体の塀の隙間で生活していた。時間は夜。暗い色をした空には、十六夜の月が明るく、でも、少し何かが欠けているかのように光っていた。時期は、夏の暑さが盛りを過ぎたくらいの頃だった。もう少し気温が下がるのを待ちわびているような風が、そよそよと、ドクダミの体をやさしく揺らした。


「おはよう。今日もまた、君に会うことができて嬉しいよ。」


月がささやいた。

ドクダミは、少し笑って、月をじっと見つめた。


「おはよ。昨日もぐっすり眠ることができたの。うーん、うれしい。」


そう言って、ドクダミはさらに強く、月に向かって笑いかけるのだった。


「そういえば、君の暮らしている地球の日本という国では、お彼岸と呼ばれる行事が近いそうじゃないか。この宇宙とは別次元の世界の住人が、地球に現れるかもしれないね。この国の住人には、『あの世』の住人と言った方が分かりやすいのかな?ドクダミは、そういうのって、見たことある?」


月がドクダミに訊ねる。


「ん……、まあ、ここお墓だから、毎年見るよ。でも、私に興味ありそうなやつはいないけどね。」


ドクダミは、自分の生きてきた年月を思い出すと、どこか遠い目をした。


「私は生まれたときのことをよく覚えていないの。いつの間にか、誰にも言われていないのにこうして根を生やして、葉っぱを作って、決まった季節に花を咲かせるようになっていたの……。どうして、生きているんだろう。」


ドクダミの声はだんだん暗く、低くなっていった。


月が答える。

「生きている理由だなんて……見つけようとして見つかるものじゃないんじゃないかな。僕もどうして地球の周りを回っているのか分からないよ。だけど、生きている理由がよく分らないときはね、とりあえず目の前にあることを頑張って、ほんの小さいことでいいから、楽しみを見つければいいんだよ。僕は今、こうして君と話しているのが楽しいよ。」


ドクダミは、少し共感しているような、でもまだ納得できていないような表情をする。


「私と話してて、楽しいの? ……楽しいなら、いいんだけどね。楽しければ幸せなのかな……? 幸せって何?」


月が助言するように答える。

「幸せになりたいなら、無理に幸せになろうとしないことかな。もちろん、自ら不幸を招く必要はないけどね。それから、物質的な豊かさだけでは、多分幸せになれない。生きている間に起こる、印象深い出来事にはね、明るい感情と暗い感情の、両方を感じることになるから。ちゃんと受け止めて、最善だと思ったことをするしかない。結局、どの道を選んでも、多少の後悔は残るしね。」


その話を聞くと、ドクダミは少し切なく、でもどこか満足げに笑った。


「……確かにそうね。生きているときの、印象深い出来事、か……。あなたと最初に話したときにも言ったと思うけど、私は本当は夜行性じゃないの。ずっと前……、何年前かしら?私は太陽が出ている時間にしか起きてなかった。太陽と話すのは楽しかった。話しているときが一番……生きている感じがしたの。私にはかけがえのない存在ね。でも……私はいつからか、昼に起きられなくなったの。今も、もうどうすればいいのか分からない。その代わりに、私はあなたとお話できるようになったの。夜なら、太陽も出ていないし、あなたの声がよく聞こえる。」


ドクダミは、これでいいんだ、と自分を言い聞かせた。



月が話す。

「でも、僕の光は僕自身が出しているものじゃないんだよ。残念ながらね。太陽とは、しばらく君は話していないみたいだね。でも、日中、太陽はずっと君のことを見守っているような気がするよ。」



ドクダミが答える。

「そうね。太陽が、私が寝ている間に光を出してくれているから、私は今まで生きてこられたの。太陽は、……誰も見捨てない。それは解ってるの……。やだ、なんか今日は、しんみりした話ばっかりじゃない。ごめん、私がそういうモードになったからだわ。」


月が答える。

「いいんだよ。別に気にしないで。そういうときもあるでしょ?」


ドクダミはなぜか安心感を覚えた。自分のことを受け止めてもらったからだろうか。


ドクダミと月は、なんとなく話をするのをやめた。一晩中顔を合わせている彼らにはよくあることだった。








辺りが深い静寂に包まれる。

この沈黙は、全然気まずくなくて、むしろとても居心地のよいものだった。


十六夜の月明かりが、まるで暗闇に一筋の光を放つように辺りを照らす。ドクダミは特に何もせず、ただ、その様子を感じていた。











ひゅ――――――。

どこからか、生暖かい風が吹く。


ドクダミと月は、何か新しい予感を感じて、やけに胸騒ぎがした。



気が付くと、風の吹いている方向から、フリルのついた白いワンピースを身にまとった少女が歩いてきていた。少女の前髪は目全体を隠すくらいで、後ろ髪は腰のあたりほどだった。髪とワンピースが風に吹かれて、風と同じ方向になびいている。

そして、少女がドクダミに近づくごとに、少女全体を覆っている光が強くなっていく。それと同時に、月がどこからか流れてくる薄暗い雲に覆われて、辺りが暗くなっていく。月の光が弱まったせいで、少女を覆う光がもっと強くなっているように感じる。


少女は、ドクダミの生えているところの近くのお墓の辺りまで来ると、こうつぶやいた。


「ここが私のお墓かぁ。――んん、生きている間に親に何回か連れてってもらったような気がするけど、まさか親より自分が先に入ることになるとは思わなかったなぁ……。」


そして、少女はドクダミの近くまで来ると、何かを見つけたようにしゃがんだ。


ドクダミは、自分のところに近づいてきた少女に少々驚きながら、声をかける。


「こんばんは。どうしてここに来たの?」


少女が少し口角を上げるようにして答える。

「――んん、月と話しているのが楽しそうだったからね」


ドクダミが確認するように話しかける。

「あなたって、一応『あの世』の住人なのよね?」


少女がぽけーっとした様子で答える。

「あぁ――。うん。そうみたいね。でも、なんであの世に行かなきゃいけなくなったかは…………うーん、覚えてないやぁ。」


ドクダミが会話を続ける。

「あの世では、どうしてるの?」


少女が答える。

「ん――――、いや、いろんなのがいるから退屈しないよ――。でも、やっぱ時々この世の住人に会いたくなるかな。」


ドクダミが話す。

「そう。会いたい人には会えたの?」


少女がさらっと答える。

「んん……いや、それがまだなんだよねぇ。早く会いたいな――。あ。そういえば、お姉さんからも誰かに心の奥底で会いたがってるような匂いがするんだよねぇ……。ふふ。私と似てるね。」


ドクダミは何か図星を言い当てられた気分になったが、気が付かないふりをした。


「そんなことないってば!」


ドクダミは、動揺しているのを笑ってごまかす。


少女がぼそっと話す。

「あっそう。この嘘つき。」


ドクダミはいらついたのを隠すように、ため息混じりのあきれた声で話す。

「何言ってるの? だいたい初対面のくせに。あー、いい加減に……」


ドクダミが話を続けようとしたところ、月が遮った。


「はい、皆さん、喧嘩はここまで――――。せっかくの十六夜じゃないか。綺麗でしょ? んまあ、とにかく落ち着いて。」


月の方を見上げると、月は薄暗い雲の間から少し顔を覗かせていた。


ドクダミが月に向かって訴える。

「いや、喧嘩してないし‼」


月がドクダミをなだめる。

「まあ、いいじゃないか。嘘か本当かを決めるのは、ドクダミ自身なんだからさ。でも、本当はどっちか分かってるんじゃないのかな。」


ドクダミは、はぁ、と一瞬考え込む。


雲の間から顔を出していたはずの月は、いつの間にか、さっきよりもさらに分厚い雲に覆われていた。

辺りがより一層暗くなる。


そんなドクダミにはお構いなしに、少女がドクダミに向かって話しかける。


「あ。てかさー。今日はちょっと、相談したいことがあるんだけど。」


そういって、ドクダミの葉っぱを撫でた。

透明なはずの手は温かかった。


少女のセリフに違和感を覚えたドクダミが話す。

「相談? 相談ねぇ……。急すぎん? ていうか、そんなになれなれしく触らないの!」


それを聞くと、少女はドクダミからそっと手を離した。


「ごめんなさい。」

少女は、少ししんみりした声で、そう言った。



ドクダミは、少女が純粋そうな様子を見せたので、なんだか変に申し訳ない気分になった。


「うん。分かった。いいの、気にしないで。それで、相談って? ……その前に、あなたの名前を訊いていなかったわね。名前はなんて言うの?」


少女が、視界のどこか一点を見つめるようにしながら答える。

「如意。周りの人は私のことをそう呼んでいたの。名字は……、そこのお墓に彫ってあるでしょ。まあ、どーでもいいんだけどね。」



ドクダミが頷きながら答える。

「おっけい。じゃあ、なんて呼べばいい? ……如意?」


少女がふわっと答える。

「呼び方はなんでもいいよ。好きなように呼んで。」


ドクダミがころっとしたように答える。

「んじゃあ、如意でいっか。じゃあ、如意ね。」


少女は無表情なような、少し笑っているのを悟られたくないような表情をしていた。


ドクダミが如意の方をじっと見つめて声を出す。

「それで、相談って何? 」


如意が答える。

「私は、記憶が曖昧な頃から大事にしてるぬいぐるみが一匹いて――。今でも毎日一緒に寝てるの。きっと、誰かが私の棺に一緒に入れてくれたから。で、いつもは特に何もしないで、軽く抱きしめて寝てるだけ。でも、私が体調不良になって、高熱を出した時なんかは、そのぬいぐるみをいじめちゃってさぁ……。自分の枕で押しつぶりたりとか、その辺に急に投げつけたくなったりしちゃう。……どうしてだと思う? 」


ドクダミは、相談の内容に驚きを感じつつ、口を動かす。

「それは……うーん、ちょっと難しい質問ね……。」


ドクダミはしばらく考え込む。


そして、このように答えるのだった。

「その答えは、多分ね……。私がわざわざ言わなくても、あなた自身の中で、なんとなく分かってるんじゃないかしら。ただ、それを……、ドクダミが言ったから、そういうことなんだ、って思いたいだけじゃないかしら。」



如意が、図星を突かれた表情をしながら話し始める。

「そう。そうね。答えは多分、すでに分かっているような気がする……。ええ。…ぬいぐるみの愛らしい顔を見ていてもね、私は救われないからよ。今すぐ助けてほしいほど、しんどいのにね。……なんだかさぁ、家族に暴力をふるってしまう人と共通した部分が、あるような気がするの。」


ドクダミが如意に答えるようにして話を続ける。

「自分が苦しいのが、どうにもなんなくて、この人ならこういうことをしても許されるだろう、っていうような一種の甘え? があるよね。……そんなこと許されないのにさぁ。」


ドクダミが空を見上げると、雲の晴れている部分と分厚い雲の残っている部分が、ちょうど半々くらいになっていた。


そして、静かにしていた月が、いきなり話題に入り込む。

「こういう変な甘え方じゃなくてさ、もっと適切な表現方法があるはずなんだよ。ほら、親しき中にも礼儀あり、って言わない? そういう気持ちをもっとさぁ、大切にするべきなんだよねぇ……。」


如意が月の話に納得しつつ、少し苦い顔をして答える。

「そう。そうなんだよね。分かってはいるんだけどさぁ、それがなかなか難しいんだよね……。たまに、ほんとに腹立つときとかあるしさ……」


ドクダミが共感するように微笑みながら答える。

「ん……、そうね。でも、難しいからっていって、その問題から逃げちゃダメなんだよね……。こうさ、なんだろう、少しでもいいから意識して行動して、今回はこうしちゃったけど次はこうすればもっと良くなる、って反省しながらやっていくしかないんだよね……。でもやっぱ難しい……。」


如意がしみじみとした表情で話す。

「やっぱ、そうだよね…………。うん。ありがとう。おかげでなんかすっきりした。ふふ。」


話し終えた後の如意の表情は、どこか霧が晴れたような……、心の中にある、できものが取れたような……雰囲気を匂わせていた。


空にあった分厚い雲は、いつの間にかどこかへ消えていた。

完全な光を放たない十六夜の月の夜でありながら、この夜に居合わせた三人の雰囲気は、まるでしっかりとした落ち着く光を放っているようだった。


ドクダミが如意に話しかける。

「また、話したいこととか、何かあったらいらっしゃい。本当に、なんでもいいから。」


如意がドクダミに答える。

「そうなの? やったあ、ありがとう。じゃあ、また気が向いたときに会いに行くね。……てかさ、ドクダミの葉っぱって、すごくきれい。丸みを帯びてるけど、どこかしなやかな感じがとってもいい。色もかわいい。少し深い緑と淵の赤紫の色合いが、粋な感じがして、美しい。……ほんと、ずっと見ていられそうなくらい。」


ドクダミが驚いたように話す。

「そう? なの……? ありがとう。まさか、そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。」


如意が笑って話しかける。


「だってそうだもの! うん。へへ。……あ。花とかって咲くの?」


ドクダミが答える。

「ああ。花ね。ええっと……私のはね、初夏のあたりで咲くようになってるの。黄色くて、小さいのがたくさんついてるの。きれいかどうかは、ん……、自分では分からない。」


ドクダミの声は、自信がなさそうに、だんだんと小さくなっていく。


そんなドクダミを励ますように、如意が声をかける。

「大丈夫。こんなに葉っぱがきれいなんだもの。きっと花もきれいよ。うん。 実際に見てみたいなぁ……」


ドクダミが少し照れるように、笑って答える。

「じゃあ、またいらっしゃい。私が、……咲いている頃にね。」


如意が答える。

「分かった。ありがとう。じゃあ、またね。めっちゃ楽しみ。ドクダミさんも、月さんも、ほんと、会えてよかった! 貴重な時間をありがとう。」


そう言って爽やかに笑いながら、如意は二人にお礼をした。


月が如意に話しかける。

「またおいで。」


如意は月の声を聞くと、空を見上げ、月に向かってしっかりと笑いかけた。


月の光はどこまでも澄んでいて、とても清らかだった。


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